2025 .02.02
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2008 .01.21
19.沼田攻撃
1
北条軍が上野から引き上げた後、真田喜兵衛は着実に勢力を広げて行った。中之条古城、横尾八幡山城、尻高城を攻め取り、中山城、名胡桃城、箱崎城を調略をもって味方に引き入れた。小川城も時間の問題と言える。柏原城も攻め落とし、後は沼田の倉内城、白井城、廐橋城を奪い取れば、東上野へと進出できる事となった。廐橋城は箕輪の内藤修理亮が担当し、倉内城は喜兵衛が担当している。両城が武田方となれば、挟まれた白井城は自然に落ちるだろうと見られた。
柏原城が落ちた後、白井勢が攻めて来る事もなく、表向きは平穏な日々が流れた。そんな頃、信濃仁科郷(大町市)より武田のお屋形様の弟、仁科五郎(盛信)が草津にやって来た。前もって知らせを受けていたので、三郎右衛門は金太夫の宿屋に部屋の用意をして待ち受けた。
仁科五郎は十人の供を連れただけの軽装でやって来た。その供の中に二年前、御寮人様を連れて来た落合九郎兵衛がいた。
「その節はえらいお世話になった。後で御寮人様から聞いたんじゃが、そなたはすべてをご存じだったそうじゃのう。二人とも心から喜んでおったわ。ありがとう」
「いえ。お客様に楽しんでいただくのが、わたしどもの勤めでございますから」
「そうか、そうか。今回、我らのお屋形様は高遠に移る事になった。織田徳川に対する前線に行くわけじゃ。これからはのんびりもできまいと思われ、草津に来たんじゃよ。よろしく頼むぞ」
九郎兵衛は陽気に笑った。前回は御寮人様を守る任務があったので緊張していたが、今回はお屋形様のお供なので、いくらか気が楽なのかもしれなかった。
「どうぞごゆっくりして下さいませ」と三郎右衛門は丁寧に頭を下げ、充分な持て成しができるように九郎兵衛から五郎の好みを聞いた。五郎が酒好きなのは知っていたが、やはり、女の方も好きらしい。三郎右衛門は草津中の遊女屋から美しい女たちを集めて宴に出させるように金太夫に命じた。すでに、金太夫の宿屋には里々たちが仲居として入り、仁科五郎を陰ながら守る手筈となっていた。
村内を見て歩いた後、滝の湯に入った五郎は美女たちに囲まれて御機嫌で酒を飲んでいた。三郎右衛門も五郎に勧められるまま宴に加わり、五郎の隣に座っていた。
「やはり、いい所だ。お松やお菊の話を聞いて、俺も行きたくなってな、思い切って出て来たんだ。来てよかったよ」
「お松御寮人様は出家されたまま甲府におられるのですか」
「うむ。今は甲府にいるが、俺は高遠に呼ぼうと思っているんだ。出家したとはいえ、甲府にいると何かとうるさいらしい。越後と同盟して、誰かが喜平次のもとに嫁がなくてはならなくなった。お屋形様はお松にも声を掛けたらしい。お松はきっぱりと断り、お菊が行く事になったんだが、お菊にとって、それが幸せなのかどうか、俺にはわからん」
五郎は遠くを見つめるような目をして首を振った。三郎右衛門は二年前のお菊御寮人様の面影を思い出していた。あの時はまだ十五歳で、あどけない顔をしていた。
「お菊御寮人様がご自分で行くとおっしゃったのですか」と三郎右衛門は聞いた。
五郎はうなづいた。「あいつも嫁に行く事など諦めていたからな。突然、湧いて来た話に戸惑ったようだが、あいつはお松のように出家するような度胸はない。自分が行くしかないと諦めたんだろうな。喜平次という男、滅多に口も利かず、何を考えているのかわからん男だという。苦労すると思うが、幸せになってくれと願うしかないわ」
その夜は疲れたと言って、五郎は気に入った遊女を連れて早めに休んでしまった。
次の日は天気がよかったので、三郎右衛門が案内して白根山に登った。山の中の仁科郷で育った五郎は山登りが好きらしく、まるで、山伏のように足が達者だった。
その日、落合九郎兵衛は雅楽助の案内で岩櫃城に向かった。九郎兵衛は海野能登守の弟子だという。前回来た時、是非とも会いたかったが、御寮人様を放って勝手な事はできないと諦めた。今回は五郎に許可を得、喜んで師匠に会いに出掛けた。能登守は吾妻に帰って来る前、甲府にいた事があり、九郎兵衛はその時、弟子となって能登守から新当流の武術を習っていた。
白根登山から帰ると五郎は温泉に入って汗を流し、その夜も美女に囲まれて酒を飲んだ。五郎は三郎右衛門と酒を飲みながら身の上話をポツリポツリと語り始めた。
五郎が仁科氏を継いだのは十一歳の時で、甲府から仁科郷に移ったという。移った当時は、仁科氏を滅ぼした武田に反発する者が多くて大変だったが、領民たちのために働き、何とか領内をまとめて来た。今ではお屋形様として、一応、認められたらしいと笑った。木崎湖畔に建つ森城の城主として海津城の春日弾正と共に越後に対する守りを固めて来た五郎は、上杉と武田が同盟した事によって、その役目を終え、新たに織田徳川に対する守りを固めるために高遠城へ移動する事になった。仁科郷の方は本拠地として家老の等々力次右衛門が留守を守る事になっているという。
五郎は酒が強かった。年齢は三郎右衛門と同じ位かと思っていたが、話を聞いているうちに三つ年下の二十三歳だとわかった。うまい酒だと言いながら五郎は満足そうに盃を重ねた。その酒は小野屋から取り寄せた伊豆の銘酒、江川酒だった。五郎は御機嫌で、昨夜とは違う遊女を誘って寝間に入った。
次の日は生憎の雨降りで五郎は温泉巡りで一日を過ごし、夜になるとまた宴を開いた。その夜は仲居に扮していた里々たちが芸を披露した。里々の横笛、ミナヅキの琴、サツキの鼓に合わせて、フミツキ、ハヅキ、ナガツキ、そして、もう一人、見た事もない女が華麗に踊った。
「ほう、さすがだな。仲居たちも一流の芸を身につけているとは、草津で一番の宿屋だけの事はある。見事だ」
五郎はうっとりしながら、フミツキたちの踊りに堪能した。三郎右衛門も彼女たちの踊りを見るのは初めてで、大したものだと感激した。殺されたムツキたちも北条家の武将たちに、あのような踊りを披露したに違いない。そう思うと可哀想な事をしてしまったと改めて悔やまれた。
踊りが終わった後、五郎は盃を差し上げたいと言って仲居たちを呼んだ。仲居たちは一人づつ名を名乗り、遠慮しながら盃を頂戴した。見た事もない女はフウゲツと名乗った。三郎右衛門は驚いて、一瞬、身を引いた。よく見ると風月坊の女装姿だった。美女たちの中にいても決して見劣りしない程、女っぽかった。七人の美女たちは丁寧に頭を下げると引き下がって行った。
「仲居にしておくには勿体ない女子たちだな」五郎は仲居たちの後ろ姿を見送りながら言った。
「なにせ、この宿には身分の高いお客様が御利用いたしますので、それなりの仲居を揃えておかなければならないのです」と三郎右衛門は説明した。
「成程な。今まで、どのようなお方がこの宿に泊まったのだ」
五郎は興味深そうな目を仲居たちから三郎右衛門へと移した。
「武田家の武将、あるいは北条と同盟していた頃は北条家の武将も利用いたしました。わたしが家督を継いでからはお松御寮人様とお菊御寮人様が一番、高貴なお方でございました」
「あの二人が一番か」と五郎は笑った。
「なにせ、高貴な御婦人方が来られたのは初めてでございまして、どう接待したらいいのか、まごついてしまいました」
「そうだったのか。そいつはすまなかった。草津の湯は一体、いつ頃、開かれたのだ」
「言い伝えでは天平年間(七二九~七四八年)に行基菩薩(ぎょうきぼさつ)殿が開いたと言われております」
「天平年間とはいつの事だ」
「およそ八百年程前の事でございます」
「ほう、八百年か。この宿屋はその当時から続いておるのか」
女装した風月坊とハヅキが新しい酒を運んで来た。五郎はチラチラと仲居たちを見ていた。五郎が風月坊を気に入りはしないかと冷や冷やしながら三郎右衛門は話を続けた。
「その当時、宿屋があったかどうかはわかりません。湯本家の先祖が草津にいたかどうかもわかりません。建久四年(一一九三年)、源頼朝殿が三原野の狩りに来られましたおり、草津に上ってまいりました。その時、頼朝殿の御案内をした者がわたしどもの先祖で、頼朝殿より湯本の姓と三日月の家紋を賜ったと言い伝えられております」
「ほう。頼朝殿といえば鎌倉に幕府を開いた源氏の大将だったな。その頼朝殿が草津に来ていたとは知らなかった」
「それ以後、湯本家は草津を守ってまいりました。その当時、鎌倉の武将たちが草津に来られたと思われますが記録には残っておりません。記録に残っております所では百年程前、本願寺の蓮如(れんにょ)上人様が来られたと聞いております。連歌師の宗祇(そうぎ)と宗長も来られたようでございます」
「おう、宗祇、宗長というのは聞いた事があるぞ。なあ、九郎兵衛」と五郎は岩櫃から戻って来た落合九郎兵衛に声を掛けた。
九郎兵衛は真っ赤な顔をして、うなづいた。顔付きに似合わず、酒はあまり強くないようだった。
「連歌をする者にとって、宗祇殿、宗長殿というお方は神様のような存在でございます」
「九郎兵衛には神様が何人もいるんだよ」と言いながら五郎は楽しそうに笑った。
「なあ、おぬしの神様を湯本殿に教えてやれ」
「はい。新当流の流祖、塚原卜伝殿、茶の湯の開祖、村田珠光殿、それに、先代の武田のお屋形様でございます」
「もう一人おるだろう」
「はっ、さて、どなたであったろう」九郎兵衛は無骨な指を折りながら考えていたがわからないようだった。
「おぬしのかみさんだよ」と五郎は言った。
「ははっ、もっともで。恐ろしい神様でございます」
九郎兵衛の言った事に皆、大笑いをした。
「九郎兵衛は俺の傅(もり)役でな。様々な事を教わった」
「すると、仁科殿も新当流を」
「ああ、厳しく仕込まれたわ」
「岩櫃の師匠より聞いたんじゃが、湯本殿は新陰流の達人らしいのう」と九郎兵衛が言った。
「ほう、新陰流か。新陰流といえば上泉伊勢守殿だな。噂は聞いている」
三郎右衛門が京都で修行を積んだと言うと、是非、聞かせてくれとせがまれ、三郎右衛門は京都の話を聞かせた。話が織田信長の事に及ぶと五郎は真剣な眼差しで聞いていた。
翌朝、挨拶に行くと五郎は三郎右衛門を近くまで呼び寄せ、「お松から聞いたんだが、山の中にいい温泉があるそうだな。そこに連れて行ってはくれんか」と言う。
三郎右衛門がうなづくと、
「頼みがあるんだが、仲居のハヅキを連れて行くわけにはいかんかな」と五郎は照れ臭そうに言った。
「ハヅキですか」
「うむ。無理ならいいのだが」
昨夜、五郎は遊女を誘わなかった。おかしいと思っていたが、どうやら、ハヅキが気に入ったらしい。
「本人に聞いてみます」
「頼む」と言いながら五郎は笑った。その笑顔は武田家の武将ではなく、二十三歳の若者の笑顔だった。三郎右衛門は五郎の素顔を見たような気がした。
里々とも相談し、ハヅキの気持ちを聞くと、喜んで承諾した。三郎右衛門は五郎と九郎兵衛と小姓の清水栄次郎、そして、里々、ハヅキ、ナガツキ、九郎兵衛のお気に入りの遊女、深雪を連れ、山中の湯小屋へと向かった。小姓の栄次郎はまだ十五歳の若武者で、なかなかの美男子だった。来た当初より遊女たちに騒がれていた。それでも、本人は知らぬ顔をして常に五郎の近くに控えていた。
ハヅキが湯本家の重臣の娘だと思い込んでいた五郎は、ハヅキが領内の農民の娘だと知って喜んだ。ハヅキは里々に言われた通り、月陰党の事は隠し、十歳より金太夫の宿屋に奉公して、様々な芸事を習ったと言った。
三郎右衛門は五郎に誘われ、共に湯に浸かった。栄次郎と九郎兵衛は恐れ多いと遠慮した。当然、女たちも遠慮して入らなかった。宿から用意して来た弁当と酒を飲み、楽しい一時を過ごした。
五郎は湯小屋が気に入り、翌日は里々に案内させ、ハヅキだけを連れて出掛けた。帰って来ると、五郎は三郎右衛門を呼び、ハヅキを忘れる事はできない。できれば、このまま連れて帰りたいと言った。里々から二人の様子を聞くと、五郎とハヅキは仲良く温泉に浸かり、五郎が話す仁科郷の事など興味深そうに聞いていたという。
三郎右衛門は東光坊を呼び、里々も交えて相談した。武田家中に湯本家の忍びが入るのも今後のためにはいいかもしれないという事となり、連絡役として誰かを密かにつける事に決まった。
五日間、草津に滞在した五郎は、「いい骨休みになった。高遠に行ってからも暇を見つけてまた来よう。その時はお松も連れて来るよ」と機嫌よく言って、ハヅキを連れて帰って行った。その後を山伏姿の水月坊と光月坊が従った。
草津の『万屋』にいた水月坊は東光坊の話を聞くと真っ先に自分が行くと言い出した。ハヅキの事が好きなのかと聞くと、そうではなく、お松御寮人様にもう一度、会いたいという。
水月坊はお松御寮人様が甲府に行って出家した事を知らなかった。まだ、仁科郷にいるものと思っていた。東光坊が出家した事を告げると水月坊は驚き、「何という事を‥‥‥」と嘆いた。
「仁科殿は今度行く事となった高遠に、お松殿を呼ぶと言っておった。もしかしたら、会えるかもしれんぞ」
「出家しても構いません。お松御寮人様を陰ながら守ってさし上げたい」と水月坊は顔を赤くして言った。
「もし、お松殿が高遠に来られたら、守ってやる事じゃな」と東光坊が冗談半分に言うと、「はい、命に代えましてもお守り申し上げます」と真面目な顔付きで答えた。
水月坊は浮き浮きしながら、光月坊と共に仁科郷に出掛けて行った。
八月の末、箕輪城主の内藤修理亮は廐橋城の北条安芸入道を内応させる事に成功した。安芸入道は伜の丹後守を越後の戦で亡くし、本拠地の北条城も奪われてしまった。七十歳近くになって何もかも失った安芸入道は武田を相手に戦をする気力もなく、内藤修理亮と玉村の宇津木左京亮の誘いに乗ったものと思われる。
九月になり、真田喜兵衛が甲府から帰り、草津にやって来た。真田の兵たちは先に岩櫃城に向かったが、久し振りに温泉に入りたくなってやって来たという。
「仁科殿が来たらしいな」と滝の湯に浸かりながら喜兵衛は言った。
「はい。高遠城に移るそうですね」
「うむ。織田徳川と戦うにあたって仁科殿を遊ばせておくわけには行かないからな」
小雨が降っているせいか、滝の湯は珍しくすいていて、喜兵衛と三郎右衛門の二人だけだった。
「北条を敵に回してしまい、織田徳川に集中できなくなりましたね」と三郎右衛門は言った。
「今更、言っても仕方あるまい。何とか、今の状況を乗り越えなくてはならない」
「武田のお屋形様に嫁いだ北条の奥方様はどうなるのです。北条に返すのですか」
「いや。お屋形様は返すおつもりだったが、奥方様はお断りになったそうだ。姫様もお生まれになられ、実家とはきっぱり縁を切ると言ったらしい。奥方様と共に甲府にいた北条家の者たちは奥方様と共に残った者もいるし、帰った者もいる」
「そうでしたか。実家と縁を切って残られましたか」
「奥方様がおられる限り、いつの日か、また、北条と武田が結ぶ事もあるかもしれん。先の事はまったくわからんからな」
「そうですね。先の事はわかりません」
「わしらのやるべき事は上野の平定だ。上野から北条を追い出さなくてはならん」
「いよいよ、沼田攻撃ですね」
「うむ。今回の作戦は武田のお屋形様の伊豆攻撃と同時に行なわれる。北条軍は武田の大軍を迎え撃つため、伊豆に兵を集中させ、上野に兵を送る事はできないだろう。沼田を落とす絶好の機会だが、まだ時期が早過ぎる。まずは利根川以西を固めなければならん。名胡桃城、小川城、そして川田城を落とすのが、今回の目的だ。利根川の渡河点を手に入れん事には沼田は攻められんからな。中山にいる叔父御(矢沢薩摩守)が婿殿(海野中務少輔)と一緒にうまくやっているらしい」
三郎右衛門が薩摩守の事を聞こうとしたら、女たちの笑い声が聞こえて来た。声のする方を見ると、若い娘が四人、キャーキャー騒ぎながら入って来た。湯船の中を見て、すいていてよかったと言い合いながら着物を脱ぎ始めた。草津の娘たちではなかった。湯治客らしい。娘たちはキャーキャー言いながら裸になると湯船に入って来た。
喜兵衛は目を点にして娘たちを眺めていた。三郎右衛門の視線に気づくと、照れ臭そうに笑い、「目の保養だな」と言って、楽しそうに滝を浴びている若々しい娘たちの姿を堪能した。
翌朝早く、三郎右衛門は喜兵衛の供をして岩櫃に向かった。三郎右衛門の兵たちも昨日のうちに岩櫃城に入っていた。
軍議の席で、上杉が味方となり北条が敵となったので、新たに北条に対する守りを固めるための配置替えが行なわれた。北を守っていた者たちは沼田攻めに加えられたが、東を守っていた者たちはそのままという事になった。三郎右衛門は兵を引き連れて柏原城に入り、守りを固めた。
その頃、北条相模守(氏政)は武田氏を挟撃しようと徳川三河守(家康)と同盟を結んでいた。
その日、落合九郎兵衛は雅楽助の案内で岩櫃城に向かった。九郎兵衛は海野能登守の弟子だという。前回来た時、是非とも会いたかったが、御寮人様を放って勝手な事はできないと諦めた。今回は五郎に許可を得、喜んで師匠に会いに出掛けた。能登守は吾妻に帰って来る前、甲府にいた事があり、九郎兵衛はその時、弟子となって能登守から新当流の武術を習っていた。
白根登山から帰ると五郎は温泉に入って汗を流し、その夜も美女に囲まれて酒を飲んだ。五郎は三郎右衛門と酒を飲みながら身の上話をポツリポツリと語り始めた。
五郎が仁科氏を継いだのは十一歳の時で、甲府から仁科郷に移ったという。移った当時は、仁科氏を滅ぼした武田に反発する者が多くて大変だったが、領民たちのために働き、何とか領内をまとめて来た。今ではお屋形様として、一応、認められたらしいと笑った。木崎湖畔に建つ森城の城主として海津城の春日弾正と共に越後に対する守りを固めて来た五郎は、上杉と武田が同盟した事によって、その役目を終え、新たに織田徳川に対する守りを固めるために高遠城へ移動する事になった。仁科郷の方は本拠地として家老の等々力次右衛門が留守を守る事になっているという。
五郎は酒が強かった。年齢は三郎右衛門と同じ位かと思っていたが、話を聞いているうちに三つ年下の二十三歳だとわかった。うまい酒だと言いながら五郎は満足そうに盃を重ねた。その酒は小野屋から取り寄せた伊豆の銘酒、江川酒だった。五郎は御機嫌で、昨夜とは違う遊女を誘って寝間に入った。
次の日は生憎の雨降りで五郎は温泉巡りで一日を過ごし、夜になるとまた宴を開いた。その夜は仲居に扮していた里々たちが芸を披露した。里々の横笛、ミナヅキの琴、サツキの鼓に合わせて、フミツキ、ハヅキ、ナガツキ、そして、もう一人、見た事もない女が華麗に踊った。
「ほう、さすがだな。仲居たちも一流の芸を身につけているとは、草津で一番の宿屋だけの事はある。見事だ」
五郎はうっとりしながら、フミツキたちの踊りに堪能した。三郎右衛門も彼女たちの踊りを見るのは初めてで、大したものだと感激した。殺されたムツキたちも北条家の武将たちに、あのような踊りを披露したに違いない。そう思うと可哀想な事をしてしまったと改めて悔やまれた。
踊りが終わった後、五郎は盃を差し上げたいと言って仲居たちを呼んだ。仲居たちは一人づつ名を名乗り、遠慮しながら盃を頂戴した。見た事もない女はフウゲツと名乗った。三郎右衛門は驚いて、一瞬、身を引いた。よく見ると風月坊の女装姿だった。美女たちの中にいても決して見劣りしない程、女っぽかった。七人の美女たちは丁寧に頭を下げると引き下がって行った。
「仲居にしておくには勿体ない女子たちだな」五郎は仲居たちの後ろ姿を見送りながら言った。
「なにせ、この宿には身分の高いお客様が御利用いたしますので、それなりの仲居を揃えておかなければならないのです」と三郎右衛門は説明した。
「成程な。今まで、どのようなお方がこの宿に泊まったのだ」
五郎は興味深そうな目を仲居たちから三郎右衛門へと移した。
「武田家の武将、あるいは北条と同盟していた頃は北条家の武将も利用いたしました。わたしが家督を継いでからはお松御寮人様とお菊御寮人様が一番、高貴なお方でございました」
「あの二人が一番か」と五郎は笑った。
「なにせ、高貴な御婦人方が来られたのは初めてでございまして、どう接待したらいいのか、まごついてしまいました」
「そうだったのか。そいつはすまなかった。草津の湯は一体、いつ頃、開かれたのだ」
「言い伝えでは天平年間(七二九~七四八年)に行基菩薩(ぎょうきぼさつ)殿が開いたと言われております」
「天平年間とはいつの事だ」
「およそ八百年程前の事でございます」
「ほう、八百年か。この宿屋はその当時から続いておるのか」
女装した風月坊とハヅキが新しい酒を運んで来た。五郎はチラチラと仲居たちを見ていた。五郎が風月坊を気に入りはしないかと冷や冷やしながら三郎右衛門は話を続けた。
「その当時、宿屋があったかどうかはわかりません。湯本家の先祖が草津にいたかどうかもわかりません。建久四年(一一九三年)、源頼朝殿が三原野の狩りに来られましたおり、草津に上ってまいりました。その時、頼朝殿の御案内をした者がわたしどもの先祖で、頼朝殿より湯本の姓と三日月の家紋を賜ったと言い伝えられております」
「ほう。頼朝殿といえば鎌倉に幕府を開いた源氏の大将だったな。その頼朝殿が草津に来ていたとは知らなかった」
「それ以後、湯本家は草津を守ってまいりました。その当時、鎌倉の武将たちが草津に来られたと思われますが記録には残っておりません。記録に残っております所では百年程前、本願寺の蓮如(れんにょ)上人様が来られたと聞いております。連歌師の宗祇(そうぎ)と宗長も来られたようでございます」
「おう、宗祇、宗長というのは聞いた事があるぞ。なあ、九郎兵衛」と五郎は岩櫃から戻って来た落合九郎兵衛に声を掛けた。
九郎兵衛は真っ赤な顔をして、うなづいた。顔付きに似合わず、酒はあまり強くないようだった。
「連歌をする者にとって、宗祇殿、宗長殿というお方は神様のような存在でございます」
「九郎兵衛には神様が何人もいるんだよ」と言いながら五郎は楽しそうに笑った。
「なあ、おぬしの神様を湯本殿に教えてやれ」
「はい。新当流の流祖、塚原卜伝殿、茶の湯の開祖、村田珠光殿、それに、先代の武田のお屋形様でございます」
「もう一人おるだろう」
「はっ、さて、どなたであったろう」九郎兵衛は無骨な指を折りながら考えていたがわからないようだった。
「おぬしのかみさんだよ」と五郎は言った。
「ははっ、もっともで。恐ろしい神様でございます」
九郎兵衛の言った事に皆、大笑いをした。
「九郎兵衛は俺の傅(もり)役でな。様々な事を教わった」
「すると、仁科殿も新当流を」
「ああ、厳しく仕込まれたわ」
「岩櫃の師匠より聞いたんじゃが、湯本殿は新陰流の達人らしいのう」と九郎兵衛が言った。
「ほう、新陰流か。新陰流といえば上泉伊勢守殿だな。噂は聞いている」
三郎右衛門が京都で修行を積んだと言うと、是非、聞かせてくれとせがまれ、三郎右衛門は京都の話を聞かせた。話が織田信長の事に及ぶと五郎は真剣な眼差しで聞いていた。
翌朝、挨拶に行くと五郎は三郎右衛門を近くまで呼び寄せ、「お松から聞いたんだが、山の中にいい温泉があるそうだな。そこに連れて行ってはくれんか」と言う。
三郎右衛門がうなづくと、
「頼みがあるんだが、仲居のハヅキを連れて行くわけにはいかんかな」と五郎は照れ臭そうに言った。
「ハヅキですか」
「うむ。無理ならいいのだが」
昨夜、五郎は遊女を誘わなかった。おかしいと思っていたが、どうやら、ハヅキが気に入ったらしい。
「本人に聞いてみます」
「頼む」と言いながら五郎は笑った。その笑顔は武田家の武将ではなく、二十三歳の若者の笑顔だった。三郎右衛門は五郎の素顔を見たような気がした。
里々とも相談し、ハヅキの気持ちを聞くと、喜んで承諾した。三郎右衛門は五郎と九郎兵衛と小姓の清水栄次郎、そして、里々、ハヅキ、ナガツキ、九郎兵衛のお気に入りの遊女、深雪を連れ、山中の湯小屋へと向かった。小姓の栄次郎はまだ十五歳の若武者で、なかなかの美男子だった。来た当初より遊女たちに騒がれていた。それでも、本人は知らぬ顔をして常に五郎の近くに控えていた。
ハヅキが湯本家の重臣の娘だと思い込んでいた五郎は、ハヅキが領内の農民の娘だと知って喜んだ。ハヅキは里々に言われた通り、月陰党の事は隠し、十歳より金太夫の宿屋に奉公して、様々な芸事を習ったと言った。
三郎右衛門は五郎に誘われ、共に湯に浸かった。栄次郎と九郎兵衛は恐れ多いと遠慮した。当然、女たちも遠慮して入らなかった。宿から用意して来た弁当と酒を飲み、楽しい一時を過ごした。
五郎は湯小屋が気に入り、翌日は里々に案内させ、ハヅキだけを連れて出掛けた。帰って来ると、五郎は三郎右衛門を呼び、ハヅキを忘れる事はできない。できれば、このまま連れて帰りたいと言った。里々から二人の様子を聞くと、五郎とハヅキは仲良く温泉に浸かり、五郎が話す仁科郷の事など興味深そうに聞いていたという。
三郎右衛門は東光坊を呼び、里々も交えて相談した。武田家中に湯本家の忍びが入るのも今後のためにはいいかもしれないという事となり、連絡役として誰かを密かにつける事に決まった。
五日間、草津に滞在した五郎は、「いい骨休みになった。高遠に行ってからも暇を見つけてまた来よう。その時はお松も連れて来るよ」と機嫌よく言って、ハヅキを連れて帰って行った。その後を山伏姿の水月坊と光月坊が従った。
草津の『万屋』にいた水月坊は東光坊の話を聞くと真っ先に自分が行くと言い出した。ハヅキの事が好きなのかと聞くと、そうではなく、お松御寮人様にもう一度、会いたいという。
水月坊はお松御寮人様が甲府に行って出家した事を知らなかった。まだ、仁科郷にいるものと思っていた。東光坊が出家した事を告げると水月坊は驚き、「何という事を‥‥‥」と嘆いた。
「仁科殿は今度行く事となった高遠に、お松殿を呼ぶと言っておった。もしかしたら、会えるかもしれんぞ」
「出家しても構いません。お松御寮人様を陰ながら守ってさし上げたい」と水月坊は顔を赤くして言った。
「もし、お松殿が高遠に来られたら、守ってやる事じゃな」と東光坊が冗談半分に言うと、「はい、命に代えましてもお守り申し上げます」と真面目な顔付きで答えた。
水月坊は浮き浮きしながら、光月坊と共に仁科郷に出掛けて行った。
八月の末、箕輪城主の内藤修理亮は廐橋城の北条安芸入道を内応させる事に成功した。安芸入道は伜の丹後守を越後の戦で亡くし、本拠地の北条城も奪われてしまった。七十歳近くになって何もかも失った安芸入道は武田を相手に戦をする気力もなく、内藤修理亮と玉村の宇津木左京亮の誘いに乗ったものと思われる。
九月になり、真田喜兵衛が甲府から帰り、草津にやって来た。真田の兵たちは先に岩櫃城に向かったが、久し振りに温泉に入りたくなってやって来たという。
「仁科殿が来たらしいな」と滝の湯に浸かりながら喜兵衛は言った。
「はい。高遠城に移るそうですね」
「うむ。織田徳川と戦うにあたって仁科殿を遊ばせておくわけには行かないからな」
小雨が降っているせいか、滝の湯は珍しくすいていて、喜兵衛と三郎右衛門の二人だけだった。
「北条を敵に回してしまい、織田徳川に集中できなくなりましたね」と三郎右衛門は言った。
「今更、言っても仕方あるまい。何とか、今の状況を乗り越えなくてはならない」
「武田のお屋形様に嫁いだ北条の奥方様はどうなるのです。北条に返すのですか」
「いや。お屋形様は返すおつもりだったが、奥方様はお断りになったそうだ。姫様もお生まれになられ、実家とはきっぱり縁を切ると言ったらしい。奥方様と共に甲府にいた北条家の者たちは奥方様と共に残った者もいるし、帰った者もいる」
「そうでしたか。実家と縁を切って残られましたか」
「奥方様がおられる限り、いつの日か、また、北条と武田が結ぶ事もあるかもしれん。先の事はまったくわからんからな」
「そうですね。先の事はわかりません」
「わしらのやるべき事は上野の平定だ。上野から北条を追い出さなくてはならん」
「いよいよ、沼田攻撃ですね」
「うむ。今回の作戦は武田のお屋形様の伊豆攻撃と同時に行なわれる。北条軍は武田の大軍を迎え撃つため、伊豆に兵を集中させ、上野に兵を送る事はできないだろう。沼田を落とす絶好の機会だが、まだ時期が早過ぎる。まずは利根川以西を固めなければならん。名胡桃城、小川城、そして川田城を落とすのが、今回の目的だ。利根川の渡河点を手に入れん事には沼田は攻められんからな。中山にいる叔父御(矢沢薩摩守)が婿殿(海野中務少輔)と一緒にうまくやっているらしい」
三郎右衛門が薩摩守の事を聞こうとしたら、女たちの笑い声が聞こえて来た。声のする方を見ると、若い娘が四人、キャーキャー騒ぎながら入って来た。湯船の中を見て、すいていてよかったと言い合いながら着物を脱ぎ始めた。草津の娘たちではなかった。湯治客らしい。娘たちはキャーキャー言いながら裸になると湯船に入って来た。
喜兵衛は目を点にして娘たちを眺めていた。三郎右衛門の視線に気づくと、照れ臭そうに笑い、「目の保養だな」と言って、楽しそうに滝を浴びている若々しい娘たちの姿を堪能した。
翌朝早く、三郎右衛門は喜兵衛の供をして岩櫃に向かった。三郎右衛門の兵たちも昨日のうちに岩櫃城に入っていた。
軍議の席で、上杉が味方となり北条が敵となったので、新たに北条に対する守りを固めるための配置替えが行なわれた。北を守っていた者たちは沼田攻めに加えられたが、東を守っていた者たちはそのままという事になった。三郎右衛門は兵を引き連れて柏原城に入り、守りを固めた。
その頃、北条相模守(氏政)は武田氏を挟撃しようと徳川三河守(家康)と同盟を結んでいた。
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