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2017 .06.24
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7.里々








 二月になると雪山を越えて、上杉謙信が上野に攻めて来た。善太夫は長野原の留守を三郎に頼み、岩櫃城に出陣して行った。三郎も出陣したかったが仕方がなかった。左京進が前線の柏原城を守っているため、留守を守るのは三郎しかいなかった。

 勢いに乗って白井勢がまた、柏原城を攻めるかと思われたが、攻める事はなく、謙信と共に東上野へと向かった。謙信は北条方の城を次々と攻め落とし、太田の金山(かなやま)城を包囲した。金山城を助けるため、小田原から北条相模守(氏政)が大軍を率いてやって来た。利根川を挟んで、上杉軍と北条軍は睨み合った。

 真田一徳斎は相模守に頼まれ、上杉軍の後方を撹乱するため、廐橋城、大胡城、白井城を攻めた。兵站(へいたん)基地である大胡城を攻められ、謙信は陣を引いた。謙信が大胡に向かって来るとの報を聞くと一徳斎は全軍を引かせ、それぞれの城に戻らせた。謙信が引き上げると相模守は金山城に入って情勢を見守った。

 その頃、信玄の跡を継いだ武田四郎(勝頼)は、お屋形様となって初めての戦を見事、勝ち戦で飾っていた。四郎が最初に落とした城は織田方の美濃の明智城だった。父親の意志を継いで、織田弾正(信長)を倒してやると宣戦布告をしたのだった。

 三郎は長野原城で東光坊の配下の者たちが知らせてくれる情報を聞きながら、絵地図の上で合戦を再現し、兵の動かし方を学んでいた。

 十八歳になった弟の小四郎が善太夫に従って出陣していた。信濃の飯縄山で武術の修行を積んだ小四郎は張り切って出掛けて行った。今回の戦は北条氏の依頼に答えての出陣だったため、一徳斎は無理な攻撃はさせなかった。残念ながら小四郎の活躍の場はなかったが、戦の雰囲気に慣れただけでも今後のためになるだろうと思った。

 四月八日、草津の山開きを済ますと三郎は草津に移った。去年、信玄が亡くなってしまったせいか、武田家の家臣たちの湯治は少なかった。それでも、山開きを待ちわびていたかのように湯治客は続々とやって来た。三郎はお屋形に落ち着く事なく、湯治客のために働き続けた。

 里々の行方は依然としてわからなかった。東光坊の配下の山伏は勿論の事、各地を旅している白根明神の山伏たちにも捜すように頼んだが、何の手掛かりも得られなかった。

 里々は信濃の小諸近在の貧しい農家の娘に生まれた。六歳の時、父親は徴兵されて川中島で戦死し、十一歳の時には母親が病死してしまう。里々は二人の弟と共に叔父夫婦に引き取られ、朝から晩までこき使われた。十五歳の時、叔父が大怪我をして働けなくなると口減らしのため人買いに売られ、草津にやって来たという。当然、叔父夫婦の家も捜させたが、何も知らなかった。どこに行ってしまったのか、とにかく無事でいてくれと三郎は朝晩、祈っていた。
 五月の初め、謙信がようやく越後に帰り、緊張状態は終わった。善太夫も長野原に戻り、湯本家の者たちは疲れを取るために草津の湯に浸かった。例年のごとく、武藤喜兵衛が草津に来たのも、その頃だった。これから岩櫃城に行くのかと思っていたら、箕輪城に父親、一徳斎の見舞いに行った帰りだという。

 一徳斎は四月の末に再び、倒れた。しかし、合戦中であるため、甲冑を脱ごうとはせず、医者を近づける事もなかった。謙信が引き上げた後、ようやく横になったが、かなり具合が悪いようだった。知らせを聞いて、喜兵衛は甲府から名医を連れてやって来たのだった。

「大丈夫ですか」と滝の湯に浸かりながら三郎は喜兵衛に聞いた。

「大丈夫だろう。お屋形様がお亡くなりになって、今までの疲れがどっと出て来たんじゃないかな。俺の顔を見たら、何の用じゃ。新しいお屋形様の側を離れちゃいかん。今が一番大事な時だ。お屋形様を助けて、武田家を今以上に大きくするんじゃと怒鳴られたわ」

 喜兵衛は軽く笑って、隅の方の滝に打たれている女の方をチラッと見た。年寄りの女とその娘らしい中年の女だった。他には年寄りの男が三人いるだけで、夕暮れ間近の滝の湯はすいていた。喜兵衛の供として四人が従って来たが、いつも、喜兵衛とは一緒に入らなかった。

「そうですか、大丈夫ですか。よかったです。父上も顔色を変えて、お見舞いに出掛けました。父上は領地を増やす事ができたのは一徳斎殿のお陰だといつも言っております」

「なに、善太夫殿がそれだけの活躍をしたという事だよ。やはり、草津の湯はいいな。のんびりしたいが、そうもいかん。もうすぐ、遠江に出陣しなければならんのだ」

「新しいお屋形様が上洛するのですか」

「いや、上洛はまだだ。その前に目障りな高天神城(静岡県大東町)を落とす。先代のお屋形様がお亡くなりになって、いい気になっている徳川を一度、痛い目に会わせておかなければならないからな。高天神城は先代のお屋形様でも落とせなかった城だ。新しいお屋形様が落とせるかどうかはわからんが、武田軍が健在だという事を世間に見せなくてはならん。手ごわいが何としてでも落とさなくてはならないんだ」

 三人の年寄りが湯船から上がった。板の間で体を拭きながら、楽しそうに笑い声を上げ、湯帷子(ゆかたびら)を着ると去って行った。母子らしい女たちは滝に腰を打たせていた。

「吾妻の者たちにも出陣命令が出るのですか」と三郎は喜兵衛の方を見ると聞いた。

 喜兵衛は顔の汗を拭うと、「いや」と言った。「徳川は上杉と同盟を結んでいるからな。また、上野に出て来るかもしれん。こっちを守る事になろう」

 足音が聞こえたので振り返ると三人の女が話しながら入って来た。

「あら、若様じゃない」とその中の一人が言った。

 三人とも十六、七の娘で三郎たちを見ながら笑っていた。

「なんだ、お前たち、もう商売は終わったのか」と三郎は聞いた。

「いいお客さんがいてね、みんな売れちゃったの」

「そいつはよかったな」

「ねえ、若様、あたしたちも入ってもよろしいかしら」

「なにも俺に断る事はない。こんなにすいてるんだ。入れよ」

「ありがとう」と言って、娘たちは何やら話しながら着物を脱ぐと湯船に入って来た。

「宿屋を回って漬物を売っている娘たちです」と三郎は喜兵衛に説明した。

「ほう」と言いながら、喜兵衛は目を丸くして娘たちを眺めた。娘たちは恥ずかしがるわけでもなく、平気な顔をしてキャーキャー言いながら滝に打たれていた。

「いい眺めじゃな」と喜兵衛は楽しそうに笑った。

 温泉から上がった後、三郎は喜兵衛と酒を酌み交わした。

「喜兵衛殿、新しいお屋形様はどんなお人なのですか。信玄殿がお亡くなりになった事が正式に公表されておりませんので、跡を継いだお方がどんなお人なのかよく知らないのですが」三郎はずっと気になっていた事を聞いた。

「そうか、そうだろうな」と喜兵衛は三郎を見ながら、軽くうなづいた。

「本来なら各地の武将たちを呼んで、盛大に跡目披露をしなければならんのだが、お屋形様の遺言でそれはできん。甲斐の者ならともかく、遠くにいる者たちにはわかるまい。新しいお屋形様はな、お屋形様の四男で、四郎殿というお方なんだ。四郎殿の母上は諏訪の一族で、四郎殿は諏訪四郎を名乗って諏訪氏を継いだんだ。ところが、跡を継ぐべき長男の太郎殿が、今川家の事で、お屋形様と対立してしまい、自害なされてしまった」

「えっ、信玄殿の御長男が自害?」

 そんな事は全然、知らなかった。なんで自害などしたのだろうと三郎は喜兵衛の顔をじっと見つめた。喜兵衛は酒を一口飲んでから話し続けた。

「太郎殿の奥方様は今川家の娘だったんだ。お屋形様の駿河攻めに反対なされてな、もう少しで武田家が二つに分裂してしまうかもしれない程の騒ぎになったんだよ。お屋形様は自分の父親を駿河に追放して、お屋形様になられた。それと同じ事が再び、起ころうとしていた。お屋形様はそれを事前に知り、太郎殿を捕らえて東光寺に幽閉してしまった。そして、二年後、太郎殿は自害してしまったんだよ」

 喜兵衛は眉間にしわを寄せて酒を飲み干した。

「そんな事があったのですか。知りませんでした」

 三郎は喜兵衛の酒盃に酒を注ぎ、自分のにも注いだ。

「お屋形様もさぞ辛かった事だろう。武田家のためとは言え、御長男を死なせなければならなかった‥‥‥太郎殿がお亡くなりになった翌月、四郎殿の御長男、武王丸殿がお生まれになった。お屋形様は急遽、武王丸殿を跡継ぎにお決めなさったんだ」

「四郎殿ではなくて、四郎殿の御長男を跡継ぎに決めたのですか」

「そうなんだ。お屋形様は信濃の名族である諏訪氏を滅ぼしたけど、反対勢力が強いと見て、諏訪氏の血の流れを汲む四郎殿に諏訪氏を継がせたんだ。お陰で、諏訪地方は武田になびき、武田軍は諏訪を足掛かりとして信濃の各地へと勢力を広げる事ができた。太郎殿がお亡くなりになったのは、四郎殿が諏訪氏を継いでから五年後の事で、お屋形様としては四郎殿を跡継ぎにしたかったんだが、四郎殿が武田家に戻ってしまうと諏訪氏を継ぐ者がいなくなってしまう。お屋形様としては四郎殿に次男が生まれたら諏訪氏を継がせ、四郎殿を正式な跡継ぎにするつもりだったんだが、次男がお生まれになる前にお屋形様はお亡くなりになってしまったんだよ」

 喜兵衛は亡くなったお屋形様の事を思い出しているのか、酒盃を手にしたまま、ぼうっとしていた。喜兵衛は七歳の頃より信玄の側近くに仕えていたと言っていた。喜兵衛にとって信玄はお屋形様というよりも父親のような感情を持っているのかもしれなかった。

「すると四郎殿は正式な跡継ぎではないのですか」と三郎が聞くと、喜兵衛は我に返ったように三郎の顔を見て、うなづいた。

「武王丸殿が十六歳になられるまで、四郎殿が後見という事になっているんだ。しかし、この乱世を生き抜くのに、そんな悠長な事を言ってはおれまい。お屋形様の御逝去が正式に公表される時、四郎殿が正式なお屋形様になられるだろう」

「それはいつなのですか」

「お屋形様は三年間、喪を伏せろと遺言なされた。再来年の四月だな」

 長男の太郎殿が自害してしまい、四男の四郎殿が跡を継いだというのはわかったが、次男と三男がどうなったのか気になっていた。その事を聞くと、喜兵衛は微かに笑い、「それを言うのを忘れたな」と言って、お屋形様の子供たちの事を教えてくれた。

 次郎殿は生まれつきの盲目で、海野家を継いでおり、三郎殿は幼くしてお亡くなりになってしまわれた。五男の五郎殿は信濃の仁科家を継ぎ、六男の六郎殿は駿河の葛山(かづらやま)家を継ぎ、七男の七郎殿はまだ十二歳で甲府におられる。俺たちもお屋形様を見習って、子供はなるべく多く作った方がいいと言って笑った。

 喜兵衛は一晩泊まると翌朝、早くに帰って行った。その日、珍しく、東光坊が三郎を訪ねて来た。内密の話があるというので、お屋形の庭園内に建つ茶室に案内した。

「久し振りに親父に会って来た」と言って、東光坊は錫杖を壁に立て掛け、縁側に腰を下ろすと首筋の汗を拭いた。

 今日も暑かった。四年間の旅を終えて草津に戻った時、草津の者たちが暑い暑いと言っているのを見ながら、三郎は草津の夏は涼しくていいと思っていた。京都の夏の暑さに比べたら、まるで極楽だった。しかし、今は草津の気候になれてしまったのか、皆と同じように暑いと感じるようになっていた。それでも、日が暮れれば涼しくなり、京都の夏の夜のように暑くて寝苦しいという事はなく、過ごしよかった。

「お茶でも入れますか」と三郎は青空に浮かぶ、白い雲を眺めながら聞いた。

「そうじゃのう。京仕込みの茶の湯でも拝見しようかのう」

 三郎は茶室に上がると風炉(ふろ)に炭を入れ、釜を載せて、お湯を沸かした。

「円覚坊殿は相変わらず、前線で活躍しているのですか」と三郎は縁側に座ったままの東光坊の背中に聞いた。

「しばらく姿を見せんから、もう引退したのかと思っていたんじゃが、一徳斎殿に頼まれて、忍び集団を作っていたらしい」

「忍び集団?」

 東光坊はうなづくと、茶室に上がって来て、三郎の前に腰を下ろした。

「真田家のために北条の風摩党のような組織を作っていたそうじゃ。わざわざ小田原まで行って、幻庵殿に会い、風摩の組織の事を聞いて来たらしい」

「へえ、小田原まで行ったんですか。それで、幻庵殿は教えてくれたのですか」

「勿論、詳しい事までは教えてはくれんが、おおよその事は教えてもらったそうじゃ。風摩党には五つの組織があってな、山賊衆、海賊衆、盗賊衆、馬賊衆、潜賊衆に分かれているそうじゃ。山賊衆は本物の山賊になって敵地に出没して、敵の武器や兵糧を奪い取ったりするのが役目じゃ。海賊衆は漁船を装って敵地を偵察したり、時には奇襲して、敵の水軍を倒したりもする。盗賊衆というのが、いわゆる忍びじゃ。敵地に忍び込んで貴重な情報を集めたり、時には暗殺も行なう。敵の忍びを殺すのも役目じゃ。馬賊衆というのは騎馬武者の集団で前線で戦っているんじゃが、普通の武士と違うのは、時には傭兵となって敵陣に加わる事もあるそうじゃ。勿論、忍びの術を身に付けているので敵の兵力を探ったりもするわけじゃ。戦が始まる前に敵の城下を襲って、盗賊働きや放火などをして混乱させたりもするらしい。勿論、その時は山賊衆たちも加わる。敵にしたら恐ろしい者たちじゃ。潜賊衆という聞き馴れないのは、要するに敵地に長い間、住み着いて、無理な事はせずに情報を集める者たちじゃ。この者たちが一番、多いらしい。中には親子何代にも渡って敵地に住み、敵に信頼されている者も多い。医者や僧侶、連歌師、茶の湯者として、敵の大将の側に仕えてる者もいるというのだから驚く。さらに、敵将の側室や侍女になってる女たちもかなりいるという。大した組織じゃな。それと、番外として、くノ一衆というのがいる」

「くノ一?」

「女という字をばらしたんじゃ。女だけの忍び集団で、体を武器にして敵に近づき、必要な情報をつかみ、時には寝首も掻くという恐ろしい女たちじゃ」

「女の忍びですか‥‥‥」

 三郎は琴音が草津に来た時、琴音の侍女として来た二人の女を思い出していた。あれがくノ一だったのかもしれないと思った。

「親父は真田家のためにはとりあえず、盗賊と潜賊、そしてくノ一だけでいいと考え、各地の山から武術の名人を十人集めて、見込みのある若い者たちを仕込んだそうじゃ。三年間で五十人もの若者を仕込み、各地に放ったらしい」

「五十人も‥‥‥くノ一もいるのですか」

「何人かいるらしい。ただ、くノ一は別嬪(べっぴん)でなくてはならん。適当な娘を見つけ出しても、本人を納得させるのが大変だと言っておった。時はかかるが、めぼしい孤児を拾って来て、育てるしかあるまいと言っていたわ」

「孤児ですか‥‥‥そういえば、小野屋の女将さんは孤児院もやっている」

「うむ。小田原の浅香のように孤児から育てて、くノ一や遊女にするんじゃろう。すぐにはできんが、十年もかければ何とかなる。真田家のためにやるつもりだと言っていた。お屋形様はな、その話を親父から聞いて、さっそく、湯本家のために忍び集団を作ってくれとわしに言って来たんじゃ」

「湯本家も忍び集団を作るんですか」

「これからは生き残るためには諜報活動がもっとも大事じゃ。関東だけでなく、上方の情報も集めなければならなくなるじゃろう」

「織田弾正ですね」

「そうじゃ。信玄殿がお亡くなりになったので、奴は必ず、関東に攻めて来るじゃろうと親父は言ったわ。湯本家としては真田家に従い、武田家を助け、織田と戦わなければならん。真田家に従っているとはいえ、世の中の動きは知らなければならんからのう。わしは引き受ける事にした。それで、しばらくの間、草津を留守にするからな。女子の事で問題を起こしても、自分でちゃんと解決しろよ」

 東光坊は三郎を見ながらニヤニヤ笑った。

「そんな、やめて下さいよ」

「それと、真田に行くが、お松殿に言伝はないか」

 二年以上もお松に会っていなかった。もう十五歳になっているはずだが、どうしても、嫁に迎えるという実感がわかなかった。言伝と言われても、何を言ったらいいのか思い浮かばなかった。

 東光坊は三郎を顔付きを見て、わかったというようにうなづいて、「来年、お松殿を嫁に貰うまではおとなしくしてろよ」と叱るように言った。

 東光坊は三郎が点てたお茶をうまそうに飲むと真田の忍びが修行している角間渓谷へと向かった。

 里々と別れてから三郎は遊女屋には行かなかった。遊女たちは出会う度に三郎を誘うが、うまく断っていた。自分のために身を引いた里々の事を思うと他の遊女を抱くわけにはいかなかった。相変わらず、里々の行方はわからない。たった一人でどこに行ってしまったのか、時々、里々の笑顔が夢に出て来て、捜しに行きたいという衝動に駆られるが、今の三郎には草津を守るという仕事がある。それを放り出すわけにはいかなかった。

 五月の半ば、一徳斎はようやく起き上がれるようになり、皆、一安心した。ところが、それもつかの間、十七日にまた倒れ、そのまま目覚める事なく、十九日の早朝、静かに息を引き取った。

 善太夫が草津に戻って来て、善太夫の代理として一徳斎を見送るために真田に行ってくれと三郎に言った。その夜、三郎は善太夫と酒を飲み、一徳斎との思い出を聞いた。

 善太夫が一徳斎に出会ったのはまだ十二歳の時だった。一徳斎は真田を追い出され、領地を奪い返すために上野に来ていた。その後、信玄に仕えて活躍し、真田を取り戻すと、武田の先鋒として上野に攻めて来た。善太夫は一徳斎に命を預け、一徳斎と共に戦って来た。善太夫の人生は一徳斎と共にあったと言える。一徳斎と出会わなければ、今頃は草津もどうなっていたかわからない。善太夫にとって一徳斎は掛け替えのない恩人でもあり、尊敬している武将だった。一徳斎を失った悲しみは大きすぎる衝撃だった。去年、信玄が亡くなり、そして、また、一徳斎が亡くなった。これからどうなって行くのか、善太夫だけでなく、吾妻郡の武士たちは皆、不安に駆られていた。

 三郎は次の朝、雨降る中、善太夫に代わって箕輪城に行った。箕輪には小野屋の女将が来ていた。一徳斎の死も信玄と同じように公表はせず、密かに荼毘(だび)にふされて真田へと帰る事に決まった。小野屋の女将がてきぱきと用意を整え、三郎は女将に命じられるままに手伝った。敵に怪しまれないように、一徳斎の遺骨は小野屋の手によって真田へと向かった。三郎は商人の姿になり、女将の後に従った。

「世の中の流れは早いわね」と女将は三郎を振り返った。

「ええ」と三郎は顔を上げた。

「三年前に万松軒(氏康)様がお亡くなりになって、相模守(氏政)様が北条家の跡をお継ぎになられた。去年は信玄様がお亡くなりになられて、四郎(勝頼)様が武田家をお継ぎになられた。そして、今度は一徳斎(幸隆)様がお亡くなりになって、源太左衛門(信綱)様の時代になった。世代が交代する時期なのかしら。あたしもそろそろ引退かな」

「まさか、女将さんはまだまだ大丈夫でしょう」

「そんな事はないわ。いつの間にか、四十を過ぎちゃったものね。そろそろ、跡継ぎの事を考えなくちゃ」

 三郎は笠の下の女将の顔を覗いた。四十を過ぎたと言ったが、とても、そんな年には見えなかった。

「あの、跡継ぎはやはり、女の人なのですか」と三郎は女将の横顔を見つめたまま聞いた。

「そうよ」と言って女将は三郎を見てから、雨に煙る遠くを眺めた。

「小野屋の主人はずっと女なのよ。わたしは四代目。初代の女将は近江の国の尼さんだったの。北条家の初代の早雲寺様の知り合いでね、早雲寺様が伊豆の国を手に入れた時、本拠地を関東に移したのよ。二代目の女将は愛洲移香斎様の娘さんで、初代の養女になって小野屋を継いだの。三代目の女将は幻庵様の娘さん。幻庵様の奥方様は移香斎様の娘さんだったから三代目は二代目の姪にあたるの。そして、あたしは三代目の従妹なのよ。一族の娘たちが代々、小野屋を継いで来たの。あたしはまだ跡継ぎを決めてないんだけどね、そろそろ、養女を貰わなくてはと急に考えるようになったわ」

「そうですか‥‥‥あのう、幻庵殿の奥方様は移香斎殿の娘さんだったのですか」

「そうよ。最初の奥方様がね。もうお亡くなりになられたわ。琴音ちゃんのお母様は四番目の奥方様なのよ」

「そうだったんですか‥‥‥」

 幻庵は八十歳を過ぎていた。八十まで生きていれば、奥方様が四人いても当然だろうと思った。それにしても、幻庵の最初の奥方様が移香斎の娘だったなんて知らなかった。

「琴音ちゃんの事を思い出したわね」と女将は三郎を見ながら微笑を浮かべていた。

「いえ」と三郎は首を振った。

「元気よ。鶴寿丸様も三歳になられたわ」

「四郎殿はまだ帰って来ないのですか」

「甲府にいらっしゃるわ」

「そうですか‥‥‥」

「今、武田四郎様に従って、遠江に出陣しているかもしれない」

 雨は小降りになって来たのに、榛名山の方から霧が流れて来て視界が悪くなった。

 一行が歩いている信州街道は榛名山の西麓を大戸まで行って西に曲がり、須賀尾峠を越え、浅間山麓の六里ケ原を抜けて信濃の国へと続いていた。かつては善光寺街道とも呼ばれ、講を組んだ参詣者で賑わっていたが、今、信濃の国には善光寺はなかった。五度にも及ぶ川中島の合戦で善光寺の広大な境内も門前町も壊滅し、武田信玄は甲斐の府中に、上杉謙信は越後の府中に善光寺を移していた。本尊の阿弥陀如来様は甲府の善光寺に鎮座していた。

「あのう、女将さんに聞きたかったんですけど、女将さんも北条家の一族なのですか」

「一族とは言えないでしょうね。三代目の女将は幻庵様の娘さんだから一族だけど、わたしには北条家の血は流れてないわ。わたしの伯母、父親の姉が幻庵様に嫁いだの」

「その人が移香斎殿の娘さんなのですか」違うだろうと思ったが聞いてみた。

「そういう事」と女将は言った。

 三郎は驚いて女将を見た。

 女将は照れ臭そうに笑いながら、「わたしは移香斎様の孫なのよ」と言った。「あなたのお父上も驚いていたわ。わたし、ずっと、その事は内緒にしていたの。箕輪で久し振りに会って、つい、ぽろっと口に出しちゃった」

「という事は、やはり、女将さんも風摩党と関係があるんですね」

「関係ないとは言えないけどね、小野屋は風摩党じゃないわよ。ちゃんとした商人ですよ」

 真田に帰った一徳斎の遺骨は長国寺に納められ、身内だけのささやかな法要が行なわれた。長国寺に行く事を禁じられた真田家の者たちは涙を流しながら、各自がそれぞれ、一徳斎の冥福を祈っていた。

 お松も泣いていた。お松にとって一徳斎は大伯父だった。戦にばかり行っていて、真田に帰って来る事は滅多になかったが、自分の孫のように可愛がってくれたという。

 久し振りに見るお松は見違える程、女らしくなっていた。三郎の記憶の中にあるお松は小さくて子供っぽかった。会わなかった二年半の月日は、驚く程、お松を成長させていた。背がすらっと伸び、顔付きも体付きもすっかり大人っぽくなっていた。元々、可愛い顔をしていたが、つい見とれてしまう程、綺麗な娘になっていた。三郎の嫁になる事を意識してか、話しかけても恥ずかしそうに始終、俯いてばかりいた。十五歳になったお松を見て、三郎は初めて、お松を女として意識した。可愛いし、性格もいいし、働き者のいい嫁さんになるに違いないと思った。

 初めて会った時、矢沢薩摩守が冗談で口にした事が本当になってしまった。あの頃の三郎は琴音の事で頭が一杯だった。まだ子供だったお松を嫁に貰うなんて考えもしなかった。その後、里々といい仲になり、お松の事はすっかり忘れていた。去年の末、善太夫より、お松を嫁に貰えと言われ、湯本家のためなら仕方がないと思った。そして、正月にお松との婚約が公表され、里々はどこかに行ってしまった。一時、里々が消えたのはお松のせいだと逆恨みした事もあった。ようやく、心も落ち着き、去って行った里々の気持ちもわかるようになり、里々の気持ちを無駄にしないためにも、お松を嫁に貰おうと心に決めた。

 小野屋の女将は甲府に寄ってから、小田原に帰ると言って去って行った。三郎もお松と別れて草津に帰った。

 六月の下旬、武田四郎は父、信玄でさえ落とせなかった高天神城を見事に落とし、自信を深めて凱旋した。その噂はすぐに吾妻にも届き、信玄の跡を継いだ四郎の評判は上がり、これで武田家も安泰じゃと皆、一安心した。

 一徳斎の長男、源太左衛門が戦から帰り、真田家の家督を継いだ。一徳斎は隠居したという形になっていた。源太左衛門はすでに三十八歳になり、弟の兵部丞と共に各地の戦で活躍している。武田家中では名の売れた武将だったが、関東の敵には馴染みが薄い。一徳斎が生きている事にした方が都合がよかった。

 八月、北条相模守が攻めて来た。箕輪城に再び入った内藤修理亮より出陣命令が届き、善太夫は兵を率いて岩櫃城に向かった。北条は味方だが黙って戦振りを眺めているわけにはいかない。援軍として出陣しなければならなかった。

 十月になると敵の上杉謙信もやって来た。善太夫たちは箕輪城に入って守りを固め、謙信の動きを見守った。

 三郎は合戦の様子を草津で聞きながら、八日になると草津を閉じて長野原に移った。
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