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2017 .11.23
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19.海野能登守




 一年間、白根明神の宿坊に入り、山伏姿となって修行を積んだ三郎右衛門は見違えるように逞(たくま)しくなっていた。体付きが一回り以上も大きくなり、十五歳だというのに背丈は善太夫を越していた。善太夫は頼もしい跡継ぎができた事を心から喜んでいた。

 三郎右衛門は正月の数日を善太夫たちと過ごしただけで、東光坊と一緒に旅に出た。大和(やまと)の国(奈良県)の大峯(おおみね)山を登るのが目的だった。

 善太夫も大峯山には登りたかった。しかし、善太夫の旅は毎年、冬だったため、大峯山も雪におおわれて登る事はできなかった。

 吉野から大峯山を越えて熊野まで行く奥駈けの行(ぎょう)は山伏なら誰でも一度は経験したい修行だった。自分のできなかった奥駈けを、三郎右衛門には是非、経験させたかった。善太夫は喜んで、三郎右衛門を送り出した。

 武田信玄は永禄十一年(1568年)二月に、三河の徳川家康と手を結んで、共に駿河の今川氏を攻める事を約束した。信玄は着々と駿河攻略作戦を進めていた。

 利根川以西の上野の国が完全に武田領となったので、吾妻郡は平穏な日々が続いていた。

 四月の末、善太夫は岩櫃城に来ていた。

 甲府から一徳斎の三男、武藤喜兵衛が来たため、郡内の武士は皆、集まっていた。

 海野兄弟が岩櫃城代となって以来、武藤喜兵衛が年に一度、信玄の代理として甲府から様子を見に来る事になっていた。

 今回で二度目である。去年は初めての事で、どう迎えたらいいのか戸惑ったが、今年は順調に行った。

 喜兵衛は岩櫃城に入る前に草津に来ていた。去年の火災から無事に復興したかどうか、信玄に命じられて見に来たのだった。

 初めて草津を訪れた喜兵衛は新築した善太夫の湯宿に泊まって、湯の町の風俗を物珍しそうに眺めて歩いた。去年の今頃は大騒ぎだったが、あの後、大きな戦がなかったので、今年は負傷兵が押しかけて来る事もなく、無事に済みそうだった。

 喜兵衛は去年よりずっと広くなった滝の湯につかって、「さすがに噂に聞くだけの事はある。今度は仕事ではなく、のんびりと来たいものだ」と満足そうにうなづいた。

 その後、善太夫と共に岩櫃城に向かった喜兵衛は、集まった武士たちに信玄の言葉を伝え、城代の海野兄弟から郡内の状況や敵の情勢などを聞いて、三日間滞在すると機嫌よく帰って行った。
 善太夫は喜兵衛を送った後、海野能登守に呼ばれて能登守の屋敷に来ていた。

 能登守は以前、一岩斎の長男、越前守が住んでいた二の丸内の屋敷に住んでいた。越前守の屋敷に手を加えて、能登守らしい風流を演出していた。それ程広くはないが、池もある庭園には奇怪な形をした岩が並べられ、新築したばかりの渋い茶室が建っていた。

 善太夫はその茶室に案内されて、能登守の点(た)てたお茶を御馳走になった。

 床の間の掛け物、立て花、天目(てんもく)茶碗と能登守は立派なお茶道具で持て成してくれた。

「平和じゃのう」と眼下に広がる景色を眺めながら、能登守はしみじみと言った。

 いい眺めだった。

 吾妻川が新緑の中を蛇行しながら流れているのが見える。

 能登守の言うように、平和でのどかな眺めだった。

 山の中では、ほととぎすが鋭い声で鳴いていた。

「いつまで続くやら‥‥‥」と能登守は言って苦笑した。

「このまま、続いて欲しいものです」と善太夫は言った。

 能登守はうなづくと、「平和が一番じゃ。皆、顔付きが穏やかになって来る。長く続けばいいが、そうは行くまいのう」と手の中の茶碗を覗いた。

「また、管領殿が攻めて来ますか」と善太夫は聞いた。

「多分のう。それよりも、今度、信玄殿が駿河の今川を攻めれば、武田、北条、今川の三者同盟が壊れる事となる。そうなると、北条も敵となるかもしれん」

「武田と北条が争いを始めれば、また、上野の国は戦となりますね」

「利根川を挟んで、戦が始まるじゃろう。そして、戦死する者の多くは前線に立つ上野の武士たちじゃ。分かっていながらどうする事もできん‥‥‥情けないのう」

「今度は北条を相手に戦うのですか‥‥‥」そう言いながら、善太夫はナツメの事を思った。また、敵同士になってしまうのか‥‥‥

「武田と北条が戦っている隙を見て、越後から上杉も出て来るじゃろう」と能登守は言っていた。「三つ巴(どもえ)じゃな。わしとしては、この吾妻郡内において戦をさせないようにするのが精一杯じゃ」

 能登守はそう言うと、また、外の景色を眺めた。

「この間のう、知り合いの山伏がやって来て、上泉伊勢守殿の事を知らせてくれたわ」

「えっ!」と善太夫は驚いて能登守の顔を見つめ、「伊勢守殿は今、どちらへ」とすかさず聞いた。

 最近、やけに、伊勢守の事が気になっていた。

 上方(かみがた)に旅立つ前、伊勢守は愛洲移香斎の墓参りのため草津に来た事があった。五年前の事だった。その時、善太夫は上杉輝虎に備えて、長野原城に詰めていたので直接、話はできなかった。後で円覚坊から聞いたが、上方に行くといっても特に当てがあるわけではなく、足の向くまま、気の向くままの気楽な旅だと言っていたという。その後、伊勢守が甲府にて新陰流を披露し、信玄に大いに気に入られたという事は円覚坊より聞いていたが、それから、どこに行ったのかは分からなかった。

「大和の柳生(やぎゅう)の里におられるそうじゃ」と能登守は言った。

「柳生の里?」と善太夫は聞いた。各地を旅して回った善太夫にも柳生の里というのがどこだか分からなかった。

「なんでも笠置(かさぎ)山の近くだそうじゃ。そこから時折、京の都にも出掛けて行って、将軍様(義輝)に御指南していたそうじゃ。しかし、その将軍様もお亡くなりになってしまった‥‥‥将軍様は武芸がお好きじゃった。わしもお教えした事があったが、剣を持つと人が変わったかのように真剣じゃった‥‥‥将軍様も伊勢守殿から教えを受けられて、さぞ喜んだ事じゃろう‥‥‥」

「伊勢守殿が将軍様に‥‥‥」

 善太夫は伊勢守が将軍に武芸を教えたという事に驚いたが、それ以上に目の前にいる能登守が将軍に武芸を教えたという事の方がもっと驚きだった。

 以前、能登守の実名、輝幸の『輝』の字は、上杉輝虎の『輝』の字と同じように将軍義輝から賜(たまわ)ったという噂を聞いた事があったが、本人から聞いた事はなかったし、本人も話そうとはしなかった。しかし、能登守の今の話から、その噂も本当だったのかもしれないと思うと共に、能登守の武芸の腕を改めて思い知らされたような気がした。

「伊勢守殿は柳生の里で、柳生新左衛門(宗巌(むねよし)、後の石舟斎(せきしゅうさい))という男に新陰流のすべてを授けているそうじゃ」

「その柳生新左衛門という人が、伊勢守殿の後継者なのですか」

「そう聞いたがのう。詳しい事は分からん」

「伊勢守殿と一緒に上方に行かれた疋田(ひきた)殿と神後(じんご)殿はどうしたのでしょう」

「上方の武将たちに新陰流を教えているらしいのう。伊勢守殿が御所にて将軍様に新陰流を台覧(たいらん)なさったので、伊勢守殿の噂が京中に広まったそうじゃ。二人は伊勢守殿の代わりとして武将たちの屋敷を回っては、新陰流を教えているらしい。二人の他にも、大勢の弟子ができたらしいのう」

「そうでしょうね」

 伊勢守は武芸者として生きる決心をして、武将である事を捨てたのだろうか‥‥‥

 将軍様に指南するために京都に行ったのだろうか‥‥‥

 いや、それが目的ではないはずだ。伊勢守は何かをやろうとしているに違いない。

 新陰流の極意である『和』を実践するために‥‥‥

「わしは伊勢守殿が城を捨てて、浪人となって旅に出たと聞いた時、勿体ない事じゃと思ったが、今では新陰流の後継者が見つかってよかったと思っておる。愛洲移香斎殿が亡くなっても陰流が残るように、塚原卜伝殿が亡くなっても新当流が残るように、これで新陰流も残る。その新陰流によって、いつの日か、本物の平和が訪れるといいがのう」

「本物の平和‥‥‥」そう呟(つぶや)きながら善太夫は外の眺めに目をやった。今は平和そのものの眺めだが、まもなく、北から上杉の大軍が、南から北条の大軍が攻めて来るに違いない。本物の平和が訪れるとしても、まだまだ、ずっと先の事のように思えた。

「そなたも伊勢守殿の弟子だったそうじゃのう」と能登守が聞いた。

 善太夫は能登守を見るとうなづいて、「お世話になりました」と答えた。

「上泉の道場でしごかれたのか」

「はい。二冬だけでしたけど」

「二冬?」

「当時、宿屋の主人だったもので、冬住みの期間だけ、上泉の城下に住み込みました」

「そうじゃったのか‥‥‥岳山合戦の時の早川源蔵との一騎討ち、聞いたぞ。唐沢杢之助(からさわもくのすけ)はわしの弟子じゃった。杢之助を倒した源蔵を倒すとは、大した腕じゃのう」

「いえ、それ程でも」と善太夫は首を振った。

「いや、大したもんじゃ。杢之助はわしの弟子の中でも五本の指に入る程の腕じゃった」

「そうだったのですか」

「うむ‥‥‥わしの弟子たちの多くは皆、死んでしまった。わしは故郷に戻って来てすぐ、ここに道場を開いた。八年間、ここで新当流を教えたが、教え子たちのほとんどが戦死してしまったんじゃ‥‥‥わしはもう、武芸は教えまいと決心した。わしは信州に移ってから一年近く、誰にも武芸を教えなかったんじゃ。毎日、近所にあった禅寺で座禅を組んでいたんじゃよ。変わった和尚がおってのう。わしに向かって、心の中に迷いがあると言いおったわ。その迷いから逃げてはいかんとな。何を言うか、このくそ坊主めと腹を立てたんじゃが、確かに、和尚の言う通りじゃった。わしは毎日、その寺に通って座禅を組んでいたんじゃ。心の迷いを無くすためにのう。六十になるというのに情けない事じゃが、しょうがなかったんじゃ。武芸一筋に生きて来た、このわしにとって、武芸を否定する事はできなかったんじゃよ。わしは毎日、座禅を組んで考えた。そして、ようやく悟ったんじゃ。人を殺すための武芸ではなく、人を生かすための武芸というものをのう」

「人を生かすための武芸ですか‥‥‥」

「うむ。人を殺すための武芸じゃなくて、人を生かすための武芸じゃ」

「よく分かりませんが」

「説明するのは難しいがの、例えば、侍(さむらい)が道端で刀を抜いて喧嘩をしていたとする。それを止める事ができるのも武芸ではないかの。喧嘩を止める事はできても、戦を止める事は難しいかもしれん。しかし、誰かが止めなくてはならん。その誰かを育てるのが、わしのやるべき事じゃと悟ったんじゃ。わしはまた、武芸を教え始めた。わしの弟子のうちの誰かが、平和な世の中を作ってくれる事を願ってのう」

 能登守はそう言うとお茶をすすった。

 善太夫は能登守を見ながら、改めて、能登守の大きさを知ったような気がした。ただの武芸者ではなく、悟りの境地に達した禅僧と対しているような感じだった。それは、上泉伊勢守と最初に会った時、感じた気持ちに似ていた。

「一度、そなたも道場に来て、若い者たちに教えてやってくれんか。本物の武芸というものをのう」

「わたしはまだ、そこまでの境地には達しておりません」

「いや。そなたなら大丈夫じゃ。気楽な気持ちで来てくれ。たまには若い者たちと一緒に汗を流すのもいいもんじゃ」

「はい」

「杢之助の伜も今、わしの所で修行しておる。なかなか筋がいい。親父に負けない程の腕になるじゃろう」

「へえ、杢之助殿の」

「伜で思い出したが、伊勢守殿の御長男が戦死なされたとか言ってたのう」

「えっ、あの次郎(秀胤(ひでたね))殿が‥‥‥」

「うむ。北条方として参戦して討ち死になされたそうじゃ」

「そうでしたか‥‥‥」

「あまりにも多くの若者が死んで行った。あまりにも多過ぎるわ」

 能登守は急に苦笑すると、「最近、兄上(長門守)はやたらと村々のお堂を再建しておるわ」と言った。

「戦で焼かれたりしたお堂をのう。昔から寺を建てるのが好きじゃったが、兄上は兄上なりに領内の平和を願っているんじゃろのう‥‥‥ここを離れて信濃に行った頃は気落ちして、毎日、お経ばかり唱えておったが、ここに戻ってからは、また、張り切っておる。まあ、若い女房を貰ったからかもしれんがのう」

 その夜、善太夫は能登守と一緒に城下の遊女屋に行って、夜遅くまで酒を飲んでいた。
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