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2024 .11.21
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6.表舞台




 天文(てんぶん)二十年(1551年)の正月の末、箕輪(みのわ)の長野信濃守から出陣命令が届いた。

 兄、太郎左衛門は家臣を引き連れて、義父の羽尾道雲(はねおどううん)と共に箕輪に向かい、さらに、管領(かんれい)上杉氏の城下、平井に向かった。

 小田原の北条氏が今度は平井に攻めて来るという。

 河越の合戦の時のように、平井には関東の武士が大勢集まったが、あの合戦の後、北条方に寝返った武士もかなりいて、あの時程の盛り上がりはなかった。それぞれの陣地においても、北条軍が攻めて来たら、絶対に追い払ってやるという気迫はなく、半ば、逃げ腰だったという。

 留守は沼尾村の湯本次郎右衛門の長男小次郎と生須(なます)村の湯本三郎右衛門が小雨村のお屋形に来て守っていた。

 小次郎は太郎左衛門の妹婿(むこ)であり、善太夫から見れば義兄という関係にあった。三郎右衛門は善太夫の義弟に当たった。昨年の春、妹のしづは三郎右衛門のもとに嫁いでいた。

 身内の者たちは皆、嫁を貰っているのに、善太夫はまだ独り身だった。縁談はあるが、善太夫は乗り気ではなかった。兄の太郎左衛門としても、湯宿の主人の縁談にはさほど興味もなく、善太夫の好きにさせていた。

 善太夫としては、相変わらずナツメの事が忘れられず、他の娘を嫁に貰う事など考えられなかった。他の娘を嫁に貰う位なら、遊女屋に通って遊んでいる方がまだ増しだった。『若旦那』と持て囃されて、お気に入りの遊女を抱いていた方が気が楽だった。

 善太夫は冬住みの期間は、円覚坊と一緒に旅に出ている事が多かったが、去年と今年は、上泉伊勢守のもとで武芸の修行に励んでいた。

 伊勢守のもとにも箕輪から出陣命令が届いた。伊勢守は家臣を引き連れて、箕輪城に向かった。四天王のうち羽田源太郎と疋田豊五郎と神後藤三郎の三人が伊勢守に従い、奥平孫次郎だけが残った。原沢佐右衛門も出陣し、道場に残ったのは、一年間の修行に来ている若い者たちだけになった。

 善太夫は孫次郎と共に若い者たちを教えていたが、二月の初め、円覚坊が迎えに来ると小雨村に帰った。兄、太郎左衛門から、留守を守るようにと頼まれたという。

 留守を守ると言っても、北条軍がここまで攻めて来る事はあり得ず、特にする事もなかった。善太夫は『小野屋』の孫太郎から貰った鉄砲をかついで雪山に入って行き、毎日、鉄砲を撃っていた。

 鉄砲の腕はかなり上達していた。弓矢よりも威力があって、戦でも役に立ちそうだったが、たったの一挺ではどうしようもなかった。兄とも相談して、もっと手に入れたかったが、高価過ぎて買う事はできなかった。

 この頃、吾妻郡内には、善太夫が持っている鉄砲が一挺あっただけだった。管領の上杉憲政(のりまさ)、箕輪の長野信濃守、白井(しろい)の長尾左衛門尉(さえもんのじょう)など有力な武将たちは皆、鉄砲を持ってはいたが、宝物の一種として大切に保管していた。兵たちに持たせて実戦で使う事などできない程、高価で贅沢(ぜいたく)な物だった。

 二年後の天文二十二年、二十歳の織田信長は義父、斎藤道三(どうさん)との会見の時、三百挺近くの鉄砲を所持していたと言われ、四年後の天文二十四年、武田晴信は川中島の合戦において三百挺の鉄砲を使用したと言われている。次第に国内にて大量生産されるようになり、鉄砲は各地に普及して行くが、この時はまだ、武器というよりも贅沢な贈答品として扱われていた。
 北条氏が平井に攻めて来たのは三月に入ってからだった。

 善太夫は配下の山伏を平井に送り、向こうの状況を逸(いち)速く耳に入れていた。

 善太夫の配下として、活躍している山伏は二十人いた。

 彼らは先達(せんだつ)と呼ばれ、どこの宿屋でも何人かの先達を雇って、湯治客の案内をさせていた。

 彼らは元々、白根明神に所属していた山伏で、古くは各地の信者たちを白根明神まで連れて来て、さらに、白根山を登っていたが、白根信仰よりも湯治(とうじ)を目的にする客たちが多くなるにつれて、宿屋の客引きのような存在になって行った。彼らは白根明神のお札(ふだ)を持って各地を巡り、湯治客を集めて、それぞれ契約している宿屋に案内していた。また、彼らは霞場(かすみば)と呼ばれる独自の縄張りを持っていて、縄張り外での客引きはできなかった。いい霞場を持っている先達と契約する事が宿屋の主人としては大事な事だった。

 善太夫は十人の先達を亡くなった叔父から引き継いだが、さらに十人の山伏を雇い入れた。その十人を円覚坊の指揮下に置いて、各地の情報を集めさせていた。

 善太夫は五年前、初めて旅をして以来、世の中の動きの速さに驚いていた。草津の山の中にいたら、世の中から置いて行かれると思い、情報を集める事を始めた。

 今まで、上野(こうづけ)の国は管領上杉氏に従っていれば安全だった。ところが、河越の合戦で管領が北条氏に敗れ、北条氏の勢力は隣国の武蔵の国にまで及んで来た。毎年、旅に出て、善太夫は北条氏の勢力がどんどん伸びて行くのを見て来た。今、すぐに、北条氏が草津に攻めて来る事はないにしろ、いつかは攻めて来る可能性はあった。それをくい止めるには、吾妻郡(あがつまぐん)の武士が団結して、北条氏と対抗できるだけの勢力と結ぶか、あるいは、北条氏の旗下(きか)に入るかしなければならない。これからの世を生き延びて行くには、今、どこで何が行なわれているかを、逸速く知る事が必要であると実感していた。

 三月半ばの夜中、円覚坊が平井に送っていた山伏の一人が血相を変えて戻って来た。

「一大事にございます」と山伏は善太夫の部屋の外に座って声を掛けた。

 善太夫は彼を中に入れた。

「北条が攻めて来たんだな」と善太夫は火鉢(ひばち)の中の火をいじりながら聞いた。

 山伏はうなづいた。

「合戦は味方の勝利に終わり、敵は引き上げましたが、最後の日、大戦(おおいくさ)があって、敵味方共に多くの死傷者がでました」

 善太夫は山伏を見つめると、「誰だ」と聞いた。

「はっ、お屋形様でございます」と山伏は顔を歪めながら言った。

「なに、兄上がやられたのか」

 山伏はうなづいた。

「兄上が‥‥‥」善太夫は火箸(ひばし)を強く握り締めながら、火鉢の火を見つめていた。

「敵勢に囲まれ、吾妻勢はほとんど全滅に近い状況でございます。お屋形様は敵陣を突破しようとしたがかなわず‥‥‥討ち死になさいました」

「そうか‥‥‥敵陣を突破しようとして、討ち死にしたのか‥‥‥」

 善太夫は、馬にまたがり太刀を振り上げて、敵陣に突撃して行く兄の姿を思い描いた。

 兄は父親から直々に陰流を習い、武芸の腕は一流で、馬術も得意だった。

 それなのに、戦死してしまったのか‥‥‥

 兄には跡継ぎがまだ、いなかった。湯本家はどうなってしまうんだ‥‥‥

 義兄の小次郎が湯本家を継ぐのだろうか‥‥‥

 それとも、光泉寺の住職になるために京で修行中の一つ年下の弟、玄英(げんえい)が呼び戻されて継ぐのだろうか‥‥‥

 善太夫自身が湯本家を継ぐ事はありえないと思っていた。善太夫は妾腹(めかけばら)だったので、宿屋の主人に収まっている。その事に満足しているわけではないが、今更、武士に戻れるとは思っていなかった。

 山伏の視線に気づいて、善太夫は我に返ると顔を上げ、「ほかには?」と聞いた。

「はっ、沼尾の次郎右衛門殿と前口の七左衛門殿、他二十名程が討ち死にし、ほとんどの者が負傷した模様でございます」

「次郎右衛門殿もか‥‥‥その事はまだ誰も知らんのじゃな」

「はい、円覚坊殿以外は‥‥‥しかし、明日には早馬が着くかと」

「御苦労だった。しばらく休んで、また、平井に行ってくれ」

 山伏は頭を下げると引き下がって行った。

 善太夫は呆然と火鉢の火を見つめていた。

 兄上が戦死した‥‥‥

 どうして、兄上が戦死しなければならんのだ‥‥‥

 兄上は何のために戦死したんだ‥‥‥

 五年前に父親と叔父が戦死して、二年前に祖父が病死して、今度は兄上が戦死してしまった。

 どうして、こう不幸ばかり続くんだ‥‥‥

 善太夫はしばらく、うなだれていたが、立ち上がると、木剣を持って庭へ降りた。

 兄上が戦死した今、俺がしっかりしなければならない。

 善太夫は気合を入れて、木剣を振り続けた。




 次の日、小雨村のお屋形は大騒ぎになった。留守を守っていた家臣たちが集まり、今後の対策を練っていた。当然、善太夫は呼ばれなかった。

 善太夫は自分の屋敷で、円覚坊と一緒に各地から集めた情報の整理をしていた。

 誰が湯本家を継ぐにしろ、これからは、湯宿の主人だけをやってはいられない。当主を補佐しなければならないと思っていた。これから、湯本家がどう進んだらいいのか、善太夫なりに考えていた。

 お屋形での評定(ひょうじょう)は以外と長引いていた。

 円覚坊の偵察によると、家臣たちの意見が分かれ、このままだと家督争いが起こるかもしれないとの事だった。義兄の小次郎を押す者、義弟の三郎右衛門を押す者、僧となって京にいる弟、玄英を押す者と三つに分かれ争っているという。

 夜になって、善太夫の屋敷に迎えが来た。お屋形まで来てくれと言う。

 ようやく、跡継ぎが決まったなと善太夫は出掛けた。

 大広間には家臣たちが顔を並べていたが、皆、沈んだ顔付きだった。

 善太夫はいつもの通り、広間の後ろに控えようとしたが、上座(かみざ)の方に案内され、そのまま、上座に坐らされた。

 多くの身内が戦死したので、もしかしたら、武士になれるのかもしれないと思いながら、善太夫は上座から家臣たちを見下ろした。

 なかなか、気分のいいものだった。

 隣には長老である成就院(じょうじゅいん)が座り、その向こうに小次郎、三郎右衛門が座っている。小次郎は浮かない顔をしていたが、三郎右衛門はニコニコしていた。

 三郎右衛門に決まったのだろうかと思ったが、おかしかった。二人とも婿(むこ)だったが、小次郎の嫁は正妻の娘、三郎右衛門の嫁は善太夫の妹で妾腹だった。年齢も小次郎は二十八歳、三郎右衛門は二十歳、三郎右衛門が戦で大活躍をしたというのならともかく、小次郎を差し置いて、三郎右衛門が家督を継ぐとは考えられなかった。それにしても、三郎右衛門は善太夫を見ながら、嬉しそうに笑っていた。

 成就院が肘(ひじ)で善太夫をつついた。

 善太夫が成就院の方を見ると、成就院は小声で、「おぬしに決まったぞ」と言った。

 善太夫は一瞬、成就院が何を言ったのか理解できず、ただ、成就院の顔を見つめていた。

「おぬしがお屋形様じゃ。挨拶をせんか」

「は?」と善太夫は口を開けたまま、成就院の顔を見ていた。

 成就院は重々しく、うなづいた。

 三郎右衛門も笑いながらうなづいた。

 善太夫は下で控えている家老の湯本伝左衛門の顔を見た。伝左衛門も大きくうなづいた。

 善太夫は改めて、家臣たちを見渡して、気持ちを落ち着けると挨拶を始めた。

 突然の事だったが、あらかじめ用意してあったかのごとく、善太夫はすらすらと挨拶を述べていった。これからの湯本家がどうあるべきかを常日頃、思っている通りに述べただけだったが、家臣たちは善太夫の挨拶に感動していた。

 今まで、善太夫は表に出た事はなかった。家臣たちも誰も善太夫の事など問題にはしなかった。その善太夫が湯本家の事をこれ程までに思い、また、今の時勢を鋭く捕えている事に驚き、改めて見直していた。

 善太夫を跡継ぎにせよと提案したのは成就院だった。

 成就院だけは善太夫の生き方を見守っていて、その才能を見抜いていた。今の湯本家を支えるのは善太夫以外にはいないときっぱりと言った。そして、家老の伝左衛門が賛成して皆を説得し、ようやく、善太夫に決まったのだった。

 二十一歳の春、湯本善太夫は湯本家の当主として表舞台に登場した。

 草津の山開きの後、善太夫は嫁を貰った。

 長野原城主、海野長門守(うんのながとのかみ)の娘で鈴という名の十六歳の娘だった。祝言(しゅうげん)の日まで、一度も会った事のなかった花嫁は色白で目のくりっとした可愛い娘だった。

 海野長門守は羽尾道雲(はねおどううん)の弟で、岩櫃(いわびつ)城(吾妻町)の斎藤越前守(えちぜんのかみ)の重臣だった。本拠地は長野原だったが、ほとんど、岩櫃城の方に詰めていて、善太夫は会った事はなかった。

 今回、長門守の娘が善太夫の妻になったのは、羽尾道雲の差しがねだった。自分の娘を太郎左衛門のもとに嫁がせたが、娘が跡継ぎを産む前に太郎左衛門が亡くなってしまい、今度も、娘を嫁がせようと思ったが、十歳の娘しかいなかった。そこで、姪(めい)を嫁がせる事にしたのだった。

 斎藤家の重臣である長門守としても、斎藤家が勢力を広げるために、湯本家に娘を嫁がせるのもいいだろうと賛成して、婚儀が決定した。

 長野原は草津の入り口に位置し、善太夫は何度も、その城下を通った事があったが、鈴の事は知らなかった。善太夫が宿屋の主人だった頃は、鈴との婚儀の話など当然なく、お屋形様になった途端に涌いて来た話だった。

 鈴は可愛い娘だった。

 善太夫より五つも年下だったので、何事も善太夫に従った。長野原城の奥座敷で侍女に囲まれ大事に育てられたため、少し我がままな所もあった。その我がままでさえ、善太夫にとっては可愛いと感じられた。

 お屋形様となった善太夫だったが、今まで通り、宿屋の方も兼業しなければならなかった。河越の合戦、平井の合戦と身内の者が多く亡くなり、宿屋を継ぐ者がいなかった。善太夫の次男か三男が生まれたら、その子に継がせるしかなかった。

 善太夫だけでなく、家臣たちのほとんどの者が、武士と宿屋を兼業しなければならない状況になっていた。

 善太夫はお屋形と宿屋を行ったり来たりの忙しい毎日を送りながらも、鈴との新婚生活を楽しんでいた。




 十月に入って、冬住みの準備を始めていた頃、箕輪から陣触れが届いた。

 北条氏がまた平井に攻めて来るという。

 善太夫は留守を義弟の三郎右衛門に任せて、家臣を引き連れて箕輪に向かった。

 箕輪城内の大広間には、主立った武将の顔がずらりと並んでいた。

 城主の長野信濃守、廐橋(うまやばし)城(前橋市)の長野弾正少弼(だんじょうしょうひつ)、鷹留(たかとめ)城(榛名町)の長野三河守、上泉城(前橋市)の上泉伊勢守、和田城(高崎市)の和田兵衛大夫(ひょうえだゆう)、浜川城(高崎市)の浜川左衛門尉(さえもんのじょう)、松井田城(松井田町)の安中越前守、国峰(くにみね)城(甘楽町)の小幡尾張守(おばたおわりのかみ)、岩櫃城(吾妻町)の斎藤越前守、大戸(おおど)城(吾妻町)の大戸真楽斎(しんらくさい)、羽尾城(長野原町)の羽尾道雲、長野原城(長野原町)の海野長門守、鎌原(かんばら)城(嬬恋村)の鎌原宮内少輔(くないしょうゆう)、西窪(さいくぼ)城(嬬恋村)の西窪佐渡守らが、沈んだ面持ちで並んでいた。

 間に合わなかったらしかった。

 北条軍の進攻が思ったより速く、平井の城下はすでに敵の大軍に囲まれているという。管領(かんれい)に従っていた者のほとんどが北条氏に寝返り、あるいは逃げ出し、今から、平井に救援に行っても勝ち目はまったくなかった。最後の手段として、管領を箕輪に呼び、ここで北条軍を迎え討つという作戦が練られていた。すでに、管領を迎えるための使者は平井に向かったとの事だった。

 善太夫らは箕輪城にて決戦を行なうための準備に明け暮れた。ここが落ちてしまえば、もう後はない。北条軍が草津まで攻めて来る事も考えられた。

 管領上杉憲政(のりまさ)は何を考えているのか、なかなか、箕輪にやって来なかった。

 北条軍は年末になっても引き上げず、平井を包囲したまま陣中で正月を迎えた。北条軍はただ平井を包囲していただけでなく、平井周辺の支城を次々に落とし、平井城を孤立させて行った。

 正月の半ば、平井城から管領が消えたとの知らせが箕輪に届いた。いよいよ、箕輪に来る決心をしたに違いないと待っていたが、いつになっても来なかった。

 管領のいなくなった平井城は簡単に落城して、北条氏の支配下に入った。

 北条相模守氏康(さがみのかみうじやす)は平井城に弟の左衛門佐氏堯(さえもんのすけうじたか)と叔父の幻庵(げんあん)を置き、小田原に帰って行った。

 管領はどこに消えたのか行方知れずのままだったが、北条軍が引き上げ、とりあえず戦も治まったので、善太夫らも引き上げる事となった。

 いつの間にか、桜の咲く季節となっていた。知らない間に、箕輪に来てから半年近くも経っていた。草津はまだ雪の中だが、山開きも近い。善太夫は連れて来た家臣をすべて引き連れて小雨村へと向かった。

 善太夫の初めての出陣は戦にならなかった。戦死者や負傷者を出さなかったのはよかったが、物足りなさを感じなかったとは言えなかった。

 平井城を救う事ができず、関東管領上杉氏は消滅してしまった。

 これから先、上野の国はどうなってしまうのだろう‥‥‥

 今までは管領がいたお陰で何とかまとまっていたが、これからはバラバラになってしまいそうだった。

 善太夫は馬の背に揺られながら、これから先、益々、戦が多くなるだろうと感じていた。




 北条氏は平井を攻め、管領を追い出した後、しばらく、関東には攻めて来なかった。

 行方知れずだった管領上杉憲政が越後(新潟県)の長尾平三郎景虎(かげとら、後の上杉謙信)のもとにいるとの知らせが善太夫に届いたのは、七月に入ってからだった。

 北条氏から見れば、管領が越後に逃げたのは大誤算と言えた。箕輪城あるいは白井(しろい)城に隠れているに違いないと思っていた。どちらに隠れているにしろ、捕まえて、小田原に連れて行くつもりでいた。小田原に連れて来て、すでに捕えられている憲政の嫡男、龍若丸(たつわかまる)に跡を継がせ、管領を北条氏の保護下に置くつもりでいた。ところが、予想に反して越後の景虎を頼るとは、まったくの計算外だった。景虎の父、為景(ためかげ)は、管領と同族である越後の上杉氏を滅ぼした男だった。父と子は違うとはいえ、そんな所に逃げて行くとは北条氏にも考えの及ばない事だった。憲政が越後にいるとの報が小田原にもたらされると無残にも龍若丸は殺された。

 管領が越後の景虎を頼った事によって、簡単に手に入るはずだった上野の国は北条氏のものとはならず、上野の国において長尾氏と北条氏の争いが始まり、そこに甲斐の武田氏まで加わる事となる。

 上野の国は三大勢力に狙われる餌食(えじき)となって、絶え間無い戦が繰り返されるようになって行く。善太夫ら上野の武士たちは、まだ、そんな事には気付かない。今まで上野の国を支配し続けていた管領がいなくなり、今こそ勢力を広げる時だと北条方に寝返って管領の領地を略奪したり、隣同士での小競り合いを繰り返していた。

 箕輪から帰って来た善太夫は小雨村の光泉寺にて兄、太郎左衛門の一年忌の法要を行ない、四月に草津に登ってから、今度は草津の光泉寺にて父親、下総守の七回忌の法要を行なった。

 湯宿の方も平井の合戦で負傷した武士たちが湯治に訪れて来たため、休む暇もない程、毎日が忙しかった。

 さらに善太夫を悩ましたのが、ナツメだった。

 嫁を貰って以来、ナツメの事などすっかり忘れていたのに、また、ナツメの存在に悩まされていた。

 ナツメが来たのは梅雨時の五月の末だった。雨降る中、二人の侍女と四人の下男を連れて、山のような土産を持ってやって来た。兄の孫太郎は一緒ではなかった。

 宿屋は武士たちで一杯だったため、以前のように屋敷の方に案内させた。今、善太夫は屋形の方に住んでいて、屋敷は使用していない。宿屋の離れとして特別の客だけを泊めるようにしていたので、ナツメが泊まる事については何の問題もなかった。善太夫としても、昔の事は忘れて、ナツメをただのお得意様として扱うつもりだった。しかし、そうはいかなかった。

 ほんの挨拶のつもりで顔を出したが、ナツメと会った途端に、昔の善太夫に戻ってしまった。ナツメは益々、美しくなり、さらに色っぽさが加わって、善太夫の心を一瞬にして捕らえてしまった。

「ごめんなさい。わたし、草津には来られなかった。あの後、すぐに縁談が決まってしまったの。どうしても断る事のできない縁談だったの。草津に来たかったけど、そんな我がままはできなかった‥‥‥相手は北条家のお侍さんだったわ。優しい人だったけど、いつも、戦に行っていて、わたしは毎日、心配のしどうしだった‥‥‥そして、とうとう、平井の合戦で戦死しちゃったの。わたしは実家に戻されて、毎日、お部屋に籠もっていたわ。そしたら、兄上様が草津に行って、のんびりして来いって言ったの。善太夫様に会わす顔なんてなかったけど、会いたくて‥‥‥もう一度、会いたくて‥‥‥あの時、わたし、帰りたくはなかった。善太夫様が、ここにいてくれと言ってくれたら、ずっと、ここにいようと思っていたのに‥‥‥善太夫様は何も言ってくれなかった」

 善太夫はナツメから視線をそらして、「あの夜は、ひどい雷じゃった‥‥‥」と呟いた。

「できる事なら、もう一度、あの時に戻りたい」とナツメは言った。

 善太夫も、あの時に戻りたいと思った。そして、勇気を出して、ずっと、一緒にいてくれと言えばよかったと後悔した。ナツメを見ると、善太夫をじっと見つめていた。その大きな目には涙が溜まっていた。

 善太夫は思わず、ナツメを抱き締めた。

 やがて、お屋形にいる妻のもとに帰るより、ナツメのもとに泊まる方がだんだんと多くなって行った。初めのうちはごまかしも効いていたが、やがて、妻もナツメの存在に気付くようになり、善太夫の顔を見ると泣いたり喚(わめ)いたりするようになった。毎日、疲れているのに、妻の顔を見るとさらに疲れがどっと出て来た。善太夫は妻を敬遠して、ナツメの所に入り浸りとなっていった。

 善太夫はいっその事、ナツメを側室(そくしつ)に迎えようと考えた。もう二度と、ナツメと離れたくはなかった。ナツメにその事を話すと、喜んで承知してくれた。ただ、両親に許しを得なければならないので一度、帰らなければならないという。きっと、両親は許してくれるだろうから、来年の春まで待ってくれと言って、十月の初め、初雪の散らつく中、ナツメは帰って行った。

 ナツメが帰った後、冬住みの準備が始まった。

 今回、ナツメと一緒に過ごした時が長過ぎた。ナツメが帰った後、ポッカリと体の中に穴があいたような空しさが、いつまでも続いた。

 ナツメがいなくなると妻の機嫌は治って来たが、以前のような具合にはいかなかった。妻と一緒にいても、どうしても物足りなさを感じてしまう。ナツメと比べたら、妻の鈴はまるで子供のようだった。何事も自分の思い通りにならないと、すぐに泣いたり、ふくれたりして善太夫を困らせた。ところが、ナツメはそんな事は一度もなかった。常に一歩、身を引いているような所があった。商人の娘として、そういう風に育てられたのかもしれないが、各地に出店を持つ豪商の娘にしては出来過ぎているような気がした。大きな屋敷の奥座敷で大切に育てられ、苦労など何も知らないはずなのに、ナツメは思いやりのある娘だった。生れつき、そういう娘なのか分からないが、ナツメのような女を側室に迎えれば、この先、湯本家のためにも何かと有利のような気がした。

 善太夫は来年の春、ナツメが来るのを楽しみに待っていた。

 世の中に何が起ころうと、冬は必ずやって来た。

 人が死のうと泣こうと笑おうと、冬は必ずやって来て、雪を降らせた。

 今年もまた、雪に埋もれた長い冬の始まりだった。
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