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2017 .06.24
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7.瓶尻の合戦




 春になった。

 ナツメは来なかった。

 ナツメに会いに小田原まで行きたかったが、湯本家の当主となった今、そんな勝手な事はできなかった。

 善太夫はその年の秋までナツメを待っていた。ナツメはついに来なかった。伊勢屋の番頭は硫黄の取り引きにやって来たが、ナツメの事までは分からなかった。

 善太夫はまたもや、ナツメに期待を裏切られた。

 もう二度と、ナツメの事は考えるまいと強く心に誓った。

 翌年の春、鈴は男の子を産んだ。

 善太夫は初めての子供の誕生を喜び、家臣たちも跡継ぎの誕生に大喜びだった。その日は小雨村中で大騒ぎだったが、生まれた子はあっけなく、三日目に亡くなってしまった。喜びが大きかっただけに、悲しみはそれ以上だった。善太夫は亡くなった赤ん坊を抱きながら、持仏堂(じぶつどう)に三日間も籠もっていた。

 善太夫が子供を失った頃、小田原の北条氏康は駿河(静岡県)の今川義元、甲斐(山梨県)の武田晴信と三国同盟を結んだ。後方を固めた北条氏は本腰を入れて関東平定に乗り込んで来るかと思われたが、慎重な氏康は内政に力を注ぎ、家臣団を強化するのに充分な時間を要して、すぐに攻めては来なかった。

 氏康が上野(こうづけ)の国に攻めて来たのは、それから一年後の天文(てんぶん)二十四年(1555年)の春だった。善太夫ら吾妻(あがつま)勢は箕輪城にて待機していた。

 北条軍は怒涛(どとう)の勢いで廐橋(うまやばし)城を落とし、北上して沼田の倉内城も攻め落とした。

 北条氏の進攻によって、上野の国は利根川を境に東と西に分けられ、東側は北条方となり、西側は長野信濃守を中心に北条氏に敵対するという形になった。利根川以東にある上泉城も北条方にならざるを得ない立場となり、伊勢守も北条氏に降伏して、長野氏と敵味方に分かれてしまった。

 北条氏は利根川の東側を固めると勝鬨(かちどき)をあげながら引き上げて行った。

 善太夫らは肩透かしをくらった格好となり、一戦も交えずに本拠地に帰った。

 越後に逃げた管領上杉憲政は、長尾景虎に管領職(かんれいしき)と上杉姓を譲り、関東の地を平定してくれと頼んだ。景虎は憲政の頼みを喜んで引き受けた。しかし、景虎としても、すぐに関東に進出する事はできなかった。武田晴信に追われた村上義清が越後に逃げて来て、景虎に助けを求めていた。

 景虎は関東に進出する以前に、晴信を倒さなくてはならなかった。景虎と晴信は信濃の川中島(長野市)にてぶつかった。第一回の合戦が天文二十二年の秋、第二回の合戦が天文二十四年の秋、以後、景虎と晴信は三回も川中島にて合戦を行なう事となる。

 上野の国は越後の長尾氏、相模の北条氏、甲斐の武田氏という三大勢力に挟まれた格好となり、戦国の乱世はいよいよ本格化しようとしていた。

 箕輪の長野信濃守業政(なりまさ)は、長尾景虎を新しい管領と認め、飽くまでも北条氏康と戦うつもりでいた。長野氏の指揮下にあった吾妻郡の武士たちも長野氏に従う事となり、改めて同盟を結んだ。
 弘治(こうじ)三年(1557年)二月、信濃の善光寺の門前町より母親の兄、善太夫から見れば伯父が家族を連れて草津に逃げて来た。

 伯父は善光寺に所属していた商人だった。越後の海産物を中心に取り引きをしていたため、川中島で合戦が行なわれた時、越後の景虎に味方した。天文二十二年と二十四年の合戦の時は、景虎に保護され無事に乗り切る事ができた。しかし、今年の初め、武田軍が善光寺一帯を攻めて、善光寺は燃え、門前町は潰滅(かいめつ)してしまった。

 武田軍は善光寺に火を放つ前に、善光寺如来(にょらい)を初めとして仏像、仏具、財宝らをすべて奪い取って行ったという。晴信は善光寺を甲府に移すといい、門前町の住人たちも皆、甲府に呼んだが、景虎に味方した伯父は甲府に行く事もできずに、財産すべてを失って、甥(おい)の善太夫を頼って草津に逃げて来たのだった。

 伯父から話を聞いて、あれだけ賑わっていた善光寺の門前町が消えてしまったなんて善太夫には信じられなかった。善光寺の近くの川中島にて、景虎と晴信が二度も合戦をした事は聞いていたが、善光寺は無事だろうと思っていた。

 善光寺には大勢の山伏や僧兵がいた。彼らが絶対に善光寺を守るだろうと信じていた。善光寺には古い歴史があって、古い体制のまま、新しい時代に対応する事ができなかったのかもしれない。管領の上杉氏が古い体制を守ろうとして、新しい勢力である北条氏に敗れたように、善光寺もまた敗れてしまった。

 善光寺は大名と同じように武力を擁(よう)して、多くの荘園(しょうえん)も持っていた。信濃の国を平定しようとしている晴信にとっては善光寺も邪魔な存在だったのだろう。善光寺を甲府に移す事によって、善光寺の荘園を横領して、武力を解体させようと考えたに違いない。また、善光寺に属している僧侶たちもそれぞれの利害によって分裂し、自滅して行ったのに違いなかった。

 可哀想な事だった。しかし、可哀想だけでは済まされない。善光寺の門前町がなくなったという事は善光寺参りもなくなるという事だった。善光寺参りがなくなれば、善光寺の行き帰りに草津に寄っていた客も来なくなる。管領がいなくなって、利根川以東が北条氏の勢力下となり、湯治客が減っているというのに、さらに客が減る事になる。領内に田畑が少なく、湯治客の落として行く銭に頼っている湯本家にとって死活問題と言えた。

 善太夫は伯父の家族をとりあえず、湯宿内の屋敷に入れて、宿屋を手伝って貰う事にした。二人の息子は本人たちの希望通り、家臣に取り立てる事になった。

 三月、善太夫ら吾妻勢は箕輪城に集結した。

 北条氏康と同盟した甲斐の武田晴信が攻めて来るという。

 四月になって、善太夫らは碓氷(うすい)峠に向けて進攻した。

 長野軍と武田軍は瓶尻(みかじり、松井田町)にてぶつかり、激しい戦となった。両軍とも一歩も譲らず、多くの戦死者を出しながらも、敵に背を見せなかった。

 善太夫も敵将の首をいくつも上げる活躍をしたが、何人もの家臣を失っていた。

 目の前で家臣を殺され、カッとなって善太夫は敵の武将を追いかけた。ようやく、追い付いて、敵を馬から薙ぎ倒して組打ちとなり、見事、首を掻き切った。

 馬にまたがって回りの状況を眺め、深追いしすぎたかと思った時、右横から矢が飛んで来た。一の矢は太刀でたたき落としたが、二の矢を避ける事ができず、矢は右太股(ふともも)に突き刺さった。馬首を回して、矢の飛んで来た方に突っ込もうとした時、今度は四方から矢が飛んで来た。

 善太夫は横腹に激痛を感じ、馬から転げ落ちた。

 近付いて来る鎧(よろい)の音が聞こえて、起き上がろうとしたが、体はいう事を聞かなかった。

 俺もいよいよ最期か‥‥‥と思いながら気を失った。




 目を覚ますと、どこかの家の中で寝ていた。

 体のあちこちが痛かったが、まだ、首と胴はつながっていた。

「ここはどこだ」とつぶやくと、頭の上から声が返って来た。

「お目覚めでございますか」

 女の声だった。

 何となく、懐かしい声だなと思っていると、その声は、善太夫様と自分の名を呼んだ。

「よかった」と女はほっとしたように言った。

 女を見ようと顔を動かそうとしたが無理だった。首の後ろから背中に激痛が走って、善太夫はうめき声を上げ、顔を歪めた。

「大丈夫?」と女の方から善太夫の顔をのぞき込んで来た。

 ナツメだった。

「ここは一体、どこだ」と善太夫はまた聞いた。

 ナツメは心配そうな顔をして、「ここは安全でございます」と言った。

「どうして、ここにナツメが‥‥‥わしは戦をしていたはずだ」

「はい。戦場に血まみれになって倒れている所を小野屋の者たちに助けられたのです」

「小野屋? 商人がどうして戦場にいるんだ」

「戦に巻き込まれたのでございますよ」

「ナツメも巻き込まれたのか」

「いいえ。わたしはここに隠れておりました」

「ここはどこなんだ」

「農家です。住んでいた人たちが、戸締りをして逃げて行ったので、ちょっとお借りしました」

「すると、ここは戦場の中なのか」

「もう、戦は終わりました。武田軍は信州に引き上げて行きました」

「わしらが勝ったのか」

 ナツメはうなづいた。

「でも、勝ったというよりは、ただ、負けなかったと言った方がいいかもしれません。かなりの死傷者が出た模様です」

「そうか‥‥‥」

 ナツメは善太夫の顔の汗を拭いてくれた。

「あれから、どうしておった」と善太夫はナツメに聞いた。

「ごめんなさい」とナツメは謝った。「草津には行けませんでした」

「また、嫁に行ったのか」

 ナツメは首を振った。

「父親の具合が悪くなって、わたしも勝手な事ができなくなりました」

「そうか‥‥‥」

「父親は二年前に亡くなりました」

「そうだったのか‥‥‥孫太郎殿が跡を継いだのか」

「はい‥‥‥善太夫様、わたし‥‥‥」

 ナツメはそれ以上は言わずに、首を振った。そして、淋しそうに笑った。

 善太夫も笑おうとした。そして、安心したのか、眠りに落ちて行った。

 話し声で目を覚ますと、見慣れた家臣たちの顔が並んでいた。

「お屋形様!」と皆が同時に言った。

「御無事で何より‥‥‥」

 家老の宮崎十郎右衛門が泣いていた。

「ナツメはどうした」と善太夫は聞いたが、誰もナツメの事など知らなかった。

 善太夫は二日間、行方が分からず、家臣たちは戦場を捜し回っていた。なかば諦めて草津に帰ろうと思っていた時、年寄りの農夫に声を掛けられ、ここに連れて来られた。ここには老夫婦がいるだけで、善太夫の言う女などいなかったという。

 善太夫は夢でも見ていたのかと思った。それにしても生々しい夢だった。

 ナツメの事が忘れられず、生と死をさまよっている時、ナツメの夢を見ていたのだろうか‥‥‥

 善太夫には分からなかった。

 善太夫は動けるようになるまで、そこにお世話になっていた。

 ナツメの事がどうしても気掛かりだったが、老夫婦に聞いても知らないという。よく考えてみれば、こんな戦場にナツメがいるはずはなかった。

 あれは夢だったんだと善太夫は思い、老夫婦に礼を言うと草津に帰って行った。
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