2025 .01.22
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3.善太夫
長かった冬も終わり、四月の八日、例年のごとく草津の山開きが行なわれた。
いつもは、父親の下総守(しもうさのかみ)が行列の先頭に立って、草津に登るのだったが、今年はいなかった。下総守を初め家臣たちのほとんどが戦(いくさ)に行ったまま、まだ帰って来ない。
留守を守る湯本次郎右衛門が沼尾村から小雨村にやって来て、下総守の代理として先頭に立って登って行った。
瑞光坊(ずいこうぼう)も善太夫(ぜんだゆう)の代わりとして、正装して行列に加わっていた。錫杖(しゃくじょう)を突きながら、雪を踏み分けて登って行く瑞光坊の顔付きは去年とは打って変わって、頼もしく感じられた。
行列はまず、白根明神に参拝して、今年の繁栄と戦に行っている者たちの無事を祈願(きがん)し、光泉寺にて山開きの儀式を行なった。
薬師堂(やくしどう)から雪景色の中、湯煙を上げている湯池(湯畑)を見下ろしながら、ようやく、春がやって来たと皆が実感していた。顔をほころばせながら、「今年もまた、忙しくなるぞ」とうなづき合っていた。
瑞光坊は円覚坊(えんがくぼう)と共に、番頭や女中を引き連れて湯宿に向かった。
屋根の雪は思っていた程なかった。冬の間、山に籠もって修行を続けていた光泉寺の山伏たちが、雪下ろしをしてくれたようだった。
すべての戸を開け放して、大掃除が始まった。冬の間、蔵の中にしまって置いた家財道具をすべて出さなくてはならない。
湯治客を迎え入れる準備で、草津の村は大わらわだった。
村もようやく落ち着いて、湯治客の姿もちらほら見え始めた四月の二十三日の事だった。
髪を振り乱し、汚れた鎧(よろい)を身に付けた騎馬武者が一騎、広小路を駈け抜けて、お屋形へと向かって行った。しばらくして、また一騎、二騎と泥にまみれた武者がやって来た。
瑞光坊は円覚坊と一緒に湯宿の門の所から、目の前を駈け抜けて行く武者たちを眺めていた。
「ただ事じゃないぞ」と円覚坊はお屋形の方を見上げながら言った。
「もしや、父上の身に何か‥‥‥」と瑞光坊も不安な面持ちでお屋形の方を見た。
「かもしれん」と円覚坊は言った。「城を落とす時に敵と戦い‥‥‥」
「怪我をしたとでも言うのか」と瑞光坊は円覚坊に聞いた。
「分からん」と円覚坊は厳しい顔付きで首を振った。「分からんが、あれ程の慌(あわ)て様、よくない事が起こった事は確かじゃろう」
瑞光坊は円覚坊の言葉を最後まで聞かずに、お屋形の方に駈け出して行った。円覚坊も瑞光坊の後を追った。
瑞光坊はお屋形の中に入れてもらえたが、一体、何が起こったのか聞かせてはもらえなかった。母と妹と弟の住む奥の部屋に通されたまま、いつになっても、誰も伝えに来なかった。
広間の方では、沼尾村の次郎右衛門、祖父の民部入道梅雲(みんぶにゅうどうばいうん)、大叔父の成就院(じょうじゅいん)を初めとして、留守を守っている家臣たちが集まって、何やら相談事をしているようだったが、瑞光坊はその場に入る事はできなかった。
心配顔の母親と十三歳になる妹のしづ、九歳になる弟の四郎を慰(なぐさ)めながら、瑞光坊はイライラしていた。
「兄上様、お父上は御無事ですよ、きっと」としづは無邪気に言った。「だって、お父上はお屋形様なんですもの。とっても強いんですもの、ねえ、母上様」
「そうね」と母はわざと陽気にうなづいてみせたが、その顔は青ざめていた。
突然、裏庭に円覚坊が現れて、瑞光坊に手招きした。
「よく入れましたね」と瑞光坊は縁側に出ると言った。
円覚坊はお屋形の中に入れてもらえなかったのだった。
「何も教えてくれん」と瑞光坊は広間の方を睨んだ。
すでに辺りは暗くなっていた。
円覚坊は何も言わずに辺りを見回すと、庭の片隅にある小さな祠(ほこら)の方へ瑞光坊を誘った。
「何か探ったんだな」と瑞光坊が聞いても返事もせずに木陰に腰を下ろすと、「若様、気をしっかり持ってくだされ」と低い声で言った。
「何が起きたのかも分からず、気をしっかり持てもないもんじゃ」
「お父上殿が戦死なさいました」と円覚坊はぼそっと言った。
瑞光坊は目を見開いて、円覚坊を見つめた。
「お父上殿だけでなく、善太夫殿も戦死なさったとか‥‥‥」
「何だと‥‥‥父上が戦死した‥‥‥嘘を言うな。誰がそんな嘘を申した」
「嘘ではありませぬ。わしは今まで、広間の屋根裏に隠れて、重臣たちの話を聞いておったんじゃ。幸いに兄上様は御無事との事でございます」
「父上が亡くなっただと‥‥‥嘘だ!‥‥‥そんな事は信じられん」
瑞光坊は首を振りながら、円覚坊に詰め寄った。
円覚坊は瑞光坊の両肩を強く押さえると、「負け戦になったそうでございます」と静かな声で言った。
「負け戦じゃと‥‥‥馬鹿言うな」
瑞光坊は円覚坊の両手を振り切ると近くの松の木を思い切り叩いた。
「八万の大軍がどうして負けるんじゃ‥‥‥そんな事、嘘に決まってる。北条方がそれ以上いたというのか」
「いいえ。北条方は十分の一の八千との事、八万の兵が八千の北条軍に敗れたそうじゃ」
「信じられん。そんな事、信じられんわ‥‥‥父上が死ぬなんて‥‥‥」
瑞光坊は、嘘だ、嘘だと言いながら、何度も何度も、松の木を叩いていた。
「わしにも信じられん。信じられんが事実らしい」
円覚坊は立ち上がると、瑞光坊の腕をつかんだ。瑞光坊の拳(こぶし)は皮がむけて血が滲んでいた。
「しっかりしろ!」と円覚坊は厳しい声で言った。
瑞光坊はハッとして、自分の両手を見つめ、顔を上げると円覚坊を見つめた。
「うろたえるな‥‥‥と言っても無理かもしれんが、お前はお屋形様の伜(せがれ)なんじゃぞ。領主の伜として、草津の者たちの面倒を見なければならん立場にいるんじゃ。辛いかもしれんが、現実から目をそらしてはならん」
円覚坊は瑞光坊の手を放すと、腰を下ろして、祠の中の弁天様を眺めた。
瑞光坊は父が出陣する前に言った言葉を思い出した。
「今回の戦はすぐに片が付くじゃろう。しかし、益々、戦は増える事となろう。お前は宿屋の主人にならなくてはならんが、兄の太郎が戦に行った時、留守を守るのはお前じゃ。お前がこの草津を戦から守るんじゃぞ。その事をしっかりと肝に銘じておけ。いいな」
父はそう言うと、瑞光坊の腹を叩いて笑った。その時、瑞光坊は軽い気持ちでうなづいたが、父が戦死してしまった今、俺がこの草津を守らなくてはならないのだ、と自分に言い聞かせていた。
あの時、父は初めて、自分の事を一人前の大人として扱ってくれた。しかし、もう、その父はいない‥‥‥
「北条軍は二十日の夜中、総攻撃を掛けて来たらしい」と円覚坊は言った。「味方の兵たちは、まさか、北条が八千たらずの兵力で攻撃して来るはずがないと眠りこけていたそうじゃ。そこに突然の夜襲(やしゅう)、味方は慌てふためき、戦の準備をする間もなく攻められて、中には、味方同士で斬り合いをした者も多かったらしい」
「それで、八万の兵がやられたのか‥‥‥」
「味方はばらばらになって逃げてしまったようじゃ。元々、寄せ集めの兵たちじゃ。不意を突かれて陣が乱れれば、立て直す事などできん」
「管領(かんれい)殿もやられたのか」
「分からん。お屋形様の亡きがらを馬に乗せて逃げるのが精一杯だったそうじゃ。誰がやられて、誰がどこに行ったのか、まったく、分からんそうじゃ」
「そうか‥‥‥夜襲をかけられたのか‥‥‥」
瑞光坊は両手を固く握り締めて、夜空を見上げたまま、いつまでも立ち尽くしていた。
二日後、父、下総守の遺骨と一緒に兄、太郎左衛門が十数人の家臣に守られて帰って来た。
埃(ほこり)まみれの鎧(よろい)を身にまとい、皆、疲れ切った顔付きをしていた。
三日月の家紋の書かれた旗だけが、出掛ける時と同じように、風になびいていた。
次の日、光泉寺にて、お屋形下総守、叔父善太夫、そして、亡くなった家臣たちの葬儀が大々的に行なわれた。
葬儀の前、瑞光坊は亡き善太夫の跡を継ぎ、湯宿の主人になると共に、善太夫の名を継いだ。
湯本善太夫、十六歳、父親と叔父を亡くした悲しみに浸っている暇はなかった。
今回の戦で負傷した武将が治療のために続々と草津にやって来たため、宿屋の主人として接待に大忙しだった。
湯本家は嫡男の太郎左衛門が二十歳で継いだが、家臣たちの主立った者が半数近く戦死してしまい、先が思いやられた。湯本氏を草津から追い出して、自ら領主になろうと思う者がいないとは言えなかった。
草津の南の羽尾(はねお、羽根尾)には羽尾治部入道道雲(じぶにゅうどうどううん)がいて、長野原には道雲の弟、海野長門守(うんのながとのかみ)がいる。羽尾の西には西窪佐渡守(さいくぼさどのかみ)、そして、鎌原宮内少輔(かんばらくないしょうゆう)がいる。皆、同族であり、親戚でもあったが、油断はできなかった。
湯治客が銭を落として行く草津の湯は、草津周辺の領主たちから見れば垂涎(すいぜん)の的だった。湯本氏が勢力のあるうちは何事も起こらないが、勢力が弱まったとみれば、誰もが草津を狙う可能性があった。
下総守の葬儀の後、さっそく、伯父である羽尾道雲が湯本家を継いだ太郎左衛門の嫁に、わしの娘はどうかと言って来た。その事について、猛反対したのが従兄の鎌原宮内少輔だった。羽尾氏と鎌原氏は領地が接しているため、その境界について年中、争っていて仲が悪かった。
亡き下総守の妻、要するに、太郎左衛門の母親は宮内少輔の父、筑前守(ちくぜんのかみ)の妹であるため、湯本家における鎌原氏の地位は高かった。ところが、太郎左衛門が羽尾氏の娘を嫁に貰うとなると、鎌原氏の立場は羽尾氏に奪われる事になる。かと言って、鎌原氏には太郎左衛門の嫁にやるような娘はいなかった。しかも、宮内少輔の父親、筑前守も今回の戦で戦死してしまった。宮内少輔は一人、反対したが、結局は道雲の娘を嫁に貰うという事に決定した。今の世の中、何が起こるか分からない、領主となったからには、早いうちに嫁を貰って跡継ぎを作る事が先決だった。それに、道雲の娘ならお互いに釣り合いが取れると言えた。
下総守の喪(も)が明けると太郎左衛門は道雲の娘と祝言(しゅうげん)を上げた。
広間の方では、沼尾村の次郎右衛門、祖父の民部入道梅雲(みんぶにゅうどうばいうん)、大叔父の成就院(じょうじゅいん)を初めとして、留守を守っている家臣たちが集まって、何やら相談事をしているようだったが、瑞光坊はその場に入る事はできなかった。
心配顔の母親と十三歳になる妹のしづ、九歳になる弟の四郎を慰(なぐさ)めながら、瑞光坊はイライラしていた。
「兄上様、お父上は御無事ですよ、きっと」としづは無邪気に言った。「だって、お父上はお屋形様なんですもの。とっても強いんですもの、ねえ、母上様」
「そうね」と母はわざと陽気にうなづいてみせたが、その顔は青ざめていた。
突然、裏庭に円覚坊が現れて、瑞光坊に手招きした。
「よく入れましたね」と瑞光坊は縁側に出ると言った。
円覚坊はお屋形の中に入れてもらえなかったのだった。
「何も教えてくれん」と瑞光坊は広間の方を睨んだ。
すでに辺りは暗くなっていた。
円覚坊は何も言わずに辺りを見回すと、庭の片隅にある小さな祠(ほこら)の方へ瑞光坊を誘った。
「何か探ったんだな」と瑞光坊が聞いても返事もせずに木陰に腰を下ろすと、「若様、気をしっかり持ってくだされ」と低い声で言った。
「何が起きたのかも分からず、気をしっかり持てもないもんじゃ」
「お父上殿が戦死なさいました」と円覚坊はぼそっと言った。
瑞光坊は目を見開いて、円覚坊を見つめた。
「お父上殿だけでなく、善太夫殿も戦死なさったとか‥‥‥」
「何だと‥‥‥父上が戦死した‥‥‥嘘を言うな。誰がそんな嘘を申した」
「嘘ではありませぬ。わしは今まで、広間の屋根裏に隠れて、重臣たちの話を聞いておったんじゃ。幸いに兄上様は御無事との事でございます」
「父上が亡くなっただと‥‥‥嘘だ!‥‥‥そんな事は信じられん」
瑞光坊は首を振りながら、円覚坊に詰め寄った。
円覚坊は瑞光坊の両肩を強く押さえると、「負け戦になったそうでございます」と静かな声で言った。
「負け戦じゃと‥‥‥馬鹿言うな」
瑞光坊は円覚坊の両手を振り切ると近くの松の木を思い切り叩いた。
「八万の大軍がどうして負けるんじゃ‥‥‥そんな事、嘘に決まってる。北条方がそれ以上いたというのか」
「いいえ。北条方は十分の一の八千との事、八万の兵が八千の北条軍に敗れたそうじゃ」
「信じられん。そんな事、信じられんわ‥‥‥父上が死ぬなんて‥‥‥」
瑞光坊は、嘘だ、嘘だと言いながら、何度も何度も、松の木を叩いていた。
「わしにも信じられん。信じられんが事実らしい」
円覚坊は立ち上がると、瑞光坊の腕をつかんだ。瑞光坊の拳(こぶし)は皮がむけて血が滲んでいた。
「しっかりしろ!」と円覚坊は厳しい声で言った。
瑞光坊はハッとして、自分の両手を見つめ、顔を上げると円覚坊を見つめた。
「うろたえるな‥‥‥と言っても無理かもしれんが、お前はお屋形様の伜(せがれ)なんじゃぞ。領主の伜として、草津の者たちの面倒を見なければならん立場にいるんじゃ。辛いかもしれんが、現実から目をそらしてはならん」
円覚坊は瑞光坊の手を放すと、腰を下ろして、祠の中の弁天様を眺めた。
瑞光坊は父が出陣する前に言った言葉を思い出した。
「今回の戦はすぐに片が付くじゃろう。しかし、益々、戦は増える事となろう。お前は宿屋の主人にならなくてはならんが、兄の太郎が戦に行った時、留守を守るのはお前じゃ。お前がこの草津を戦から守るんじゃぞ。その事をしっかりと肝に銘じておけ。いいな」
父はそう言うと、瑞光坊の腹を叩いて笑った。その時、瑞光坊は軽い気持ちでうなづいたが、父が戦死してしまった今、俺がこの草津を守らなくてはならないのだ、と自分に言い聞かせていた。
あの時、父は初めて、自分の事を一人前の大人として扱ってくれた。しかし、もう、その父はいない‥‥‥
「北条軍は二十日の夜中、総攻撃を掛けて来たらしい」と円覚坊は言った。「味方の兵たちは、まさか、北条が八千たらずの兵力で攻撃して来るはずがないと眠りこけていたそうじゃ。そこに突然の夜襲(やしゅう)、味方は慌てふためき、戦の準備をする間もなく攻められて、中には、味方同士で斬り合いをした者も多かったらしい」
「それで、八万の兵がやられたのか‥‥‥」
「味方はばらばらになって逃げてしまったようじゃ。元々、寄せ集めの兵たちじゃ。不意を突かれて陣が乱れれば、立て直す事などできん」
「管領(かんれい)殿もやられたのか」
「分からん。お屋形様の亡きがらを馬に乗せて逃げるのが精一杯だったそうじゃ。誰がやられて、誰がどこに行ったのか、まったく、分からんそうじゃ」
「そうか‥‥‥夜襲をかけられたのか‥‥‥」
瑞光坊は両手を固く握り締めて、夜空を見上げたまま、いつまでも立ち尽くしていた。
二日後、父、下総守の遺骨と一緒に兄、太郎左衛門が十数人の家臣に守られて帰って来た。
埃(ほこり)まみれの鎧(よろい)を身にまとい、皆、疲れ切った顔付きをしていた。
三日月の家紋の書かれた旗だけが、出掛ける時と同じように、風になびいていた。
次の日、光泉寺にて、お屋形下総守、叔父善太夫、そして、亡くなった家臣たちの葬儀が大々的に行なわれた。
葬儀の前、瑞光坊は亡き善太夫の跡を継ぎ、湯宿の主人になると共に、善太夫の名を継いだ。
湯本善太夫、十六歳、父親と叔父を亡くした悲しみに浸っている暇はなかった。
今回の戦で負傷した武将が治療のために続々と草津にやって来たため、宿屋の主人として接待に大忙しだった。
湯本家は嫡男の太郎左衛門が二十歳で継いだが、家臣たちの主立った者が半数近く戦死してしまい、先が思いやられた。湯本氏を草津から追い出して、自ら領主になろうと思う者がいないとは言えなかった。
草津の南の羽尾(はねお、羽根尾)には羽尾治部入道道雲(じぶにゅうどうどううん)がいて、長野原には道雲の弟、海野長門守(うんのながとのかみ)がいる。羽尾の西には西窪佐渡守(さいくぼさどのかみ)、そして、鎌原宮内少輔(かんばらくないしょうゆう)がいる。皆、同族であり、親戚でもあったが、油断はできなかった。
湯治客が銭を落として行く草津の湯は、草津周辺の領主たちから見れば垂涎(すいぜん)の的だった。湯本氏が勢力のあるうちは何事も起こらないが、勢力が弱まったとみれば、誰もが草津を狙う可能性があった。
下総守の葬儀の後、さっそく、伯父である羽尾道雲が湯本家を継いだ太郎左衛門の嫁に、わしの娘はどうかと言って来た。その事について、猛反対したのが従兄の鎌原宮内少輔だった。羽尾氏と鎌原氏は領地が接しているため、その境界について年中、争っていて仲が悪かった。
亡き下総守の妻、要するに、太郎左衛門の母親は宮内少輔の父、筑前守(ちくぜんのかみ)の妹であるため、湯本家における鎌原氏の地位は高かった。ところが、太郎左衛門が羽尾氏の娘を嫁に貰うとなると、鎌原氏の立場は羽尾氏に奪われる事になる。かと言って、鎌原氏には太郎左衛門の嫁にやるような娘はいなかった。しかも、宮内少輔の父親、筑前守も今回の戦で戦死してしまった。宮内少輔は一人、反対したが、結局は道雲の娘を嫁に貰うという事に決定した。今の世の中、何が起こるか分からない、領主となったからには、早いうちに嫁を貰って跡継ぎを作る事が先決だった。それに、道雲の娘ならお互いに釣り合いが取れると言えた。
下総守の喪(も)が明けると太郎左衛門は道雲の娘と祝言(しゅうげん)を上げた。
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