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2024 .03.19
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16.岳山城




 その年、永禄七年(1564年)も冬になると、律義(りちぎ)に上杉輝虎はやって来た。

 永禄三年に元管領の上杉憲政と一緒に大軍を引き連れてやって来て以来、年中行事の一つのように、毎年、冬になると必ずやって来る。大軍を率いて雪山を越えてやって来る事には感心するが、善太夫ら吾妻衆にとっては迷惑この上もない事であった。

 善太夫らは岩櫃城の守りを固めながら、上杉軍が攻めて来ない事を願った。

 幸い、輝虎は常陸(ひたち)の小田城と下野(しもつけ)の唐沢(からさわ)山城を攻めただけで、雪が溶けるのも待たずに、さっさと引き上げて行った。

 円覚坊の話によると、越中(富山県)にて本願寺の一揆が蜂起して、越前(福井県)の朝倉氏から救援を頼まれたため、いつもより早く帰ったのだという。武田信玄は、輝虎の後方を撹乱(かくらん)するために、本願寺の顕如上人(けんにょしょうにん)と同盟を結んだとの事だった。

 輝虎が引っ込むと信玄と北条万松軒が攻めて来た。万松軒は廐橋(うまやばし)まで進攻し、信玄は箕輪城を攻撃した。善太夫らも箕輪城攻撃に加わったが落とす事はできなかった。

 信玄は今度こそはと出陣して来たため、攻撃の手を緩めなかった。敵も味方もおびただしい犠牲を出した割には、いい結果は得られなかった。

 善太夫は信玄から、負傷者を治療のために草津の湯に入れてやってくれと直接に頼まれた。善太夫は喜んで引き受けた。

 草津は武田の兵で賑やかになり、かつての活気を取り戻したようだった。

 負傷しているとはいえ、病人ではないので、飯は食べるし酒も飲む。回復に向かって行けば、当然、女も欲しくなる。負傷兵目当ての遊女たち、旅の商人や旅芸人と続々、草津に集まって来た。宿屋の者たちも忙しい忙しいと悲鳴を挙げながらも喜び合っていた。

 雑兵だけでなく、負傷した武将たちも湯治に来たため、善太夫も忙しくなった。戦のない時は岩櫃城と草津を行ったり来たりしなければならなかった。

 客が多くなって景気がいいのは嬉しいが、十月になり冬住みが近いというのに、もう少しいさせてくれという武士の一行が現れたのには困った。無理に断る事もできないので、宿屋の者が誰もいなくなっても構わないというのなら、と言うとそれでもいいと言う。善太夫は彼らを宿屋に残して、小雨村に下りた。後で聞くと善太夫の宿屋だけでなく、他でも客が残っていると言う。

 先例を作ると毎年、こんな事になってしまう。善太夫は東光坊に残っている武士たちを威(おど)してやれと命じた。

 四、五日して、草津に残っていた武士たちは皆、下りて行ったと知らせが届いた。

「天狗が出た!」

「鬼が出た!」と喚(わめ)きながら血相を変えて逃げて行ったという。
 十月の下旬、斎藤一岩斎の長男、越前守が上杉勢五百人を率いて岳山(たけやま)城に入った。越前守は岳山に入るとただちに加勢を呼んだ。

 小川城(月夜野町)の赤松可遊斎(かゆうさい)、中山城(高山村)の中山安芸守(あきのかみ)、尻高城(高山村)の尻高左馬助(しったかさまのすけ)、さらに沼田衆、白井衆も加わり、あっと言う間に二千の軍勢となった。

 一徳斎は越後に隠れていた越前守のもとに、円覚坊の配下を送っていたので、越前守の行動はただちに岩櫃城にもたらされた。

 一徳斎は信濃から長男源太左衛門を呼んで敵に備えた。越前守が岳山に入った時には、すでに、一徳斎は戦闘準備を整えて、待ち構えていた。

 一徳斎は決して無理な攻撃はしなかった。無理な攻めをすれば兵が傷付く事を充分に心得ていた。岳山城を落とす事が最終目的ではない。戦はまだまだ続く。兵は武器と同じく、無駄遣いするわけにはいかなかった。

 一徳斎のように、本拠地を離れて先鋒として戦う者は敵の領地を占領しては進まなければならない。敵地を占領するには、民衆を味方に付けなければならなかった。農民、商人、職人、僧侶たちの安全を保障しなければ、彼らは逃散(ちょうさん)してしまう。敵地を手に入れても民衆が逃げてしまったのではどうしようもない。民衆を保護しなければならないため、むやみやたらに民衆から兵を募(つの)るわけにもいかなかった。

 一徳斎はなるべく味方の損害が少なくて済み、民衆の反感を買わないで済むような作戦を立てた。岩櫃城を攻略した時と同じように、調略を使う手だった。

 富沢新十郎、唐沢杢之助(もくのすけ)、植栗安房守(うえぐりあわのかみ)を呼ぶと、講和のための使者として岳山城に送った。岩櫃城は斎藤氏に返すから、武田の旗下に入ってくれと言わせると、斎藤兄弟は簡単に同意した。お互いに援軍を返し、人質を交換して和議となった。

 一徳斎は源太左衛門を信濃に返し、岩櫃城に集まっていた武将をそれぞれの城に戻した。

 斎藤兄弟は沼田衆、白井衆、中山、尻高、小川の援軍を引き上げさせた。一徳斎は自分の娘を人質として差し出し、斎藤兄弟は池田佐渡守の長男、甚次郎(じんじろう)を差し出した。

 一徳斎の娘というのは実は祢津宮内大輔(ねづくないだゆう)の娘で、女だてらに武芸を好み、今年の夏、戦をするために信濃から出て来た麻(あさ)という名の十七歳の娘だった。父親は人質になる事を反対したが、麻はどうしても行くと言って聞かなかった。一徳斎も誰を人質に出すか迷っていたので、円覚坊を下男に化けさせて一緒に行って貰う事にした。円覚坊が敵の城に入れば、岳山城も落ちたも同然と言えた。

 斎藤兄弟も一徳斎を信じて和議に応じたわけではなかった。上杉輝虎が進攻して来るまでの時間稼ぎとして和議に応じただけだった。籠城しながら輝虎を待つつもりでいたが、籠城すれば敵に囲まれて、輝虎との連絡が取れなくなってしまう。できれば和議に持ち込みたいと思っていた所、一徳斎の方から言って来たため、これ幸いと和議に応じた。斎藤兄弟は一徳斎もたわいないものだと自分たちの勝利を確信していた。

 城内に入った円覚坊より城内の様子は筒抜けとなった。

 主戦派の斎藤兄弟と戦を避けたいと願っている池田佐渡守が対立して、佐渡守が孤立している事を知ると、一徳斎は甚次郎を通して、父親を寝返らせる事に成功した。

 佐渡守は岳山城を出て、岩櫃城に入った。

 池田父子が岳山城からいなくなれば、後は、上杉軍が来る前に斎藤兄弟を城からおびき出す事だった。

 一徳斎は斎藤兄弟に使者を送り、信濃にて反乱が起きたため、信濃に出陣しなければならない。信玄に会ったら、兄弟が岩櫃城に戻れるようによく言っておくと言わせた。そして、自ら五百余りの兵を引き連れて信濃へと向かった。

 一徳斎がいなくなると、今だとばかりに斎藤兄弟は岳山城から打って出た。

 真田軍は仙蔵城に待機していた善太夫、鎌原宮内少輔、横谷左近、西窪治部左衛門、唐沢杢之助、富沢加賀守らが真田兵部丞を大将として、敵に応じて出陣した。斎藤軍も真田軍も兵力はほぼ互角だった。

 成田原にて両軍はぶつかった。

 真田軍の先陣は西窪治部左衛門、斎藤軍の先陣は秋間備前守(びぜんのかみ)。治部左衛門は備前守を倒して兜首(かぶとくび)を取ったが、斎藤軍の第二陣の早川源蔵に取り囲まれ、奮闘(ふんとう)むなしく、討たれてしまった。

 治部左衛門の仇討(かたきう)ちじゃ、と突撃して行った富沢加賀守も早川源蔵に討たれ、その後は敵味方乱れての乱戦となった。

 蜂須賀伊賀守が稲荷城より打って出て斎藤軍の側面を突き、一時、味方の有利かに見えたが、敵も中山安芸守、尻高左馬助、赤松可遊斎が援軍として加わり、甲乙付けがたい激しい戦闘となった。

 善太夫は馬上より薙刀(なぎなた)を振り回して、敵将を数多く討ち取り活躍した。しかし、敵は必死の面(おも)持ちで次から次へと攻めて来るので、少しも前進できなかった。

 大将の兵部丞も父に負けない程の采配(さいはい)振りだったが、ついに敵陣を崩す事はできなかった。日が沈むまで乱戦は続き、決着は着かずに両軍は引いた。

 敵は早川源蔵を殿軍(しんがり)として岳山城に引き上げた。鎌原宮内少輔は追い打ちを掛けようと言ったが、兵部丞は許さなかった。余りにも損害が多すぎた。薄暗くなってから攻撃を仕掛けて、これ以上損害を増やす事を恐れていた。

 敵が岳山城に入ると兵部丞は岳山城を包囲するように命じた。

 早川源蔵という武将が敵にいたのは計算外の事だった。城内にいる円覚坊から源蔵の事は知らされていたが、大した事はないだろうと特に警戒しなかったのが大きな誤算となった。源蔵によって、西窪治部左衛門、富沢加賀守、蜂須賀伊賀守と三人もの武将がやられていた。

 源蔵は越後の国、早川郷(南魚沼郡清水村)の豪族だった。斎藤一岩斎は二年前、岩櫃城を追い出されると越後坂戸城(六日町)の長尾氏を頼った。長尾氏によって早川源蔵を紹介されて、源蔵のもとに世話になっていた。

 早川郷は雪深い所だった。去年の冬、一岩斎は急に具合が悪くなって、何とか冬を越す事はできたが、今年の五月半ば、岩櫃城奪回を長男の越前守に託して源蔵の屋敷にて息を引き取っていた。

 真田軍は篝火(かがりび)を焚いて、岳山城を包囲していた。

 今日一日の合戦で、味方の兵、百人近くが死傷した。敵もほぼ同じ位の損害があったはずだが、敵の士気は衰えていなかった。もし、敵が籠城した場合は包囲するだけで、一徳斎が戻るまで待てと言われていたが、兵部丞は父親が戻るまでに、戦のけりを付けたいと思っていた。

 その頃、一徳斎は沢渡(さわたり)の有笠(ありかさ)山まで戻って来ていた。斎藤軍が岳山城から出て来た事を長野原城にて聞くと、すぐに引き返し、暮坂越えをして沢渡まで来ていた。

 兵部丞は重臣たちを集めて、今晩、夜襲をかけてはどうかと相談した。まともに攻撃を仕掛けても岩山の上にある城は容易に落ちそうもない。敵の兵糧(ひょうろう)が尽きるのを待っていたら、越後から輝虎が攻めて来るに違いないと重臣たちも同意した。城内には円覚坊がいる。円覚坊に手引きさせればうまく行くに違いないと、さっそく、夜襲の準備を始めた。

 円覚坊の伜、東光坊が五十人の山伏を連れて、円覚坊に夜襲の事を告げるために険しい岩山をよじ登って行った。

 横谷左近が岳山城に詳しい池田甚次郎の案内で、二百人の兵を率いて搦手(からめて)側から城に登って行った。

 善太夫は、鎌原宮内少輔、唐沢杢之助、富沢新十郎と共に南側の追手(おうて)門下を固めていた。

 山上から鉄砲を撃つ音が聞こえたら、突撃する事になっていた。

 半時(はんとき、一時間)程経ってから、合図の鉄砲の音が聞こえた。

 唐沢杢之助が真っ先に突っ込んで行った。門を打ち破り、敵の撃つ鉄砲の玉と矢の飛び交う中をかい潜って、城内に入ると待っていたのは早川源蔵だった。

 杢之助は源蔵を相手に奮闘したが、ついに討ち取られてしまった。

 それを見ていた善太夫は久し振りに、腹の底から闘志が込み上げて来るのを感じた。

 西窪治部左衛門、富沢加賀守、蜂須賀伊賀守、そして、唐沢杢之助までも殺した源蔵を許す事はできなかった。

 善太夫は持っていた薙刀を投げ捨てると、ゆっくりと太刀を抜いた。

 源蔵はふてぶてしく笑いながら、血に汚れた太刀を構えた。

 一瞬、辺りが静まり返った。

 篝火の明かりの中に二人だけが浮き上がった。

 敵も味方も武器を構えたまま、二人の戦いを見守っている。

 善太夫と源蔵は、しばらく相手を睨(にら)んだまま動かなかったが、掛声と共に源蔵の太刀が横に払われた。

 善太夫は身を引いて、それを避けると源蔵の裏篭手(うらごて)を狙って太刀を打った。

 源蔵はそれをはずすと善太夫の太刀を力任せに払いのけた。

 源蔵は休む間もなく、太刀を振り回した。

 善太夫は源蔵の太刀を避けるのが精一杯で、なかなか、攻撃を仕掛けられなかった。

 源蔵が善太夫の兜(かぶと)めがけて、太刀を力一杯に振り降ろして来た。たとえ、兜の上からだろうが、源蔵の持つ三尺余りの太刀で打たれたら、気絶してしまうだろう。

 善太夫は身を沈めて、源蔵の首めがけて突き上げた。

 一瞬の差だった。

 源蔵の太刀は善太夫の兜に届く直前に止まり、源蔵は首から血を吹き出しながら前のめりに倒れ込んだ。

 善太夫はとどめを差すと源蔵の首を掻き斬った。

 善太夫が源蔵を倒した事によって味方の士気はどっと上がり、鬨(とき)の声を挙げて攻め登った。敵は大将を失い、浮足立って散り散りに逃げ去った。

 善太夫らが敵兵をなぎ倒しながら山上に着いた時には、城は炎に包まれていた。

 斎藤越前守は炎に包まれた本丸内にて腹を掻き切って死んだ。弟の城虎丸は追い詰められて、天狗の岩から飛び降りて死んだ。城内にいた女たちも城虎丸の後を追うようにして、次々に、闇の中に飛び降りて行った。

 斎藤越前守は三十八歳、城虎丸はまだ十八歳だった。

 岩櫃城主だった斎藤一族は滅び去り、吾妻郡は平定された。

 一徳斎が人質として送った麻という娘は円覚坊が守って無事だった。

 搦手から横谷左近の兵が攻め登って来ると、麻は円覚坊の言う事も聞かず、敵から奪った薙刀を振り回して戦っていたという。円覚坊は麻に怪我をされたらかなわないと必死になって守っていた。もう二度と、麻のお守(も)りは懲り懲りだと言っていた。

 次の日、一徳斎が岳山城に着いた時には、城のいたる所に六連銭の旗がたなびいていた。

 一徳斎は旗を見上げながら満足そうにうなづいたが、城下にいる大勢の負傷者を見ると顔を曇らせた。大手門を守っていた浦野中務大輔(なかつかさだゆう)が挨拶をしても返事も返さないで、厳しい顔をして大股で城へと登って行った。

 上杉輝虎は岳山城落城の十日後、廐橋城に入った。吾妻郡すべてを武田に奪われ、青筋立てて、やけ酒をくらっていたという。

 一徳斎は岳山城に河原左京亮(さきょうのすけ)、鎌原宮内少輔、池田佐渡守、そして、善太夫を城代として守らせたが、輝虎が攻めて来る事はなかった。
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