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2017 .11.23
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14.御寮人様




 梅雨が明けて、蒸し暑い六月十八日の日暮れ間近、東光坊と共に仁科郷に行っていた山月坊が長野原に戻って来た。二人の御寮人様は昨日、仁科郷のお屋形を出発したという。

 やかましいセミの鳴き声を聞きながら、いよいよ、いらっしゃるかと三郎右衛門は、「供回りはどんな具合だ」と庭にひざまずいている山月坊に聞いた。

「侍女が四人、護衛の侍が八人、それに、駄馬の馬丁が四人でございます」

「ほう」と三郎右衛門は呟いた。思っていたよりも少人数だった。その人数ならば、金太夫の宿屋だけで間に合いそうだ。

「いつ頃、こちらに着くのだ」

「のんびりしておりますので、四日は掛かるかと思います」

「四日というと明後日という事だな」

「はい。前日は鎌原様の所に泊まるようでございます」

「成程」と三郎右衛門はうなづいてから、「御寮人様はどんなお方だ」と聞いた。

「それはもうお二人とも気品のあるお顔立ちで、美しいお姫様でございます」と山月坊はまるで、天女でも見たような、うっとりとした顔付きで言った。

「そうだろうな」と言いながら、三郎右衛門は武田のお屋形様の顔を思い出していた。端正な顔立ちをしているお屋形様の妹なら当然、美しいだろうと思った。しかし、よく考えてみると、お屋形様の母親は諏訪の姫様で、二人の御寮人様とは母親が違った。きっと、二人の母親も美しい人なのだろう。

「うむ、御苦労だった。今晩はゆっくりと休むがよい。明日、鎌原に行き、御寮人様が来られたら、すぐに知らせるように」

「はい。かしこまりましてございます」

 翌朝、三郎右衛門は草津に向かった。晴れ渡った夏空が広がり、白い雲が所々に浮かんでいる。山の中ではカッコウがのどかに鳴いているが、今日も暑くなりそうだ。

 善恵尼は首を長くして待っていた。いくら、のんびりするつもりだと言っても、さすがに一月もブラブラしているのは退屈のようだった。それに、北条のお屋形様の娘、鶴姫様が急遽、安房(千葉県南部)の里見左馬頭(義頼)に嫁ぐ事に決まり、二十八日までには小田原に帰らなくてはならないという。

「何とか間に合ったわね」と善恵尼は張り切って準備を始めた。弟の金太夫は善恵尼に命じられて走り回っていた。宿屋の事は善恵尼に任せ、三郎右衛門は町奉行を勤める雅楽助に御寮人様の事を告げ、警固を頼んだ。

「そいつは大変だ。もしもの事があったらえらい事になる。草津までの道筋を厳重に警固しなければなるまい」

 雅楽助はとんだ事になったとひどく慌てていた。
「そこまでする事はないだろう。前の夜は鎌原に泊まるらしい。翌朝、鎌原まで迎えに行くつもりだ」

「お屋形様が?」

「そのつもりだ。どんな御寮人様なのか、来てみない事にはわからないが、できるだけ、好きなようにさせたいと思っている。あまり表立った警固はしないでもらいたいんだ」

「そんな事を言って大丈夫なんですか」

「それとなく陰ながら守ってもらいたい」

「それは難しいですな」と雅楽助は厳しい顔付きで腕を組んだ。「梅雨も上がり、これから益々、お客さんも増えて参ります。お二人を陰ながら守るというのは実に難しい」

「そうだな。まあ、手のあいている者はなるべく草津に送る事にしよう。とにかく、出入り口は充分に固め、怪しい者は追い返すなり、捕まえるなりする事だ。それと、今、滞在している者たちも調べてくれ」

「かしこまりました」

 雅楽助と別れると三郎右衛門は鬼ケ泉水にある飄雲庵へと向かった。庵には誰もいなかった。囲炉裏端に将棋盤が置いてあり、駒が綺麗に並べてある。三郎右衛門は将棋盤の前に座ると改めて辺りを見回し、誰もいない事を確かめると、香車の駒を歩兵の駒の上に動かした。用がある時はそうしてくれと里々に言われていた。使うのは初めてだった。本当に現れるのか不安だったが、お屋形に帰って、里々が来るのを待った。半時ほどして里々は現れた。お屋形に出入りしている小間物屋という格好だった。

「早かったな。どういう仕組みになっているんだ」

「修行者たちに交替で見張らせているだけでございます」

「屋根裏に誰かがいたんだな」

「お気づきになりましたか」と言って、里々は軽く笑った。

「何となくな。毎日、誰かが見張っているのか」

「はい。じっと見張るのも修行ですから」

「夜もか」

「毎日ではありませんが、時には夜もやらせます。何か御用でしょうか」

「おう、そうだ。お前に頼みがある」

 三郎右衛門は御寮人様たちの事を話し、砦にいる娘たちと一緒に、金太夫の宿屋に入って仲居として働き、陰ながら御寮人様を守ってほしいと頼んだ。

「かしこまりました。わたしとムツキ、キサラギ、ヤヨイ、ウヅキの五人でお守り申し上げます」

「頼むぞ。御一行が着くのは明日だが、今日から入ってほしい。色々と準備もあるだろうからな」

「はい、大丈夫です」

「うむ、頼むぞ」

 里々が消えると三郎右衛門は長野原に帰った。

 その日の夕方、御寮人様一行の先触れが長野原に来て、明日、草津に到着予定と知らせた。そして、夜になり、山月坊が戻って来て、御一行が無事に鎌原に到着したと伝えた。

「御寮人様の御様子はどうだ」と三郎右衛門は山月坊に聞いた。

「旅を楽しんでいる模様でございます」

「鎌原殿は出迎えに出たのか」

「はい。前夜は真田にお泊まりになられ、鎌原様は鳥居峠までお出迎えになった模様でございます」

「真田の者たちはそこまで見送ったのか」

「はい、そのようでございます」

「そうか、わかった。このまま草津に行って、金太夫に知らせてくれ」

 山月坊が消えると、待機していた仙遊坊に知らせ、鎌原にいる東光坊と合流させた。

 夜の明ける前、三郎右衛門は十人の供を連れ、吾妻川に沿って西へ向かった。三郎右衛門が朝駈けをするのは日課だった。ただ、いつもより供廻りの数が多いだけで軽装のままだった。

 十一騎の馬は休まず走り抜け、夜が明ける頃には鎌原に到着した。城下の外れで東光坊が待っていた。すぐに発つ様子はないというので、馬を休ませ、三郎右衛門は東光坊から詳しい話を聞いた。

「御一行は中居(三原)から前口を通って草津に向かう予定じゃ。すでに配下の者たちを先行させた。来る途中、山中で一度だけ、ならず者に襲われたが無事に退治した」

「なに、山賊が出たのか」

「山賊という程の者じゃない。采配している落合九郎兵衛という五十年配の男が、あっと言う間に片付けてしまった。なかなかの使い手じゃよ。後は何事もなく、怪しい者もついて来てはいない」

「そうか、よかった。それで、御寮人様はどれくらい草津に滞在する予定なんだ」

「真田にお泊まりになられた時、薩摩守殿に聞いたんじゃが、五日から七日くらいじゃと言っておった」

「五日から七日か。何事も起こらなければいいが‥‥‥」

 三郎右衛門はぼんやりと浅間山を眺めた。山頂からはいつものように白い煙りが立ち昇っていた。五十年近く前、浅間山が噴火して、この辺りまで焼け石が飛んで来て大騒ぎになったという話を鎌原にある延命寺の老山伏から聞いたのを思い出していた。

「御寮人様はどんなお方だ。美しいお方だというのは山月坊から聞いた。そうではなくて性格だ。気難しいお方なのか」

「いや、そんな事はあるまい。支度を見てもらえばわかるが、大名のお姫様という感じではない。田舎の郷士のお嬢様と言った所かのう。お忍びで旅をしているようじゃ。大袈裟に出迎えん方がいいかもしれん」

 東光坊の話を聞いて三郎右衛門は安心した。武田家の御寮人様が願えば、どんな我がままな事でもかなえなければならない。山奥の草津ではなかなか難しい事もある。そんな時は、ただひたすら頭を下げるしかないと覚悟はしているが、できれば、面倒な騒ぎは避けたかった。

「そうか。わかった」

「それとな」と言って東光坊は辺りを見回した。

 供の者たちは離れた所で休んでいる。誰もいない事を確かめると、東光坊は三郎右衛門に近づいて小声で言った。

「御寮人様は四人の侍女を連れている。二人は三十前後でな、臈(ろう)たけたと言うか、色っぽい女子衆(おなごし)じゃ。お島殿とお富殿という名で、お島殿のいうのはほんとに美しいお方じゃ。わしは今まで、あのように美しい女子を見た事もない」

 三郎右衛門は横目で東光坊を見た。何を言い出すかと思ったら、間の抜けた顔をして女の事を話している。

「師匠が女子に惚れましたか」と三郎右衛門はニヤニヤしながら聞いた。

「何を言っておる。美しいから美しいと言ったまでじゃ」

 東光坊は柄にもなく照れ、咳払いをすると、「問題はな、若い二人の侍女なんじゃよ」と言って真剣な顔付きに戻った。「お咲殿とお栗殿といってな、お咲殿は十七、八、お栗殿は十六、七といった所かのう。勿論、二人とも美しいが、様子がどことなくおかしいんじゃ。御寮人様の侍女のくせに好き勝手な事ばかりしてるんじゃよ。二人のお陰で何度も道草を食っている。御寮人様たちも二人の事を大目にみているのか、一度も怒る事はない。何となく妙じゃと思い、悪いとは思ったが、昨夜、御寮人様の部屋を覗いてみた」

「なに、覗いたのか」

「まあ、最後まで聞け。するとな、御寮人様たちが甲斐甲斐しく、お二人の若い侍女の世話をしておったわ」

「なに、すると、本物の御寮人様は侍女の方だと言うのか」

 間違いないと言うように東光坊はうなづいた。

「そうだったのか」

「旅の間中、ずっとそうじゃった。薩摩守殿も鎌原殿もすっかり騙されている。草津に行っても、そのまま通すつもりなのかはわからんが、わしらは本者の方をお守りしなければならない」

「うむ。本者の方をな」

「この事は御寮人様が公表しない限り、わしらの他には知らせない方がいいかもしれん」

「雅楽助には偽者を守らせろというのか」

「そうじゃ。御寮人様もそういうのが煩わしいから侍女に扮しているのじゃろう。侍女なら自由に出歩く事もできる。本者の方はわしらが必ず守る」

「うむ、そうだな。その方がいいかもしれん。よろしく、頼む」

 東光坊が消えると三郎右衛門は供の者たちを引き連れ、鎌原城へ御寮人様一行を出迎えに向かった。

 鎌原宮内少輔に迎えられ、三郎右衛門は主殿に通された。しばらく待った後、客殿の方に案内され、御寮人様に挨拶をした。

 二人の御寮人様はすでに旅支度をしていた。東光坊が言ったように武田家のお姫様とは思えない程、質素な姿だったが、やはり、顔付きには気品があり、肌は透き通るように白かった。姉のお松御寮人様が十七、八で、妹のお菊御寮人様は十六、七に見えた。二人の両側に二人づつ侍女が並んでいる。六人が共に美しく、まるで京人形のようだった。

 御寮人様の両隣にいる侍女は三十前後の落ち着いた女で、お島様というのは頭のよさそうな、しっとりとした美人だった。東光坊が惚れるのも無理はない。お富様の方は芯の強そうな、ちょっと冷たい感じのする美人だった。両端にいるのは若かった。左端にいるお栗様は恥ずかしそうに始終、目を伏せていた。右端のお咲様は大きな目でじっと三郎右衛門を見つめている。好奇心に溢れているような顔付きだった。その侍女が本物のお松御寮人様のようだった。

「そなたが草津の湯本殿でございますか」と偽者のお松御寮人様が三郎右衛門に声を掛けた。

「はい、さようでございます」と三郎右衛門は両手をついたまま答えた。

「楽しみにしております。よろしくお願いいたします」

「はい、草津まで御案内いたします。どうぞ、ごゆっくりなさって下さいませ」

 御寮人様一行は三郎右衛門たちに守られ、無事に草津に到着した。すでに、武田のお姫様が来られるとの噂が広まっていて、お姫様を一目見ようと見物人が大勢集まっていた。雅楽助は道の両側に綱を張って、見物人たちを押さえていた。思っていた以上の騒ぎだった。これでは先が思いやられると三郎右衛門は馬上から見物人たちを眺めながら首を振った。

 御一行が金太夫の宿屋に入ってからも、見物人たちはなかなか引き返さなかった。雅楽助は宿屋の回りを厳重に固め、見物人たちの侵入を必死になって押さえていた。

 三郎右衛門は挨拶がすむとお屋形に行き、使番の浦野佐次郎を長野原に送って、手のあいている者は至急、草津に来るように命じた。佐次郎は使番頭の浦野義見斎(佐左衛門、善太夫の死後、入道となる)の長男で、去年の夏、妹のおアキと祝言を挙げ、三郎右衛門の義弟になっていた。

 御一行は一休みした後、三郎右衛門の案内で草津の村内を見て回った。二人の御寮人様は旅支度を解き、きらびやかな着物に着替えていた。見物人たちから溜め息が漏れる程、その姿は美しかった。一行の中に若い二人の侍女と侍二人がいなかった。気になって落合九郎兵衛に聞いてみると、

「あの二人は荷物の整理をしております。何しろ、かなりの荷物がありますので片付けるのも大変なのじゃ」と言って、ハハハと笑った。

「さようですか」と三郎右衛門は答え、さっそく、別行動をとったようだなと思った。

 三郎右衛門の顔付きを見て悟られたとでも思ったのか、九郎兵衛は声を落として、「湯本殿、実はあの二人は」と言った。

 いよいよ、本当の事を言ってくれるかと三郎右衛門は九郎兵衛の側に寄って耳を傾けた。

「あの二人は御寮人様の侍女ではないんじゃよ。仁科家のさるお方の娘御でな、どうしても草津に行きたいと言って聞かんのじゃ。お屋形様(仁科五郎)としても恩のあるお方の頼みを断れず、侍女として連れて来たんじゃ。滞在中、あの二人が勝手な行動をとるかもしれんが、どうか、目をつぶって下され。お頼み申す」

「かしこまりました」

 どうやら、九郎兵衛は最後まで隠し通すつもりらしい。それならそれで知らない振りをした方がいいだろうと、三郎右衛門は以後、若い二人の侍女の事には触れなかった。

 御寮人様たちは湯煙りの立ちのぼる湯池を驚きの声を上げて眺め、石段を登って薬師堂と光泉寺を参拝し、門前町を通って立町(たつまち)の市場を見た後、広小路に戻って滝の湯に入った。

 湯に入っていた者たちは追い出され、湯小屋の回りは幕で囲われた。二人の御寮人様と二人の侍女が一緒に入った。幕の中から聞こえるはしゃぎ声を聞きながら、見物人たちは溜め息を漏らしていた。湯から上がって宿屋に戻ると見物人たちも御寮人様を間近に見て納得したのか、ぞろぞろと引き上げて行った。

 夕食の支度も善恵尼のお陰で立派な料理を用意する事ができ、御寮人様たちも満足そうだった。そして、夕食の後には善恵尼自らがお茶を点て、どこから連れて来たのか芸能一座が歌や踊りを披露して、御寮人様たちを喜ばせた。一座が踊っている最中、三郎右衛門は密かに里々を呼び、本物の御寮人様たちの事を聞いた。

「御一行が出掛けた後、お二人はわたしに案内を頼み、用意して来た粗末な村娘の格好をして出て行かれました。お供の若いお侍二人にも同じような格好をさせました。そして、まず、滝の湯にお入りになられました。その時、滝の湯はかなり混んでおりましたが、お二人は楽しそうにお湯に浸かり、滝を浴びておりました」

「ほう。湯治客と一緒に湯に入られたのか」

「はい。さようでございます。まったく平気な顔をして楽しんでおりました」

「そうか‥‥‥」

 三郎右衛門は滝の湯に入った琴音の事を思い出した。琴音も恥ずかしがる事なく、湯治客たちと一緒に入っていた。楽しそうに湯に浸かっている御寮人様たちの姿が目に浮かぶようだった。

「供の侍二人は外で待っていたのか」

「はい。御寮人様たちは一緒に入れと申しましたが、断っておりました」

「そうだろうな。それからどうした」

「湯池を眺めてから、お薬師様をお参りして、光泉寺の門前を通って地蔵の湯へと参りました。見世物小屋を楽しそうに見て回り、地蔵の湯にもお入りになられました。そして、お宿に戻って参りました」

「そうか。今後もお二人から目を離さないでくれ」

「はい、心得ております」

 まずはうまく行ったと三郎右衛門はお屋形に帰り、疲れ切ったような顔をして休んでいた雅楽助をねぎらった。

 滞在中、御寮人様一行は午前中、供を引き連れて村内を散歩し、午後は湯小屋に幕を張らせて湯に浸かった。その他は宿屋で過ごす事が多く、何の問題も起こらなかった。ただ、若い二人の侍女は好き勝手に出歩いていた。初めの頃は、里々に案内を頼んで白根明神や鬼ケ泉水の方まで足を伸ばした。時には馬に乗って、小雨村や生須村に行く事もあった。やがて、村内の様子がわかって来ると里々に断りもせずに出掛けてしまう。知らないうちに出掛けてしまって、陰ながら守っている東光坊から知らせがあり、慌てて後を追う事も何度かあった。

 宿屋の者たちも御寮人様たちの接待に慣れ、もう大丈夫だろうと善恵尼は後の事を琴音の母親と金太夫に任せて、二十四日の朝、小田原に帰って行った。

「北条家の御寮人様も大変よ。甲斐にお嫁に行ったり、安房にお嫁に行ったり。そうそう、越後にお婿に行ったのもいたわね」

 言葉ではお礼もできない程、お世話になった善恵尼を見送りながら、あと二日間、何事もないようにと三郎右衛門は祈った。

 翌日の昼過ぎ、新月坊が息を切らせて、お屋形にやって来た。

「何かあったのか」と心配して聞くと、

「いえ、そうではございません。お二人がお屋形様をお呼びでございます」と新月坊は答えた。

 三郎右衛門はホッと一安心した。

「今、お二人は月陰砦の近くにある湯小屋にいらっしゃいます」

「なに、里々が連れて行ったのか」

「はい。村内はすべて見て歩き、飽きたような御様子だったので、里々様が昨日、あそこに御案内いたしました。お二人はあそこが大層、お気に入りになられ、今日もお出掛けになりました」

「そうか、あそこがお気に入りになられたか。そして、お二人が俺を呼んでいるのか」

「そのようでございます」

 三郎右衛門はすぐ、新月坊と共に山中の湯小屋に向かった。小屋の前に杣人(そまびと)のような格好をした若い者が二人、控えていた。三郎右衛門は軽く頭を下げ、小屋の中に入った。

 粗末な格好をした二人の侍女が目を輝かせて囲炉裏の側に座っていた。その反対側に里々とキサラギがいた。二人が並んで座っているのを初めて見た三郎右衛門は一瞬、まごついた。二人はすました顔をして座っている。心の動揺を悟られまいとして、すぐに視線を二人の侍女の方に戻した。侍女たちは美しい微笑をたたえながら三郎右衛門を迎えた。宿屋で用意した弁当を食べたと見えて、重箱が側に置いてあった。

「お屋形様、わざわざ来ていただいて申し訳ございません」と里々が頭を下げた。

「いや、そんな事はかまわん」と言いながら、三郎右衛門は囲炉裏端に腰を下ろした。目の前にいるのが御寮人様たちだと知ってはいるが、知らない振りをして、軽く頭を下げるだけにした。

「御寮人様の侍女、お咲様とお栗様でございます」と里々が二人を紹介した。

「うむ。落合九郎兵衛殿より仁科家の重臣殿の娘御だと聞いた。ここがお気に入りのようですな」

「はい。充分に楽しい思いができました。ありがとうございます」と年上のお咲が言った。

 お咲もお栗も随分と日に焼けたようだった。こんな間近で、武田家の御寮人様と面と向かって話ができるなんて不思議な感じがした。お咲と名乗るお松御寮人様は粗末な格好をしていても育ちを隠す事はできず、気品の漂う美人だった。お菊御寮人様も姉に似て美人だが、まだ、あどけなさが残っていた。

「明日、わたしどもは草津を去ります。多分、もう二度と、こんなに楽しい思いはできないだろうと思います。本当にありがとうございました。里々様には本当にお世話になりました。これ以上、里々様に嘘をつき通す事はできませんでした。実はわたしども二人が武田家の娘でございます。わたしは松、こちらは妹の菊でございます。武田家の娘として旅をしたのでは好きな事もできないと思い、侍女に扮していたのでございます。その事を里々様に話したら、知っていたと申します。そして、湯本様もご存じだと申しました。湯本様に命じられて陰ながら、わたしどもを守っていたとお聞きしました。わたしどもの正体を知っていながら、わたしどもに好き勝手な事をさせてくれた湯本様に是非、お礼を申したいと思い、お呼びしたのでございます」

 三郎右衛門は引き下がって頭を下げた。

「よく打ち明けて下さいました。ありがとうございます。お礼などと恐れ多い事でございます。御寮人様方が楽しい時を過ごしていただいただけで、充分に満足でございます」

「ありがとうございました」と二人の御寮人様は揃って、三郎右衛門に頭を下げた。

「とんでもございません。勿体ない。どうぞ、面(おもて)をお上げになって下さい」

「でも、この事は湯本様のお心のうちにしまって置いて下さい。仁科に帰るまでは楽しい旅を続けたいと思いますので」

「かしこまりました」

 お松御寮人様とお菊御寮人様は顔を見合わせて、嬉しそうに笑った。

 次の日、御寮人様一行は草津を去って行った。三郎右衛門は来た時と同じように鎌原まで送って行った。東光坊たちは陰ながら一行を守り、仁科郷までついて行った。その日、琴音の母親、若葉も伊勢屋の者たちに守られて小田原に帰って行った。皆を見送るとどっと疲れが出た。戦に出て戦ったよりも疲れたようだった。

 三郎右衛門は一人、山中の湯小屋に行き、のんびりと温泉に浸かった。

 板の間の片隅に、御寮人様たちが山で摘んだオダマキの花が竹を切って作った花入れに飾ってあった。三郎右衛門が何げなくオダマキの花を眺めていると、里々が静かに現れた。

「御苦労だったな」と三郎右衛門はねぎらった。

「帰ってしまわれたら、何だか急に寂しくなって‥‥‥」

 里々は静かに囲炉裏端に座った。まだ仲居の格好のままで、その姿がよく似合っていた。

「随分と振り回されていたからな」

「ええ」とうなづきながら、里々は三郎右衛門が脱ぎ散らかした着物を畳み始めた。

「でも、お二人とも何となくお可哀想。昨日、お屋形様がお帰りになられた後、ここで、お二人から色々と話を聞きました。お菊様は婚約なさっていたお方がお亡くなりになって、もう、お嫁に行く事は諦めておいでです。お松様もお嫁に行く事を諦めておいでですけど、婚約なされた織田様の事を未だに思っておいでのようです」

「お松御寮人様は今でも織田勘九郎の事を思っておいでになるのか‥‥‥信じられん。お二人は会った事もあるまいに」

「会った事はございません。でも、手紙のやり取りは幼い頃よりしていらしたようでございます。いつの日か、勘九郎様のお姿がお松様の心に芽生え、心の中の勘九郎様をただ一途にお慕い申しているようでございます」

「そうか。会った事もない男を一途にか‥‥‥」

 三郎右衛門は可憐なオダマキの花を見つめながら、お松御寮人様が慕っている織田勘九郎とは、どんな男なのだろうかと考えた。お松御寮人様より四つくらい年上だという事は年齢は二十一、二だろう。信長の跡継ぎとして岐阜城を任され、疋田豊五郎から新陰流を教わっている。敵を褒めたくはないが、きっと立派な男なのだろう。しかし、武田家が京都に上るためには、いつかは戦い、滅ぼさねばならない相手だった。そんな男と知りながらも、お松御寮人様は思い続けているのだろうか。

 オダマキの花から里々に視線を戻すと、ぼんやりした顔で三郎右衛門を見ていた。

「女子の心というのはそういうものなのか」

「そういう事もあると思います。結ばれる事のない殿方を一途にお慕い続ける事もできるのでございます。それを心のより所として生きて行くのでございます」

「そうか‥‥‥お二人が幸せになってくれる事を祈ろう」

「そうでございますね」

 里々は着物を畳み終わると静かに出て行った。
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歴史小説を書いています。
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