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2017 .11.23
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11.月陰党








 善太夫の一周忌の二日前、三郎右衛門は草津の光泉寺で住職の玄英(げんえい)と法要の打ち合わせをしていた。そこに慌ただしく駈け込んで来たのは弟の小五郎だった。

 小五郎は今年の春から善太夫の湯宿を継いでいた。代々、湯本本家の湯宿の主人は善太夫を名乗っていたが、宿屋の主人が先代のお屋形様の名を継ぐのは憚られるので、白根明神の長老と相談して、金太夫と名乗る事となった。

「兄上、大変でございます」と金太夫は息を切らせ、額の汗を拭きながら言った。

「何を慌てているんだ。まさか、武田のお屋形様が来られたわけではあるまい」

 三郎右衛門が冗談を言うと玄英は和やかに笑った。

「それが、小野屋の女将さんがお見えになられたのでございます」

「ほう、やはり来られたか。来られると思っていた。別に驚く事でもあるまい」

「そうじゃないんです。女将さん、出家しちゃったんですよ」

「なに、出家した?」

 三郎右衛門は口を開けたまま、金太夫の顔をじっと見つめていた。あの女将が出家するなんて思いもしなかったので、確かに驚きだった。しかし、善太夫と女将の関係を思えば当然の事のようにも思えた。

「尼さんの格好でいらっしゃって、本当に驚きましたよ」と金太夫は言っていた。

「そうか‥‥‥出家したのか‥‥‥」と三郎右衛門は独り言のように呟いた。

「そして、お年寄りのお客様と御一緒です。幻庵様と言えばわかると言っておりましたが」

「なに、幻庵様だと。馬鹿者、なぜ、それを早く言わんのだ」

 三郎右衛門は玄英に急用ができた事を告げ、金太夫と共に薬師堂の方へと向かった。

「兄上、幻庵様って誰なのです」

 慌てている三郎右衛門を見ながら、金太夫は不思議そうに聞いた。金太夫が見た所、幻庵と名乗った老人は小田原の商人の御隠居といった風だった。

 三郎右衛門は辺りを見回し、人がいないのを確認してから、金太夫の耳元で、「北条家の長老様だ」と囁いた。

「えっ」と金太夫は間の抜けた顔をして三郎右衛門を見た。

「まさか、草津まで来られるとは‥‥‥こいつは大変な事になったぞ」

 しっかりしろと言うように三郎右衛門は金太夫の背中を叩いた。

「お忍びだと言っておりました」

「そうか。そうだろうな。そうでなくては困る。まったく、女将も急に、とんだお客様を連れて来られたもんだ。金太夫、一番上等な部屋は空いているだろうな」

「それが」と言って金太夫は困ったような顔をした。

「小諸の武田左馬助殿の紹介されたお客様の一行が泊まっておられます」

「おお、そうだった」

 武田左馬助は武田のお屋形様の従弟だった。長篠の合戦の後、お屋形様の右腕として活躍し、武田家中でも重きをなしていた。その左馬助の紹介で小諸城下の裕福な商人たちが今、金太夫の湯宿に滞在していた。

「今更、追い出すわけには‥‥‥」

「そいつはまずい」

「それで、慌てて参ったのでございます」

「うむ、何とかしなくてはならんな。今はどこにおられるんだ」

「幻庵様ともう一人のお客様はさっそく、滝の湯に入っておられます。お供の方々は宿屋の庭で馬の世話などをしておりますが、小野屋の女将さんは取りあえず、お屋形の方に御案内いたしました」

「そうか。お前は光太夫と安太夫の所に行って、上等な部屋が空いているか見て来い。湯本家にとって大切なお客様が来られたと言ってな」

「わかりました」とうなづくと金太夫は石段を駈け下りて行った。
 光太夫の宿屋は三郎右衛門が生まれた生須湯本家が経営し、安太夫の宿屋は左京進の沼尾湯本家が経営している宿屋だった。本家の小雨湯本家、分家の沼尾湯本家と生須湯本家は湯本三家と言われ、その三家の湯本家が経営する宿屋は格式が高く、主に武将たちが利用していた。

 女将の待つお屋形に帰ろうと石段を下りた三郎右衛門はふと立ち止まり、石段の脇に咲いているシャクナゲの花を見つめた。海野能登守より武田家の重臣や北条家の重臣が草津に来られた時は一応、知らせてくれと言われていたのを思い出した。幻庵が来た事を知らせた方がいいのだろうかと考えた。知らせれば、能登守が挨拶に来て大騒ぎになるに違いない。幻庵はそういう事を嫌うだろうし、お忍びだというのだから知らせない方がいいだろうと結論を出して石段を駈け下りた。

 お屋形に帰り、小野屋の女将が待つ客間に顔を出すと実母のおしづが尼僧と楽しそうに話をしていた。金太夫が驚くのも無理はない。小野屋の女将はすっかり尼僧に成り切っていた。三郎右衛門を見ると、「善恵尼でございます」と静かに頭を下げた。

「ようこそ、いらっしゃいませ」と三郎右衛門は部屋の入り口に座って頭を下げた。

「お屋形様がそんな所で頭を下げては笑われますよ」

「いや。それにしても驚きました。まさか、出家なさるとは」

 三郎右衛門は部屋に入ると、改めて、女将の尼僧姿を眺めた。

「そんなに見つめないで下さいな」

「いえ、ほんとに驚いたものですから。あの、小野屋の女将さんの方はもうおやめになったのですか」

「いえ、そうじゃないのよ。元々、小野屋は近江の国の尼僧が始めたものなのよ。代々、尼僧が継いでいるの。わたしは四代目で、いつかは出家しなければならなかったの。善太夫様の死をきっかけに出家しようと決意したんですよ」

「そうだったのですか」

「立派なお髭ね」と善恵尼と名乗った女将は三郎右衛門の口髭を褒めた。

 三郎右衛門は照れながら、「形だけでもお屋形様になろうと思いまして」と笑った。

「よくお似合いよ。今、おしづさんから聞いたんだけど、弟さんが善太夫様のお宿を継いだんですってね」

「まだ頼りないのですが、よろしくお願いいたします」

「善太夫様がこのお宿を継いだ時もまだ十六の時だったわ」

 善恵尼は当時を思い出したかのように、一瞬、ぼうっとしていたが、すぐに立ち直り、微かに笑った。

「大丈夫よ。立派な御主人になれるでしょう」

「そうなって欲しいものです。ところで、幻庵殿をお連れになったと聞きましたが」

「どうしても草津の温泉に浸かりたいと申しまして。ただ、あのお方は騒がれるのがお嫌いなので、お忍びという事でお願いします」

「かしこまりました」

 やはり、岩櫃へは知らせない方がいいと三郎右衛門は決心し、さらに雅楽助にも知らせず、東光坊の配下たちに密かに護衛を頼もうと決めた。

「もう一人のお客様というのはどなたでしょうか」

「今は隠居して道感(どうかん)と名乗っているけど、玉縄城主の北条左衛門大夫様です」

「えっ、北条左衛門大夫殿と言えば『地黄八幡』で有名な武将ではありませんか」

 北条左衛門大夫は亡くなられた万松軒の妹婿で、三郎右衛門が生まれる前の河越の合戦で大活躍をして、猛将として恐れられる名だたる武将だった。

「そうなの。今では道感様も北条家の長老的な立場にいるの。隠居してもなかなか忙しいんだけど骨休めと称して一緒に来たのよ」

「参りましたね。そんな偉いお方を連れて来られるなんて」

「お忍びです。小田原近在の御隠居が二人、気楽な旅をなさっていると思ってね。御食事の方は小野屋の方で面倒を見ますので、放っておかれて結構です」

「そう言われましても」

「大丈夫よ、心配なさらないで」

 金太夫がやって来て、滝の湯の下にある安太夫の宿屋が大丈夫だと伝え、三郎右衛門は女将と供の者たちを安太夫の宿屋に案内した。やがて、二人の御隠居も湯から上がってやって来た。もう八十歳を過ぎているのに幻庵は相変わらず達者だった。連れの道感は六十歳位か、頭を丸めているが体格もよく、百戦錬磨の武将という面構えだった。

「おう、三郎か、久し振りじゃのう。やはり、草津はいい湯じゃ。はるばる来てよかったぞ。これはわしの甥っ子でな、道感という生臭坊主じゃ。よろしく頼むぞ」

 幻庵は機嫌よくニコニコしていた。誰が見ても気のいい御隠居さんだった。武芸の達人には見えないし、あの恐ろしい風摩党を仕切っているとは、とても思えなかった。

「どうぞごゆっくりしていって下さい」と三郎右衛門は二人の御隠居に頭を下げた。

「琴音の奴から草津の事を聞いてな、どうしても来たくなったんじゃ。おう、そうじゃ、忘れておった。善太夫殿は気の毒な事をいたした。ナツメの奴が色々と世話になったようじゃ。わしからもお悔やみを申し上げる」

「わざわざ、どうもありがとうございます。山の中でろくな物はございませんが、どうぞ、ごゆっくりなさって下さい」

「そなたがここのお屋形様なのか」と道感が汗を拭きながら聞いた。

「はい。よろしくお願いいたします」

「いい湯じゃのう。そなたの噂はナツメ殿から色々と聞いている。上泉伊勢守殿のお弟子だそうじゃの」

「はい、京都の道場で修行をいたしました」

「そうか。今、伊勢守殿は小田原におられる。一緒に来るはずだったんじゃが、孫娘に子が産まれてのう。顔を皺だらけにしてひ孫をあやしておるわ」

「お師匠にひ孫ですか」

 あの伊勢守がひ孫をあやしている姿など三郎右衛門には想像すらできなかった。

「京都の道場はどうなったのですか」と三郎右衛門は道感に聞いた。

「弟子の鈴木移柏に任せたらしい。そなたも知っておろう。疋田豊五郎は今、織田家の指南役を勤めておる。弾正(信長)に気に入られて、伜の勘九郎(信忠)に兵法(ひょうほう)を教えているらしいな」

「豊五郎殿が織田家に‥‥‥」

 驚きだった。三郎右衛門が京都にいた頃、豊五郎は大和の国の柳生にいて柳生新左衛門(後の石舟斎)の指南をしていた。新左衛門を連れて京都に来た時、一度だけ会った事がある。見るからに武芸者という面魂の大男だった。伊勢守の門弟の中でも一番目立つといってもいい男で、そこが織田弾正に気に入られたのかもしれなかった。

「うむ、奥平孫次郎は徳川家に仕えておるし、丸目蔵人佐は九州に新陰流を広めている。大和の国にも柳生新左衛門や宝蔵院胤栄(いんえい)がいる。伊勢守殿の弟子たちは各地で活躍しているようじゃ」

 奥平孫次郎と宝蔵院胤栄は噂には聞くが会った事はなかった。丸目蔵人佐は最初の年に随分とお世話になっていた。京都の事を何も知らない三郎右衛門を盛り場に連れて行ってくれたのが蔵人佐だった。酒好きで女好きのひょうきんな男で、三郎右衛門にとって遊びの師匠と言えた。翌年に行った時は九州に帰ってしまっていなかった。縁があったらもう一度会いたい男だった。

「伊勢守殿はもう京都へは行かないのですか」

「そんな事もあるまい。今回、帰って来たのは伜殿の十三回忌をするためじゃった。伊勢守殿もまもなく七十になるが、鍛え方が違うからのう、相変わらず達者なもんじゃ。のんびり隠居するような事はあるまい」

「そうでしょうね。師匠と別れて、もう五年にもなります。会いたかったですよ」

「そなたもお屋形様となったからには身軽に旅もできんな。帰ったら、草津に行くように伝えよう」

「お願いいたします」

 三郎右衛門は幻庵と道感、そして善恵尼となった小野屋の女将を連れて、愛洲移香斎が住んでいた鬼ケ泉水にある飄雲庵(ひょううんあん)に案内した。

 広小路から湯の川に沿って西に行くと、やがて人家もなくなり、淋しい場所に出る。湯の川から湯気が立ちのぼり、硫黄の臭いが立ち込め、半ば、朽ち果てた樹木が鬱蒼と生い茂る気味の悪い場所で、鬼ケ泉水と呼ばれていた。現在は泉水通りと呼ばれ、土産物屋や飲食店が並んで観光客で賑わっているが、当時は人もあまり近づかない辺鄙な所だった。そんな所に移香斎は庵を結んで住んでいた。

 移香斎が飄雲庵に住んでいたのは四十年も前の事だった。移香斎が亡くなった後、東光坊の父親、円覚坊が住み、円覚坊が真田一徳斎に仕え、草津を去って行った後は東光坊が住んでいた。東光坊はここを忍びの者たちの連絡場所に使おうと庵の裏に新しい小屋を建てて拡張した。

 飄雲庵には誰もいなかった。東光坊は父親の一周忌のため真田に向かっていた。幻庵と道感は移香斎がここに住んでおられたのかと感慨深げに庵を眺めた。

「今晩、ここで移香斎殿を偲び、一杯やろうじゃないか」と幻庵が言うと、

「おう、そうじゃのう。いいですな」と道感も賛成し、善恵尼はお酒の用意は任せておいてと胸をたたいた。

 湯の川に沿って、さらに奥へと向かい、途中から山道を登り、天狗山の山頂にある移香斎の墓へと案内した。移香斎の墓の隣には善太夫の墓もあった。善太夫の遺言により、移香斎の隣に埋められていた。

 善太夫と共に亡くなった者たちの一周忌の法要も無事に終わった。善恵尼は勿論の事、幻庵と道感も身分を隠し、生前の善太夫を知っていた武芸者として出席してくれた。

 善恵尼の行き届いた準備のお陰で、二人の御隠居は四日間を快適に過ごし、「もう一度、来たいものじゃ」と言いながら機嫌よく帰って行った。

 三郎右衛門は一行を見送ると、「今後もあのような偉い武将が来るかもしれないので、善恵尼殿を見習って、充分な持て成しができるように頑張ってくれ」と金太夫に言い残し、草津を後にした。

 長野原で戦支度を整え、数人の家臣を連れて岩櫃城へと急いだ。

 去年、休養していた上杉謙信も三月には眠りから覚めたかのように大軍を率いて越中へと出陣して行った。それと同時に白井城の上杉勢も動き始め、武田方の柏原城、岩井堂城を奪い返そうと攻めて来た。

 一方、武田四郎は徳川に包囲されている高天神城を救うべく遠江へ出陣した。四郎は高天神城に兵糧を入れる事に成功し、徳川に対抗するため、相良城を築いて守りを固めて引き上げて来た。四月十六日には恵林寺で信玄の葬儀を盛大に行ない、信玄の死を公表した。その時は吾妻衆の代表として海野能登守と鎌原宮内少輔が甲府まで行き、法要に参加した。そして、五月二十一日は武田領内のあちこちで、長篠の戦死者たちの一周忌が執り行なわれた。その隙を狙って、白井勢は柏原城と岩井堂城に猛攻撃を仕掛けた。柏原城を守っていた左京進らは必死に守ったが、兵力の差があり過ぎた。海野兄弟の命で、左京進らは城を焼き捨て、箱島の寄居城へと引き上げた。柏原城はまた取り返せばいい。それよりも今の時期は貴重な兵を温存しておく事の方が大事だった。岩井堂城の方は救援が間に合い、敵を追い散らす事に成功した。

 三郎右衛門が岩櫃城に着いた時は、すでに戦は終わっていた。海野兄弟に挨拶に行こうとしたら、中城の八幡社の所で左京進と出会った。

「お屋形様、何をなさっていたのです」と左京進は怖い顔をして詰め寄った。

「すまん。大事なお客様が来ていてな。どうしても抜け出せなかった」

「その話は雅楽助から聞きました。一体、誰なんです。皆、法要が終わるとすぐに駈けつけて来たのに、うちのお屋形様だけが来ない。誰だかはっきり言わないと申し開きができませんよ」

「そうか。皆、怒っているのだな」と三郎右衛門はまいったなという顔付きをして本丸の方を見上げた。

「一致団結して事に当たると決めたばかりなのに、一体、何をやっているんだとね」

「そうか。まずいな」

「この時期、武田家の武将が一周忌を放って草津に来るはずがない。大事なお客様というのは誰なんです」

「うむ、先代のお屋形様がお世話になった武芸者だ」

「武芸者‥‥‥とにかく、早く謝った方がいいですよ」

 三郎右衛門は左京進にうなづくと本丸へと向かった。左京進の言う通り、何を言われても頭を下げるしかないと覚悟を決めた。

 本丸広間には海野兄弟と能登守の伜、中務少輔がいるだけだった。

「草津のお屋形様がようやくご到来か」すでに小具足を脱いでいる長門守が仏頂面で皮肉を言った。

「申し訳ございません。今後、気をつけます」三郎右衛門はひたすら頭を下げた。

「相変わらず、草津は盛っていて結構な事じゃな」

「申し訳ございません」

 三郎右衛門は遅れた理由を聞かれ、左京進に答えたように、善太夫がお世話になった武芸者が来たと答えた。武芸者と聞いて、能登守が誰だと問い詰めた。三郎右衛門は京都の上泉道場で知り合った武芸者の名を告げた。能登守は知らんなと言ったきり深く追及しなかったので助かったが、軍規を乱した罰として、湯本家だけで柏原城を敵から奪い返せと命じられた。

「かしこまりました」と三郎右衛門は答えて引き下がった。

 三郎右衛門の後を中務少輔が追って来て、「おい、大丈夫か」と心配そうに聞いた

 中務少輔は矢沢薩摩守の娘婿だった。三郎右衛門が薩摩守の孫娘、お松を嫁に貰ってから、叔父と甥という関係になり、以前よりも気さくに声を掛けて来るようになっていた。

「これはどうも、御心配かけまして」

「そんな事より大丈夫なのか、あんな事を引き受けて。伯父上も本気で言ったわけじゃないんだ。他の者たちの手前もあって、厳しい事を言ったまでだ。おぬしが無理だと断れば、あんな無茶な事は言わなかったのに」

「そうだったのですか。でも、こうなったからにはやるしかないでしょう。遅れたのは事実ですから罰を受けるのは当然です。これが大戦だったら切腹ものでしょう」

「そうかもしれんが、大変な事になったな。無理はするなよ。おぬしに死なれたら薩摩守殿に会わせる顔がない」

「敵情をよく調べて、やれるだけやってみます」

 中務少輔と別れて屋敷に帰ると東光坊が左京進、雅楽助兄弟と共に待っていた。

「お屋形様、とんだ事になりましたな」と東光坊は知っていた。

 左京進と雅楽助も東光坊から話を聞いて、浮かない顔付きだった。

「何とかなりそうか」と三郎右衛門は東光坊に聞いた。

「何とかしなければならんじゃろう」

「うむ、何とかしなければな」

 そうは言ったものの、湯本家の者たちだけで柏原城を奪い取るなど不可能だった。憎らしい顔をした長門守にやれと言われ、先の事も考えずに引き受けてしまった。まずい事をしてしまったと今更ながら後悔していた。

 柏原城を守っていた左京進が吾妻郡の絵地図を広げた。今、柏原城を守っているのは百人余りの兵だろうという。湯本家の兵力も百人余りで、兵力は互角だったが、城攻めとなると最低でも三倍の兵力がいる。まともに攻めて勝てる見込みはなかった。

 東光坊も左京進と雅楽助の兄弟も腕を組んだまま、絵地図を見つめて考え込んでいた。左京進が無理だというように溜め息をついた。もう一度、本丸に行って頭を下げるしかないかと三郎右衛門が思った時、「丁度いい」と東光坊が言った。

 三郎右衛門は東光坊を見た。何が丁度いいのか訳がわからなかった。左京進と雅楽助も東光坊が何を言い出すのかと見守っていた。

「もうすぐ二年間の修行を終えて、若い者が五人、山から下りて来る。奴らを試してみるのに丁度いいじゃろう」

 東光坊の言った事は期待はずれだった。五人の若い者が何の役に立つというのだと三郎右衛門は思ったが、東光坊の事だから何か策があるのかもしれないと考え直し、「大丈夫なのか」と聞いてみた。

「自信はある」と東光坊は目を光らせた。三郎右衛門は東光坊を信じた。

「そうか。とにかく、敵情を探るのが先決だな。頼むぞ」

「任せておけ」と東光坊は消えて行った。

 左京進と雅楽助は不安そうな顔で三郎右衛門を見た。

「とにかく、やれるだけやってみよう。何もしないで引き下がったら湯本家が馬鹿にされてしまう」

 仕方ないという顔をしながら二人はうなづいた。







 柏原城は吾妻川の南側、沼尾川が吾妻川に流れ込む合流地点にあった。それより下流にある上杉方の白井城と上流にある武田方の岩櫃城とで攻防が繰り返されていた。武田と北条が再び同盟を結んだ翌年の元亀三年(一五七二年)八月、三郎右衛門が初陣で活躍した時、武田軍は白井城を攻め落とした。その時、柏原城も武田のものとなった。ところが翌年の五月、上杉謙信が大軍を率いて越後から攻めて来ると白井城も柏原城も奪い取られてしまう。謙信が去った七月、岩櫃勢は柏原城を取り戻した。それから三年近くの間、白井勢と何度も小競り合いはあったが、岩櫃勢は柏原城を守り通して来た。それを長篠の合戦の一年後、各地で一周忌の法要が行なわれている隙に、白井勢に奪い取られてしまった。柏原城を奪われると吾妻川に沿っての進入路を敵に確保された事になり、岩櫃城も安全とは言えなくなってしまう。何としてでも取り戻さなければならなかった。

 三郎右衛門は左京進に柏原城の縄張り図を書かせ、東光坊が調べて来た城内の様子を聞きながら作戦を検討した。

 守備兵は左京進が言った通り、福島佐渡守という祖母島(うばしま)の武将を大将として、およそ百人だった。左京進らが退去する時、建物を焼いてしまったので、今、近在の農民たちを駆り集めて普請中だという。

「その農民に扮して、忍びの者を潜入させたらどうだ」と三郎右衛門は東光坊に言った。

「その手は打ってある。柏原にいた本妙坊と岩櫃にいた東南坊の二人を百姓に化けさせて城内に入れてある」

「その二人に城内で火の手を上げさせ、それに呼応して攻めれば簡単に落ちるのではないか」と雅楽助が言うと、左京進が首を振った。

「その手は以前に使った。同じ手は使えまい」

 三年前、柏原城を奪い取った時、岩下城下に住む八右衛門という長吏(ちょうり)が柏原城に忍び込んで火の手を上げ、敵が混乱している所を富沢但馬守らが攻め、柏原城を奪い返していた。八右衛門はその時の手柄で吾妻川流域の長吏頭に任命されていた。

 長吏というのは穢多(えた)、あるいは河原者とも呼ばれ、主に皮革の製造に携わっていた。牛馬の死体を扱うため、人々から毛嫌いされていたが戦国乱世の時代、武具に必要な皮革を作る彼らはなくてはならない存在だった。草津にも湯根三左衛門という長吏の頭がいて、皮革の製造を初め、草津に集まって来るかったい乞食と呼ばれる癩病(ハンセン病)患者たちの面倒を見たり、渡り芸人たちを仕切ったり、行き倒れとなった無縁仏を葬ったりと人々が嫌がる様々な事に従事していた。

「その手が使えないとなると、どうしたらいい」と三郎右衛門は東光坊を見た。

 東光坊は左京進が書いた縄張り図を見つめていた。

「この城の北面は吾妻川が流れ、南面は沼尾川が流れ、城の東側で二つの川は合流している。北も南も東も断崖絶壁で攻める事は不可能だ。西から攻める以外にはない。当然、西側の守りは厳しくなる。この城の弱点は西側以外に逃げ道がないという事だ。それで今まで、この城では死闘と言われる程の合戦は行なわれていない。西側から大軍に攻められれば逃げ道を失い、城と共に討ち死にしなくてはならなくなる。逃げ道を塞がれる前に、逃げ出すという事が何度も繰り返されて来た。大軍で攻めれば簡単に落ちる城だが小人数で攻めるのは難しい。まごまごしていると白井からの援軍にやられてしまうじゃろう」

 そう言ってから東光坊はニヤリと笑った。

「何かいい手があるのか」と三郎右衛門は身を乗り出した。

 東光坊はゆっくりとうなづいた。「間もなく梅雨に入る。梅雨の間、敵を脅えさせておいて、梅雨が上がったと同時に城を奪い取る」

「どうやって」

「まあ、見ていて下され、月陰党の初陣を」

 翌日、三郎右衛門は左京進と柏原城を守っていた者たちを寄居城に残し、雅楽助に率いられて岩櫃に来ていた兵を連れて長野原に引き上げた。東光坊と共に草津に行き、二年間の修行を終えて山から下りて来た五人の若者と会った。彼らはすでに新しい名が付けられていた。三人の男は水月坊、山月坊、新月坊と名乗り、二人の女はムツキ、キサラギと名乗った。男たちは名が示す通り山伏の格好をしていて、女たちは草津でよく見かける漬物売りの格好をしていた。

「男たちは勿論、本物の山伏じゃ。白根明神で山伏としての修行も積んでいる。女たちには琴や踊り、歌や茶の湯など様々な芸を仕込んだ。時には遊女として働いてもらう事もあるので、その道もみっちりたたき込んである」

「えっ」と三郎右衛門は二人の女を改めて眺めた。

 二人とも粗末な格好をしているが、顔付きは美しかった。こんな美人がよく二年間もの厳しい修行に耐えられたものだと三郎右衛門は感心した。

「その道の事を師匠が教えたのか」と聞くと、

「馬鹿言え」と東光坊は柄にもなく照れた。「わしではない。遊女屋の者に頼んだのじゃ」

「成程」

 東光坊は照れていたが、二人の女は平気な顔をして三郎右衛門を見つめていた。

「確か、二年前、山に入ったのは十人だったな」

「男六人、女四人じゃったが、残ったのは半分じゃ。半分でも残ってくれたのはありがたい事じゃ。去年も男六人、女四人が山に入り、一年が経ち、男四人女二人が残っている。今年は男五人女七人を入れるつもりじゃ」

「女が七人も‥‥‥よく七人もの娘が見つけられたな」

「長篠の合戦で遺児となった者たちの中から選んだんじゃよ。働き手を戦で失い、身売りをしなければ生きて行けなくなった娘たちも多いんじゃ。七人の内、何人残るかわからんがの」

 長篠の合戦から一年が過ぎたが、その後遺症はいたる所で残っていた。宿屋の主人が戦死してしまって跡継ぎがなく、女たちだけで守っている宿屋も多かったし、東光坊の言う通り、遊女屋に娘を売らなければ生きて行けない者も多かった。

「それで、この五人に何をやらせるつもりなんだ」と三郎右衛門はひざまづいている五人を眺めながら東光坊に聞いた。

「狐(きつね)になってもらう」

「何だって?」三郎右衛門は東光坊を見た。

 東光坊は真面目な顔をしていた。五人の若者たちもキョトンとした顔をして東光坊を見ていた。

「まあ、楽しみに待っていてくれ」

 東光坊が合図を送ると五人の若者たちは三郎右衛門に頭を下げてお屋形から出て行った。出て行く時、キサラギがチラッと三郎右衛門を振り返った。三郎右衛門はいい女だと思いながら、キサラギの後ろ姿を見送った。

 三郎右衛門を見ていた東光坊はニヤニヤしながら、「お屋形様、そろそろ浮気の虫が騒ぎましたな」と冷やかした。

「何を言うか。そんなんじゃない。大丈夫かと心配しただけだ」

 三郎右衛門がむきになって否定すると東光坊は声を出さずにに笑い、「キサラギは生須村の娘じゃ」と言った。

「えっ」

「お屋形様はご存じないようじゃが、向こうは子供の頃からお屋形様を知っている。お屋形様のためならと必死になって、厳しい修行に耐えて来たんじゃよ」

「そうだったのか」

 三郎右衛門は一体、誰だろうと考えてみた。生須村は小さな村なので、ほとんどの住人は知っているつもりだったが、わからなかった。三郎右衛門が生須村に住んでいたのは十三歳までで、その後は白根明神で修行したり、旅に出たりしていて、旅から帰って来てからも草津や長野原にいる事が多かった。年下の娘の事はよく知らなかった。

「奴らは正式な武士ではない」と東光坊が厳しい顔をして言った。「奴らが命懸けで活躍しても、奴らの事は決して表には出ない。奴らを生かすも殺すもお屋形様次第じゃ。常に奴らのする事に目をかけて、活躍した時はお屋形様自ら、お褒めの言葉を掛けてもらいたいんじゃ」

「師匠の配下の二十一人とは別という事か」

「そうではない。わしも二十一人も勿論、月陰党じゃ。お屋形様の心得として言ったんじゃよ。先代のお屋形様は陰で働く者たちの面倒をよく見て下さったからな」

「そうか。わかった」

「よろしく頼む。それと京都に送っていた浄楽坊が帰って来た」

 三郎右衛門は顔色を変えて、「織田弾正を探っていたのか」と聞いた。

「そうじゃ。あの男、今は弾正ではなく、大納言(だいなごん)様になりおったらしい。京では大納言織田信長様が天子様から直接、盃を賜ったと大評判らしいな」

「大納言織田信長‥‥‥弾正の名は信長というのか」

「そうらしいな」

 大納言という官位がどれだけ偉いのか、三郎右衛門にはわからなかった。それでも、雲の上の人と思える天子(天皇)様と会う事ができるというのはかなり偉いに違いない。

「織田信長は今年の正月から琵琶湖に面した安土の地に本拠地となる新しい城を築き始めたようじゃ。岐阜の城は伜の勘九郎(信忠)に譲って普請中の安土に移り、城作りに夢中になっているらしい。まだ石垣しかできていないようじゃが、その規模はかなり大きく、岐阜城よりも華麗な城になるじゃろうとの評判じゃ」

「安土? どこだ」

「どうも、六角氏がいた観音寺城の一部のようじゃ」

「ああ、あの辺りか」と三郎右衛門は昔、東光坊と共に歩いた琵琶湖周辺を思い出した。「岐阜からそんな所に本拠地を移したのか」

「岐阜より京に近いからな。それに船で琵琶湖を渡る事もできる」

「成程。でも、どうして、京都を本拠地にしないのだろう」

「まだ早いと思っているんじゃないのか。大坂には本願寺がいるからな」

「本願寺か‥‥‥」と三郎右衛門は最初の旅で見た石山本願寺を思い出していた。

 一向一揆の本拠地である石山本願寺は寺院というより、紛れもない大きな城郭だった。あの頃、まったく無名だった織田信長は着実に勢力を広げている。いつかは戦わなければならない信長に三郎右衛門は恐れを感じていた。

「奴の動きは今後も探らなければなるまい。また誰かを送る事にしよう。それと、白井にも誰かを送って敵の動きを探らせよう」

「頼む」

 東光坊はうなづき、「これから奴らを連れて柏原に向かう」と言って出て行った。

 梅雨が始まり、毎日、シトシトと雨が降っていた。この時期、草津もそれほど忙しくはなく、三郎右衛門は長野原城にいて政務に取り組んでいる事が多かった。白井勢も柏原城を奪った後は大した動きもなく、相変わらず、越後の上杉謙信も攻めては来なかった。

 音沙汰のなかった東光坊から連絡が入ったのは、まもなく梅雨も明けそうな六月の半ば過ぎだった。三郎右衛門は留守を家老の湯本弥左衛門に任せ、小雨の降る中、三十人の兵を率いて、今、前線となっている箱島の寄居城に向かった。寄居城を守っているのは左京進で、三十人の兵と共に守っていた。柏原城までの距離は二、五キロ程だった。

 三郎右衛門は寄居城の本丸屋形に入ると、「どんな具合だ」と柏原城の方を眺めながら左京進に聞いた。

 左京進は首を振った。「それがよくわからないんだ。何がどうなっているのか」

「どういう事だ。敵は攻めて来るのか」

「雨が上がる度に攻めて来たのに、最近は攻めて来なくなった」

「東光坊は何をしてるんだ」

 左京進はまた首を振った。「時々、狐火のような物が向こうに見え、鉄砲の音が響き渡るが、一体、何をしているのやら」

「狐火?」と言って三郎右衛門はまた外を眺めた。柏原城は雨に霞んでいた。

「敵は何挺の鉄砲を持っているんだ」

「十挺」

「鉄砲の数ではこっちの方が上だが、兵力が足らんな」

「百人が守る城を六十人で攻めるのは、どう考えても無理だ。下手をすれば皆殺しになるかもしれん」

 確かに左京進の言う通りだった。たった六十人で城攻めができるわけがなかった。草津にいる者たちも連れて来れば百人にはなるが、それでも難しい。それなのに、どうして東光坊は三十人を連れて来いと言ってきたのかわからなかった。

「東光坊は今、どこにいるんだ」

「それもわからん」

 三郎右衛門は本丸屋形を出ると物見櫓に上って柏原城の方を見た。雨の降る中、霞んで見える柏原城は不気味な程、静まり返っていた。

 東光坊が現れたのは日が暮れてからだった。

「うまく行っている」と東光坊は嬉しそうに言ったが、顔はげっそりと痩せ、疲れ切っているようだった。

「大丈夫なのか」と三郎右衛門は心配した。

「大丈夫じゃ。後は仕上げだけじゃ」

「本当に勝てるのか」と三郎右衛門は半信半疑で聞いた。

「まず、間違いない。うまく行くはずじゃ」と東光坊は自信たっぷりに言ってから、三郎右衛門と左京進を見て、力強くうなづいた。

「鉄砲の音が響いたと聞いたが、皆、無事なのか」

「ああ、心配いらん。皆、よくやってくれた」

「例の用意はできたか」と東光坊は左京進に聞いた。

 左京進はうなづいたが、「あんな子供騙しが効くとは思えん」と東光坊のやり方に反対した。

「まあ、騙されたと思ってやってみてくれ。敵が反撃して来るようだったら、直ちに引き上げさせる」

 三郎右衛門は左京進が用意した物を見た。三間余り(約五、五メートル)の棒に松明(たいまつ)が六つ、ほぼ等間隔に縛り付けてある。それが六十本も用意されていた。

「これをかついで行くのか」と三郎右衛門は呆れたような顔をして東光坊に聞いた。

「そうじゃ。六つの松明が六十本で三百六十人の兵に見える」

「それは見えるかもしれないが、敵がそれを恐れて逃げ出すとでも言うのか」

「そうじゃ。泡を食って逃げ出すじゃろう」と東光坊は真剣な顔付きで言いのけた。

 三郎右衛門は左京進と顔を見合わせた。まさしく左京進が言った通り、子供騙しだった。

「とにかくやってみるしかない。すでに月陰党の者たちは待機している。こちらの松明が動き出せば向こうも動く」

 三郎右衛門と左京進は東光坊に騙されたと思って、六つの松明に火を付けた棒をかついで、雨降る中、一人づつ柏原城を目指した。寄居城と柏原城のほぼ中間地点に着いた頃、柏原城からどよめきが聞こえ、鉄砲の音が次々に響き渡った。

「落ち着け、鉄砲はここまで届かんぞ」と先頭を行く左京進が怒鳴った。

 やがて、城内に火の手が上がった。敵の騒ぎ声が聞こえて来たが、こちらに攻めて来る様子はない。三郎右衛門たちは充分に警戒しながら、松明をかつぎ柏原城へと近づいて行った。

 城が目の前に見えて来ても敵が攻撃して来る事はなかった。

 闇の中から東光坊が現れ、「成功じゃ。敵は逃げて行った」と言った。

 東光坊の案内で恐る恐る城内に入ると、雨のお陰で消えかかっている本丸屋形の側に、月陰党の若い者が五人いるだけで、敵の姿はどこにもなかった。

「御苦労だった」と三郎右衛門は五人を労った。皆、疲れ切った顔付きだったが、目だけはやるべき事をやり遂げた満足感で輝いていた。

 敵は余程、慌てて逃げたとみえて、火の手の上がった本丸屋形はボヤ程度で済み、その他の建物はすべて無事だった。

 三郎右衛門は雨に濡れた兵と五人の若者を休ませ、左京進と一緒に東光坊から話を聞いた。

「まるで、狐につままれているようだ。まったく信じられない」と三郎右衛門が言うと、「一体、どうなってるんです。あんな子供騙しの手で城が落ちるなんて、まさしく、狐に騙されているようだ。東光坊殿、説明して下さい」と左京進は興奮しながら聞いた。

「狐に騙されたと思っているのは敵の方じゃろう」と言って東光坊は笑うと、種明かしをした。

「まず初めに、吾妻川の方に狐火を一つ出した。あの断崖絶壁によじ登って、棒に吊るした松明を揺らしたんじゃ。敵も気づいたが別に驚きもしなかった。誰かのいたずらと思ったのか、翌朝、狐火を見た奴らは崖の下を覗いておった。次の日も同じ事をした。やがて、狐火の事は城内に広まって行った。狐火を出したのは雨の降っている時だけじゃ。雨がやんで月や星が出ていればばれてしまうからのう。徐々に狐火の数を増やして行った。沼尾川の崖の方でもやり、反対の山の方でもやった。半月程経ち、敵が恐れ始めた頃、草津に向かう旅人に化けたキサラギを城の前で倒れさせた。キサラギの美しさに目のくらんだ城の門番はキサラギを助けた。キサラギは二の丸の屋形にいた大塚備後のもとに連れて行かれた。キサラギは備後を噛み殺し」

「キサラギが噛み殺した?」と三郎右衛門は口を挟んだ。

「狐が噛み殺したように細工をしたんじゃ」

「キサラギが殺したのか」

「勿論じゃ。相手は敵将じゃからな」

「そして、備後の回りに狐の毛を撒き散らした。翌朝、大騒ぎとなった。備後が狐に噛み殺された。昨夜の女は狐じゃったとな。そして、次の夜はできるだけ多くの狐火を飛ばした。敵は鉄砲を撃って来た。城内は狂乱状態に陥っていた。その後も狐の仕業と見せて何人かを殺した。そして、今晩、敵は狐火の大軍が近づいて来るのを見て、恐れをなして逃げ出して行ったというわけじゃ」

「本当に狐の大軍だと思ったんだろうか」

「それはわからん。岩櫃の兵だと思ったかもしれん。しかし、敵はすでに怖じけづいている。とても、戦などできる状態ではないわ」

「狐火か」と左京進がつぶやいた時、窓の外に炎が飛び回っているのが見えた。

「あれは」と左京進は外を指さし、東光坊を見た。三人は驚き、窓辺に寄って確かめた。

「どうやら、本物らしい」と東光坊は言った。「お稲荷さんを祀った方がよさそうじゃな」

 狐火はフラフラと飛び回りながら山の方に消えて行った。以後、柏原城は狐火城あるいは狐城と呼ばれるようになった。
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