2025 .01.22
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4.雷鳴
小田原の北条氏に敗れて、面目(めんぼく)を失った管領(かんれい)上杉憲政(のりまさ)は名誉を挽回しようと、翌年の七月、甲斐(かい)の武田晴信(後の信玄)を倒すため、二万騎を率いて信濃の国(長野県)に進撃した。
佐久郡の小田井原(御代田)にて合戦は行なわれ、またもや、管領は敗れてしまった。
二度の負け戦(いくさ)によって、関東管領としての権威は完全に失墜(しっつい)してしまった。
武田との合戦には、善太夫の兄、湯本太郎左衛門も出陣して行ったが、戦には参加しなかった。箕輪(みのわ)城の長野信濃守業政(しなののかみなりまさ)がその戦に反対したため、信濃守の指揮下にある吾妻勢は箕輪城にて待機していたのみに終わった。
月日の経つのは速かった。
父親と叔父の三回忌も過ぎて、もう、善太夫と呼ばれる事にも慣れ、まだ十八歳の若さだったが、宿屋の主人としての貫禄もいくらか身に付いて来ていた。宿屋の主人になってからも武術の修行は続けていたが、茶の湯や連歌(れんが)などの修行もしなければならなかった。
当時、茶の湯と連歌は武士の嗜(たしな)みの一つとされていた。いくら、戦で活躍しても、それらを身に付けていなければ一人前の武士と見なされなかった。かといって、吾妻郡(あがつまぐん)内の武士すべてが、本格的に茶の湯と連歌を嗜んでいたわけではない。皆、真似事に過ぎなかった。この辺りの武士同士でお茶会や連歌会をやる場合、それで充分だった。しかし、善太夫という格の高い宿屋の主人は真似事だけでは済まされない。どんなお客が来ても、それ相当に接待しなければならない。茶の湯や連歌など知らないでは済まされなかった。善太夫の恥は湯本家の恥となる。善太夫はそれぞれの専門家に付いて修行しなければならなかった。
初めの頃、茶の湯にしろ連歌にしろ、そんなもの、すぐに覚えられると簡単な気持ちでいたが、どちらも、やればやる程、奥の深いものだった。茶の湯をやるには茶道具の目利(めき)き(鑑定)ができなくてはならないし、連歌をやるには、古典を読まなくてはならない。『古今(こきん)和歌集』や『源氏物語』など読んでいると頭が痛くなったが、仕方がなかった。さらに、猿楽(さるがく)の舞や鼓(つづみ)の打ち方まで稽古させられ、宿屋の主人も楽ではない事を思い知らされていた。宿屋を開いている半年間は、それらの修行で忙しく、冬住みになると毎年、円覚坊と共に旅に出ていた。
去年の冬の旅では信濃の国にて真田幸隆と再会した。
幸隆は甲斐の武田晴信に属して、真田の領地を回復していた。幸隆は武田軍の先鋒(せんぽう)として、葛尾(かつらお)城(埴科郡坂城町)の村上義清と戦っていた。善太夫らが行った時、丁度、戦の準備をしている所だった。
「ほう、善太夫殿の湯宿をお継ぎになられたか」
小具足(こぐそく)姿の幸隆はニコニコして善太夫を歓迎してくれた。
「この前のように、のんびりと草津の湯に浸かりたいが、何かと忙しくてのう」
幸隆は生き生きしていた。武田の先鋒として、信濃を平定する事に生きがいを感じているようだった。
幸隆と別れた善太夫らは武田晴信の本拠地、甲府に向かった。
甲府でもやはり、戦の準備をしていた。その後、上方(かみがた)の方に向かったので、戦の結果は分からなかったが、帰りにまた真田に寄ると、合戦は負け戦との事だった。
上田原(上田市)にて村上軍と武田軍はぶつかり、晴信自身が負傷する程の激戦だったという。板垣駿河守(いたがきするがのかみ)や甘利備前守(あまりびぜんのかみ)などの武田家の重臣たちが何人も戦死していた。
「まいったわ。敵を甘く見すぎたようじゃ」
幸隆は首の後ろを叩きながら言ったが、幸隆の態度は自信に満ちていた。何か秘策を胸に秘めているようで頼もしく感じられた。
善太夫は各地を旅して回って、何度も戦に遭遇した。全国各地、どこに行っても戦をしていない国はない程、世の中は乱れていた。どうしてこんな世の中になってしまったのか、善太夫には分からなかった。ただ、草津を含む吾妻郡内では大きな戦が起こらず、比較的平和なのが救いだった。このまま、草津が平和である事を願った。
うっとおしい梅雨が過ぎて、夏真っ盛りの頃だった。
箕輪の城下から来た武士の一行を見送って、一息ついていた頃、突然、『小野屋』の孫太郎が妹のナツメと一緒に山程の土産を持ってやって来た。
善太夫は北条方の商人である『小野屋』を宿に泊めていいものか迷ったが、孫太郎が伊勢の国から久々に関東にやって来たと言ったので、その事は知らない振りをして、いつもの馴染み客として迎える事にした。また、ナツメの笑顔を見て、断れるわけもなかった。
三年振りの再会だった。
冬になる度に、ナツメを捜しに旅に出掛けたが会う事はできなかった。縁がなかったのかと、半ば諦めかけている時だった。やはり、縁はあったのだと善太夫は飛び上がらんばかりの嬉しさだった。
三年振りに見るナツメはもう一人前の女といえた。眩(まぶ)し過ぎる程、美しく、その笑顔に見つめられると、初めて会った時のように胸が高鳴るのを感じていた。
前回と同じように奥の座敷に案内すると、孫太郎は戦死した父親と叔父のお悔やみを述べた後、改まって頼みがあると言った。
「そなたでなくてはできん事だ」と孫太郎は真剣な顔で善太夫を見つめた。
隣でナツメもお願いしますと頭を下げた。
「わたしに頼みとは?」と善太夫はナツメから孫太郎に目を移すと聞いた。
「まず、小野屋の事だが、小野屋が北条氏と取り引きしている事は、そなたも存じておろう。うちが取り引きをしている武士は北条氏だけではないが、世間では北条氏の御用商人のように思っているようだ。その事については別に否定はせん。小野屋と北条氏との付き合いは古いからな。そこで問題が起きたんだ」
孫太郎はそこで話をやめ、庭の方に目をやった。庭では番頭が水を撒いていた。
「そなた、愛洲移香斎(いこうさい)殿を御存じだな」と孫太郎は聞いた。
「陰流(かげりゅう)の?」と善太夫は聞き返した。
孫太郎はうなづいた。「その移香斎殿と北条氏との関係を御存じかな」
「いいえ、知りませんが」
「そうか。北条氏の初代に早雲寺(そううんじ)殿というお方がおられた。その早雲寺殿と移香斎殿は応仁の乱の頃、出会い、その後も友として付き合っていたそうじゃ。二代目の春松院(しゅんしょういん)殿(氏綱)は移香斎殿より直々に陰流を習っておられた。三代目の今のお屋形様(氏康)も直々ではないが陰流を習っておられる。お屋形様が陰流を身に付けておられるので北条家中では陰流をやっている武士は多い。また、移香斎殿の御子息も北条氏に仕えておられた。今は孫の代になっているがの」
「移香斎殿も北条氏に仕えておられたのですか」
「いや、移香斎殿は誰にも仕えてはおらん。初代早雲寺殿にとっては、掛け替えのない友であり、二代目春松院殿にとっては師匠であり、大事なお客人であったお人じゃ」
「そうだったのですか‥‥‥」
「うむ‥‥‥春松院殿は移香斎殿を小田原に迎えようとした。しかし、移香斎殿はお断りになって、名前を隠して、この地に住み、ここでお亡くなりになられた。移香斎殿は晩年、武芸を捨てて、かったい(癩病(らいびょう)患者)たちの治療に専念しておられた。大したお人じゃった」
「はい。その話は伺(うかが)っております」
「それと、もう一つ、移香斎殿がこの地でやっていた事があったんじゃ」
「もう一つ?」
「ああ。玉薬(たまぐすり、火薬)の研究だ」
「玉薬?」
「そなたは鉄砲というものを御存じか」
「鉄砲? 河越の合戦の時、北条方が使ったという?」
「そうだ」
「見た事はありません。何でも、雷(かみなり)のような物凄い音のする武器だとか噂で聞いております」
「うむ。まあ、そんなような物だ。五年程前、薩摩(さつま)の国の種子島(たねがしま)に南蛮人(なんばんじん)が渡来した」
「南蛮人?」
「明(みん)の国(中国)より、もっと遠い、海の向こうから、やって来た人だ。顔形も言葉も我々とまるで違う人たちだ」
「薩摩の国(鹿児島県)に来たのですか」
「来たというより、台風にやられて種子島に流されたらしい。その南蛮人が最新式の鉄砲を持っていた。河越の合戦で北条氏が使ったのは、この種子島の鉄砲ではない。明の国から伝わった、もっと古い型の鉄砲だ。明の鉄砲はろくに玉があたらん。玉はあたらんが威(おど)しには使える。河越の時がいい例だ。敵は鉄砲の音に慌てふためいて、戦意を失い逃げ惑(まど)った。ところが、種子島の鉄砲は玉がちゃんと当たる」
「玉が当たる? 鉄砲とは玉が出るものなのですか」
孫太郎はニヤッと笑うと、かたわらに置いてあった長い袋を手に持って、中身を出した。善太夫はてっきり、太刀でも出すのかと身を引いたが、中から出て来たのは、見た事もない鉄と木でできた杖(つえ)のような物だった。
「これが種子島の鉄砲だ」
孫太郎はその鉄砲を善太夫に渡した。
善太夫は手に取ってみたが、こんな物からどうやって雷のような音がするのか不思議だった。玉も出ると言っていたが、玉が出たからといってどうなるのか、まったく見当も付かなかった。
「説明するより、実際に見た方が早いようだな」と孫太郎は言った。
善太夫は鉄砲を持った孫太郎と一緒に、円覚坊の住む飄雲庵(ひょううんあん)に行き、円覚坊も連れて、さらに鬼ケ泉水の奥へと入って行った。
「ここまでくれば、大丈夫じゃろう」と円覚坊は辺りを見回した。
孫太郎は手頃な木に弓の的をぶら下げた。そして、的から二十間(けん、約三十六メートル)程離れて、火縄に火を点け、玉込めを始めた。
善太夫と円覚坊は孫太郎の後ろから、孫太郎の仕草をじっと見つめていた。
「見てろ」と言うと孫太郎はゆっくりと鉄砲を構えた。
物凄い音が谷間に響き渡った。
善太夫は思わず、腰を抜かしそうになる程、驚いた。
まさしく、その音は雷鳴のごとくだった。
孫太郎は鉄砲を下ろすと的の方に向かった。善太夫と円覚坊も後を追った。
板でできた的のほぼ中央に小さな穴が空いていた。
「たとえ鎧(よろい)でも、このように穴があく」と孫太郎は言った。
「鎧でもか‥‥‥という事は鉄砲の玉に当たると死ぬという事ですか」
「死ぬ‥‥‥やってみるか」
善太夫は孫太郎から鉄砲を受け取った。やり方を習って、善太夫も撃ってみた。
耳がキーンとなって、玉が飛び出す時、思ったより衝撃があった。
円覚坊も試しにやってみた。
「これが鉄砲というものだ」
「凄いものだ」と善太夫は唸(うな)った。
「こんなのが出回ったら、戦が変わるのう」と円覚坊は鉄砲を観察していた。
「出回れば、確かに変わる。しかし、実際問題として、この鉄砲を手に入れる事は難しい」
「うむ。さぞ、高価な事じゃろう」
孫太郎は円覚坊にうなづいた。「それに、この玉薬が問題なんだ」
「玉薬か‥‥‥」
「この玉薬は硫黄(いおう)と硝石(しょうせき)と炭で作るんだが、硝石が日本にはないんだ。明の国から買わなければならんのだよ」
「へえ、硝石か‥‥‥硫黄なら白根山にいくらでもあるのにな」と善太夫は山の上を見上げた。
「そうだ。硫黄はここにいくらでもある。そこで、移香斎殿はここの硫黄を使って玉薬を作ろうとしていたんだ。完成はしなかったらしいが‥‥‥」
「移香斎殿が玉薬を?」
「移香斎殿はさすがに目が高いお人だった。移香斎殿はこの種子島の鉄砲を御存じなかった。明から来た役立たずの鉄砲しか御存じない。しかし、やがては、こいつのように性能のいい鉄砲ができるはずだと予見したんだろう。そこで、この地で玉薬の研究に取り組んで、将来のために、硫黄の取り引きをするように小野屋に薦めたという訳だ」
「小野屋がここの硫黄を?」
孫太郎はうなづいた。「移香斎殿のお陰で、白根明神と取り引きをしていたんだよ」
「知らなかった。白根の硫黄を勝手に取ると罰(ばち)が当たると聞いておりますが」
「勝手に取れば罰が当たるさ。白根明神のお許しを得ればいいというわけだ。今の御時勢、神様も銭は欲しいのさ。移香斎殿が生きておられた頃は勿論の事、お亡くなりになってからも白根明神と小野屋はうまく行っていた。ところが、河越の合戦の後、横槍が入った。箕輪の長野信濃守だ。敵である北条氏に硫黄を渡してはならんと言って来たらしい。白根明神としても、ここのお屋形様としても、信濃守には逆らえん。そこで、小野屋との取り引きは取りやめになってしまったんだよ」
「当然の事じゃな」と円覚坊は孫太郎に鉄砲を返した。
「当然かもしれん。しかし、北条氏は湯本氏を相手に戦をする気など、まったくないんだ。移香斎殿がお世話になった湯本氏と敵味方になるとは思いたくはないんだ」
「しかし、実際に、先代のお屋形様は北条氏にやられた。家臣も大勢のう」
「確かに結果はそうなってしまった。しかし、北条氏は湯本氏を敵だとは思っていない。湯本氏だけでなく、この吾妻郡には陰流を学んでいる者が多い。移香斎殿から見れば、共に同門の者たちだ。同門の者同士が争ったら、移香斎殿が悲しむ」
「それは言えるのう」と円覚坊はうなづいた。「移香斎殿は常に、陰流の極意は『和』じゃと申しておった」
「『和』ですか‥‥‥移香斎殿が陰流の極意は『和』だと申していたのですか‥‥‥」
孫太郎はそう言うと黙ってしまった。
湯宿に戻るまで、孫太郎はなぜか、その後、口を利かなかった。
次の日、善太夫は孫太郎の座敷に呼ばれた。
ナツメも孫太郎の隣に控えていた。暑い日だったが、ナツメは相変わらず涼しそうな顔付きで善太夫を迎え、ニッコリと微笑んだ。
「昨日はすまなかった」と孫太郎は言った。「ちと、考え事があったんでな」
「いえ」と善太夫は首を振った。
「改めて、お願いしたい。硫黄の件だが、小野屋ではなく『伊勢屋』に売っていただきたい」
「伊勢屋?」
「わしが伊勢屋孫太郎になる。伊勢屋は北条氏の御用商人ではない。買い取った硫黄は上方に持って行く、という事で話をまとめて欲しい」
「このわたしがですか」
「そうだ。そなたにしか頼めんのだ」
「しかし‥‥‥」
「頼む」と言うと孫太郎は深く頭を下げた。
「お願いいたします」とナツメも頭を下げた。
「どうぞ、頭をお上げ下さい」と善太夫は言った。
「頼まれてくれるか」
「わたしにできるかどうか分かりませんが、できるだけの事はやってみます」
「お願いする。それと、これは、そなたに進呈する。玉薬の事を研究してみてくれ」
孫太郎は善太夫に種子島の鉄砲を渡した。
「このような高価な物を‥‥‥」
「わしらは商人じゃ。無駄な事はせん。そなたなら、その鉄砲を決して無駄にはするまい。今はまだ、その鉄砲が戦において使用される事はあるまい。しかし、やがて、その鉄砲の時代が来る。その時、問題となるのが玉薬だ。善太夫殿、是非、玉薬を作って下され。この孫太郎、銭の面ならいくらでも協力いたします」
孫太郎は善太夫を見つめて、大きくうなづいた。
硫黄の件はうまく行った。
小野屋と伊勢屋の関係を隠して、今、うちの宿に硫黄を買いたいという商人が上方から来て滞在しているがどうか、と大叔父の成就院に相談すると、それは都合がいいと賛成してくれた。
成就院の話によると、小野屋に送るために荷造りしたままの硫黄がそっくり、白根明神の蔵の中にあるという。取り引きの寸前になって、箕輪より差し止めが来たため処分に困って、買い手を捜していた所だったと言う。
孫太郎が連れて来た年配の番頭が上方なまりのしゃべりで成就院と話し合い、取り引きはうまくまとまった。
孫太郎は硫黄と共に草津を引き上げたが、どうした訳かナツメは残った。
妹は体の調子が悪いので、暑い夏が終わるまで、ここで湯治させてくれと孫太郎は言った。善太夫にはナツメが病(やまい)を患(わずら)っているようには見えなかったが、夏が終わるまで、ナツメがここにいてくれるとは、まるで、夢でも見ているかのように嬉しい事だった。
善太夫は毎朝、浮き浮きしながら、挨拶をするためにナツメの部屋に通った。
初めのうちはナツメもただ挨拶を返すだけだったが、慣れるに連れて話もするようになって、ナツメの部屋にいる時間がだんだんと長くなっていった。
ナツメは二人の侍女(じじょ)と二人の下男(げなん)を連れて残っていた。下男二人は別の部屋にいて、二人の侍女と一緒に二部屋の座敷を使っていた。ところが、白井(しろい、子持村)の城下から城主の長尾左衛門尉憲景(さえもんのじょうのりかげ)が家臣たちを引き連れて来る事となり、ナツメの使用していた座敷をあけなければならなくなった。普通なら、他の宿に移って貰うのだが、善太夫としてはナツメと離れたくはなかった。
善太夫はナツメを湯宿の裏にある自分の屋敷に移す事にした。
屋敷には母親と妹が住んでいるだけで、部屋は空いている。弟の四郎は去年から、大叔父、成就院の跡を継ぐため、白根明神の宿坊に入って修行を積んでいた。
「まあ、小野屋さんのお嬢様ですか。いつも、いつも、たくさんのお土産をいただいて、ほんとにありがとうございます」
母は喜んでナツメを迎え、妹は以前からナツメと仲良くしていたので大喜びして、「ねえ、ナツメさん、あたしのお部屋に来て」とさっそく、ナツメの手を引っ張って行った。
ナツメと妹のしづは、いつも一緒に行動して、まるで、姉妹のようだった。
白井の武士たちは七日間滞在し、毎晩、遊女や芸人を呼んで騒いでいた。兄の太郎左衛門が何度も御機嫌伺いにやって来て、善太夫に粗相(そそう)のないようにと注意していたが、なかば、うんざりしているようだった。
長尾左衛門尉は、久し振りにのんびりした。これでまた、戦に出掛ける活力が出たと言って、満足そうに帰って行った。
白井の一行が帰ってからも、ナツメは湯宿の座敷の方には戻らなかった。
母親も妹もナツメを気に入って、座敷の方に返そうとはしなかった。
「ナツメさんがお前の嫁になって、ずっと、ここにいてくれたらいいのにね」と母親は気楽な顔をして言い、妹のしづは、
「ナツメさん、兄上様の事、好きみたいよ。兄上様はどうなの。あたし、ナツメさんが、本当のお姉さんになってくれたらいいのにって思ってるのよ」と生意気な事を言っていた。
善太夫としても、そうなったら夢のようだったが、小田原の城下に立派な屋敷を持ち、各地に出店を持っている『小野屋』という豪商の娘が、こんな田舎の草津に来るはずはないと諦めていた。
夏の終わりの、草津では珍しく蒸し暑い夜だった。
善太夫が屋敷に帰るとナツメがたった一人で待っていた。
母親と妹は生須(なます)村の湯本三郎右衛門の所に行って、今晩は向こうに泊まって来るという。
三郎右衛門の父親も河越の合戦で戦死し、善太夫より一つ年下の三郎右衛門が跡を継いでいた。湯本家を団結させるため、兄、太郎左衛門の命で三郎右衛門と妹、しづの縁談が進められていた。その件で出掛けたのだろうと善太夫はすぐに理解した。
母親と妹がいないのは分かったが、ナツメの侍女までもいないのは変だった。ナツメに聞くと下男が腹を壊して唸っているので、二人で看病に行っていると言う。
ようやく、ナツメと二人きりになれて善太夫は喜んだ。嬉しくてしょうがなかったが、何となく照れ臭く、まともにナツメの顔を見る事もできなかった。
食事の用意はすでにしてあった。
「お母様がお酒の用意もして行ってくれましたが、お召し上がりになります」とナツメが聞いた。
「そうだな。ナツメ殿も一緒にいかがです」
「はい。少しだけなら」
ナツメ自ら、酒の用意をしてくれた。
善太夫とナツメはお互いに言葉少なく、酒を飲んでいたが、酔いが回るにつれて、やがて、話も弾んで来た。
ナツメから色々な事を聞きたかったが、今まで、それを聞く機会はなかった。善太夫は聞きたかった事を酔いにまかせて、ナツメから聞いていた。ナツメも喜んで、自分の事を話してくれた。
ナツメは小田原の城下で生まれた。小野屋という大店(おおだな)の娘に生まれたため、世間の事はあまり知らず、小田原の城下に住んでいても、城下の事もほとんど知らないと言う。三年前、兄孫太郎が怪我をして、草津に行くという時、無理を言って一緒に付いて来たのが、初めての長い旅だった。ナツメはその時の事が余程、楽しかったらしく、懐かしそうに話していた。
「今度も、無理を言って、連れて来てもらったの」とナツメは笑った。
「小田原のお城下に帰れば、ここにいる時のように、自分の思い通りに外出もできません。ここでは自分の好きな事ができて楽しい。だから、兄上様に頼んで、ここに残る事にしたのです。おしづさんとも知り合えて、とても楽しかったわ。でも、もうすぐ、お迎えがやって来ます。草津ともお別れしなければなりません」
「お迎えはいつ、来るのですか」
「今日、兄上様からお手紙が参りまして、二、三日中には迎えに行くと書いてありました」
「そうですか‥‥‥」
「来年もまた来たいと思っております」
「はい、是非、お越し下さい。お待ち申しております」
ナツメは嬉しそうに笑った。
食事が済んでも、ナツメの侍女は帰って来なかった。
善太夫は自分の部屋に戻って、円覚坊から借りた兵書を読んでいたが、まったく、頭に入らなかった。今、この屋敷にナツメと二人きりでいると思うと落ち着かなかった。
もっと、ナツメと話がしたい、もっと、ナツメと一緒にいたいと思いながらも、ナツメの部屋まで行く勇気はなく、善太夫はもんもんとして兵書を見つめていた。
突然、音を立てて、雨が降り出した。遠くで雷も鳴っている。
善太夫は廊下に出て外を眺めた。
雨が勢いよく庭の樹木を濡らしていた。
ナツメも廊下に出て、外を見ていた。
ナツメが善太夫に何事か言ったが、雨音に消されて聞こえなかった。
善太夫はナツメのそばまで行った。
「夕立かしら」とナツメは言った。
「すぐにやむでしょう」と善太夫は言った。
閃光(せんこう)と共に物凄い雷鳴が響きわたった。
ナツメは思わず、善太夫にしがみついた。
「こわい」とナツメはつぶやいた。
善太夫は震えているナツメの体を抱き締めた。
雨と雷鳴はなかなかやまなかった。
雨音と雷鳴の中、善太夫とナツメは結ばれた。
そして、二日後、ナツメは何事もなかったかのように、迎えの者に囲まれて帰って行った。
甲府でもやはり、戦の準備をしていた。その後、上方(かみがた)の方に向かったので、戦の結果は分からなかったが、帰りにまた真田に寄ると、合戦は負け戦との事だった。
上田原(上田市)にて村上軍と武田軍はぶつかり、晴信自身が負傷する程の激戦だったという。板垣駿河守(いたがきするがのかみ)や甘利備前守(あまりびぜんのかみ)などの武田家の重臣たちが何人も戦死していた。
「まいったわ。敵を甘く見すぎたようじゃ」
幸隆は首の後ろを叩きながら言ったが、幸隆の態度は自信に満ちていた。何か秘策を胸に秘めているようで頼もしく感じられた。
善太夫は各地を旅して回って、何度も戦に遭遇した。全国各地、どこに行っても戦をしていない国はない程、世の中は乱れていた。どうしてこんな世の中になってしまったのか、善太夫には分からなかった。ただ、草津を含む吾妻郡内では大きな戦が起こらず、比較的平和なのが救いだった。このまま、草津が平和である事を願った。
うっとおしい梅雨が過ぎて、夏真っ盛りの頃だった。
箕輪の城下から来た武士の一行を見送って、一息ついていた頃、突然、『小野屋』の孫太郎が妹のナツメと一緒に山程の土産を持ってやって来た。
善太夫は北条方の商人である『小野屋』を宿に泊めていいものか迷ったが、孫太郎が伊勢の国から久々に関東にやって来たと言ったので、その事は知らない振りをして、いつもの馴染み客として迎える事にした。また、ナツメの笑顔を見て、断れるわけもなかった。
三年振りの再会だった。
冬になる度に、ナツメを捜しに旅に出掛けたが会う事はできなかった。縁がなかったのかと、半ば諦めかけている時だった。やはり、縁はあったのだと善太夫は飛び上がらんばかりの嬉しさだった。
三年振りに見るナツメはもう一人前の女といえた。眩(まぶ)し過ぎる程、美しく、その笑顔に見つめられると、初めて会った時のように胸が高鳴るのを感じていた。
前回と同じように奥の座敷に案内すると、孫太郎は戦死した父親と叔父のお悔やみを述べた後、改まって頼みがあると言った。
「そなたでなくてはできん事だ」と孫太郎は真剣な顔で善太夫を見つめた。
隣でナツメもお願いしますと頭を下げた。
「わたしに頼みとは?」と善太夫はナツメから孫太郎に目を移すと聞いた。
「まず、小野屋の事だが、小野屋が北条氏と取り引きしている事は、そなたも存じておろう。うちが取り引きをしている武士は北条氏だけではないが、世間では北条氏の御用商人のように思っているようだ。その事については別に否定はせん。小野屋と北条氏との付き合いは古いからな。そこで問題が起きたんだ」
孫太郎はそこで話をやめ、庭の方に目をやった。庭では番頭が水を撒いていた。
「そなた、愛洲移香斎(いこうさい)殿を御存じだな」と孫太郎は聞いた。
「陰流(かげりゅう)の?」と善太夫は聞き返した。
孫太郎はうなづいた。「その移香斎殿と北条氏との関係を御存じかな」
「いいえ、知りませんが」
「そうか。北条氏の初代に早雲寺(そううんじ)殿というお方がおられた。その早雲寺殿と移香斎殿は応仁の乱の頃、出会い、その後も友として付き合っていたそうじゃ。二代目の春松院(しゅんしょういん)殿(氏綱)は移香斎殿より直々に陰流を習っておられた。三代目の今のお屋形様(氏康)も直々ではないが陰流を習っておられる。お屋形様が陰流を身に付けておられるので北条家中では陰流をやっている武士は多い。また、移香斎殿の御子息も北条氏に仕えておられた。今は孫の代になっているがの」
「移香斎殿も北条氏に仕えておられたのですか」
「いや、移香斎殿は誰にも仕えてはおらん。初代早雲寺殿にとっては、掛け替えのない友であり、二代目春松院殿にとっては師匠であり、大事なお客人であったお人じゃ」
「そうだったのですか‥‥‥」
「うむ‥‥‥春松院殿は移香斎殿を小田原に迎えようとした。しかし、移香斎殿はお断りになって、名前を隠して、この地に住み、ここでお亡くなりになられた。移香斎殿は晩年、武芸を捨てて、かったい(癩病(らいびょう)患者)たちの治療に専念しておられた。大したお人じゃった」
「はい。その話は伺(うかが)っております」
「それと、もう一つ、移香斎殿がこの地でやっていた事があったんじゃ」
「もう一つ?」
「ああ。玉薬(たまぐすり、火薬)の研究だ」
「玉薬?」
「そなたは鉄砲というものを御存じか」
「鉄砲? 河越の合戦の時、北条方が使ったという?」
「そうだ」
「見た事はありません。何でも、雷(かみなり)のような物凄い音のする武器だとか噂で聞いております」
「うむ。まあ、そんなような物だ。五年程前、薩摩(さつま)の国の種子島(たねがしま)に南蛮人(なんばんじん)が渡来した」
「南蛮人?」
「明(みん)の国(中国)より、もっと遠い、海の向こうから、やって来た人だ。顔形も言葉も我々とまるで違う人たちだ」
「薩摩の国(鹿児島県)に来たのですか」
「来たというより、台風にやられて種子島に流されたらしい。その南蛮人が最新式の鉄砲を持っていた。河越の合戦で北条氏が使ったのは、この種子島の鉄砲ではない。明の国から伝わった、もっと古い型の鉄砲だ。明の鉄砲はろくに玉があたらん。玉はあたらんが威(おど)しには使える。河越の時がいい例だ。敵は鉄砲の音に慌てふためいて、戦意を失い逃げ惑(まど)った。ところが、種子島の鉄砲は玉がちゃんと当たる」
「玉が当たる? 鉄砲とは玉が出るものなのですか」
孫太郎はニヤッと笑うと、かたわらに置いてあった長い袋を手に持って、中身を出した。善太夫はてっきり、太刀でも出すのかと身を引いたが、中から出て来たのは、見た事もない鉄と木でできた杖(つえ)のような物だった。
「これが種子島の鉄砲だ」
孫太郎はその鉄砲を善太夫に渡した。
善太夫は手に取ってみたが、こんな物からどうやって雷のような音がするのか不思議だった。玉も出ると言っていたが、玉が出たからといってどうなるのか、まったく見当も付かなかった。
「説明するより、実際に見た方が早いようだな」と孫太郎は言った。
善太夫は鉄砲を持った孫太郎と一緒に、円覚坊の住む飄雲庵(ひょううんあん)に行き、円覚坊も連れて、さらに鬼ケ泉水の奥へと入って行った。
「ここまでくれば、大丈夫じゃろう」と円覚坊は辺りを見回した。
孫太郎は手頃な木に弓の的をぶら下げた。そして、的から二十間(けん、約三十六メートル)程離れて、火縄に火を点け、玉込めを始めた。
善太夫と円覚坊は孫太郎の後ろから、孫太郎の仕草をじっと見つめていた。
「見てろ」と言うと孫太郎はゆっくりと鉄砲を構えた。
物凄い音が谷間に響き渡った。
善太夫は思わず、腰を抜かしそうになる程、驚いた。
まさしく、その音は雷鳴のごとくだった。
孫太郎は鉄砲を下ろすと的の方に向かった。善太夫と円覚坊も後を追った。
板でできた的のほぼ中央に小さな穴が空いていた。
「たとえ鎧(よろい)でも、このように穴があく」と孫太郎は言った。
「鎧でもか‥‥‥という事は鉄砲の玉に当たると死ぬという事ですか」
「死ぬ‥‥‥やってみるか」
善太夫は孫太郎から鉄砲を受け取った。やり方を習って、善太夫も撃ってみた。
耳がキーンとなって、玉が飛び出す時、思ったより衝撃があった。
円覚坊も試しにやってみた。
「これが鉄砲というものだ」
「凄いものだ」と善太夫は唸(うな)った。
「こんなのが出回ったら、戦が変わるのう」と円覚坊は鉄砲を観察していた。
「出回れば、確かに変わる。しかし、実際問題として、この鉄砲を手に入れる事は難しい」
「うむ。さぞ、高価な事じゃろう」
孫太郎は円覚坊にうなづいた。「それに、この玉薬が問題なんだ」
「玉薬か‥‥‥」
「この玉薬は硫黄(いおう)と硝石(しょうせき)と炭で作るんだが、硝石が日本にはないんだ。明の国から買わなければならんのだよ」
「へえ、硝石か‥‥‥硫黄なら白根山にいくらでもあるのにな」と善太夫は山の上を見上げた。
「そうだ。硫黄はここにいくらでもある。そこで、移香斎殿はここの硫黄を使って玉薬を作ろうとしていたんだ。完成はしなかったらしいが‥‥‥」
「移香斎殿が玉薬を?」
「移香斎殿はさすがに目が高いお人だった。移香斎殿はこの種子島の鉄砲を御存じなかった。明から来た役立たずの鉄砲しか御存じない。しかし、やがては、こいつのように性能のいい鉄砲ができるはずだと予見したんだろう。そこで、この地で玉薬の研究に取り組んで、将来のために、硫黄の取り引きをするように小野屋に薦めたという訳だ」
「小野屋がここの硫黄を?」
孫太郎はうなづいた。「移香斎殿のお陰で、白根明神と取り引きをしていたんだよ」
「知らなかった。白根の硫黄を勝手に取ると罰(ばち)が当たると聞いておりますが」
「勝手に取れば罰が当たるさ。白根明神のお許しを得ればいいというわけだ。今の御時勢、神様も銭は欲しいのさ。移香斎殿が生きておられた頃は勿論の事、お亡くなりになってからも白根明神と小野屋はうまく行っていた。ところが、河越の合戦の後、横槍が入った。箕輪の長野信濃守だ。敵である北条氏に硫黄を渡してはならんと言って来たらしい。白根明神としても、ここのお屋形様としても、信濃守には逆らえん。そこで、小野屋との取り引きは取りやめになってしまったんだよ」
「当然の事じゃな」と円覚坊は孫太郎に鉄砲を返した。
「当然かもしれん。しかし、北条氏は湯本氏を相手に戦をする気など、まったくないんだ。移香斎殿がお世話になった湯本氏と敵味方になるとは思いたくはないんだ」
「しかし、実際に、先代のお屋形様は北条氏にやられた。家臣も大勢のう」
「確かに結果はそうなってしまった。しかし、北条氏は湯本氏を敵だとは思っていない。湯本氏だけでなく、この吾妻郡には陰流を学んでいる者が多い。移香斎殿から見れば、共に同門の者たちだ。同門の者同士が争ったら、移香斎殿が悲しむ」
「それは言えるのう」と円覚坊はうなづいた。「移香斎殿は常に、陰流の極意は『和』じゃと申しておった」
「『和』ですか‥‥‥移香斎殿が陰流の極意は『和』だと申していたのですか‥‥‥」
孫太郎はそう言うと黙ってしまった。
湯宿に戻るまで、孫太郎はなぜか、その後、口を利かなかった。
次の日、善太夫は孫太郎の座敷に呼ばれた。
ナツメも孫太郎の隣に控えていた。暑い日だったが、ナツメは相変わらず涼しそうな顔付きで善太夫を迎え、ニッコリと微笑んだ。
「昨日はすまなかった」と孫太郎は言った。「ちと、考え事があったんでな」
「いえ」と善太夫は首を振った。
「改めて、お願いしたい。硫黄の件だが、小野屋ではなく『伊勢屋』に売っていただきたい」
「伊勢屋?」
「わしが伊勢屋孫太郎になる。伊勢屋は北条氏の御用商人ではない。買い取った硫黄は上方に持って行く、という事で話をまとめて欲しい」
「このわたしがですか」
「そうだ。そなたにしか頼めんのだ」
「しかし‥‥‥」
「頼む」と言うと孫太郎は深く頭を下げた。
「お願いいたします」とナツメも頭を下げた。
「どうぞ、頭をお上げ下さい」と善太夫は言った。
「頼まれてくれるか」
「わたしにできるかどうか分かりませんが、できるだけの事はやってみます」
「お願いする。それと、これは、そなたに進呈する。玉薬の事を研究してみてくれ」
孫太郎は善太夫に種子島の鉄砲を渡した。
「このような高価な物を‥‥‥」
「わしらは商人じゃ。無駄な事はせん。そなたなら、その鉄砲を決して無駄にはするまい。今はまだ、その鉄砲が戦において使用される事はあるまい。しかし、やがて、その鉄砲の時代が来る。その時、問題となるのが玉薬だ。善太夫殿、是非、玉薬を作って下され。この孫太郎、銭の面ならいくらでも協力いたします」
孫太郎は善太夫を見つめて、大きくうなづいた。
硫黄の件はうまく行った。
小野屋と伊勢屋の関係を隠して、今、うちの宿に硫黄を買いたいという商人が上方から来て滞在しているがどうか、と大叔父の成就院に相談すると、それは都合がいいと賛成してくれた。
成就院の話によると、小野屋に送るために荷造りしたままの硫黄がそっくり、白根明神の蔵の中にあるという。取り引きの寸前になって、箕輪より差し止めが来たため処分に困って、買い手を捜していた所だったと言う。
孫太郎が連れて来た年配の番頭が上方なまりのしゃべりで成就院と話し合い、取り引きはうまくまとまった。
孫太郎は硫黄と共に草津を引き上げたが、どうした訳かナツメは残った。
妹は体の調子が悪いので、暑い夏が終わるまで、ここで湯治させてくれと孫太郎は言った。善太夫にはナツメが病(やまい)を患(わずら)っているようには見えなかったが、夏が終わるまで、ナツメがここにいてくれるとは、まるで、夢でも見ているかのように嬉しい事だった。
善太夫は毎朝、浮き浮きしながら、挨拶をするためにナツメの部屋に通った。
初めのうちはナツメもただ挨拶を返すだけだったが、慣れるに連れて話もするようになって、ナツメの部屋にいる時間がだんだんと長くなっていった。
ナツメは二人の侍女(じじょ)と二人の下男(げなん)を連れて残っていた。下男二人は別の部屋にいて、二人の侍女と一緒に二部屋の座敷を使っていた。ところが、白井(しろい、子持村)の城下から城主の長尾左衛門尉憲景(さえもんのじょうのりかげ)が家臣たちを引き連れて来る事となり、ナツメの使用していた座敷をあけなければならなくなった。普通なら、他の宿に移って貰うのだが、善太夫としてはナツメと離れたくはなかった。
善太夫はナツメを湯宿の裏にある自分の屋敷に移す事にした。
屋敷には母親と妹が住んでいるだけで、部屋は空いている。弟の四郎は去年から、大叔父、成就院の跡を継ぐため、白根明神の宿坊に入って修行を積んでいた。
「まあ、小野屋さんのお嬢様ですか。いつも、いつも、たくさんのお土産をいただいて、ほんとにありがとうございます」
母は喜んでナツメを迎え、妹は以前からナツメと仲良くしていたので大喜びして、「ねえ、ナツメさん、あたしのお部屋に来て」とさっそく、ナツメの手を引っ張って行った。
ナツメと妹のしづは、いつも一緒に行動して、まるで、姉妹のようだった。
白井の武士たちは七日間滞在し、毎晩、遊女や芸人を呼んで騒いでいた。兄の太郎左衛門が何度も御機嫌伺いにやって来て、善太夫に粗相(そそう)のないようにと注意していたが、なかば、うんざりしているようだった。
長尾左衛門尉は、久し振りにのんびりした。これでまた、戦に出掛ける活力が出たと言って、満足そうに帰って行った。
白井の一行が帰ってからも、ナツメは湯宿の座敷の方には戻らなかった。
母親も妹もナツメを気に入って、座敷の方に返そうとはしなかった。
「ナツメさんがお前の嫁になって、ずっと、ここにいてくれたらいいのにね」と母親は気楽な顔をして言い、妹のしづは、
「ナツメさん、兄上様の事、好きみたいよ。兄上様はどうなの。あたし、ナツメさんが、本当のお姉さんになってくれたらいいのにって思ってるのよ」と生意気な事を言っていた。
善太夫としても、そうなったら夢のようだったが、小田原の城下に立派な屋敷を持ち、各地に出店を持っている『小野屋』という豪商の娘が、こんな田舎の草津に来るはずはないと諦めていた。
夏の終わりの、草津では珍しく蒸し暑い夜だった。
善太夫が屋敷に帰るとナツメがたった一人で待っていた。
母親と妹は生須(なます)村の湯本三郎右衛門の所に行って、今晩は向こうに泊まって来るという。
三郎右衛門の父親も河越の合戦で戦死し、善太夫より一つ年下の三郎右衛門が跡を継いでいた。湯本家を団結させるため、兄、太郎左衛門の命で三郎右衛門と妹、しづの縁談が進められていた。その件で出掛けたのだろうと善太夫はすぐに理解した。
母親と妹がいないのは分かったが、ナツメの侍女までもいないのは変だった。ナツメに聞くと下男が腹を壊して唸っているので、二人で看病に行っていると言う。
ようやく、ナツメと二人きりになれて善太夫は喜んだ。嬉しくてしょうがなかったが、何となく照れ臭く、まともにナツメの顔を見る事もできなかった。
食事の用意はすでにしてあった。
「お母様がお酒の用意もして行ってくれましたが、お召し上がりになります」とナツメが聞いた。
「そうだな。ナツメ殿も一緒にいかがです」
「はい。少しだけなら」
ナツメ自ら、酒の用意をしてくれた。
善太夫とナツメはお互いに言葉少なく、酒を飲んでいたが、酔いが回るにつれて、やがて、話も弾んで来た。
ナツメから色々な事を聞きたかったが、今まで、それを聞く機会はなかった。善太夫は聞きたかった事を酔いにまかせて、ナツメから聞いていた。ナツメも喜んで、自分の事を話してくれた。
ナツメは小田原の城下で生まれた。小野屋という大店(おおだな)の娘に生まれたため、世間の事はあまり知らず、小田原の城下に住んでいても、城下の事もほとんど知らないと言う。三年前、兄孫太郎が怪我をして、草津に行くという時、無理を言って一緒に付いて来たのが、初めての長い旅だった。ナツメはその時の事が余程、楽しかったらしく、懐かしそうに話していた。
「今度も、無理を言って、連れて来てもらったの」とナツメは笑った。
「小田原のお城下に帰れば、ここにいる時のように、自分の思い通りに外出もできません。ここでは自分の好きな事ができて楽しい。だから、兄上様に頼んで、ここに残る事にしたのです。おしづさんとも知り合えて、とても楽しかったわ。でも、もうすぐ、お迎えがやって来ます。草津ともお別れしなければなりません」
「お迎えはいつ、来るのですか」
「今日、兄上様からお手紙が参りまして、二、三日中には迎えに行くと書いてありました」
「そうですか‥‥‥」
「来年もまた来たいと思っております」
「はい、是非、お越し下さい。お待ち申しております」
ナツメは嬉しそうに笑った。
食事が済んでも、ナツメの侍女は帰って来なかった。
善太夫は自分の部屋に戻って、円覚坊から借りた兵書を読んでいたが、まったく、頭に入らなかった。今、この屋敷にナツメと二人きりでいると思うと落ち着かなかった。
もっと、ナツメと話がしたい、もっと、ナツメと一緒にいたいと思いながらも、ナツメの部屋まで行く勇気はなく、善太夫はもんもんとして兵書を見つめていた。
突然、音を立てて、雨が降り出した。遠くで雷も鳴っている。
善太夫は廊下に出て外を眺めた。
雨が勢いよく庭の樹木を濡らしていた。
ナツメも廊下に出て、外を見ていた。
ナツメが善太夫に何事か言ったが、雨音に消されて聞こえなかった。
善太夫はナツメのそばまで行った。
「夕立かしら」とナツメは言った。
「すぐにやむでしょう」と善太夫は言った。
閃光(せんこう)と共に物凄い雷鳴が響きわたった。
ナツメは思わず、善太夫にしがみついた。
「こわい」とナツメはつぶやいた。
善太夫は震えているナツメの体を抱き締めた。
雨と雷鳴はなかなかやまなかった。
雨音と雷鳴の中、善太夫とナツメは結ばれた。
そして、二日後、ナツメは何事もなかったかのように、迎えの者に囲まれて帰って行った。
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