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2024 .03.19
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10.毘沙門天








 長篠で戦死した者たちの四十九日の法要も無事に済んだ八月の吉日、秋晴れの穏やかな日に、お松が真田から草津に嫁いで来た。付き添って来たのはお松の祖父、矢沢薩摩守と小草野新五郎だった。新五郎は人質になって真田にいた善太夫の長女、おナツと祝言を挙げていて、一つ年上だったが三郎右衛門の義弟という関係になってた。

 婚礼の儀は草津のお屋形で行なわれ、披露宴は善太夫の湯宿で行なわれた。花嫁姿のお松は緊張しているのか、人形のようにずっと黙っていた。化粧のせいか、去年、会った時よりずっと大人っぽくなり、美しい女になっていた。

 夜も更けて披露宴もお開きになり、お屋形に帰って、ようやく、二人きりになるとお松は笑って、「やっと、草津に参りました」と言った。

「ようこそ」と言って、三郎右衛門はお松の手を取った。

 お松は恥ずかしそうに三郎右衛門に手を預けたまま、うつむいた。

「初めて、そなたに会った時、そなたはまだ子供だった。あれから何年が経ったのだろう」

「五年余りが経ちました」とお松はすぐに答えた。「あの時、十一だったわたしも十六になりました」

「そうか、五年にもなるのか」

 あっと言う間の五年間だった。しかし、様々な事が変わってしまった。あの時、右腕を失って真田で療養していた円覚坊はいない。武田信玄が亡くなり、一徳斎が亡くなり、源太左衛門、兵部丞が戦死し、善太夫も戦死した。あの時、わずか五年後に自分が湯本家のお屋形様になるなんて夢にも思っていなかった。

「三郎様がわたしの事をいつも、子供扱いするのが憎らしゅうございました」

「憎らしかったのか。そいつはすまなかった。でもな、そなたと同じ位の妹がいるんだ」

「おアキ様とおしの様でございますね」

「うん、そうだ。アキはお亡くなりになったお屋形様の娘で、義理の妹なんだ。しのの方は実の妹でな、そなたも妹のような感じだったんだよ」

 お松は顔を上げて三郎右衛門を見た。お屋形様になった三郎右衛門は去年会った時よりも大人びて見えた。口髭を蓄えたせいかも知れなかった。

「今でもそう思っていらっしゃるのですか」

「いや、そんな事はない。お松は俺の妻だ。まだ草津の事を何も知らないそなたにとって、色々と大変だろうが、お松ならできる。湯本家のお屋形の妻として、末長く、よろしく頼むよ」

「はい」とお松は大きな目でじっと三郎右衛門を見つめてうなづいた。

 お松の目には強い決心の気持ちが現れていた。五年前、真田にいた時、ちょこまかと三郎右衛門の世話をしてくれたお松を思い出し、あの時からずっと、自分の事を思っていてくれたのかと、いじらしくなり、お松を嫁に迎えて本当によかったと思った。三郎右衛門はお松を引き寄せると優しく抱き締めた。

「三郎様‥‥‥」とお松はつぶやき、大きな目から涙をこぼした。

「どうした、怖いのか」

 お松は首を振り、「やっと、三郎様のもとに来られたのでございますね」と泣きながら言って、「夢みたい」とつぶやいた。
 この当時、武士同士の婚姻は政略結婚がほとんどだった。お互いに勢力を広げるため、あるいは守るために、女は政治の道具に使われた。女たちは親が決めた、見も知らぬ相手の所に嫁がなければならなかった。琴音がそうだったし、近いうちに嫁ぐ、妹のおしのもそうだった。お松のように好きな相手に嫁ぐ事は本当に夢のように稀な事だった。

 初夜が明けた。朝、起きるとお松の姿はなく、どこに行ったのだろうと捜したら、さっそく台所で働いていた。真田から連れて来た二人の侍女と一緒に女中たちにまじり、朝食の支度をしていた。まだ、そんな事はしなくてもいいと言っても、お松は聞かず、三郎右衛門のお膳を自ら運んだ。

「ここにいる人たちと早く仲良しにならなくちゃ」とお松は屈託なく笑った。

「そりゃそうだけど、お前が台所に顔を出したら、女中たちがまごついてしまうよ」

「そんな事はないですよ。みんな、いい人ばかりでした」

「まあ、急ぐ事はない。だんだんと慣れて行けばいい」

 朝飯を食べ、お松を連れて草津を案内しようと思っていると矢沢薩摩守に呼ばれた。

「少し、待っていてくれ」とお松を残して、三郎右衛門は湯宿へと向かった。

 真田から来た者たちが慌ただしく帰り支度をしているのを眺めながら、薩摩守の部屋に行くと、薩摩守は庭を眺めながら一人で待っていた。

「やはり、草津は朝晩は冷えるのう」と言って振り返り、「どうじゃな、松の様子は」と聞いた。

「はい。朝早くから台所で働いておりました」と三郎右衛門は部屋の隅に控えて答えた。

「なに、もう働いておるのか。そうか、そうか」

 薩摩守は満足そうに一人でうなづきながら、三郎右衛門の側に来て座ると、「うまく行ったとみえるのう」と笑った。

「えっ、何がですか」と三郎右衛門は聞いた。

「何がじゃと? とぼけおって、昨夜の事じゃ。立派な女子になっておったじゃろう」

「はい、それはもう‥‥‥」

 照れている三郎右衛門を見ながら薩摩守は豪快に笑った。そして、真顔に戻ると、「松を泣かすなよ」と厳しい口調で言った。

「決して、そのような事は」

「おぬしが遊女に夢中になっていた事も松はちゃんと知っておるからな。その事を知った時、松は泣いておった。しかし、わたしは負けませんと言いおったわ。今の世の中、何が起こるかわからんが幸せにしてやってくれ」

 三郎右衛門は驚いた。薩摩守が里々の事を知っていたとは思ってもいなかった。しかも、お松までもが知っていたとは‥‥‥考えてみれば、三郎右衛門と里々の関係は湯本家の者は誰もが知っていた。二人の事が噂になって真田まで行ったのかと思うと恥ずかしくなり、三郎右衛門は恐縮して、「かしこまりましてございます」と頭を下げた。

「ところで、話は変わるんじゃが、おぬしに頼みがあるんじゃ」

「何でございましょう」と三郎右衛門は顔を上げて、薩摩守を見た。

「うむ」と薩摩守はうなづいてから、床の間の掛け軸を眺めた。誰が描いたのかわからないが、かなり古い物で源氏物語を題材にした絵だった。薩摩守は三郎右衛門に視線を戻すと意を決したかのように、「はっきりと言おう。人質の事じゃ」と言った。

「人質を出せと?」

 薩摩守はうなづいた。「以前、湯本家から人質として真田に来ていた善太夫殿の娘、おナツは新五郎の嫁になってしまった。そこで新しい人質として誰かを送って欲しいんじゃよ。勿論、人質を取るのは湯本家だけではない。吾妻の衆、皆から取り、真田家で預かる事となっている。そなたたちを信用しないという訳ではないんじゃ。そういう仕組みになっておるんじゃ。真田家では喜兵衛殿の家族が甲府で暮らしている。これも人質と言える。わしの所では松の妹の藤が人質として甲府で暮らしているんじゃよ」

「お松の妹が人質に‥‥‥それは知りませんでした」

「人質と言っても、甲府にある真田家の屋敷で暮らしておるから何の心配もないがの。そなたからの人質はわしの所で預かる事となろう。親戚の所に預けたと思えばいいんじゃよ」

「わかりました。誰かを選んで真田に送る事にいたします」

「うむ。よろしく頼むぞ」

 温泉に浸かって、のんびりとしたいんじゃが、そうもできんと言って薩摩守は真田に帰って行った。小草野新五郎は残り、次の日、三郎右衛門の弟、小四郎と妹のおしほを連れて真田に向かった。

 三郎右衛門は六人兄弟だった。すぐ下の弟、小四郎は十九歳で、すでに初陣を経験している。この先、三郎右衛門の片腕として働いてもらうつもりでいた。その下が妹のおしので西窪氏に嫁ぐ事が決まっている。下の弟、小五郎は善太夫の湯宿を継ぐため、白根明神で修行に励んでいる。その下に妹が二人いて、おしほは十一歳、おみつは九歳だった。他に義理の妹が三人いて、おナツは小草野新五郎の妻となり、おアキは使番頭を勤める浦野佐左衛門の伜、佐次郎の妻になる事が決まっていて、おハルはおみつと同じ九歳だった。人質として真田に送るのは、おしほ、おみつ、おハルの三人しかいなかった。三郎右衛門はおしほを送る事に決め、おしほを説得した。おしほはうなづいてくれた。それを見ていた小四郎は一人だけで異郷に行くのは可哀想だ、自分も一緒に行くと言い出した。

 小四郎を手放したくはなかったが、小四郎の決心は変わらなかった。向こうで活躍すれば真田家の家臣になれるかもしれない。その方が湯本家のためにもいいだろうと言う。三郎右衛門は小四郎の言い分に負け、二人を真田に送る事にした。

 小四郎とおしほを送った後、三郎右衛門はお松を連れて長野原に移り、家臣たちにお松を披露した。お松は三郎右衛門と共に上座に座り、家臣たちを見回して臆する事なく、見事に挨拶をしてのけた。お松は三郎右衛門が思っていた以上にしっかりした娘だった。

 お松の生まれた矢沢家は真田家の重臣のような立場にあったが、真田家の家臣ではなく、武田家の家臣として真田家の指揮下にある同心衆だった。真田郷の近くの矢沢郷に城を持ち、屋形も持っている。お松はほとんど真田にある屋敷で暮らしていたが、矢沢に帰れば、お屋形様のお姫様だった。生まれながらにして、大勢の家臣に囲まれて暮らす事には慣れていたのだった。それでも、矢沢家の家風なのか、決して、家臣や女中たちを見下したりはせず、仲良くなろうと努力をしていた。

「母上様が三人もいらっしゃるなんて、ほんと、びっくりしました」とお松は長野原のお屋形にいる義母のお初に挨拶をした後、自室に戻ると目を丸くして言った。

「もう一人いるんだよ」と三郎右衛門が言うと、

「えっ」とお松はさらに目を見開いた。

「父上の正妻だったお鈴様は父上がお亡くなりになると出家したんだ。お鈴様は岩櫃城におられる海野長門守殿の娘さんで、今は長門守殿が羽尾に建てた宗泉寺にいらっしゃる」

「尼さんになられたのですか」

「そうだ。今までは草津のお屋形におられたんだけど、子供もいないし、潔く出家なされたんだ」

「そうなんですか」

「俺も養子になった時、驚いたよ。父上は跡継ぎに恵まれなかったから仕方がないんだ。今、草津のお屋形にいるのは、実の母親で、しづっていうんだ。お鈴様が草津のお屋形におられた時は遠慮して小雨村のお屋形にいたんだけど、お鈴様が出て行かれてから移って来た」

「小雨村って、どこなんです」

「明日、連れて行ってやるよ。冬の間、草津は雪が深くて住めないんだ。それで、冬の間は山を下りて冬住みって呼ばれる村に住むんだよ。小雨村にお屋形があって、冬の間はそこで暮らしていたんだけど、今はここ、長野原城があるんで、小雨村の方は女たちがいるだけなんだよ」

「ふーん、面白いんですね」

 お松は真剣な顔をして三郎右衛門の話を聞いていた。

「祖母と一緒に湯宿をやっているのは小茶様といって、お前も知っているだろう。真田にいたおナツの母親だ」

「ああ、そうか。そういえば、おナツさんにそっくりだわ」

「お前、おナツとは仲よかったのか」

「うん。おナツさんは小草野様のお屋敷にいたんです。もうすぐ、赤ちゃんが生まれます」

 そう言って、お松は顔を赤らめた。昨夜の事を思い出したのだろう。初夜の時は緊張していて三郎右衛門の成すがままだったお松も、昨夜は恥ずかしがりながらも三郎右衛門にしっかりと抱き着いていた。

「そうか、新五郎殿も父親になるのか」

「こちらにいらっしゃる母上様はどういうお方なんですか」

「ここにおられるのはお初様といって、おハルの母親だよ」

「わたしと同い年のおアキさんの母上様はどなたなのです」

「おアキの母親もおナツと同じ小茶様だよ」

「おアキさんはおナツさんの実の妹だったのね」

「そういう事だ」

「ここ長野原と草津と小雨村とお屋形も三つもあるんですか。あの、わたしはどこで暮らすのですか」

「まだ、考えていなかったけど、俺はここにいる事が多いから、ここだろうな」

「ここですか」とお松は少し不満そうな顔をした。

「草津の方がいいのか」

「わたし、まだ草津の事、よく知らないし、色々なお湯にも入ってないし」

「そうか。そうだな、冬住みになるまで草津で暮らすか。俺が草津からここに通えばいい」

「ありがとう」とお松は嬉しそうに笑ったが、眉を寄せて三郎右衛門を睨むと、「決して、父上様の真似はしないで下さいね」と言った。

「何だ、真似って?」

「何人も側室を持たないで」

「何を言っている。そんな事するわけないだろ。お前だけで充分だよ」

「約束ですよ」

 お松は三郎右衛門をじっと見つめていた。約束を破ったら、絶対に許さないからという強い意志が感じられた。

 三郎右衛門はお松から目をそらさずに、「うん、わかったよ」と約束をした。

 三郎右衛門とお松の新婚生活が続いている最中も、前線の柏原城を守っている左京進たちは、上杉方の白井勢と小競り合いを繰り返していた。それでも、越後から大軍が攻めて来る気配はなく、吾妻衆は長篠で失った将兵の補強を着実に行なって行った。湯本家も亡くなった者たちの跡継ぎをすべて決め、何とか、軍事編成を立て直す事ができた。

 八月の末、しばらく姿を見せなかった東光坊が長野原に帰って来た。

 三郎右衛門は書斎で善太夫が残した様々な書物を眺めていた。お屋形様として、これからは甲府に呼ばれ、武田家の名だたる武将たちと酒宴の席を共にしなければならなくなるかもしれない。また、武田家の武将たちが草津に来た時も充分な接待をしなければならない。恥をかかないためにも、和歌とか連歌とか学ばなければならなかった。幸い、それらに関する写本はかなりあった。代々、草津の領主として、それなりの学問を積んで来たのだろう。善太夫から直接、教わる機会はなかったが、『古今和歌集』くらいは読んでおけと常に言われていた。その頃は真面目に読む気にもならなかったが、お屋形様になったからには自分の恥は草津の恥になってしまう。本気になって学ぼうと思っていた。三郎右衛門が善太夫の写した『伊勢物語』を見ていた時、東光坊は突然、現れた。

「師匠、一体、どこにいたんです。捜したんですよ」

「何かあったのか」と東光坊はとぼけた顔をして、三郎右衛門が見ている写本を覗き込んだ。何となくなく疲れているようだった。まだ四十前なのに、急に老けてしまったように思えた。

「別に何もないけど、相談したい事が色々とあったんです」

「何もわしに相談する事もあるまい」

 東光坊は文机に積んである書物を手に取るとパラパラと眺めた。

「そんな、色々と大変だったんですから」

「先代のお屋形様の字じゃな。お前はお屋形様になったんじゃろ。一々、わしを当てにするな」

「そりゃそうだけど、師匠はこれからも俺の師匠でいてくれるんでしょう」

「お屋形様に師匠などいらん。ただ、湯本家のために働くつもりじゃ」

「お願いします。ところで、どこで何をしてたんです」

「親父の事を調べていたんじゃよ」と東光坊は写本を三郎右衛門に返した。

 三郎右衛門は見ていた写本を閉じて脇に積んだ。

「あの親父がどうして戦死したのか、わしには理解できなかった。親父の配下の者たちに聞いて回り、ようやく、親父が何をしようとしていたのか、わかったんじゃよ」

「何をしようとしていたんです」

「親父はな、真田の忍びを率いて長篠に出陣した。真田のお屋形様のために敵情を調べていたんじゃが、負け戦になったと決まった時、親父は配下の者たちを真田に追い返し、たった一人で織田弾正の命を狙って、殺されてしまったんじゃ」

「円覚坊殿が織田弾正の命を狙ったんですか」

 三郎右衛門が円覚坊を最後に見たのは、去年の今頃、草津に来た時だった。一徳斎が亡くなった後で随分と気落ちしていた。もう左腕だけでも何でもできると言っていたが、右腕がないのは痛々しく見えた。一徳斎の跡を継いだ源太左衛門のために、もう一働きしなければならんと言って帰って行った。

「無謀と言えば無謀じゃ。しかし、一徳斎殿が亡くなり、跡を継いだ源太左衛門殿と弟の兵部丞殿も戦死してしまい、織田弾正を殺すしか、一徳斎殿に申し訳がたたないと思ったのかもしれん。真田の忍び集団もある程度できた。思い残す事もなく、親父は死を覚悟して織田弾正の命を狙ったんじゃろう。それ程、親父は一徳斎殿を慕っていたんじゃと思うわ。その事を知って、わしはお前の事を考えてみた。お前のために命を懸けられるかと考えてみた。そして、甲府に行ったんじゃ」

「えっ、甲府に? 俺を見捨てて武田家に仕えようと思ったんですね」三郎右衛門は身を乗り出して、東光坊の顔を見つめた。

「そうではない」と東光坊は否定した。

 三郎右衛門は心の中でホッとしていた。お屋形様になったばかりで、師匠に見捨てられたら、この先、どうしたらいいのか見当もつかなくなってしまう。

「わしはお前のために命を懸けられると決心して、甲府に向かったんじゃ」

「師匠が俺のために?」

「そうじゃ。わしはお前が十四の時から付き合って来た。女に惚れっぽいお前をずっと見て来た。こんな事をしていて、お屋形様なんか勤まるのだろうかと不安に思った事もあった。しかし、お前は常に何事にも真剣だった。女のためとはいえ、武芸もみるみる上達し、また、運にも恵まれていた。お屋形様になるのは少々早かったかもしれんが、お前なら立派なお屋形様になれるじゃろうと思った。親父が一徳斎殿に懸けたように、わしはお前に懸ける事に決めた」

「師匠‥‥‥」三郎右衛門の脳裏に東光坊と旅をした時の思い出が走馬灯のように駈け抜けて行った。

「ありがとうございます」と三郎右衛門は心の底からお礼を言った。

「うむ。それで、湯本家のために甲府の様子を調べて来たんじゃ。武田家が立ち直れないようじゃと湯本家も危ないからな」

「それで、甲府の様子はどうでした」三郎右衛門はもう一度、身を乗り出して、東光坊の答えを待った。

「世間で噂する程、打撃は受けていないようじゃった。確かに名のある武将が数多く亡くなった。しばらくは動く事はできないかもしれんが、すぐに立ち直るじゃろう。ただ、織田と徳川が武田が動けない事を見越して、しきりに攻撃を始めている」

「織田と徳川が動いているのですか」

「ああ。織田は秋山伯耆守(ほうきのかみ)殿が奪い取った美濃の岩村城(恵那郡岩村町)を攻めている。徳川は三河の亀山城(作手村)と田峰城(設楽町)を奪い取り、今、遠江の諏訪原城(金谷町)と二俣城(二俣町)を攻めている」

「ちょっと待って下さい」と言って、三郎右衛門は絵地図を捜し、広げて眺めた。

 岩村城は美濃の東、信濃の伊那郡の近くにあった。徳川に奪われた亀山城と田峰城は長篠城の近くにあった。二俣城は浜松城の北にあり、諏訪原城は駿河と遠江の国境近くにあった。京都に行く時、遠江も三河も歩いているので、大体の位置はわかった。

「織田と徳川はじわじわと武田を攻めているんですね」

「そういう事じゃ。しかし、今は我慢の時じゃな。焦る事はない。織田にしろ、徳川にしろ、連合しなければ武田には勝つ事はできまい。今はじっと我慢して態勢を立て直す事が肝心じゃ」

「じっと我慢していれば大丈夫なんですね」

「まだまだ武田軍は健在じゃ、大丈夫じゃよ。甲府を後にしたわしは岐阜に行ってみた」

「えっ、岐阜? まさか、円覚坊殿の仇を討ちに行ったんじゃないでしょうね」

「馬鹿な。敵の様子を探りに行っただけじゃ」

 東光坊はそう言ったが、父親の仇を討ちたいと思わないはずはなかった。その仇は善太夫の仇でもあり、戦死した者たち、すべての仇だった。いつの日か、必ず倒さなければならない憎き敵将だった。

「織田弾正はどうでした」

「うむ、岐阜にはいなかった。京都にいた。京都で織田弾正は大歓迎を受けていたよ。公家衆や近畿の武将たちが弾正の機嫌を取るのに必死になっておった。京都の町衆は、長篠で負けた武田は越前の朝倉や近江の浅井のように、まもなく滅び去るじゃろうと噂しておったわ」

「そうですか‥‥‥」

 三郎右衛門にも京都の町衆の噂は想像できた。京都から見ると関東は田舎で、上野の国は勿論の事、甲斐の国も武蔵の国もどこにあるのか知らない者が多かった。京都の町衆にとって関東の事などどうでもよく、いい加減な噂が本当の事のようにまかり通っていた。

「弾正や織田家の者たちが大袈裟に触れ回っておるのじゃろう。信玄殿がお亡くなりになった事も京の者たちは知っていた。信玄殿の跡を継いだ四郎殿は取るに足らん男じゃ。放って置けば自然と滅びるじゃろうとも噂しておったわ」

「そんなひどい事を‥‥‥」

「ああ、弾正の奴、言いたい放題の事を言っているようじゃ。武田を庇う者は京にはおらんからな。弾正の奴、七月の半ばまで京にいて、今月の十二日、越前の一向一揆を倒すために大軍を率いて出陣して行った。一向一揆もそう簡単にはやられまい。わしはそれを見送って帰って来たんじゃ」

「そうでしたか。京都でそんな噂が流れているとは‥‥‥まったく情けない」

「言いたい奴には言わせておくさ。まだ、弾正に刃向かう奴は大勢いる。武田が態勢を立て直せば倒せん事はない。ところで、お前、いや、お屋形様、花嫁殿はいかがじゃな」

「師匠にもお松の花嫁姿を見せたかったですよ」

「見なくてもわかる。あの娘はいい嫁になる。浮気なんかするんじゃねえぞ」

 東光坊は鋭い目付きで三郎右衛門を睨んだ。恐ろしい顔だった。山伏としての貫禄は充分で、一睨みしただけで、若い山伏たちは竦んでしまうだろう。

「忙しくて、そんな暇なんてありませんよ」と三郎右衛門は手を振った。

「まあ、子作りに励む事じゃな」と東光坊は笑って、懐から綺麗な布に包まれた物を出すと、「お祝いじゃ」とそっけなく言って、三郎右衛門に渡した。

「師匠‥‥‥ありがとうございます」

「お屋形様になったんだ。今後、師匠と呼ぶのはやめろ。家臣たちに示しがつかんからな。東光坊でいい」

「でも‥‥‥」

「さて、お屋形様のためにもう一仕事して来るか」と東光坊は膝をたたいて立ち上がろうとした。

「えっ、またどこかに行くのですか」

「越後の様子を調べて来よう」

「何も師匠、いや、東光坊殿が行かなくても」

 三郎右衛門は慌てて、東光坊を引き留めた。このまま、すぐに行ってもらいたくはなかった。相談したい事が色々とあるのだった。

「なに、わしが一人で行くわけじゃない。配下の者も連れて行く。武田の敗北を知っているくせに関東に出て来ないのが不思議でな、何があったのかを調べて来る」

「その事は俺も不思議に思っていたんです。ぜひ調べてほしいんですけど、二、三日はここにいて下さい」

「そうじゃな、今夜は草津の温泉に浸かってのんびりするか」

「お松を紹介します。久し振りに飲みましょう」

「おお、いいな。久し振りに遊女屋にでも繰り出してパアッと遊ぶか」

「師匠、そいつはうまくないですよ」

「冗談じゃよ」と言って、東光坊は大笑いした。

 三郎右衛門は東光坊と一緒に、馬を飛ばして草津へと向かった。







 長篠の敗戦から四ケ月経った九月の半ば、武田四郎(勝頼)は出陣命令を下した。態勢を立て直すために、じっと我慢していたが、勝ち戦に乗じて、武田方の城を攻め続けている徳川をこの辺で痛め付けて置かないと、この先、益々、不利になると決断し、領内の武将たちに兵を率いて甲府に集まるように要請した。

 不気味に動かない上杉謙信に対して守りを固めるため、吾妻衆の出陣要請はなかった。しかし、真田勢は喜兵衛の指揮のもと遠江へと出陣して行った。

 甲斐、信濃、駿河の衆、二万余りの大軍を率いた武田四郎は諏訪原城(金谷町)を落とし、小山城(吉田町)を攻めている徳川軍を追い散らした。戦らしい戦はなかったが、小山城と高天神城(大東町)に兵糧を入れる事に成功し、武田軍の健在振りを世間に示す事はできた。

 三郎右衛門は新しく編成した兵を率いて岩櫃城に詰めていた。幸い、上杉謙信が関東に攻めて来る事はなかった。なぜ、謙信は攻めて来ないのだろうと考えながら、三郎右衛門は屋敷の庭で木剣の素振りをしていた。庭の片隅に太い落葉松があり、木剣で打ち込んだ跡が何ケ所も残っている。この屋敷の主だった海野能登守が打ち込み、そして、善太夫が打ち込み、今は三郎右衛門が打ち込んでいた。

 三郎右衛門は木剣を下ろすと空を見上げた。月が雲に隠れ、降るような星が輝いていた。突然、虫の泣き声が途切れた。背中に人の気配を感じ、警戒して振り返ると東光坊が立っていた。錫杖を持っているのに音がしなかったのが不思議だった。

「師匠、脅かさないで下さい。丁度、今、師匠の事を考えていた所ですよ」

 三郎右衛門は嬉しそうに東光坊を迎えた。

「何を調子のいい事を言っておる」

「越後から帰って来たんですね」と三郎右衛門は顔の汗を拭きながら聞いた。

 東光坊は雲から顔を出した月を眺めながら、うなづいた。

「上杉謙信は一体、どうしたんです。病に罹って寝込んでしまったんですか」

「そう慌てるな。まず、一杯、飲ませてくれ。話はその後じゃ」

 三郎右衛門はさっそく酒の用意をさせ、東光坊を庭にある茶室に案内した。茶の湯の開祖、村田珠光(じゅこう)流の四畳半の侘(わび)茶室だった。三郎右衛門は京都にいた時、珠光の名を聞き、上泉伊勢守から珠光流の茶の湯を習っていた。善太夫に連れられて初めて、この屋敷に来た時、この茶室を見て驚いた。岩櫃城内に珠光流の茶室があるなんて信じられなかった。善太夫に聞くと海野能登守が建てたという。その時は戦の最中だったので、能登守から茶の湯の事を聞く事ができず、その後も草津にいる事が多かったので、能登守と話をする機会はなかった。その事を聞く事ができたのは昨夜の事だった。京都の話が聞きたいからと能登守の屋敷に招待されて御馳走になった。能登守は若い頃、堺に滞在していた事があり、珠光の孫弟子にあたる天王寺屋という商人から珠光流の茶の湯を習ったと聞いて、ようやく、三年越しの疑問が解けていた。

 東光坊はうまそうに酒を飲むと、「謙信殿は健在じゃよ」と言った。

「城からはほとんど出ては来んが、城内にある毘沙門(びしゃもん)堂に籠もって、厳しい修行をなさっているそうじゃ。春日山の城下は賑やかじゃった。久し振りに戦がないと言って、皆、喜んでおった」

「へえ、そうなんですか」

 三郎右衛門は東光坊と共に行った春日山城下を思い出していた。もう五年も前の事だった。

「謙信殿は年がら年中、兵を率いて関東に出たり、信州の川中島で信玄殿と戦ったり、越中に出て行ったり、今まで、ろくに休む間もなかったようじゃ。久し振りに休養して鋭気を養っているらしいのう」

「随分と呑気なものですねえ。武田軍が弱っている今こそ、関東を攻めるというのが当然だろうに」

「普通の武将はそう考えるが、謙信殿はどうも違うらしい。わしも信じられなかったんじゃが、謙信殿は決して欲のための戦はせんのじゃ。今まで関東に何度も攻めて来たのも、北条に攻められて謙信殿に助けを求める者がいたから、そいつらを助けるために出陣して来たんじゃ。信玄殿と戦った川中島もそうじゃ。信州の者たちが信玄殿に追われ、謙信殿に助けを求めたから、奴らの土地を取り戻してやろうと何度も信玄殿と戦った。信玄殿や万松軒殿(北条氏康)のように領地を広げようとして戦をして来たわけではないんじゃよ」

「へえ、そうなんですか」と言いながら三郎右衛門は庭を眺めた。

 能登守の造った庭園は四季を通じて様々な花が咲いていた。今は月明かりの下で萩の花が可憐に咲いている。

「謙信殿は戦のない平和な世の中が来る事をいつも願っているそうじゃ。もし、今、武田勢が白井や沼田を攻め、奴らが謙信殿に助けを求めれば、謙信殿は迷わず大軍を率いて関東に出て来るじゃろうが、比較的平和な関東の地を自ら戦乱に導くような事は決してしないじゃろう」

 三郎右衛門は酒を一口飲んで、東光坊の言った事を考えた。

「すると、謙信殿が自ら戦を仕掛ける事はないというのですね」

「そういう事じゃな。不思議な武将じゃよ。謙信殿がそんな人じゃとは、まったく知らなかったわ」

「ほんと、驚きです。領地を増やすためではなく、助けを求めて来た者を助けるために戦をするとは‥‥‥そんなの信じられませんよ」

「信じられんが本当じゃ」

「でも、領地を広げなかったら、活躍した者たちに何を与えるんです。まさか、兵たちも謙信殿と同じように欲がなくて、人助けができれば満足なんですか」

「どうもな、越後の国には金銀が豊富にあるらしい」

「恩賞は金銀だったのですか。金銀の力で兵を動かしていたのか」

「どうもそうらしい。上杉軍は去年の十二月、関東から戻ってから、ずっと休養しているようじゃ。だが、そろそろ、越中の方に動くらしいな。信長が越前を攻めたので、一向宗の門徒たちが助けを求めて来たらしい」

「でも、謙信殿はずっと一向一揆と戦っていたんでしょう。敵が助けを求めて来ても助けるんですか」

「もともと、謙信殿が一向一揆と戦って来たのは、一向一揆にやられた者たちが謙信殿に助けを求めて来たからじゃ。たとえ、敵であろうとも助けを求めて来た者を助けるのが謙信殿の信念じゃ」

「普通の人じゃないですね」

 東光坊はうなづいた。「自分では毘沙門天の化身じゃと言っておる」

「毘沙門天ですか」

 毘沙門天は北方を守る武勇の神として有名だった。古来、数多くの武将たちが信仰していて、謙信の敵だった武田信玄も信仰していたという。

「まさしく、そうかもしれない」と三郎右衛門は言った。「謙信殿がそういう人だから、あれだけ敵対していた北条とも同盟したんですね」

「そうじゃな。越後と北条が同盟すれば、関東の地での戦はなくなる。平和になればそれでいいと思ったんじゃろう」

「成程。だから、北条が武田と戦った時、北条が謙信殿に信濃に攻め込んでくれと頼んでも、決して出ては行かなかった」

「そうじゃ。誰かが助けを求めない限り、損得では兵は動かさないんじゃ」

「まったく、不思議な人だ。そんな武将がいたなんて、今もって信じられません。ところで、師匠、北条家の人質、三郎殿はどうしているんですか」

 琴音と別れさせられた北条三郎は人質として越後に行き、上杉謙信に気に入られて養子となった。謙信の姪を嫁に迎えて、謙信の幼名だった景虎を授かり、上杉三郎景虎と名乗っていた。実父の万松軒が亡くなった後、北条は再び、武田と同盟し、上杉とは敵対関係になってしまった。それでも、三郎が小田原に送り返されたという噂は聞いていなかった。

「あの時のまま、春日山城にいるようじゃな。跡継ぎ殿も生まれたらしい」

「そうでしたか。安心しましたよ」

「というわけじゃ。上杉勢は攻めては来ん。ここから引き上げても大丈夫じゃろう」

「そうですね。でも、俺が言っても無駄でしょう。もう少し様子を見ますよ」

「さて、草津に行って、のんびり温泉に浸かって、わしも謙信殿を見習って、しばらくは休養するか」

「そうして下さい。娘さんたちに顔を見せてやらないと忘れられてしまいますよ」

 東光坊には子供が四人いた。長男の孫四郎は十四歳、次男の孫七郎は十一歳で、共に父親に負けない山伏になるため白根明神で修行している。長女のおたまは九歳、次女のおあさは六歳だった。息子たちには厳しい東光坊も娘たちには甘かった。目を細めて娘たちと遊んでいる東光坊を三郎右衛門は何度か見ていて、師匠にも弱みがあったかと不思議に思ったものだった。

「何を言っておる。お前じゃろう。嫁さんに会いたくてしょうがないのは」

「ええ、お松が夢に出て来るんですよ」

「何をのろけていやがる。あっ、そうだ、忘れる所じゃった。湯本家の忍び集団の名前を考えたんじゃよ」

「忍び集団の名前ですか」

「ああ、そうじゃ。真田の忍びには別に名もないようじゃが、北条の風摩党のような名を付けようと思ってな。旅をしながら、ずっと考えていたんじゃ」

「へえ、どんな名を付けるんですか」

「月陰党じゃ。どうじゃ、いい名じゃろう」

「月陰党‥‥‥」

「湯本家の家紋は三日月じゃからな。三日月党にしようと思ったんじゃが、陰流の陰を入れたくてな。月陰党じゃ」

「成程、月陰党か。そいつはいいかもしれない。それで、師匠、修行中の若い者たちは、いつ山を下りて来るんです」

「二年という所かの、来年の五月に最初の修行者が下りて来る事になろう。期待して待っていてくれ」

「ええ、立派な月陰党を作って下さい」

「御馳走になったな」と言うと東光坊は闇の中に消えてしまった。

「大したもんだ」と感心しながら三郎右衛門は酒を飲み干した。

 東光坊が言った通り、上杉謙信は攻めては来なかった。十月の半ば、武田軍が遠江から凱旋(がいせん)したとの知らせが届くと岩櫃に待機していた吾妻衆はそれぞれの本拠地に帰った。

 すでに草津の冬住みは始まっていた。草津を守っていた従兄の湯本雅楽助が無事に草津を閉めていた。三郎右衛門は長野原に帰ると雅楽助に兵を付けて柏原城に送り、左京進と交替させた。

 お松は相変わらず台所で働いていた。三郎右衛門が帰って来た事を知ると慌てて、三郎右衛門の部屋にやって来て、「お帰りなさいませ」としおらしく頭を下げ、辺りを見回して誰もいない事を確かめると小具足(こぐそく)姿の三郎右衛門に飛びついて来た。

「御無事で何よりでございます」と言って笑った。大きな目は涙で潤んでいた。

「お前は泣き虫だな。すぐに泣く」

「だって心配だったんですもの」

「なに、戦なんてなかったのさ。岩櫃城で毎日、退屈な日々を送っていた。お前に会いたかったぞ」

「嬉しい」

 お松は三郎右衛門の小具足を脱ぐのを手伝い、風呂の用意、飯の支度とまめまめしく働いた。

 その夜、三郎右衛門はお松に東光坊から聞いた上杉謙信の話をしてやった。

「上杉謙信様というお方は女の人を近づけず、お坊様のようなお人だと聞いた事がございます。本当なのでございましょうか」

「本当らしい。妻も娶らず、子もいない。養子を二人迎えたらしい」

「女嫌いなんでしょうか」

「さあな。そこまでは知らないが、戦をしていない時は毘沙門堂に籠もって、真言を唱えたり、写経をしているそうだよ」

「変わったお人なんですね。でも、淋しくはないのでしょうか」

「強い人なんだろう。俺には決して真似ができん。会った事はないが、きっと偉いお人なんだろうな」

「そうですね、偉いお人なんですね、きっと。でも、淋しいと思いますわ」

 そう言いながらお松は三郎右衛門に抱き着いて来た。

「冷えて来たな」と言いながら、三郎右衛門もお松を抱き締めた。

 十月の末、三郎右衛門の妹、おしのが西窪治部少輔のもとへと嫁いて行った。西窪城は長野原城の西、およそ三里、万座川が吾妻川に合流する地点の高台にあった。吾妻川の対岸の崖の上には鎌原城があり、この二つの城が信濃から吾妻に侵入する敵を押さえていた。

 おしのが嫁いだ日は木枯らしの吹く寒い日だった。縁談が決まった後、おしのは一度だけ、草津で治部少輔と会っていた。お互いに話もろくにしなかったが、三郎右衛門はいい雰囲気だと思っていた。うまく行ってくれればいいと願いながら、治部少輔と酒盃を酌み交わす花嫁姿の妹を見守った。

 十一月の半ば、初雪がちらちら舞っている頃、武田四郎がまた出陣命令を下した。今回は以前程、大掛かりではなく、三千余りの兵を率いて、織田勢に囲まれた秋山伯耆守が守る美濃の岩村城を救援するための出陣だった。三郎右衛門たちは再び、上杉謙信に備えて岩櫃城に向かわなければならなかった。謙信が攻めて来ないと知っていながらも、武田のお屋形様が出陣するのを黙って見ているわけにはいかない。三郎右衛門はお松に別れを告げ、兵を引き連れて岩櫃城に向かった。

 東光坊の配下、多門坊の知らせによって、信州に出陣した武田軍が大島城(松川町)まで行き、そこにじっと留まっていると三郎右衛門が聞いたのは十一月の十七日だった。なぜ、そんな所に留まっているのかと問いただすと、

「雪のせいでございます。大雪が降り続き、信濃と美濃の国境を越える事ができない模様でございます」と多門坊は答えた。

「そうか、雪か‥‥‥」と三郎右衛門は空を見上げた。あまり雪深くない岩櫃でも、今にも雪が降りそうな空模様だった。

 三郎右衛門は岩櫃城下にいた東南坊を多門坊と共に甲府に送り、情報を集めさせた。

 東南坊が帰って来たのは二十五日だった。

「二十一日、岩村城はついに落城し、城主の秋山伯耆守殿は岐阜に連れて行かれました」

 東南坊はそう言ってうなだれた。

「落城してしまったか‥‥‥救援は間に合わなかったんだな」

「残念ながら、間に合いませんでした」

 岩村城に籠もっていた城兵は織田弾正に騙されて皆殺しにされた。岐阜に連れて行かれた秋山伯耆守は二十八日、妻となっていた弾正の叔母と共に長良川で逆さ磔(はりつけ)にされて殺された。

 そして、十二月の二十四日、徳川三河守は依田常陸介が守る遠江の二俣城を落とした。武田の領土はじわじわと織田と徳川に侵食されて行った。

 上杉謙信のお陰で、無事に年を越す事ができた吾妻郡の者たちは、去年に続いて故郷で正月を祝う事ができた。

 三郎右衛門は初めて、お屋形様として正月を迎えた。今までとは違い、休む間もない程に忙しかった。家臣たちから新年の挨拶を受け、岩櫃城まで出掛けて吾妻郡代の海野兄弟に挨拶をし、真田に帰っている喜兵衛のもとまで挨拶に出掛けなければならなかった。真田に行く時は、お松も連れて行った。雪の鳥居峠を越えるのは、女連れでは厳しい旅になったが、父親の三十郎も帰っているというので里帰りをさせる事にした。三郎右衛門としても、お松の父親にはまだ挨拶もしていなかった。

 久し振りに家族と会ったお松は嬉しそうにはしゃいでいた。真田の矢沢屋敷には祖父の薩摩守と祖母、父親の三十郎と母親、三十郎の一番下の弟の源四郎、お松の弟の孫十郎、お松の妹のお蔦とお梅が集まっていた。人質として矢沢屋敷で暮らしている妹のおしほもお松の妹たちと仲良くやっていた。弟の小四郎は喜兵衛の家臣となり戸石城を守っているという。

 お松は突然、思い出したかのように、三郎右衛門の手を引くと、三郎右衛門の父親の供養塔へと連れて行った。今の時期、花はないが、よく手入れが行き届いていた。

「よかった」とお松は嬉しそうに笑って両手を合わせた。

 三郎右衛門は供養塔に書かれた湯本三郎右衛門という字を見つめながら、父親の真似ができるかと自問していた。真田喜兵衛のために命を懸ける事ができるだろうか‥‥‥

 三郎右衛門は力強くうなづくと両手を合わせた。

 小草野新五郎の妻になった義妹のおナツには可愛い男の子が生まれていた。

「わたしたちの甥っ子なのね」とお松は楽しそうにあやしていた。

 喜兵衛の新しいお屋形は完成していた。戸石城の裾野、伊勢山と呼ばれる地にお屋形はあった。お屋形へと続く大通りに面して、普請中の家臣たちの屋敷が並んでいた。

 三郎右衛門は一緒に来た義弟の西窪治部少輔と共に新しいお屋形を訪ねた。喜兵衛に歓迎され、お屋形内を見物した。

「甲府のお屋形(躑躅ケ崎館)を真似したんだ。まあ、あんなにも広くはないがな。本当は家族を呼びたいんだが、そうもできん。一人で住むにはちょっと広すぎるな」

 喜兵衛は木の香りのする広間から縁側へと出て、まだ未完成の庭を眺めた。

「呼ぶ事はできないのですか」と三郎右衛門が聞くと喜兵衛は首を振った。

「難しいだろう。甲府の生活に慣れているからな、今更、こんな田舎には来ないだろう。まあ、俺も当分の間はここと甲府を行ったり来たりしなければならんから向こうにいた方がいいのかもしれん。それにな」と言って喜兵衛はニヤニヤ笑った。「好きな女子(おなご)とここで暮らすのもいいじゃろうと思ってな」

 三郎右衛門は以外そうな顔をして喜兵衛を見た。喜兵衛がそんな事を言うとは思ってもいなかった。三十歳になった喜兵衛には十二歳の娘を筆頭に六人の子供がいて夫婦仲は円満だと聞いている。側室がいるなんて聞いた事もないし、草津に来た時も遊女屋に行った事はなかった。

「喜兵衛殿は側室がおられるのですか」と西窪治部少輔が聞いた。

 喜兵衛は照れ臭そうに笑いながら新婚の二人を見た。

「甲府に一人いるんだよ。奥方がうるさいから、こっちに連れて来ようと思っている。三つになった娘と一緒にな。今の世は子供は多い方がいいぞ。先代のお屋形様(信玄)を見習って俺も子作りに励むのさ。そなたたちも頑張れよ」

 その夜、三郎右衛門と西窪治部少輔は真田家の親戚として、真田家の主立った家臣たちと一緒に酒を酌み交わした。
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