2025 .01.22
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2008 .01.30
23.新城築城
3
梅雨が明けると、越後の国からも湯治客がやって来た。去年、一昨年と北条領の武蔵の国からの客が来なくなり、小さな宿屋ではお得意様が減ったと嘆いていた。同盟した上杉領から新しい客を連れて来なければならないと白根明神の山伏たちが越後に向かったが、三郎景虎の死後も越後では内乱が続き、治安が悪く、湯治どころではなかった。ようやく、去年の秋、喜平次景勝は越後国内を平定し、久し振りに平和が訪れた。
武田信玄が上野に攻めて来るまでは、草津と越後の交流は盛んに行なわれていた。三郎右衛門が物心つく以前の事で、湯治客は勿論、塩や海産物、米も越後から入って来ていた。上杉謙信の父親、長尾弾正少弼(為景)も大勢の家臣を引き連れて草津に来たという。草津が武田領となり、上杉謙信と敵対関係になると毎年、来ていた客も草津には来られなくなった。二十年振りにやって来たという者もかなりいて、懐かしそうに滝の湯を浴びていた。
湯治客で賑わっている七月の半ば、真田安房守が突然、草津にやって来た。新城の築城が順調に行っているので、骨休みだと言って温泉に浸かった。その夜、三郎右衛門は安房守と二人だけで酒を飲み、海野兄弟は異状なしと告げた。
「そうか」と安房守は顔色を変えずにうなづいた。
三郎右衛門を見つめ、何か言いたそうな顔をしたが何も言わなかった。三郎右衛門も安房守の本心を聞きたかったが、答えを知るのが恐ろしく、聞く事はできなかった。安房守は新城の事ばかりを三郎右衛門に話して聞かせ、今に自分の城を築いてみたいと言っていた。草津に一泊した安房守は沼田に向かい、沼田衆の案内で子持山の参詣をしてから七里岩の普請現場に帰った。
九月の半ばにも、疲れたと言って安房守は草津に来た。三郎右衛門は海野兄弟に怪しい素振りはないと告げた。
「そうか」と安房守は落ち着いた表情でうなづいた。
「北条に寝返った彦次郎からも何の知らせもないようです。能登守殿も中務少輔殿も彦次郎の消息をまったく知りません」
「わしの取り越し苦労じゃったか」と言って、安房守は苦笑した。気のせいか、何となく不気味な笑いに思えた。
安房守は草津から岩櫃城へと行き、吾妻衆を集めて、城下にある善導寺に参詣した。三郎右衛門も岩櫃まで行き、参詣に従った。それはただの参詣ではなかった。岩櫃城から善導寺までの道は厳重に警固され、善導寺も武装した兵で囲まれた。三郎右衛門を初めとした吾妻衆の主立った武将たちは正装して安房守に従い、善導寺本堂での法会の後、客間での酒宴に相伴した。
驚きのあまり、どうして安房守がこんな事をするのか三郎右衛門にはわからなかった。安房守は普段から仰々しい事が好きではなかったはずだった。草津に来ても幕を張って湯小屋を占領する事はなく、気楽に湯治客と共に入っていた。新城普請の忙しい中、わざわざ戻って来て、どうして、こんな大袈裟な参詣をするのだろうか。
安房守が帰ってから、その答えがようやくわかった。まさしく、東光坊の言った通りだった。安房守はすでに真田領国を見据えていた。今日の安房守の姿は吾妻郡の領主に成り切っていた。子持山の参詣もきっと利根郡の領主に成り切っていたに違いない。海野兄弟の成敗も現実のものとなるような気がして、背筋が寒くなるのを感じた。
十月上旬、北条軍が沼田に攻め寄せた。岩櫃城で待機していた三郎右衛門は矢沢薩摩守に従い、兵を率いて沼田に向かった。北条安房守(氏邦)は五千の兵を率いて怒涛の勢いで白井城から北上し、長井坂城を攻め落とし、続いて鎌田城、阿曽の砦も落とし、倉内城に迫って来た。片品川を挟んで合戦が行なわれたが、雪を恐れた北条軍は深追いする事なく、鎌田城と阿曽の砦の守りを固めて引き上げて行った。
鎌田城に残ったのは北条安房守の家臣、猪股能登守だった。猪股能登守は裏切った藤田能登守に、戻って来いと必死に誘いを掛けて来たが、藤田能登守は断り続けた。今更、戻っても北条安房守が許すはずはない。兄と同じように殺されるに決まっていると猪股能登守からの書状はもれなく、岩櫃城にいる矢沢薩摩守のもとへ届けた。西条治部少輔のもとへも北条に寝返るようにとの書状が届き、それも薩摩守のもとへ届けられた。しかし、海野能登守から届けられる事はなかった。
沼田に潜伏していた月陰党の者が海野屋敷から出て来た怪しい男を見つけたのは十一月に入ってすぐだった。その男は城下に住む刀の研師(とぎし)で海野能登守から武芸を習っていた。月陰党の者が四月に沼田に来た時から海野屋敷に出入りしていて顔は覚えていた。いつもは自宅と海野屋敷を行き来するだけなのに、その日は暗くなってから海野屋敷を出て、こそこそと回りを気にしながら南へと向かって行った。村外れにある熊野権現の祠(ほこら)の中に何かを隠そうとした所を東円坊に捕まり、手にしていた書状を奪われた。
研師は何も知らなかった。ただ、能登守に頼まれただけだという。東円坊は研師の言う事を信じ、家に帰した。勿論、研師の後を円月坊に追わせた。書状は紛れもなく、海野能登守父子から猪股能登守にあてた物で、沼田領と岩櫃領をそのまま安堵してくれれば、北条家に忠節を誓うと書かれてあった。すぐに書状は東光坊によって長野原にいる三郎右衛門のもとへ届けられた。
「まさか‥‥‥」三郎右衛門は書状を読みながらも信じられなかった。
「これは本物なのか。確かに能登守殿の字に似てはいるが、風摩の仕業ではないのか。我々を仲間割れをさせるための罠ではないのか」
そうであってほしい。そうに違いないと願いながら、三郎右衛門は東光坊を見つめた。
「かもしれん。これ程、重要な書状を屋敷に出入りしている研師などに頼むとは思えん」
「その研師は風摩に違いない。絶対にそうだ」
「そうかもしれん。円月坊に見張らせていたが見事に消えてしまった」
「消えた?」
「ああ。城下でも腕のいい研師でな、武将たちの評判もいい。越後から来たという触れ込みで十年余りも住んでいる。子供はいないが、かみさんはいる。まさか、敵の忍びだとは思いもしなかった。昼近くになっても店を明けないので、おかしいと思って忍び込んだら、誰もいなかったらしい。家の中に抜け穴が掘ってあり、裏にある空き家につながっていた。奴はそこを利用して年中、出入りしていたようじゃ」
「風摩に違いない」と三郎右衛門は確信した。
「逃げられてしまっては本当の事はわからん」
東光坊は慎重だった。風摩の仕業だとは断定しなかった。
「でも、これが偽の書状だという事はわかる」三郎右衛門は強い口調で言った。
東光坊は三郎右衛門を見ながら首を振り、「偽物か本物かはこの際、問題ではないんじゃよ」と言い聞かせるように、ゆっくりと言った。「現にこの書状がここにあるという事が問題なんじゃ。これを安房守殿に見せれば、間違いなく、海野兄弟は成敗されるじゃろう。たとえ、偽物だとわかっていてもな」
「そんな馬鹿な。安房守殿はこれを口実にするというのか」
東光坊は真剣な顔をしてうなづいた。
「安房守殿はずっと海野兄弟を倒す切っ掛けを捜していたんじゃ。これを利用しない手はない。どうする、安房守殿に見せるか」
東光坊は強い視線で三郎右衛門を見つめていた。
三郎右衛門はもう一度、書状を読んだ。偽物に違いないと説明しても無駄なのだろうか。もし、安房守が海野兄弟を討ち取るつもりでいたら、真偽を問う事もなく、間違いなく、これを利用する。
「能登守殿を見殺しにしたくはない」と三郎右衛門は呟いた。
「気持ちはわかるが、真田と海野がこの先、うまくやって行くとは思えん。草津の領主として、どちらかを選ばなければならんのじゃ。生き残るためには強い者につかなければならんのじゃよ。能登守と長門守はすでに七十を過ぎている。先はそう長くはあるまい。そうなると安房守殿と中務少輔を比べなければなるまいな」
「年齢は中務少輔のが上だが、武将としての器は断然、安房守殿の方が上だ」
「ならば迷う事はあるまい。わしが行って来る」
「待て」と三郎右衛門は東光坊を引き留め、「俺が行く」と言った。
安房守と直接に会って、安房守の本心が知りたかった。
「いや、お屋形様にはやる事がある」と東光坊は重々しく言った。
「俺のやる事? 一体、何だ」
「安房守殿のために吾妻七騎を一つにまとめなければなるまい。海野兄弟に味方する者が現れると事が面倒になるぞ」
「そうか、そうだな‥‥‥しかし‥‥‥」
「お屋形様、行って来てよろしいですな」
東光坊は覚悟を決めろというように、三郎右衛門をじっと見つめていた。
「頼む。行って来てくれ」と三郎右衛門は言った。しかし、心の中では、本当にそれでいいのかと葛藤が続いていた。
三郎右衛門はその夜、善太夫の仏壇の前に座り、海野能登守の事を考えた。安房守が真田家を継いで岩櫃城に来た時、能登守は安房守の事を認めてはいなかった。小僧が生意気な事を言うな、という態度だった。岩櫃城に来ても海野兄弟が本丸と二の丸に居座っていたので、安房守は肩身の狭い思いをしていた。あれから六年が経ったが、安房守と海野兄弟の溝が消えたとは思えなかった。武田家の家臣として仕方なく従っている、という感じは誰にでも感じられた。もし、三郎右衛門が安房守の立場にあったら、海野兄弟は邪魔な奴らと思うに違いない。また、能登守の立場にあったら、跡を継ぐ中務少輔のためにも安房守を上野から追い出したいと思うに違いない。これから先、草津を守って行くには安房守に従うより道はない。やはり、海野一族には消えてもらうしかないのか‥‥‥
三郎右衛門は一晩かけて決心を固めると、翌日、西窪に行き、義弟の西窪治部少輔と会って海野能登守の謀叛を告げた。
「やはりな」と治部少輔は言った。少しも驚いた様子はなかった。
治部少輔の反応に三郎右衛門の方が驚いた。そんな馬鹿な、そんな事はありえないと否定すると思ったのに、治部少輔はすんなりと謀叛を認めた。どうしてだろうと三郎右衛門の方がまごついた。
「海野兄弟は吾妻郡を我が物にしたいと思っているんですよ。もし、織田と徳川に攻められて、武田の勢力が弱まれば、海野兄弟は迷う事なく、北条の傘下に入るでしょう」
「そうなった場合、おぬしはどうする。海野兄弟に従うのか」
「まさか」と治部少輔は首を振りながら、両手を広げた。「あの兄弟が吾妻郡代だから、仕方なく従っているんです。今までに何度、腹の立つ事を言われて来た事か。ずっと我慢して来たんですよ。能登守が沼田に行ったので、ほっとしていたんです。長門守の目が見えなくなったのはきっと罰が当たったんでしょう」
治部少輔はいい気味だと言うように鼻で笑った。
「そんな嫌な事を言われたのか」
「父上が戦死して、俺が跡を継いだのは十歳の時です。その頃は祖父がいたので、俺が表に出る事はなかったんだけど、十七の時、祖父が病死して、俺は岩櫃城に出仕しました。何もわからないのでオロオロしていて、家臣たちの前で馬鹿にされたり、怒鳴られたり、何度もひどい目に会いましたよ。俺だけじゃありません。鎌原孫次郎も植栗彦五郎も嫌な思いをしています」
「そうだったのか。まったく知らなかった」
「兄上は上泉伊勢守殿のお弟子ですから、能登守も一目置いているのです。自分が武芸の達人なので、強い者たちは可愛がりますけど、弱い者をいじめるんです。海野家の家臣の中にも反感を持っている者は大勢いますよ」
能登守が弱い者いじめをしていたなんて以外だった。そして、自分が特別扱いされていたなんて今まで気づきもしなかった。湯本家のお屋形様を継いで初めて岩櫃城に行った時、能登守は酒を持って親しそうに訪ねて来た。その時以来、すっかり能登守を信頼していた。会いに行けば、いつも機嫌よく迎えてくれるので、誰に対してもそうなのだろうと思い込んでいた。治部少輔や孫次郎がいじめられていたなんて少しも気づかなかった。そう言われてみれば、思い当たる節はあった。孫次郎が目に涙を溜めて能登守の悪口を言っているのを耳にした事があった。三郎右衛門は声を掛け、話を聞いて、たまたま、能登守の機嫌が悪かっただけだ。気にするなと言った。あの時、孫次郎の言い分をちゃんと聞いてやれば、いじめの事実はわかったのに、能登守がそんな事をするはずはないと決めてかかっていた。物事の本質を見極めろと東光坊から何度も言われていたのに、それを怠っていた。先入観に囚われ、物事の本質を見誤ってはならないと自分を戒めた。
「孫次郎の事なんだが、孫次郎の母上は長門守の娘だったはずだな。それなのに、いじめられているのか」
「孫次郎の実の母上は長門守の娘ではないんです。長門守の娘は石女(うまずめ)だったんですよ。孫次郎の兄弟は皆、側室の腹から生まれているんです」
「そうだったのか‥‥‥」
善太夫の正妻のお鈴様も長門守の娘で石女だった。前世からの因縁なのだろうかと不思議に思った。
「詳しい事は知りませんが、孫次郎の実の母上は真田家の家臣の娘らしいです。綺麗な人で、亡くなられた孫次郎の父上は長門守の娘よりも孫次郎の母上の方を大切にしていたようです。その事もあって、海野兄弟は孫次郎に辛くあたるのかもしれません」
ありえる事だった。お鈴様を追い出したと言って、長門守が三郎右衛門に辛く当たっていた時期があったのを思い出した。
「他の吾妻七騎の者たちはどう思っているんだ」と三郎右衛門は聞いてみた。
「横谷信濃守殿も反感を持っています。同じ武田家の家臣なのに、あんなに威張る事はないと常に言っています。池田佐渡守殿も戦で片足を失った後、早く隠居してしまえと言われ、能登守に言われる筋合いはないと怒ったようです。大戸丹後守殿は長門守の婿ですから、長門守の亡き後、岩櫃城代になろうと機嫌を取ったりしているようです」
「丹後守は長門守の跡継ぎになろうと企んでいるのか」
「そのようです」
「丹後守の奥方は石女ではなかったのか」
「さあ」と治部少輔は首をひねって、不思議そうな顔をして三郎右衛門を見た。
長門守の娘は皆、石女なのかと思って聞いてみたが、そんな事まで治部少輔が知っているはずはなかった。
「すると、大戸丹後守殿以外は皆、海野兄弟に反感を持っているのだな」
「はい」と治部少輔はうなづき、何をするつもりなのだろうと言う顔をして三郎右衛門を見ていた。
三郎右衛門は意味もなく髭を撫でると、「真田安房守殿の事はどう思っているんだ」と聞いた。
「皆、信頼していると思います。威張った所はないし、同じ武田家の家臣として対等な立場に立って常に物を言います。悪口を言っているのは海野兄弟だけでしょう」
「海野中務少輔殿の評判はどうだ」
「中務少輔は父親ほどは威張りませんが、父親の言いなりですよ」
「そうか、わかった。近いうちに海野兄弟は成敗される事になろう。俺たちは安房守殿に従わなければならん。海野兄弟には内密に大戸丹後守以外の者たちに知らせておこう」
三郎右衛門は治部少輔を鎌原に向かわせ、自分は横谷に向かった。横谷信濃守の妻は大戸丹後守の妹なので、慎重に話を進めなければならなかった。三郎右衛門は信濃守の顔色を窺いながら、海野能登守の謀叛を告げた。信濃守は大して驚く事もなく、顔色も変えず、「そうか」とうなづいた。
信濃守の表情からは何を考えているのかわからなかった。話を先に進めていいのか迷っていると、
「やがてはこうなるじゃろうとは思っていた」と信濃守は言い、海野兄弟の事を話し始めた。
信濃守は大戸丹後守の義弟として、海野兄弟たちと酒宴を共にする事が多く、彼らが真田安房守の悪口を言うのを何度も聞いていた。初めの頃は信濃守も彼らに同調していたが、その後の安房守の活躍を見ると、安房守が父親の一徳斎に劣らない武将だという事がわかって来た。横谷家の事を思うと、いつまでも彼らとかかわらない方がいいと思い、下川田城の城将を命じられてからは、何かと口実をつけて会わないようにしているという。
三郎右衛門は近いうちに海野兄弟は成敗されるだろうと告げ、信濃守と別れた。念のため、月陰党の者に信濃守を見張らせた。
その後、植栗河内守、池田佐渡守とも会い、海野成敗を告げ、協力するように頼んだ。二人とも、海野兄弟から家臣でもないのに家臣のように扱われ、反感を持っていたので喜んで引き受けた。長野原に戻ると西窪治部少輔が待っていた。鎌原氏もうまく行ったという。三郎右衛門は月陰党の者たちを放って、彼らの動きを見張らせ、話をしていない大戸丹後守も見張らせた。
七里岩の安房守のもとに行っていた東光坊が帰って来たのは十一月も半ばになっていた。「随分とのんびりとしていたな」と三郎右衛門が待ちくたびれたような顔をすると、
「海野兄弟は武田家の家臣じゃからな、お屋形様の許しを得なければ、勝手に討つわけにはいかんのじゃよ」と言いながら火鉢に手をかざした。
「それで、許しは出たのか」
東光坊はうなづいた。「向こうでも、とんだ騒ぎが起こってな、すぐに許可が下りなかったんじゃよ」
「とんだ騒ぎ?」
「ああ。まったくの驚きじゃが、海野彦次郎が仕えた戸倉城の笠原新六郎が北条を裏切って武田に寝返って来たんじゃ」
「何だと? 彦次郎が寝返らせたのか」
「それはわからん。沼津城にいる曽根河内守と春日源五郎が寝返らせたらしいが、裏で彦次郎も活躍したのかもしれん」
「すると彦次郎と能登守殿はつながってはいなかったのか」
「らしいな。彦次郎は信玄殿の側近くに仕えていたらしい。武田家を裏切る事はできなかったんじゃろう。自ら裏切り者を演じて、大手柄を上げた事になる。それに比べ、能登守は武田家の事より自分たちの事しか考えなかったため、滅ぼされるはめとなったという事じゃな」
戸倉城は伊豆と駿河の国境近くにある城で、一時、琴音の夫の北条四郎が守っていた事もあった。今の城主、笠原新六郎というのは北条家の重臣の伜だと聞いている。前線を守っているのだから、北条家でも信頼の厚い武将に違いない。それを調略を持って寝返らせたというのは大手柄だった。
「それで、お屋形様は伊豆に出陣なされたのか」
「新城に移る予定だったんじゃが、それを延期して伊豆に行かれた。安房守殿は新城の仕上げが忙しいので、弟の加津野市右衛門殿が大将となって成敗に来る事となった。まもなく、検使の者を伴って来るじゃろう」
加津野市右衛門が長野原に来たのは二十日の日暮れ間近だった。その日は朝から雪が降っていて、三寸近くも積もっていた。三郎右衛門は諏訪明神の境内のあちこちに火を焚き、熱い雑炊の用意をして待ち受けた。市右衛門が率いて来た兵は五百余りで、それに西窪勢と鎌原勢が加わっていた。
市右衛門に先立ち、真田に帰っていた矢沢薩摩守が北条に奪われた鎌田城と阿曽の砦を奪い返すという触れ込みで岩櫃城に戻っていた。
長野原で夜を明かした六百余りの兵に湯本勢も加わって、早朝より岩櫃に向かった。昨日一日降っていた雪もやみ、日差しを浴びて輝く雪の中を進軍した。途中、横谷信濃守と岩下城主の富沢但馬守も加わった。但馬守は長門守の家臣だったが、普段から長門守を快く思っていなかった。信濃守の叔父でもあり、信濃守に誘われると喜んで討伐軍に加わった。
殿軍を務めていた三郎右衛門が岩櫃城に入った時には、長門守の家臣たちが沼田出陣のため天狗の丸に集まっていた。三郎右衛門率いる湯本勢は大手門を守り、天狗の丸と本城との連絡を遮断した。
中城の南側にある屋敷にいた長門守は市右衛門に謀叛の事を問い詰められると、
「おぬしのような小僧に話す事などないわ。くそっ、能登守の奴、へまをしおって。武田はもう終わりじゃ。おぬしらも早いとこ、身の振り方を考えた方がいい」と鬼のような形相で怒鳴り、目が見えないにもかかわらず、刀を抜いて暴れ回った。
検使の田口又左衛門も呆れ、乱心したとみなして成敗を命じた。長門守は四、五人を斬り倒したが、白刃に囲まれると観念し、腹を十文字にかき斬って見事な最期を遂げた。
長門守の家臣、渡常陸介は長門守の妻と十四歳になる娘を何とか逃がそうとしたが、切沢口を固めていた横谷勢に囲まれ、逃げるのは不可能と見て、無残にも母子を斬り捨てた。
長門守が切腹した後、三郎右衛門は池田甚次郎、鎌原孫次郎と共に岩櫃城の守備を任された。
長門守の家臣たちは長門守が謀叛のかどにより切腹させられた事を知らされると驚きはしたものの抵抗する者も岩櫃城を去る者もいなかった。
その日のうちに下川田城に入った市右衛門は翌早朝、一千余りの兵を率いて利根川を渡り倉内城に入った。市右衛門は至急、海野能登守父子以外の沼田衆を招集し、能登守謀叛を告げた。能登守の申し開きを聞こうと検使の田口又左衛門が言い、能登守を呼んだが、能登守は出ては来なかった。すでに長門守が殺された事を知り、危険を感じて、百人余りの家臣を率いて城下から逃げ、迦葉山(かしょうざん)へと向かった。しかし、迦葉山に行き着く事なく、薄根川を渡った女坂という所で能登守も中務少輔も討ち取られた。さすがの武芸の達人も、飛び道具(弓矢)と次から次へと現れる追っ手には勝てず、雪原を真っ赤な血で染めて、息絶え果てた。
中務少輔の妻と三人の娘は下沼田の長広寺に隠れていた所を捕まった。中務少輔の妻は矢沢薩摩守の娘だったので、子供と共に助けられ薩摩守に預けられた。
三郎右衛門は東光坊より能登守父子の最期を聞いた。
「そうか、能登守殿も中務少輔殿も亡くなられたか」
三郎右衛門は目を閉じ、心の中で両手を合わせた。小田原に行ってみたいと言いながら笑った能登守の顔が浮かんだ。差し出がましい事だが、武将として生きるよりも武芸者として生きた方が幸せな一生が送れたのではないかと思った。
「それにしても、どうして、迦葉山に向かったのだろう」三郎右衛門は目頭を押さえながら首を傾げた。
なにも迦葉山まで行かなくても高王山に倉内城の出城があった。能登守なら奪い取って反撃する事ができたはずだった。
「迦葉山の住職は能登守と昵懇でな、仲裁してもらおうと思ったのかもしれんな」
「やはり、能登守殿は北条に寝返るつもりはなかったんだな」
東光坊はそれには答えず、「例の研師だがな、甲府にいた」と言った。
「研師?」と三郎右衛門は聞き返した。東光坊が何を言っているのかわからなかった。
「能登守の屋敷から書状を持って出た男じゃ」
「ああ、沼田から消えた男か。風摩が今度は甲府に行ったというのか」
そんな事、いまさら、どうでもいいじゃないかと思いながらも、三郎右衛門は東光坊の話に耳を傾けた。
「様子を探らせたら真田屋敷に入って行った」
「真田屋敷に忍び込んだのか」
「いや。裏門からじゃが堂々と入って行った」
「何だって、すると奴は‥‥‥」
「間違いない。真田の忍びじゃ」
「そんな馬鹿な‥‥‥奴は十年前から沼田にいたと言わなかったか」
「十年前と言えば、親父(円覚坊)がまだ生きていた。きっと、上杉の情報を得るため、親父が沼田に潜入させたに違いない」
「何という事だ。黒幕が安房守殿だったとは」
「わしらは安房守殿にうまく利用されたようじゃな」
「始めから月陰党の者に見つけられるように仕向けたというわけか」
「そういう事じゃ。だが、あの時、もし、能登守殿を庇って書状を隠していたら、お屋形様も安房守殿に疑われる事となったじゃろう」
「そうか。確かにな‥‥‥危ない所だった」
三郎右衛門の背筋を冷たいものが走った。あの安房守が裏でそんな事をしていたなんて信じたくはなかった。しかし、あの安房守なら、目的を達成するためには、それ位の事は平気でやりそうだとも思えた。
「海野一族のように成敗される事はないにしろ、信用を失って遠ざけられる事となろう。やがては口実を設けて、草津を追われたかもしれん。今後、気をつけなくてはならんぞ」
「恐ろしい人だ‥‥‥」
『物事には必ず、表と裏がある。裏側もしっかりと見極めなくてはならん』と若い頃、旅をしていた時、何度も東光坊に言われたのを突然、思い出した。確かにその通りだった。能登守も安房守も表側しか見ていなかった。今後、草津を守って行くには、裏側もしっかりと見極めなければならないと肝に銘じた。
「恐ろしくなくては今の世は生きては行けんという事じゃ」と東光坊は言った。
「まさしくな」と三郎右衛門はうなづいた。「しかし、哀れな事だ。能登守殿も中務少輔殿も無実の罪を背負って死んで行った」
「謀叛はなかったにしろ、やり過ぎた事は確かじゃよ。人の上に立つ者は下にいる者たちの面倒を見なければならん。威張ってばかりいたら、誰もついては行かなくなる。二人共、六十を過ぎたら、さっさと隠居すべきだったんじゃよ」
倉内城代だった海野能登守の代わりに矢沢薩摩守が入り、沼田にいた能登守の家臣たちは真田家の家臣となった。そして、利根郡の事は真田安房守に任される事となり、武田家の城として城代を置いていた倉内城は安房守の持ち城となった。
岩櫃城は今まで通り、武田家の持ち城として城代が置かれ、湯本三郎右衛門、西窪治部少輔、池田甚次郎、鎌原孫次郎、矢沢三十郎の五人が任命された。海野長門守の家臣たちは吾妻七騎と同じように武田家の家臣に組み込まれた。
鎌田城に残ったのは北条安房守の家臣、猪股能登守だった。猪股能登守は裏切った藤田能登守に、戻って来いと必死に誘いを掛けて来たが、藤田能登守は断り続けた。今更、戻っても北条安房守が許すはずはない。兄と同じように殺されるに決まっていると猪股能登守からの書状はもれなく、岩櫃城にいる矢沢薩摩守のもとへ届けた。西条治部少輔のもとへも北条に寝返るようにとの書状が届き、それも薩摩守のもとへ届けられた。しかし、海野能登守から届けられる事はなかった。
沼田に潜伏していた月陰党の者が海野屋敷から出て来た怪しい男を見つけたのは十一月に入ってすぐだった。その男は城下に住む刀の研師(とぎし)で海野能登守から武芸を習っていた。月陰党の者が四月に沼田に来た時から海野屋敷に出入りしていて顔は覚えていた。いつもは自宅と海野屋敷を行き来するだけなのに、その日は暗くなってから海野屋敷を出て、こそこそと回りを気にしながら南へと向かって行った。村外れにある熊野権現の祠(ほこら)の中に何かを隠そうとした所を東円坊に捕まり、手にしていた書状を奪われた。
研師は何も知らなかった。ただ、能登守に頼まれただけだという。東円坊は研師の言う事を信じ、家に帰した。勿論、研師の後を円月坊に追わせた。書状は紛れもなく、海野能登守父子から猪股能登守にあてた物で、沼田領と岩櫃領をそのまま安堵してくれれば、北条家に忠節を誓うと書かれてあった。すぐに書状は東光坊によって長野原にいる三郎右衛門のもとへ届けられた。
「まさか‥‥‥」三郎右衛門は書状を読みながらも信じられなかった。
「これは本物なのか。確かに能登守殿の字に似てはいるが、風摩の仕業ではないのか。我々を仲間割れをさせるための罠ではないのか」
そうであってほしい。そうに違いないと願いながら、三郎右衛門は東光坊を見つめた。
「かもしれん。これ程、重要な書状を屋敷に出入りしている研師などに頼むとは思えん」
「その研師は風摩に違いない。絶対にそうだ」
「そうかもしれん。円月坊に見張らせていたが見事に消えてしまった」
「消えた?」
「ああ。城下でも腕のいい研師でな、武将たちの評判もいい。越後から来たという触れ込みで十年余りも住んでいる。子供はいないが、かみさんはいる。まさか、敵の忍びだとは思いもしなかった。昼近くになっても店を明けないので、おかしいと思って忍び込んだら、誰もいなかったらしい。家の中に抜け穴が掘ってあり、裏にある空き家につながっていた。奴はそこを利用して年中、出入りしていたようじゃ」
「風摩に違いない」と三郎右衛門は確信した。
「逃げられてしまっては本当の事はわからん」
東光坊は慎重だった。風摩の仕業だとは断定しなかった。
「でも、これが偽の書状だという事はわかる」三郎右衛門は強い口調で言った。
東光坊は三郎右衛門を見ながら首を振り、「偽物か本物かはこの際、問題ではないんじゃよ」と言い聞かせるように、ゆっくりと言った。「現にこの書状がここにあるという事が問題なんじゃ。これを安房守殿に見せれば、間違いなく、海野兄弟は成敗されるじゃろう。たとえ、偽物だとわかっていてもな」
「そんな馬鹿な。安房守殿はこれを口実にするというのか」
東光坊は真剣な顔をしてうなづいた。
「安房守殿はずっと海野兄弟を倒す切っ掛けを捜していたんじゃ。これを利用しない手はない。どうする、安房守殿に見せるか」
東光坊は強い視線で三郎右衛門を見つめていた。
三郎右衛門はもう一度、書状を読んだ。偽物に違いないと説明しても無駄なのだろうか。もし、安房守が海野兄弟を討ち取るつもりでいたら、真偽を問う事もなく、間違いなく、これを利用する。
「能登守殿を見殺しにしたくはない」と三郎右衛門は呟いた。
「気持ちはわかるが、真田と海野がこの先、うまくやって行くとは思えん。草津の領主として、どちらかを選ばなければならんのじゃ。生き残るためには強い者につかなければならんのじゃよ。能登守と長門守はすでに七十を過ぎている。先はそう長くはあるまい。そうなると安房守殿と中務少輔を比べなければなるまいな」
「年齢は中務少輔のが上だが、武将としての器は断然、安房守殿の方が上だ」
「ならば迷う事はあるまい。わしが行って来る」
「待て」と三郎右衛門は東光坊を引き留め、「俺が行く」と言った。
安房守と直接に会って、安房守の本心が知りたかった。
「いや、お屋形様にはやる事がある」と東光坊は重々しく言った。
「俺のやる事? 一体、何だ」
「安房守殿のために吾妻七騎を一つにまとめなければなるまい。海野兄弟に味方する者が現れると事が面倒になるぞ」
「そうか、そうだな‥‥‥しかし‥‥‥」
「お屋形様、行って来てよろしいですな」
東光坊は覚悟を決めろというように、三郎右衛門をじっと見つめていた。
「頼む。行って来てくれ」と三郎右衛門は言った。しかし、心の中では、本当にそれでいいのかと葛藤が続いていた。
三郎右衛門はその夜、善太夫の仏壇の前に座り、海野能登守の事を考えた。安房守が真田家を継いで岩櫃城に来た時、能登守は安房守の事を認めてはいなかった。小僧が生意気な事を言うな、という態度だった。岩櫃城に来ても海野兄弟が本丸と二の丸に居座っていたので、安房守は肩身の狭い思いをしていた。あれから六年が経ったが、安房守と海野兄弟の溝が消えたとは思えなかった。武田家の家臣として仕方なく従っている、という感じは誰にでも感じられた。もし、三郎右衛門が安房守の立場にあったら、海野兄弟は邪魔な奴らと思うに違いない。また、能登守の立場にあったら、跡を継ぐ中務少輔のためにも安房守を上野から追い出したいと思うに違いない。これから先、草津を守って行くには安房守に従うより道はない。やはり、海野一族には消えてもらうしかないのか‥‥‥
三郎右衛門は一晩かけて決心を固めると、翌日、西窪に行き、義弟の西窪治部少輔と会って海野能登守の謀叛を告げた。
「やはりな」と治部少輔は言った。少しも驚いた様子はなかった。
治部少輔の反応に三郎右衛門の方が驚いた。そんな馬鹿な、そんな事はありえないと否定すると思ったのに、治部少輔はすんなりと謀叛を認めた。どうしてだろうと三郎右衛門の方がまごついた。
「海野兄弟は吾妻郡を我が物にしたいと思っているんですよ。もし、織田と徳川に攻められて、武田の勢力が弱まれば、海野兄弟は迷う事なく、北条の傘下に入るでしょう」
「そうなった場合、おぬしはどうする。海野兄弟に従うのか」
「まさか」と治部少輔は首を振りながら、両手を広げた。「あの兄弟が吾妻郡代だから、仕方なく従っているんです。今までに何度、腹の立つ事を言われて来た事か。ずっと我慢して来たんですよ。能登守が沼田に行ったので、ほっとしていたんです。長門守の目が見えなくなったのはきっと罰が当たったんでしょう」
治部少輔はいい気味だと言うように鼻で笑った。
「そんな嫌な事を言われたのか」
「父上が戦死して、俺が跡を継いだのは十歳の時です。その頃は祖父がいたので、俺が表に出る事はなかったんだけど、十七の時、祖父が病死して、俺は岩櫃城に出仕しました。何もわからないのでオロオロしていて、家臣たちの前で馬鹿にされたり、怒鳴られたり、何度もひどい目に会いましたよ。俺だけじゃありません。鎌原孫次郎も植栗彦五郎も嫌な思いをしています」
「そうだったのか。まったく知らなかった」
「兄上は上泉伊勢守殿のお弟子ですから、能登守も一目置いているのです。自分が武芸の達人なので、強い者たちは可愛がりますけど、弱い者をいじめるんです。海野家の家臣の中にも反感を持っている者は大勢いますよ」
能登守が弱い者いじめをしていたなんて以外だった。そして、自分が特別扱いされていたなんて今まで気づきもしなかった。湯本家のお屋形様を継いで初めて岩櫃城に行った時、能登守は酒を持って親しそうに訪ねて来た。その時以来、すっかり能登守を信頼していた。会いに行けば、いつも機嫌よく迎えてくれるので、誰に対してもそうなのだろうと思い込んでいた。治部少輔や孫次郎がいじめられていたなんて少しも気づかなかった。そう言われてみれば、思い当たる節はあった。孫次郎が目に涙を溜めて能登守の悪口を言っているのを耳にした事があった。三郎右衛門は声を掛け、話を聞いて、たまたま、能登守の機嫌が悪かっただけだ。気にするなと言った。あの時、孫次郎の言い分をちゃんと聞いてやれば、いじめの事実はわかったのに、能登守がそんな事をするはずはないと決めてかかっていた。物事の本質を見極めろと東光坊から何度も言われていたのに、それを怠っていた。先入観に囚われ、物事の本質を見誤ってはならないと自分を戒めた。
「孫次郎の事なんだが、孫次郎の母上は長門守の娘だったはずだな。それなのに、いじめられているのか」
「孫次郎の実の母上は長門守の娘ではないんです。長門守の娘は石女(うまずめ)だったんですよ。孫次郎の兄弟は皆、側室の腹から生まれているんです」
「そうだったのか‥‥‥」
善太夫の正妻のお鈴様も長門守の娘で石女だった。前世からの因縁なのだろうかと不思議に思った。
「詳しい事は知りませんが、孫次郎の実の母上は真田家の家臣の娘らしいです。綺麗な人で、亡くなられた孫次郎の父上は長門守の娘よりも孫次郎の母上の方を大切にしていたようです。その事もあって、海野兄弟は孫次郎に辛くあたるのかもしれません」
ありえる事だった。お鈴様を追い出したと言って、長門守が三郎右衛門に辛く当たっていた時期があったのを思い出した。
「他の吾妻七騎の者たちはどう思っているんだ」と三郎右衛門は聞いてみた。
「横谷信濃守殿も反感を持っています。同じ武田家の家臣なのに、あんなに威張る事はないと常に言っています。池田佐渡守殿も戦で片足を失った後、早く隠居してしまえと言われ、能登守に言われる筋合いはないと怒ったようです。大戸丹後守殿は長門守の婿ですから、長門守の亡き後、岩櫃城代になろうと機嫌を取ったりしているようです」
「丹後守は長門守の跡継ぎになろうと企んでいるのか」
「そのようです」
「丹後守の奥方は石女ではなかったのか」
「さあ」と治部少輔は首をひねって、不思議そうな顔をして三郎右衛門を見た。
長門守の娘は皆、石女なのかと思って聞いてみたが、そんな事まで治部少輔が知っているはずはなかった。
「すると、大戸丹後守殿以外は皆、海野兄弟に反感を持っているのだな」
「はい」と治部少輔はうなづき、何をするつもりなのだろうと言う顔をして三郎右衛門を見ていた。
三郎右衛門は意味もなく髭を撫でると、「真田安房守殿の事はどう思っているんだ」と聞いた。
「皆、信頼していると思います。威張った所はないし、同じ武田家の家臣として対等な立場に立って常に物を言います。悪口を言っているのは海野兄弟だけでしょう」
「海野中務少輔殿の評判はどうだ」
「中務少輔は父親ほどは威張りませんが、父親の言いなりですよ」
「そうか、わかった。近いうちに海野兄弟は成敗される事になろう。俺たちは安房守殿に従わなければならん。海野兄弟には内密に大戸丹後守以外の者たちに知らせておこう」
三郎右衛門は治部少輔を鎌原に向かわせ、自分は横谷に向かった。横谷信濃守の妻は大戸丹後守の妹なので、慎重に話を進めなければならなかった。三郎右衛門は信濃守の顔色を窺いながら、海野能登守の謀叛を告げた。信濃守は大して驚く事もなく、顔色も変えず、「そうか」とうなづいた。
信濃守の表情からは何を考えているのかわからなかった。話を先に進めていいのか迷っていると、
「やがてはこうなるじゃろうとは思っていた」と信濃守は言い、海野兄弟の事を話し始めた。
信濃守は大戸丹後守の義弟として、海野兄弟たちと酒宴を共にする事が多く、彼らが真田安房守の悪口を言うのを何度も聞いていた。初めの頃は信濃守も彼らに同調していたが、その後の安房守の活躍を見ると、安房守が父親の一徳斎に劣らない武将だという事がわかって来た。横谷家の事を思うと、いつまでも彼らとかかわらない方がいいと思い、下川田城の城将を命じられてからは、何かと口実をつけて会わないようにしているという。
三郎右衛門は近いうちに海野兄弟は成敗されるだろうと告げ、信濃守と別れた。念のため、月陰党の者に信濃守を見張らせた。
その後、植栗河内守、池田佐渡守とも会い、海野成敗を告げ、協力するように頼んだ。二人とも、海野兄弟から家臣でもないのに家臣のように扱われ、反感を持っていたので喜んで引き受けた。長野原に戻ると西窪治部少輔が待っていた。鎌原氏もうまく行ったという。三郎右衛門は月陰党の者たちを放って、彼らの動きを見張らせ、話をしていない大戸丹後守も見張らせた。
七里岩の安房守のもとに行っていた東光坊が帰って来たのは十一月も半ばになっていた。「随分とのんびりとしていたな」と三郎右衛門が待ちくたびれたような顔をすると、
「海野兄弟は武田家の家臣じゃからな、お屋形様の許しを得なければ、勝手に討つわけにはいかんのじゃよ」と言いながら火鉢に手をかざした。
「それで、許しは出たのか」
東光坊はうなづいた。「向こうでも、とんだ騒ぎが起こってな、すぐに許可が下りなかったんじゃよ」
「とんだ騒ぎ?」
「ああ。まったくの驚きじゃが、海野彦次郎が仕えた戸倉城の笠原新六郎が北条を裏切って武田に寝返って来たんじゃ」
「何だと? 彦次郎が寝返らせたのか」
「それはわからん。沼津城にいる曽根河内守と春日源五郎が寝返らせたらしいが、裏で彦次郎も活躍したのかもしれん」
「すると彦次郎と能登守殿はつながってはいなかったのか」
「らしいな。彦次郎は信玄殿の側近くに仕えていたらしい。武田家を裏切る事はできなかったんじゃろう。自ら裏切り者を演じて、大手柄を上げた事になる。それに比べ、能登守は武田家の事より自分たちの事しか考えなかったため、滅ぼされるはめとなったという事じゃな」
戸倉城は伊豆と駿河の国境近くにある城で、一時、琴音の夫の北条四郎が守っていた事もあった。今の城主、笠原新六郎というのは北条家の重臣の伜だと聞いている。前線を守っているのだから、北条家でも信頼の厚い武将に違いない。それを調略を持って寝返らせたというのは大手柄だった。
「それで、お屋形様は伊豆に出陣なされたのか」
「新城に移る予定だったんじゃが、それを延期して伊豆に行かれた。安房守殿は新城の仕上げが忙しいので、弟の加津野市右衛門殿が大将となって成敗に来る事となった。まもなく、検使の者を伴って来るじゃろう」
加津野市右衛門が長野原に来たのは二十日の日暮れ間近だった。その日は朝から雪が降っていて、三寸近くも積もっていた。三郎右衛門は諏訪明神の境内のあちこちに火を焚き、熱い雑炊の用意をして待ち受けた。市右衛門が率いて来た兵は五百余りで、それに西窪勢と鎌原勢が加わっていた。
市右衛門に先立ち、真田に帰っていた矢沢薩摩守が北条に奪われた鎌田城と阿曽の砦を奪い返すという触れ込みで岩櫃城に戻っていた。
長野原で夜を明かした六百余りの兵に湯本勢も加わって、早朝より岩櫃に向かった。昨日一日降っていた雪もやみ、日差しを浴びて輝く雪の中を進軍した。途中、横谷信濃守と岩下城主の富沢但馬守も加わった。但馬守は長門守の家臣だったが、普段から長門守を快く思っていなかった。信濃守の叔父でもあり、信濃守に誘われると喜んで討伐軍に加わった。
殿軍を務めていた三郎右衛門が岩櫃城に入った時には、長門守の家臣たちが沼田出陣のため天狗の丸に集まっていた。三郎右衛門率いる湯本勢は大手門を守り、天狗の丸と本城との連絡を遮断した。
中城の南側にある屋敷にいた長門守は市右衛門に謀叛の事を問い詰められると、
「おぬしのような小僧に話す事などないわ。くそっ、能登守の奴、へまをしおって。武田はもう終わりじゃ。おぬしらも早いとこ、身の振り方を考えた方がいい」と鬼のような形相で怒鳴り、目が見えないにもかかわらず、刀を抜いて暴れ回った。
検使の田口又左衛門も呆れ、乱心したとみなして成敗を命じた。長門守は四、五人を斬り倒したが、白刃に囲まれると観念し、腹を十文字にかき斬って見事な最期を遂げた。
長門守の家臣、渡常陸介は長門守の妻と十四歳になる娘を何とか逃がそうとしたが、切沢口を固めていた横谷勢に囲まれ、逃げるのは不可能と見て、無残にも母子を斬り捨てた。
長門守が切腹した後、三郎右衛門は池田甚次郎、鎌原孫次郎と共に岩櫃城の守備を任された。
長門守の家臣たちは長門守が謀叛のかどにより切腹させられた事を知らされると驚きはしたものの抵抗する者も岩櫃城を去る者もいなかった。
その日のうちに下川田城に入った市右衛門は翌早朝、一千余りの兵を率いて利根川を渡り倉内城に入った。市右衛門は至急、海野能登守父子以外の沼田衆を招集し、能登守謀叛を告げた。能登守の申し開きを聞こうと検使の田口又左衛門が言い、能登守を呼んだが、能登守は出ては来なかった。すでに長門守が殺された事を知り、危険を感じて、百人余りの家臣を率いて城下から逃げ、迦葉山(かしょうざん)へと向かった。しかし、迦葉山に行き着く事なく、薄根川を渡った女坂という所で能登守も中務少輔も討ち取られた。さすがの武芸の達人も、飛び道具(弓矢)と次から次へと現れる追っ手には勝てず、雪原を真っ赤な血で染めて、息絶え果てた。
中務少輔の妻と三人の娘は下沼田の長広寺に隠れていた所を捕まった。中務少輔の妻は矢沢薩摩守の娘だったので、子供と共に助けられ薩摩守に預けられた。
三郎右衛門は東光坊より能登守父子の最期を聞いた。
「そうか、能登守殿も中務少輔殿も亡くなられたか」
三郎右衛門は目を閉じ、心の中で両手を合わせた。小田原に行ってみたいと言いながら笑った能登守の顔が浮かんだ。差し出がましい事だが、武将として生きるよりも武芸者として生きた方が幸せな一生が送れたのではないかと思った。
「それにしても、どうして、迦葉山に向かったのだろう」三郎右衛門は目頭を押さえながら首を傾げた。
なにも迦葉山まで行かなくても高王山に倉内城の出城があった。能登守なら奪い取って反撃する事ができたはずだった。
「迦葉山の住職は能登守と昵懇でな、仲裁してもらおうと思ったのかもしれんな」
「やはり、能登守殿は北条に寝返るつもりはなかったんだな」
東光坊はそれには答えず、「例の研師だがな、甲府にいた」と言った。
「研師?」と三郎右衛門は聞き返した。東光坊が何を言っているのかわからなかった。
「能登守の屋敷から書状を持って出た男じゃ」
「ああ、沼田から消えた男か。風摩が今度は甲府に行ったというのか」
そんな事、いまさら、どうでもいいじゃないかと思いながらも、三郎右衛門は東光坊の話に耳を傾けた。
「様子を探らせたら真田屋敷に入って行った」
「真田屋敷に忍び込んだのか」
「いや。裏門からじゃが堂々と入って行った」
「何だって、すると奴は‥‥‥」
「間違いない。真田の忍びじゃ」
「そんな馬鹿な‥‥‥奴は十年前から沼田にいたと言わなかったか」
「十年前と言えば、親父(円覚坊)がまだ生きていた。きっと、上杉の情報を得るため、親父が沼田に潜入させたに違いない」
「何という事だ。黒幕が安房守殿だったとは」
「わしらは安房守殿にうまく利用されたようじゃな」
「始めから月陰党の者に見つけられるように仕向けたというわけか」
「そういう事じゃ。だが、あの時、もし、能登守殿を庇って書状を隠していたら、お屋形様も安房守殿に疑われる事となったじゃろう」
「そうか。確かにな‥‥‥危ない所だった」
三郎右衛門の背筋を冷たいものが走った。あの安房守が裏でそんな事をしていたなんて信じたくはなかった。しかし、あの安房守なら、目的を達成するためには、それ位の事は平気でやりそうだとも思えた。
「海野一族のように成敗される事はないにしろ、信用を失って遠ざけられる事となろう。やがては口実を設けて、草津を追われたかもしれん。今後、気をつけなくてはならんぞ」
「恐ろしい人だ‥‥‥」
『物事には必ず、表と裏がある。裏側もしっかりと見極めなくてはならん』と若い頃、旅をしていた時、何度も東光坊に言われたのを突然、思い出した。確かにその通りだった。能登守も安房守も表側しか見ていなかった。今後、草津を守って行くには、裏側もしっかりと見極めなければならないと肝に銘じた。
「恐ろしくなくては今の世は生きては行けんという事じゃ」と東光坊は言った。
「まさしくな」と三郎右衛門はうなづいた。「しかし、哀れな事だ。能登守殿も中務少輔殿も無実の罪を背負って死んで行った」
「謀叛はなかったにしろ、やり過ぎた事は確かじゃよ。人の上に立つ者は下にいる者たちの面倒を見なければならん。威張ってばかりいたら、誰もついては行かなくなる。二人共、六十を過ぎたら、さっさと隠居すべきだったんじゃよ」
倉内城代だった海野能登守の代わりに矢沢薩摩守が入り、沼田にいた能登守の家臣たちは真田家の家臣となった。そして、利根郡の事は真田安房守に任される事となり、武田家の城として城代を置いていた倉内城は安房守の持ち城となった。
岩櫃城は今まで通り、武田家の持ち城として城代が置かれ、湯本三郎右衛門、西窪治部少輔、池田甚次郎、鎌原孫次郎、矢沢三十郎の五人が任命された。海野長門守の家臣たちは吾妻七騎と同じように武田家の家臣に組み込まれた。
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