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2017 .02.26
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22.五月雨




 静かな正月だった。

 一徳斎は何事もなかったかのように、箕輪城にて新年を迎えていた。善太夫を初めとして吾妻郡の武士たちは皆、ほっとして、笑顔で、一徳斎に新年の挨拶を述べた。

 去年、京都では大事件が起こり、年号が元亀(げんき)から天正(てんしょう)に変わっていた。

 織田信長が将軍足利義昭を京から追放して、事実上、室町幕府は終わりを告げていた。幕府をつぶし、新しい世の中が来るようにと年号を『天正』に変えさせたのは信長だった。

 その事を聞いた時、善太夫は、信長がどこかで新しい将軍を見つけて来るのだろうと思っていた。しかし、あれ以来、新しい将軍が迎えられたという話は聞かなかった。これからどうなってしまうのか分からなかったが、新しい世の中が来るような予感はしていた。

 相変わらず、戦は絶えなかった。しかし、一昔前の戦とは変わっていた。一昔前は羽尾と鎌原の合戦のように小さな合戦が絶えなかった。しかし、今の戦は、関東では必ず、上杉、北条、武田の三氏が絡んでいる。この三氏のうちの誰かが関東を平定する事となるだろう。関東が平定されれば戦はなくなるし、飾り物の公方(くぼう)様や管領という肩書も不要となる。

 すでに、信長は上方を平定してしまったのだろうか‥‥‥

 信長の名が関東にまで聞こえるようになったのは、つい最近の事だった。それが今、将軍を追放してしまう程の実力を備えている。信長が関東まで攻めて来る事は考えられなかったが、恐るべき男だとその名を肝に銘じていた。

 京都では幕府が崩壊しても、関東には北条氏の庇護のもと、古河公方は存在したし、上杉謙信も関東管領として、関東を平定するために山を越えてやって来る。善太夫の見た所、謙信は関東を平定する事はできないと思っている。謙信自身も諦めているのかもしれない。もし、平定する気があれば、北条と同盟を結んでいた時、西上州に攻め込んで来たはずだった。しかし、謙信は攻めては来なかった。

 北条と武田が再び同盟を結んだ今、西上州に攻め込む事は不可能と言えた。となると、関東を争うのは北条と武田という事になる。北条と武田が決戦をした場合、どちらが勝てるか分からなかった。北条は万松軒が亡くなって氏政の代となり、武田は信玄が亡くなって勝頼の代となった。万松軒と信玄は甲乙付けがたい名将だった。跡を継いだ二人のうち、どちらが優れているかで決まるだろう。善太夫としては勝頼の方が優れている事を願うしかなかった。

 善太夫は、謙信はもう関東の事は諦めているだろうと思っていたのに思い違いのようだった。謙信はその年の二月の初め、雪山を越えて沼田にやって来た。

 同じ頃、武田勝頼が行動を開始した。上野の国まで出陣命令は来なかったが、真田兄弟は甲斐に向かったという。

 謙信は沼田から廐橋城に入り、利根川を越えて西上州に攻めて来るかに見えたが南へと向かい、北条方の城を攻め続けた。特に、上杉と北条が同盟する時、中心になっていた由良(ゆら)氏への攻撃は厳しく、金山城を完全に包囲して猛攻を続けた。北条氏としても金山城が落ちてしまうと東上州が上杉領となってしまうので、氏政自身が小田原から大軍を引き連れて援軍に向かった。

 上杉軍と北条軍は金山城の南の利根川を挟んで対陣した。氏政は箕輪の一徳斎に上杉軍を後方から攻撃するように頼んで来た。同盟を結んでいるので断るわけにも行かず、一徳斎は廐橋城を攻撃すると共に大胡(おおご)城を攻撃し、善太夫ら吾妻衆には白井城を攻撃させた。

 謙信は兵糧の蓄えてある兵站(へいたん)基地の大胡城を攻撃されて、陣を引かざるを得なかった。謙信が大胡に向かって来るとの報を受けると一徳斎は全軍を引かせ、それぞれの城に戻らせた。謙信は一旦、大胡城に入った。謙信が引き上げると氏政も金山城に入って情勢を見守った。

 一方、勝頼は信玄の死後、初めての戦を見事、勝ち戦で飾っていた。

 勝頼が落としたのは、美濃(岐阜県)の明智城だった。明智城は信長方の城だった。勝頼が最初にこの城を狙ったのは信長に対する宣戦布告であった。勝頼は父の遺志を継いで、信長を倒し上洛する事を目標としていた。勝頼は初戦の勝利に満足して甲府に凱旋(がいせん)した。
 善太夫が白井攻めから岩櫃城に帰って具足を脱いでいる時、東光坊が駈け込んで来た。

「一徳斎殿がまた、お倒れになりました」

 善太夫は東光坊の言葉を最後まで聞かずに飛び出して行った。

 善太夫は箕輪まで行ったが、一徳斎に会う事はできなかった。戦の最中、持場を離れるとは何事かと怒られ、追い返されてしまった。

 一徳斎の言う通り、謙信はまだ大胡にいて、こちらに向かって来るかもしれないのだった。善太夫は矢沢薩摩守から様子を聞いただけで岩櫃城に戻った。

 謙信が越後に帰った後、改めて見舞いに行くと、一徳斎は高熱を出して寝込んでいた。

 真田から源太左衛門が永田徳本(とくほん)という医師を連れ、甲府からは三男の武藤喜兵衛が暁紅軒(ぎょうこうけん)という医師を連れて見舞いに来ていた。

 右腕を失った円覚坊も心配そうな顔で一徳斎を見守っていた。

 円覚坊と会うのは久し振りだった。四年前、腕の治療のため草津で湯治していた。それ以来、会ってはいなかった。あの時、もう歳じゃから引退するつもりだ、と言っていたが、その後も一徳斎のもとで活躍していたらしかった。一徳斎が箕輪の城代となった時、一緒に箕輪に来るだろうと思ったのに円覚坊は来なかった。

 善太夫は見舞いが済んだ後、円覚坊がいる城下の宿坊を訪ねた。

「師匠」と呼ぶと、円覚坊は笑って、「久し振りに飲むか」と答えた。

 円覚坊と善太夫は近くにある飲屋の暖簾(のれん)をくぐった。

「引退するはずじゃなかったんですか」と善太夫は酒を飲みながら冗談まじりに聞いた。

「するはずだったんじゃがのう。一徳斎殿がさせてくれんのじゃよ」

「師匠なら片手を失っても、充分、戦えますからね」

「いや、もう、前線には出てはおらん。一徳斎殿に頼まれた事があってのう」

「頼まれた事?」

「うむ。源太左衛門殿のためにな、北条の風摩(ふうま)党のような忍び集団を作ってくれと頼まれたんじゃよ」

「忍び集団を作っていたのですか」

「うむ。三増(みませ)峠の合戦でわしらが全滅した後、一徳斎殿に風摩党の事を話したら、真田家にもそんな組織を作らねば、この先、生きては行けんと言われてのう」

 善太夫は酒を注ぎながら、「できたのですか」と聞いた。

「うむ」と円覚坊はうなづいた。「一応はな。風魔党程大きくはないがの。一流の武芸者ばかり集めたつもりじゃ」

「飯縄(いいづな)山からですか」

「飯縄だけじゃない。戸隠(とがくし)、黒姫、妙高、四阿(あづまや)、浅間とそこら中から集めた」

「凄いですね。百人位集めたのですか」

「いや、集めたのは十人じゃ。その十人に若い者を鍛えて貰ったんじゃ、三年間びっしりとな。今は百人以上いるじゃろうな」

「一流の武芸者が百人ですか。凄いですね」

「おぬしも東光坊に作らせろ。一徳斎殿の言う通り、これから、生き残るためには諜報(ちょうほう)活動はもっとも必要じゃ。これからは関東だけではなく、上方の方の情報も必要となる」

「織田弾正(だんじょう)ですか」

「そうじゃ。奴は物凄い勢いで領土を拡大しておる。あと何年かしたら、奴は必ず、関東に出て来るじゃろう」

「出て来ますか」

「必ずな」

 善太夫は円覚坊の話を聞きながら、確かに、湯本家にも忍び集団は必要だと思った。

 今、東光坊の配下には二十人の山伏がいるが、当然、北条の風摩党と比べられる程のものではなかった。しかし、東光坊なら小さな風摩党のような忍び集団を作る事ができるだろう。三年位かかるかもしれないが、三郎右衛門のためにも作るべきだと思った。

 次の日、草津に帰ると善太夫は、さっそく、その事を東光坊に頼み、真田の忍びが修行しているという角間渓谷に送った。そして、草津の事を三郎右衛門に、長野原城を甥の左京進(小次郎)に任せて、箕輪城内の矢沢薩摩守の屋敷に滞在しながら、一徳斎の様子を見守る事にした。

 二人の名医のお陰か、一徳斎の熱は下がり、五月の半ばには起き上がれるようになった。皆、一安心して胸を撫で下ろした。

 一徳斎を見舞うために西上野の武士や僧侶が毎日のように訪ねて来た。その中に珍しい人がいた。『小野屋』のナツメだった。

 ナツメは善太夫が借りている部屋に突然、酒をぶら下げてやって来た。

 ナツメが部屋に入って来た途端、部屋が華やぎ明るくなった。お互いに四十歳を越えたのに、会うと不思議に若返ったように感じられた。また、ナツメはどう見ても、十歳以上も若く見えた。

「お久し振りね。あなたがここにいるとはね。よかったわ、行き違いにならなくって」

「草津に行くつもりじゃったのか」

「ここまで来て、あなたに会わずに帰れるわけないじゃないの、馬鹿ね」

「嬉しい事を言うね」

「お土産」とナツメは善太夫に酒を渡した。

「うまそうじゃのう」

「一徳斎様、大丈夫みたいね、よかったわ」

「うむ、よかった」

「お薬を持って来たのよ」

「へえ、何でも扱ってるんじゃな」

「特別なお薬があるの。お爺様が作った特別なお薬がね」

「へえ、お爺様が医者だったとは初耳じゃな」

「医者じゃないけど、医者みたいなものね。最後は草津でかったいたちの面倒を見ていたらしいものね」

「なんじゃと‥‥‥お爺様が草津でかったいを?」

 善太夫は驚いて、ナツメの顔を見つめた。

「あっ、まずい。ついしゃべっちゃった」とナツメは困ったような顔をして、首を振っていた。

「もしかしたら、そのお爺様っていうのは、愛洲移香斎殿の事か」と善太夫は聞いた。

「兄上から絶対に言うなって言われてたのよ」

「孫太郎殿か‥‥‥すると、そなたも孫太郎殿も移香斎殿のお孫さんというわけか」

 ナツメはうなづいた。

 善太夫は言葉も出ないほどに驚いていた。目の前にいるナツメが、あの移香斎の孫だったとは、とても信じられなかった。

「どうして、隠してたんだ」

「あたしたちの正体がばれちゃうからよ」

「正体? 商人じゃないのか」

「今は商人よ。でも、あなたに最初に会った時は、商人の振りをしていただけ、本当の商人になったのは、その後の事よ」

「商人の振りをしていたじゃと‥‥‥すると、正体というのは‥‥‥」

 ナツメはうなづいた。

「風摩党か」と善太夫は聞いた。

 ナツメはうなづいた。

「ばれちゃったけど、しょうがないわね。お互いに味方同士だし、もう戦う事はないでしょうからね」

「風摩党‥‥‥そなたもその仲間なのか」

「表向きは『小野屋』の主人だけど、裏では風摩党と同じような事をやってるわ」

「そうか‥‥‥まさか、陰流の武芸も身に付けているんじゃあるまい」

「付けてるわよ」とナツメは当然の事のように言った。「子供の頃から厳しく仕込まれたもの」

「女子(おなご)なのにか」

「女子なのにね」

「それじゃあ、初めて会った、あの時も相当な腕だったわけじゃな」

「はっきり言って、あの時、あなたに勝てると思ったわ」

「へえ」と善太夫はナツメを見ながら苦笑した。「そいつは参ったね」

「でもね、平井の合戦の後、あなたに会った時、あたし、あなたに負けると感じたわ。あの時、あたしは風摩の砦で厳しい修行を積んだ後だったので腕には自身があったわ。でも、あなたには負けると思った。あなたから上泉伊勢守様のもとで修行をしたと聞いて、凄い修行をしたんだなと分かったわ。あなたが、あたしより強かったから、あたし、あなたに惚れちゃったのね。あの時、あたし、風摩党を捨てて、本気であなたの側室になろうと思ったんだもの」

「でも、なれなかった」

 ナツメはうなづいた。

 孫太郎とナツメは相模の国の浦賀にある風摩党の水軍の砦で生まれた。

 父親は風摩党の水軍の大将であり、母親は北条家の水軍の大将の娘であった。父親は愛洲移香斎の三男で、母親は移香斎の甥の娘だった。

 愛洲移香斎は南伊勢の水軍の大将の伜として生まれた。しかし、水軍の大将を継ぐ事なく武芸者としての生き方を選んだ。移香斎には弟が二人いて、上の弟が伊勢愛洲家の水軍の大将を継いで、下の弟は移香斎の紹介もあって北条家に仕える事となり、北条家の水軍の大将として活躍した。

 風摩党の水軍とは、北条家に属してはいるが正規の水軍ではなかった。海の忍者ともいえる存在で、普段は商船あるいは漁船として活動しながら、敵の情報を探ったり、時には海賊となって敵地を混乱させたりもする陰の存在だった。風摩党の者以外、北条家の者でもその存在を知らなかった。当然、砦といっても目立つものではなく、どこにでもある漁村といった雰囲気だった。

 孫太郎とナツメはそんな漁村に生まれ、生まれながらにして風摩党の一員として育てられた。孫太郎もナツメも幼い頃から武芸を身につけ、十七歳から二年間は箱根山中にある風摩砦にて、武芸および忍びの術を徹底的に教え込まれた。善太夫とナツメが草津にて結ばれた翌年、ナツメは風摩砦に入ったため、草津には来られなかった。嫁に行ったというのは勿論、嘘だった。

 風摩党には女だけの忍び集団もあり、彼女らは武芸だけでなく、あらゆる芸事を身に付け、敵地に潜入して諜報活動を行なった。旅芸人、商人、遊女、尼僧、あるいは側室となって敵の武将のもとに行く事もあった。平井城下に送り込まれた遊女たちや羽尾道雲のもとに送り込まれた少女、サワも風摩党の女だった。

 ナツメは、そんな女たちを取り仕切っている従姉(いとこ)の桔梗(ききょう)から武芸やその他の芸を習った。そして、平井城が落城した後、姿を消した管領上杉憲政の居場所を探るために草津に赴(おもむ)き、湯治と称して半年近くも滞在していたのだった。

 ナツメ自身は善太夫の湯宿に滞在していただけで動かなかったが、何人もの手下が上野の国中に散らばり、ナツメのもとに情報をもたらしていた。

 管領が越後の長尾氏を頼って行ったと分かると、そのまま、上野の国の情報を集めるため滞在を続けた。それらの情報によって、北条氏は上野の情勢を知り、攻略の作戦を立てて攻めて来たのだった。

 半年近く、善太夫と共に暮らし、善太夫に惚れてしまったのは本当だった。善太夫から側室になってくれと言われた時、本気でなりたいと思っていた。ところが、翌年の二月、『小野屋』の三代目の主人を継いでいた従姉の葉月(はづき)が急に亡くなってしまい、ナツメが跡を継ぐ事になってしまった。

 『小野屋』の初代の主人は近江の国(滋賀県)の松恵尼(しょうけいに)という尼僧だった。北条氏初代の早雲が関東に出て来る前からの知り合いであった。また、愛洲移香斎とも知り合いで、『小野屋』の二代目を継いだのは移香斎の娘だった。早雲が小田原城を落とした後、『小野屋』は本拠地を小田原に移して北条家の御用商人となった。『小野屋』は各地に出店を持ち、それらの出店は風摩党の拠点とされた。

 『小野屋』は風摩党の一員ではないが、風摩党との結び付きは強く、『小野屋』の主人は風摩党の頭である風摩小太郎と対等に言葉を交わせる立場にあった。そして、初代より、商人と尼僧という二つの顔を持ち、男と所帯を持つ事は許されなかった。ちなみにナツメの尼僧名は善恵尼という。勿論、善太夫の善の字を貰ったのだった。

 『小野屋』の主人となったナツメは同盟を結んだ武田信玄を探るために信玄に近づき、甲府に『小野屋』の出店を出し、上野進攻を任された真田一徳斎に近づき、真田にも出店を出し、さらに敵である上杉謙信にも近づき、越後府中(上越市)にも出店を出す事に成功していた。

 北条と武田の同盟が壊れ、北条が上杉と同盟し、北条三郎と謙信の姪の婚儀のおり、あらゆる用意を整えたのはナツメであった。

「大したもんじゃ」と善太夫はただ感心するばかりだった。

「でもね、最近、雲行きが怪しくなって来ているの」とナツメは言った。

「なんじゃ、雲行きとは?」

「先代のお屋形様(氏康)がお亡くなりになったでしょ」

「万松軒殿か」

「ええ。今のお屋形様(氏政)は、あまり、風摩党をお使いにならないのよ」

「どうしてじゃ」

「分からないわ。あたしたちを信用してないのかしら‥‥‥あたしたちの任務は秘密に行動しなければならなかったでしょ。だから、直接、お屋形様から命令が下されるの。逆に言えば、お屋形様以外の者からの命令は絶対に聞いてはいけないのよ。幻庵(げんあん)様は別だけどね」

「幻庵様とは?」

「初代の早雲寺様の末っ子よ」

「へえ、そんなお人がまだ生きているのか」

「ええ、もう八十歳を越えてるけどね。風摩党は幻庵様の支配下にあって、お屋形様直々の命で動くのよ。先代のお屋形様は四十五歳の時に隠居なさって、今のお屋形様に家督を譲ったの。でも、実権は握っていたのよ。勿論、風摩党の命令権も先代のお屋形様が持っていたわ。先代のお屋形様はお亡くなりになるまで、あたしたちに直接、命令してたの。今のお屋形様は家督を継いでから十二年間、あたしたちに命令する事ができなかったのよ。今のお屋形様だって、やっぱり、色々な情報は知りたかったはずよ。でも、あたしたちを利用する事ができなかった。そこで、お屋形様は伊賀者や甲賀(こうか)者を使う事にしたの。伊賀者や甲賀者というと忍びの代表みたいに世間では通ってるけど、みんな、お爺様の孫弟子みたいなものよ。伊賀者や甲賀者も、いくらお屋形様の命令だからって、お爺様の孫のいる風摩党の縄張り内で勝手な事はできないわ。初めの頃は必ず、お頭の所に挨拶に来て、許しを得てから活動してたのよ。でも、世代が代わると、もうお爺様の事を知ってる者は少なくなって来たわ。許しも得ないで、縄張り内で勝手に活動する者たちが現れて来たの。風摩党としては、そんなのを許しておいたら示しがつかないから、やっつけたわ。でも、そのやられた者たちが、お屋形様の命で動いていたから、お屋形様は風摩党を憎むようになったらしいのよ。お頭としても、そんな事で親子がいがみ合っては困るので、先代のお屋形様に、今のお屋形様の命令でも動けるようにしてくれと頼んだけど駄目だったの。命令系統が二つもあると混乱するって言ってね。結局、お亡くなりになるまで、今のお屋形様に命令権を与えなかったのよ」

「へえ、未だに恨みを持ってるというわけか」

「多分ね。それと、先代のお屋形様は子供の頃、風摩砦で暮らした事があったらしいの。初代の早雲寺様は御浪人から武将になったお人だから、勿論、武芸は身に付けておいでだったわ。二代目の春松院(しゅんしょういん)様(氏綱)もお爺様から武芸をお習いになったわ。春松院様のお若い頃はまだ、北条家の領地は伊豆の国と相模の国の一部しかなかったから、早雲寺様のように先頭に立って戦わなければ、地方の武士たちがついて来なかったの。だから、武芸はどうしても必要だったの。先代のお屋形様のお若い頃も武蔵に進攻している最中で、武芸は必要だったの。でも、今のお屋形様のお若い時は、武蔵も平定し終わって、上野に進攻している頃だったの。家臣たちも大勢いて、自ら、先頭に立って戦う必要もなくなったし、武芸を特に身に付ける必要もなくなったのね。勿論、今のお屋形様だって、一通りの武芸のお稽古はなさったわ。でも、風摩砦で厳しい修行に耐えたわけじゃないの‥‥‥本当はね、今のお屋形様は次男なのよ。新九郎様という御長男の方がいらしたんだけど、十八歳でお亡くなりになったの、風摩砦でね。新九郎様は北条家のお屋形様になるために、風摩砦で修行なさっていたの。先代のお屋形様は御自分も風摩砦で修行をなさったから、跡取りの新九郎様にも精神的に強くなってもらうために風摩砦に入れたんだと思うわ。新九郎様は武芸の上達が速かったわ。お屋形様以上の腕になるだろうって評判だったの。新九郎様もお稽古が好きで熱中してらしたわ。ある朝、いつものように滝に打たれに川に行ったの。そこで足を切ったらしいのよ。大した傷じゃなかったんだけど、だんだん足が腫れてきてね、凄い熱を出したのよ。できる限りの手当を施したけど、駄目だったわ。そんな事があったから、お屋形様も今のお屋形様を風摩砦には入れなかったみたい。風摩砦で厳しい修行を積めば、みんな、仲間なのよ。先代のお屋形様はその経験がおありになるから、風摩党の気持ちもよく分かってくれて、大事にしてくれたわ。でも、今のお屋形様は、そういう経験がないから、風魔党を伊賀者や甲賀者と同じような目で見て、信用が置けないと思ってるんだわ」

「成程ね‥‥‥すると風摩砦というのは、武術道場みたいな所なのか」

「そうよ。一流の武芸者たちばかりいるわ。でも、陰の一族だわね。表には絶対に名前が出ないから」

「へえ‥‥‥北条氏は凄い組織を持ってるもんじゃな」

「お爺様はもっと大きな組織を持ってたのよ」

「移香斎殿が?」

「ええ。初代の風摩小太郎様がお亡くなりになった時、二代目小太郎様はまだ二十四歳だったの。初代早雲寺様の時代で、相模の国を攻略中の時ね。二代目が若過ぎて頼りないっていうんで、お爺様が早雲寺様から頼まれて、三年間、後見役をやっていたの。それに風摩党の水軍を作ったのもお爺様よ。だから、お爺様は風摩党を動かす力を持っていたのよ。べつに動かしはしなかったらしいけど‥‥‥それと、本願寺の門徒たちにも、風摩党のような裏の組織があるらしいの。その組織のお頭もお爺様のお弟子さんで、お爺様はその組織を動かす力も持っていたんですって。他にもお爺様のお弟子さんはあっちこっちにいて、陰で活躍してるらしいわ。それらの人たち全部を動かす事ができたのがお爺様だったのよ」

「へえ、凄いね。裏の世界を牛耳(ぎゅうじ)っていたのか、移香斎殿は」

 ナツメは首を振った。

「それだけの力を持ちながら、お爺様は何もしなかった。できなかったのかもしれない。あの頃、世の中は乱れに乱れていたから、どうしようもなかったんだと思う。でも、今なら何とかやれそうな気がするわ。実力を持って、のし上がって来た者たちが何人かにしぼられて来たわ。その何人かの誰かが天下を取る事になるでしょう。そうなれば、平和な世の中がやって来るわ。北条か、武田か、上杉か、織田か、それとも、本願寺か、西国の毛利か、そのいずれかでしょうね、天下を取るのは」

「成程」と善太夫はうなづいた。「移香斎殿が今、生きておられれば、陰の力を使って、天下を取る事が出来たというわけか‥‥‥残念じゃな」

「いいえ。お爺様はちゃんと後継者を残したわ」

「なんじゃと‥‥‥今も裏の世界を牛耳る力を持っている者がいるというのか」

「いるわ。あなたも知っているお人よ」

「わしが知ってる?」

「そう、上泉伊勢守様よ」

「なに、伊勢守殿‥‥‥伊勢守殿が移香斎殿の後継者か‥‥‥武芸の上での後継者というのは知っていたが」

「お爺様は伊勢守様にすべてを授けたの。お爺様は伊勢守様を連れて、お爺様のお弟子さんの所を回って、みんなに後継者だという事を知らせたのよ。もう五十年も前の事だけど、お爺様は代が変わっても分かるように書状にして、みんなに渡してあるの。だから、伊勢守様が命令すれば、風摩党は勿論の事、陰流を身に付けている人たちは皆、伊勢守様に従うのよ」

「伊勢守殿がそんなお人じゃったとは‥‥‥知らなかった」

「だから、伊勢守様はあっさりとお城と領地を捨てなさったのよ。自分の領地を守るよりも、世の中、すべてを平和にしなければならないという使命から、浪人なさって上方に行かれたの。うまく行くといいけど‥‥‥でも、五十年という月日は長すぎたかもしれない。もう、直接、お爺様を知っている人はいないかもしれない」

「そなたはお爺様を覚えておるのか」

 ナツメは首を振った。

「あたしが六歳の時、お爺様はお亡くなりになったの。兄上はよく覚えているとおっしゃるけど、あたしはほとんど覚えてないのよ」

「そうか‥‥‥伊勢守殿は天下の平和のために浪人なさったのか‥‥‥知らなかった」

「伊勢守様は今、岐阜にいらっしゃるわ」

「岐阜?」

「岐阜にも『小野屋』があるの。伊勢守様もやはり、小野屋を拠点にして動いているの」

「へえ、岐阜と言えば、織田弾正じゃな。そなたは弾正とも取り引きしておるのか」

「しているわ。でも、小野屋が岐阜にあるのは、織田様が来る前からよ。二代目の夢恵尼(むけいに)様がお店を出したのよ。その頃はまだ岐阜とは呼んでないで、稲葉山のお城下だったわ」

「へえ、しかし、そなたの言う事はでっかいのう。わしらには、とても、ついて行けん」

「そんな事ないわよ。あたしは小野屋の四代目を継いだから行動範囲が広いだけよ。初代の松恵尼様が伊勢、奈良、伊賀、堺、京都、摂津、播磨、越中、加賀、駿河、伊豆とお店を広げ、二代目の夢恵尼様が小田原、玉縄、江戸、岩付、鎌倉、稲葉山とお店を広げ、三代目の葉恵尼(ようけいに)様が河越、古河、平井、廐橋とお店を広げたの。あたしはそれを継いだだけ。北条氏だってそうよ。初代の早雲寺様は無から始めて、伊豆の国を平定して相模に進出したの。そして、二代目の春松院様は相模を平定して武蔵に進出したの。そして、万松軒様は武蔵を平定して上野に進出したわ。あなたは代々、草津の領主だったでしょ。あの辺りは小さな豪族がいっぱいいて、それが皆、親戚みたいに結び付いていたでしょ。勢力を広げる事が難しかったのよ。でも、そういう所は一つが抜けると、今まで保たれていた均衡が崩れるのね。そこで争いが始まって、あなたは領地を広げられたわ」

「鎌原氏が信濃に逃げたのは、そなたが考えた筋書じゃったのか」

「まさか、あれは一徳斎様が考えたのよ。あたしはちょっとお手伝いしただけ。だからね、あなたは長野原まで進出したでしょ。跡を継ぐ三郎右衛門様が岩櫃あるいは箕輪辺りまで進出して、段々と大きくして行くのよ」

「まあな。これからやるのは難しいがな、やるしかないのう」

 善太夫はその晩、箕輪城下にある『小野屋』に行って御馳走になった。さすがに立派な店構えだった。

 箕輪城が落城した時、城下はすべて焼けてしまった。城代として箕輪城に入った内藤修理亮を助けて、城下の再建に尽くしたため、城下の表通りの土地を賜って店を建てたのだという。表向きは塩と味噌を扱う店だったが、裏では武器も扱っているという。

 善太夫はそのまま、小野屋の客間に滞在しながら一徳斎の様子を見守っていた。

 一時回復に向かった一徳斎だったが、十七日にまた倒れ、意識不明に陥(おちい)り、そのまま目覚める事なく、小雨に煙る十九日の早朝、静かに息を引き取った。六十二年の波乱に富んだ生涯だった。

 その日から梅雨に入ったらしく、雨降りの日が毎日続いた。

 その頃、武田勝頼は家康に奪われた遠江の高天神(たかてんじん)城(大東町)を包囲し攻撃していた。高天神城を落とす事は、徳川家康から遠江の国を奪い取るための第一歩として、どうしても必要な事だった。

 勝頼は二万余りの大軍で高天神城を囲み、猛攻を加えると共に悪くない条件をもって投降を誘った。城主小笠原与八郎は家康からの援軍を待って籠城を続けていたが、二ケ月経っても援軍が来ないので開城した。

 与八郎は元今川家の被官だった。六年前に家康に攻められた時に今川家を見限って家康に寝返っていた。城を守っていた武士も元今川家の被官ばかりだった。家康が助けに来ないのに命懸けで守ろうとする者は少なく、開城後、武田に付くか徳川に付くか選べるという条件に乗って城を明け渡したのだった。

 家康としては勿論、援軍を出したかったが兵力が足りなかった。信長に助力を求めたが、その頃、信長は本願寺の一揆を相手に各地で合戦をしていたため、家康への救援が遅れ、三河の岡崎まで来ていたのに間に合わなかった。

 勝頼は父、信玄でさえ落とす事のできなかった高天神城を落とした事によって自信を深め、得意になって甲府に凱旋した。

 一徳斎の死も信玄と同じように公表されなかった。ひそかに荼毘(だび)にふされて真田へと帰って行った。

 真田家は長男の源太左衛門信綱が継ぎ、箕輪城には内藤修理亮が再び入る事となった。

 雨降る中、ナツメは一徳斎の遺骨と共に真田へ向かった。

 一徳斎の死は吾妻郡の武士たちにとって大きな衝撃だった。今まで、ずっと、一徳斎の指揮のもとで戦って来た。去年、信玄が亡くなり、今、一徳斎もいなくなった。この先、どうなるのだろうと皆、少なからず不安にかられていた。

 八月に北条氏政が上野に攻めて来た。北条氏は味方だったが、ただ、その戦いぶりを見ていればいいというものではない。援軍として出陣しなければならなかった。しかし、この頃になると激しい合戦はほとんど行なわれなかった。

 上杉方の武士にしろ、北条方の武士にしろ、敵が攻めて来るたびに、打って出たのでは兵がいくらいても足らなくなってしまう。城の守りを固めて、援軍が来るのを待つか、敵が去るのをじっと待っているしかなかった。

 北条氏は上杉氏が越後に帰っている隙を狙ってやって来る。そして、上杉氏が越後から出て来ると兵を引くという事が何度も繰り返されていた。

 謙信は関東管領になってから十四年間、ほとんど、毎年のようにやって来ていたが、上野の国の一部だけしか領内に組み込む事ができなかった。それでも、やはり関東管領としての誇りを持っているのか、助けを求められると必ずやって来た。

 この年も謙信は十月にやって来て廐橋城に入った。

 北条氏政は下総の古河城まで兵を引いた。

 善太夫らは箕輪城まで引き下がり、守りを固めて謙信の動きを見守った。

 十一月になると謙信は北条方の金山城に猛攻を加え、利根川を渡って武蔵の国に入り、深谷城、鉢形城、忍(おし)城、騎西(きさい)城、松山城、岩付城などの城下に火を放ち、領内を荒らし回って、十二月に越後に帰って行った。

 今回の謙信の攻撃はいつもと違って、どこか荒れ狂っているような凶暴なものだった。氏政は近寄るのを恐れたのか古河城から出ては来なかった。謙信が帰ると氏政も小田原に引き上げた。

 その年の関東出陣が謙信にとって最後のものとなった。

 越後に帰った謙信は何を思ったのか髪を剃り落として出家している。宿敵であった北条万松軒、武田信玄を失い、改めて自分の死を覚悟したのだろうか。それ以後、謙信の目は関東よりも西の方に向いて行く事になった。
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