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2017 .03.28
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22.新城築城








 武田軍が上野から去って行くと北条軍が攻めて来て、武田に奪われた城を一つ一つ取り戻して行った。大胡城だけは廐橋勢によって守られ、無事だったが、女淵城、膳城、山上城、今村城、茂呂城、江田城、反町城は奪われた。白井勢も北条軍に呼応して、内藤勢に奪われた八崎城、真田勢に奪われた不動山城を奪い返した。北条軍が沼田まで攻めて来る事はなかったが、以前の状況に戻ってしまった。

 天正九年(一五八一年)正月、武田四郎は近いうちに攻めて来るであろう織田信長に備え、本拠地となるべく新たな城を築く決心をして、真田安房守を普請(ふしん)奉行に任命した。新城の位置は甲府の北西五里程にある片山(韮崎)七里岩の上と決められた。そこは四郎の義兄、穴山玄審頭の領地で、新城築城を勧めたのも玄審頭だった。

 江尻城主として駿河の国を守っている玄審頭は去年の十一月、入道となり梅雪斎不白と号していた。東の北条、西の徳川、織田を追い払って駿河の国を守り抜くために、決心を新たにし、信玄にならって入道したという。

 新しい城の事を調べるために甲府に行った東光坊から、その事を聞いて三郎右衛門は首をひねった。

「穴山殿はどうして今頃、城を築く事をお屋形様に勧めたのだろう」

「勿論、織田の大軍に備えてじゃ」

「お屋形様は織田軍が攻めて来たら籠城するつもりなのか」

「それも一手じゃ。信長といえども五万もの大軍を率いての長期戦は難しい。信長が甲斐に釘付けになっている間に、西の毛利、北の上杉が動き出す。そうすれば、信長も引き上げるしかあるまい。北条の小田原城が上杉、武田の大軍に囲まれてもビクともしなかったようにな」

「成程。安房守殿は織田の大軍に囲まれても絶対に落ちない城を築いているわけか」

「そういう事じゃ。ただな、それ程の城を築くとなると莫大な費用が掛かる。遠征続きで財政が困難になっている今、不満が募っているのは確かじゃ。下手をすると武田家を救うための城が裏目に出てしまう事もある」

 三郎右衛門は小田原城を思い出していた。新しく築く城がどれ程の規模なのかわからないが、難攻不落の城を築くとなれば、想像を絶する費用と大量の資材や相当数の人足が必要になる。確かに、下手をしたら領民たちの不満を買う事になるかもしれなかった。

「もし、城を築かなかったらどうなる」と三郎右衛門は聞いてみた。

「織田の大軍を迎え撃つしかあるまい。敵が領内に入って来る前に、野戦を仕掛けて勝つしかない。しかし、信長は野戦を嫌って、長篠の時のように守りを固めるじゃろう。あの時の二の舞いを演じたら、武田はもう終わりじゃ」

 京都から戻って来た行願坊は五万の兵力で信長は攻めて来るだろうと行っていた。それだけの兵力と数千の鉄砲があれば、たとえ野戦に持ち込めたとしても、武田軍が勝てるとは思えなかった。やはり、新しい城は必要なのかもしれない。

 正月の末、吾妻衆にも築城のための動員令が来た。家十軒に対して人足一人、三十日間の徴用というもので、人足の糧米も負担して、二月十五日までに甲府に行かなければならなかった。今回、徴用されたのは西吾妻の湯本、西窪、鎌原の三氏だった。

 冬住みの時期でよかったと三郎右衛門は家老の湯本伝左衛門に人足を集めさせた。そのまま、伝左衛門に甲府まで連れて行って貰うつもりだったが、真田安房守より知らせがあり、冬住みの間、普請を手伝ってくれという。

 三郎右衛門だけでなく、西窪治部少輔、鎌原孫次郎も呼ばれ、三人は人足を率いて、雪の鳥居峠を越え、甲府へと向かった。
 普請現場の七里岩は甲府より手前にあった。人足たちを収容する小屋が幾つもできていて、各地から来た人足たちが大勢、集まっていた。吾妻から連れて来た人足たちを割り当てられた小屋に入れると三人は安房守がいるという奉行所に向かった。奉行所といっても掘っ建て小屋で人足小屋と変わりなかった。

 泥だらけのたっつけ袴をはいた安房守は土図(どず)と呼ばれる土で作った模型を前に腕を組んでいた。

「いやあ、御苦労じゃった。わざわざ出向いてもらってすまなかったのう。今、お屋形様は伊豆に出陣中じゃ。信州の者たちも従っていてな、こっちの方の人手が足らんのじゃ。東上野攻略はひとまずおいて、築城に専念してくれとの仰せじゃ。吾妻衆には人足だけでなく、人足たちの指揮も手伝ってもらう事になろう。すまんが交替でやってくれ」

 安房守に連れられて三人は城を築く予定の小山に登った。その小山は釜無川と塩川に挟まれた七里岩と呼ばれる崖の上にあった。山の上からの眺めは最高で、雪を被った山々が見渡せた。下を見ると崖の下に釜無川がゆったりと流れている。西側からここに登るのは不可能だった。

「この川を下って行くと駿河の海に出る」と安房守は釜無川を見下ろしながら言った。

「駿河に行くにも信州、上州に出るにも甲府よりは都合がいい。地理的には文句なしだが、武田家の運命を左右する事となる難攻不落の城を築くとなると容易な事ではない」

 安房守は厳しい顔付きで三郎右衛門、治部少輔、孫次郎の顔を見回し、「責任重大じゃが、それだけ、やり甲斐はある」と言って笑った。

 山頂におよそ五十間(約九十メートル)四方の本丸を作り、その西側の崖上に三十間(約五十四メートル)四方の二の丸を作る。本丸と二の丸の南側に東西五十間、南北三十間の三の丸を作り、その三の丸の南に大手口を作る予定だという。かなり大規模な城構えで、これが完成すれば、たとえ、五万の大軍に攻められても落ちる事はないだろうと思われた。

「十月までに完成させなくてはならん。休む間もない程、忙しくなるじゃろう」

 三郎右衛門たちは安房守と共に奉行所の隣にある小屋に泊まり込む事になった。安房守の補佐役として甲府から原隼人佑が来ていた。この隼人佑は去年、上州の膳城で重傷を負って亡くなった隼人佑の弟で、兄の跡を継いでいた。真田家の家臣たちもいて、三郎右衛門の義弟、小草野新五郎と河原右京亮もいた。

 翌日から普請工事が始まった。まず、樹木の伐採、草刈りから始まった。一山が裸になるに十日も掛かった。その後、絵図に合わせて杭を打ち、縄を張った。縄張りができると本丸を整地し、本丸の回りに堀を掘り、掘り起こした土で土塁を築いた。

 本丸の整地作業に取り掛かっている三月の初め、沼田より急使がやって来た。十二年前、沼田を追い出された沼田平八郎が金山城主、由良刑部大輔の支援を得て、倉内城を取り戻すために出撃して来たという。安房守は心残りながらも後の事を原隼人佑に任せて、至急、沼田へと向かった。三郎右衛門も行きたかったが、安房守より残ってくれと頼まれ、西窪治部少輔と鎌原孫次郎と共に残る事になった。

 三郎右衛門は人足たちをまとめるのがうまかった。何度か、人足たちの騒ぎを治めたが、そのやり方は決して頭ごなしに怒る事なく、お互いの言い分を聞いてから悪い方を罰するというものだった。悪い方がどんなに荒くれ者であっても簡単に倒してしまい、人足たちも一目置くようになり、三郎右衛門の言う事は皆、聞くようになっていた。他の武士とは違い、草津という湯治場の領主のため、民衆に対する態度が普段から違っていた。農民の領主は威張っていれば事足りたが、草津の領主はお客様である民衆を大切にしなければ生きては行けない。民衆たちへの接し方が普通の武士とは違って、決して、人足たちを差別したりはしなかった。それと、三郎右衛門自身が若い頃、旅をしていたので、人足たちと一緒に飯を食べたり、狭い小屋で雑魚寝をするのも何の抵抗もなかった。三郎右衛門は人足たちに呼ばれると気楽に出掛けて行き、共に酒を飲んだり、一緒に騒いだりしていた。自然と人足たちの親分のような存在になっていて、安房守としては普請を順調に運ぶためにも、三郎右衛門を外す事はできなかった。

 安房守が沼田に着いたのは三月十日だった。すでに、矢沢三十郎が岩櫃城で待機していた真田勢を引き連れて倉内城に入っていた。沼田平八郎は三千の兵を率いて阿曽の砦を奪い取り、倉内城を窺っていた。まさか、三千の兵を率いていたとは安房守は思ってもいなかった。せいぜい集まっても一千足らずだろうと思っていた。今、沼田周辺にいる真田勢は寄せ集めても二千に満たない。籠城したとしても、今の武田軍が後詰に来るとは思えなかった。

 安房守は平八郎の伯父、金子美濃守を利用するしかないと判断し、千貫文の土地を与えるという条件で、平八郎を騙し討ちにするよう命じた。翌日、海野能登守が八百の兵を率いて出撃し、適当な小競り合いをした後、惨めに逃げ帰った。その後、金子美濃守が沼田勢三百を率いて城を抜け出し、平八郎に降伏した。

 人質を取ってあるとはいえ、そのまま、美濃守が本当に寝返ってしまえば、倉内城は平八郎に奪われてしまう。安房守にとっては大きな賭けとなった。

「美濃守は平八郎の伯父じゃ。必ず斬ると言って出て行ったが、実際に会えば気が変わってしまう。甥のために裏切るじゃろう。何度も裏切って生き延びて来た奴じゃからな、信用できん」と海野能登守は強い口調で言い、

「確かに信用のできる男じゃない」と藤田能登守も同意した。「美濃守が裏切った場合も考えた方がいいと思われますが」

「なに、心配するな。美濃守は平八郎に近づく手段に過ぎん。手は充分に打ってある」

 安房守はそう言って、心の不安を表に出さず、太々しく笑った。

「すると、美濃守が率いた兵の中にもしや?」と言って、海野能登守は安房守を見つめた。

 安房守はうなづき、「必ず、うまく行く」と自信たっぷりに言った。

「成程。さすが、一徳斎殿の伜殿じゃな。抜かりはないのう」

 海野能登守の話し振りは少し皮肉っぽく聞こえた。

「いや、先の事はわからない。平八郎の軍に北条軍が加わったら大変な事になる。警戒だけは怠りなくしなければならん」

 安房守は海野能登守の皮肉を簡単に受け流した。

 幸い、北条軍が攻めて来る事はなく、金子美濃守も裏切らなかった。平八郎は美濃守にうまく誘われ、倉内城の水の手曲輪に侵入した所で斬り殺された。大将を失った三千の兵は統率力を失い、真田軍に攻められ逃げ散って行った。

 沼田の仕置きを終わり、安房守が七里岩に戻って来たのは三月の末になっていた。本丸の普請は終わり、予定通り、二の丸の普請に取り掛かっていた。整地された本丸では作事(建築工事)も始まっている。湯本家の人足たちは一月間の任務を終えて、先月に帰って行ったが三郎右衛門は残っていた。西窪治部少輔と鎌原孫次郎も帰り、代わって、池田甚次郎と海野長門守の家臣、渡常陸介が人足を引き連れてやって来ていた。

 普請が始まってから一月余りが過ぎ、人足小屋の回りには商人たちの市も立ち、酒も売っていたし、遊女屋もできていた。人足たちは強制労働なので賃金はでないが、職人たちには手間賃が出た。人足たちの中にも銭をもって来た者たちもいて博奕が盛んに行なわれた。博奕がらみの揉め事が多く、禁止してもやむ事はなく、三郎右衛門は仕事に差し障りがなければいいだろうと大目に見ていた。

 安房守は三郎右衛門と共に現場を見て歩き、本丸に立つと満足そうにうなづいた。

「御苦労じゃった。順調に行っているようじゃな」

「沼田の事も無事に治まったと聞いております」

「うむ。一時は危なかったが、何とか、乗り越えられた。その事を知らせに甲府まで行って来たんじゃが、とうとう、高天神城が落ちたそうじゃ」

「えっ、高天神城が‥‥‥」三郎右衛門は驚き、安房守の顔を見つめた。

 安房守は遠くの山を眺めながら、「二十二日だったそうじゃ」と言った。

「落ちてしまいましたか‥‥‥それで、城兵は近くの城に移ったのですか」

 安房守は眉間にしわを寄せて首を振った。「全員、討ち死にしたそうじゃ」

「そんな‥‥‥」

「仕方なかったとはいえ、城兵は武田家に見捨てられたという形になってしまった。高天神を守っていた者たちは駿河先方(さきがた)衆と信濃先方衆だ。この先、離反者が増える事となろう。築城を急がなければならん」

 高天神城が落ちてしまったとなると、遠江は徳川の領国となり、織田と徳川の大軍が甲斐に攻めて来るのも時間の問題と言えた。大軍が来るまでに、何としても城を完成させなければならなかった。

 四月の初め、三郎右衛門が帰る事を知ると人足たちは別れを惜しみ、ささやかながら送別の宴を開いてくれた。翌日、帰り支度をしていると三郎右衛門は安房守に呼ばれた。奉行所に行くと安房守が待っていた。

「昨夜は随分と賑やかじゃったな」

「申し訳ございません」

「いいさ。奴らも時には馬鹿騒ぎでもしなけりゃ続くまい。そなたがもう少しいてくれれば助かるんじゃが、無理も言えんしな」

「草津の事は雅楽助に任せ、もう少しいる事はできると思われますが」

「いや。そなたを引き留めて置くと、海野兄弟がうるさいからな」安房守は苦笑した。

 確かに、安房守の言う通りだった。海野兄弟は吾妻郡代として、吾妻郡の武士たちの上に立っていた。郡内の武士たちが安房守の命に従うのを快く思っていなかった。

 安房守は東上野を攻めるにあたって吾妻衆の指揮権を持っていた。海野兄弟も安房守の命には従わなければならない。しかし、吾妻衆は安房守の家臣ではなく、安房守と同じ武田家の家臣だった。湯本家を初めとした鎌原氏、西窪氏、横谷氏、植栗氏、池田氏、浦野(大戸)氏ら吾妻七騎と呼ばれている者たちは武田家の家臣で、真田氏、海野氏と同等の立場と言える。ただ、寄子寄親という関係で、真田家に従っていた。海野兄弟は吾妻郡代という立場で吾妻郡内の武士を従わせようと思っているが、吾妻七騎の者たちが海野兄弟よりも安房守の命を重んじるのが気に入らなかった。

 三郎右衛門は安房守と共に普請現場を見て歩き、搦め手口まで行った。安房守は立ち止まり、崖下を流れる釜無川を眺めながら、「海野兄弟の事なんじゃがな」と突然、言った。

 眼下に広がる景色を眺めていた三郎右衛門は何事かと安房守の顔を見た。

「能登守の伜で彦次郎という者が人質として甲府に来ていた。能登守の活躍もあって、彦次郎は武田家の家臣となり、江尻城主だった山県三郎兵衛殿に仕える事となったんじゃ。三郎兵衛殿が長篠で戦死なされ、江尻城には穴山梅雪殿がお入りになられた。彦次郎は梅雪殿と喧嘩をして浪人となった。三年前の事じゃ。父親を見習って諸国修行の旅に出たらしい。わしも甲府で会った事があるが、父親に似てなかなかの使い手じゃ。その彦次郎が江尻城に戻って来たのが今年の正月じゃった。しばらく、江尻に滞在して、また旅に出た。どこに行ったのかわからなかったが、なんと、彦次郎が敵方の戸倉城主の笠原新六郎に仕えたとの情報が入ったんじゃ」

「能登守殿の伜殿が北条家に仕えたのですか」三郎右衛門は信じられないという顔をして、安房守の顔を見つめた。

「信じられんじゃろうが、確かな事じゃ」

 海野中務少輔と共に甲府に行った時、三郎右衛門は中務少輔から弟が江尻城にいると聞いた事があった。あれは四年前の事で、その後の事は聞いてはいない。

「その事を能登守が知っているのかどうかはわからんが、そなたにそれとなく海野兄弟の様子を探ってほしいんじゃ」

「能登守殿が裏切るというのですか」

「そんな事になったら大変じゃから探ってほしいのじゃよ。高天神城が落ちた事によって武田家中は今、動揺している。口に出してこそ言わんが、武田家が織田に滅ぼされてしまうのではないかと思っている者がいるのは事実なんじゃ。わしも不安なんじゃよ。だから、こうして難攻不落の城を築いている。吾妻衆は譜代の家臣ではない。武田家に征服された者たちじゃ。自らの土地を守るために武田家に従って来た。そなたもそうじゃろう。草津の地を守るために武田家に仕えた。まあ、真田家も同じじゃがな。土地を守るために皆、必死になって戦って来た。土地を守るためには強い者に従うしかないからな。武田家が危ないと見れば、武田家に代わる強い者に従うより道はあるまい」

「海野兄弟が北条家に従うかもしれないというのですか」

「わしが二人の立場にいたら当然、考える。そなたもそう考えるじゃろう」

 三郎右衛門は海野兄弟が常に言っている言葉を思い出した。何があっても吾妻衆は一致団結して吾妻郡を守らなければならないと言っていた。

「長門守は岩櫃城代、能登守は沼田城代、北条から見れば、喉から手が出る程、欲しい城が何の苦労もなく手に入るとなれば、喜んで迎える事じゃろう。戸倉城にいる彦次郎を使えば話はすぐにつく」

「しかし、吾妻郡代といえども、独断ではそんな事はできないでしょう」

「勿論、根回しをするはずじゃ。大戸丹後守は長門守の婿じゃ。横谷信濃守の妻は大戸丹後守の妹じゃ。まず、その辺から固めて行くじゃろう。よく見張っていてくれ」

 あの能登守が裏切るとは思えなかった。しかし、絶対にありえないとも言い切れなかった。

「かしこまりました」と三郎右衛門は承諾した。

 人足たちに別れを告げ、長野原に帰った三郎右衛門は草津の山開きを済ますと岩櫃城に出掛け、長門守に挨拶をした。長門守は去年の夏頃、目を患い、視力がほとんどなくなってしまい、本丸の屋敷から中城の下にある中務少輔の屋敷に移っていた。

「おう、帰って参ったか。城の普請の方はもういいのか。そなたは安房守殿の家臣になったともっぱらの評判じゃ。吾妻の事は左京進がいるから大丈夫じゃ。安心して戻るがいい」

 お前なんか、もう用はないと言う口ぶりだった。三郎右衛門は怒りを堪え、「わたしの任務はもう終わりました」と静かに答えた。

「そうか、終わったのか。それは御苦労じゃったな」

 新しい城の様子を告げようとしたら、長門守は下がれというように手を振った。三郎右衛門は頭を下げ、引き下がった。

 屋敷に戻るとすぐ馬に乗って柏原城に行き、左京進と会った。左京進の妻は海野能登守の娘だった。能登守から例の話があったかもしれないと疑ったが、左京進の態度は以前と変わらなかった。三郎右衛門は安心して長野原に戻り、東光坊と会い、安房守から言われた事を話した。

「充分にありえる事じゃな」と東光坊は顎を撫でながらうなづいた。「海野兄弟は安房守殿に従ってはいるが、心の底では真田家も海野家も同じ、武田家の家臣ではないかと思っている。真田家というのは海野家の分家なんじゃよ。勿論、海野兄弟も海野家の本家ではない。本家はすでに滅び、信玄殿の次男、龍宝殿が継いでおられる。同じ分家同士なのに、真田家の下にいるというのが気に入らないんじゃ。武田家が危ないと見れば、北条に寝返る事は充分に考えられる」

 三郎右衛門は少し考えてから、「安房守殿はどうするつもりなんだろう」と呟いた。

 東光坊が何か言ったか、という顔をして三郎右衛門を見た。

「もし、武田家が滅んでしまったら、安房守殿はどうするつもりなんだろう」と三郎右衛門は改めて東光坊に聞いた。

「安房守殿に聞かなかったのか」

 三郎右衛門は首を振った。

「聞こうとは思ったが、できなかった。武田家の家臣として主家が滅びるなどとは口に出しては言えなかった」

「安房守殿もそんな事は答えられまい。ただな、安房守殿は武田家と共に滅びる道は選ぶまい。何としても生き残るじゃろう。湯本家としては安房守殿について行くしかあるまいな。海野家と共に北条方につけば、この辺りは前線となり、安房守殿と戦う事となる」

「そうか、湯本、西窪、鎌原が前線になってしまうのか」

「もし、安房守殿が織田と手を結べば、この辺りで北条と織田の大戦が起こるかもしれん。川中島の合戦で善光寺が全滅したように、草津も全滅してしまうかもしれん」

「何としても、海野兄弟の寝返りを阻止しなければならん。頼むぞ」

 東光坊は月陰党の者たちを岩櫃と沼田に送り、海野兄弟の身辺を探らせた。







 間もなく梅雨に入りそうな五月の初め、武田のお屋形様の叔父、一条右衛門大夫が、お屋形様の側近衆の小原丹後守と秋山紀伊守と一緒に草津に来た。右衛門太夫は去年、武田軍が東上野を攻めた時、草津には来ないで兵を率いて先に帰って行った。その時は湯治には興味ないと言っていたが、草津に来た跡部尾張守より、連歌師宗祇と宗長の歌が草津に残っている事を知らされると是非とも見たいとやって来た。右衛門大夫は兄の逍遙軒と共に風流人として有名だった。

 三郎右衛門は湯本家に残っている宗祇と宗長の連歌を見せた。宗祇とその弟子の宗長が来たのは文亀二年(一五〇二年)の事で、八十年も前だった。二人は草津に滞在して、三郎右衛門の曾祖父、民部入道梅雲と連歌会を催し百韻連歌を残していた。右衛門大夫は宗祇直筆の発句(ほっく)を目にして感激していた。さらに梅雲の所持していた茶道具なども見て、こんな山奥の湯治場にこれ程の値打ち物が隠れていたとは信じられんと驚いていた。右衛門大夫たちは二泊しただけで充分に満足して帰って行った。

 一行が滞在中、お松が三郎右衛門の次女を産んだ。長女が小松だったので、小竹と名付けられた。里々が産んだ久三郎も入れて、二十八歳の三郎右衛門は六歳の小松を筆頭に四人の子持ちとなっていた。幼い子供たちのためにも、この草津の地を守り抜かなければならないと小竹の笑顔を眺めながら決心を新たにした。

 五月二十一日、善太夫の七年忌が盛大に行なわれた。この日は草津だけでなく、各地で長篠で戦死した者たちの七年忌が行なわれた。その前日、霧のような小雨の降る中、善恵尼が草津に来た。今年はきっと来るかもしれないと思い、三郎右衛門は待っていた。善恵尼は一人でやって来て、静かに法事に参加した。

 法事が終わった後、三郎右衛門が挨拶に行くと善恵尼は疲れたような顔をして微笑した。何だか、急に老け込んでしまったように思えた。三郎右衛門の母親より年上なのだから当然とは言えるが、今までがずっと若く見えたので、何となく変だった。

「月日が経つのは速いわね」と溜め息をつきながら善恵尼は言った。

「はい。あっと言う間のような気がします」

「あなたももう立派なお屋形様ね。聞いたわよ。里々があなたの子供を産んだんですってね」

「去年の今日でした」

「まあ、そうだったの。善太夫様の生まれ変わりかしら」

「皆、そのように言っております」

 善恵尼は視線を宙に漂わせ、ゆっくりとうなづいた。善太夫の事を思い出しているようだった。しばらくして、三郎右衛門を見ると、「里々はあなたのお妾さんになったのね」と聞いた。

「はい。でも、今月の初め、子供をお松に預けて山に戻りました」

「えっ、また、忍びに戻ったの」

「母親は二人もいらないと言って、山に戻ったのです」

「そう‥‥‥あの娘らしいわ」

 善恵尼は微かに笑った。里々の事を話すのは何となく照れ臭かった。

「幻庵殿はお元気ですか」と三郎右衛門は話題を変えた。

「ええ、相変わらず、お元気よ。もうすぐ九十歳になるなんて思えないわ」

「九十歳ですか。すごいですね」

「幻庵様は駿河の興国寺城で生まれたの。その頃、北条氏なんて、この世に存在しなかったのよ」

「えっ、北条氏の息子さんじゃなかったのですか」

 突然、何を言い出すのだろうと三郎右衛門は善恵尼の顔を見つめた。

「幻庵様の父上は伊勢早雲様というお方で駿河の今川家の武将に過ぎなかったの。幻庵様が生まれた、その年に早雲様は伊豆の国を攻め取ったのよ。韮山城に移って、伊豆の国を平定したの。幻庵様が三歳の時、早雲様は小田原城を攻め取り、二十四歳の時、相模の国を平定したの。そして、二十七歳の時、早雲様は八十八歳でお亡くなりになられた。早雲様の跡を継いだ幻庵様の兄上、新九郎(氏綱)様は武蔵の国に進攻して江戸城を攻め取ったわ。その時、新九郎様は北条氏を名乗ったの」

「北条氏を名乗る前は伊勢氏だったのですか」

「そうなのよ。その頃、関東には管領職(かんれいしき)を務める上杉氏、上杉氏の執事を務める太田氏、長尾氏、それに公方様と呼ばれる足利氏が名門で、伊勢氏なんて無名に等しかったの。関東に攻め入って、関東の武将たちを味方につけるのに不利と見た新九郎様は北条氏を名乗る事に決めたのよ」

「どうして北条氏なのですか」

「北条氏というのは鎌倉幕府の実力者だったのよ。伊豆の韮山が北条氏の発祥の地だったの。早雲様はその事を知ると北条氏の末裔を捜し出して、その娘を新九郎様に嫁がせたのよ。将来は北条氏を名乗るようにと言ってね」

「そうだったのですか。二代目から北条氏を名乗ったとは知りませんでした」

「わたしだって知らなかったわ。わたしが生まれる前の事だもの。二代目がお亡くなりになったのは幻庵様が四十九歳の時だったそうよ。三代目はあなたも御存じの万松軒(氏康)様。そして、四代目が今の相模守(氏政)様。幻庵様は初代から四代目まで、北条氏の事をずっと見て来ているのよ。ほんと、すごいお人だわ」

 確かにすごかった。人間五十年と言われているのに、その倍近くも生きている。しかも、この戦国の乱世に、北条家の長老として九十年も生きるというのは信じられない事だった。でも、今の三郎右衛門には幻庵の事よりも聞きたい事があった。

「善恵尼殿。北条家の本音はどうなのです。上野の地が欲しいのですか、それとも、駿河の地が欲しいのですか」

 善恵尼は雨に濡れる庭を眺めながら、しばらく考えているようだったが、三郎右衛門の方を向くと話し始めた。

「今のお屋形様の跡継ぎであられる新九郎(氏直)様は駿河の今川家が滅びる前に、今川殿の養子となって、駿河の国の守護職を継いでいるの。まったく形だけだけどね」

「という事は駿河の国が欲しいのですね」

「上杉謙信殿がお亡くなりになって、関東には管領様がいなくなったわ。北条氏は早雲様以来、関東の地を一つにまとめて、争いのない平和な国にするのが目的だったの」

「やはり、上野ですか」

「はっきり言って、わたしにもわからないのよ。北条家も年を取り過ぎてしまったのかもしれないわね。三代目までは領土を広げる事に家臣たちも一団となって必死に戦って来た。その間に、小さな豪族たちは滅ぼされるか、大きな力に屈して生き延びた。今はもう戦と言えば、武田、上杉、そして、徳川、織田と大きな勢力が必ず、からんで来て、大軍を動かさなければ話にならない。でも、大軍を動かしたからといっても、それだけの成果は得られないのよ。越後攻めに失敗してからは攻める事より守る事に必死になっているのかもしれないわ」

 善恵尼はせつなそうに溜め息をついた。赤目の銀蔵のお陰で風摩党の信頼が薄らいでしまったように、小野屋の信頼も以前よりは薄らいでしまったのだろうかと思ったが、その事は口に出さず、「お澪さん、京都に行ったそうですね」と話題を変えた。

「あら、よく御存じね」と善恵尼は少し明るい顔をして笑った。

「女将の見習いとして修行させているのよ。一年間、京都にいて、今は安土にいるわ」

「織田の本拠地にいるのですか」

「北条家は織田家と同盟を結んだのよ」と善恵尼は何でもない事のように言って、三郎右衛門の顔色を窺った。

「やはり、同盟しましたか‥‥‥」

 北条と織田の同盟はもはや時間の問題だと思えたが、実際に同盟を結んだとなると武田家にとっては一大事だった。最後の要だった高天神城を徳川に奪われ、すぐにでも信長が五万の大軍を率いて攻めて来る事も考えられた。

「武田と北条が同盟する事はもうないのでしょうか」三郎右衛門ははかない願いを込めて聞いてみた。

「先の事はまったくわからないわ。でも、人には寿命ってものがあるでしょ。万松軒様は五十七歳、信玄様は五十三歳、謙信様は四十九歳でお亡くなりになったわ。北条のお屋形様は今、四十四歳、織田大納言様は四十八歳、徳川三河守様は四十歳、武田四郎様は三十六歳よ。十年後にはどうなっているかわからないわね」

「十年後か‥‥‥」

 三郎右衛門は十年後を想像してみた。無事に生きていれば三十八歳になる。長女の小松は十六になり、嫁入りを考える年頃だ。長男の小三郎は十四、次男の久三郎は十二、次女の小竹は十一、その下にも子供がいるかもしれない。でも、今の乱世では十年後の事など、まったくわからなかった。三郎右衛門が判断を誤ってしまえば、家族を死に追いやってしまう事もあり得るのだった。

「たとえどんな事が起こっても、この草津の地は守ってちょうだいね」と善恵尼は言った。

「はい、勿論です」とすぐに答えたが、この先、どうなってしまうのか、不安が心をかすめていた。

 温泉に入ったせいか、ほんの少し顔色をよくして善恵尼は帰って行った。三郎右衛門は里々を呼び、送って行くように頼んだ。それから三日後、若い者を連れて旅に出ていた行願坊が帰って来た。信長の様子を聞くと、ますます盛んになっているという。

「安土の城下はすっかり都となり、城下の者たちは戦の事など忘れて、すっかり平和を楽しんでおります。琵琶湖に突き出た丘の上に建つ安土城の天主は言葉では言い表せない程の華麗さで、まるで、極楽浄土を思わせます。去年の末、城下に加賀の一向一揆の首謀者たちの首が梟されました。信長は加賀を平定したようでございます。正月はもう大変でございました。城下のあちこちで祝いの行事が行なわれ、まさに、この世の春を謳歌しているようでございました。セミナリオと呼ばれるバテレンの修行道場も作られ、異様な鐘の音が響き渡り、異様な風体の南蛮人たちも城下を闊歩しております。二月の末には京都で馬揃えを披露なさいました。それはもう華麗で立派な行列が延々と続き、京都の町衆の喝采を浴びておりました。信長の振る舞いを見ていると、関東で相変わらず、戦が続いているのがまるで夢のように思われました」

 三郎右衛門は京都にいた頃、堀久太郎と一緒に行った南蛮寺を思い出していた。法華宗の大寺院、本能寺の近くにあった。行願坊が言ったように異様な鐘の音が鳴り響き、異様な音楽が流れていた。背が高く、天狗のような鼻をした南蛮人が異様な風体で訳のわからない言葉をしゃべっていた。あの時の南蛮寺は民家を改築したものだったが、後に信長が三層建ての立派な南蛮寺を建てたと噂で聞いている。信長は鉄砲や玉薬(火薬)を手に入れるために南蛮人を保護しているに違いなかった。

 じっと考え込んでいる三郎右衛門を見ながら、「どうかなさいましたか」と行願坊が聞いた。

「いや。信長はまるで将軍様にでもなったような振る舞いだな。それで、関東に攻めて来る様子はあるのか」

「今の所は見受けられません。関東より先に伊賀の国を平定するようでございます」

「伊賀といえば、忍びで有名な国だったな」

「はい。その忍びどもが信長に反抗しているようでございます」

「そうか‥‥‥すまんが、また、安土に行ってくれ。そして、信長が関東攻めの準備に掛かったら、若い者を直ちに戻らせてくれ」

 行願坊は今年、山を下りた露月坊と高月坊の二人を連れて西へと向かった。共に山を下りたカゲツとサミダレは長野原の万屋に入っていた。

 六月の初め、真田安房守は沼田に行き、北条に対する守りを固めるため、武将たちの配置替えをした。倉内城は海野能登守父子と藤田能登守、そして、信濃の武将、西条治部少輔が加わる事となり、矢沢薩摩守父子は岩櫃城に撤退する事となった。阿曽の砦には金子美濃守が入り、鎌田城には加藤丹波守、長井坂城には恩田越前守と下沼田豊前守が守る事に決まった。

 安房守は武田のお屋形様から与えられた条目を告げると海野中務少輔を連れて沼田から引き上げ、岩櫃城に来た。

 三郎右衛門は中務少輔と共に安房守に従って甲府に向かった。お屋形様の奥方様が男の子を産んだので、吾妻衆の代表として祝いを述べてほしいという。雨降る中、三郎右衛門は中務少輔と馬を並べながら、中務少輔の素振りをそれとなく見ていたが、武田家を裏切るとはどうしても思えなかった。四月から海野兄弟を見張っていた東光坊も特に怪しい所はないという。安房守の取り越し苦労に過ぎないのではないかと思った。

 三郎右衛門が甲府に来たのは四年振りだった。お屋形様の次男誕生で甲府は祭りのように賑やかだった。だが、四年前の祝言の時と比べると人々は心から喜んでいるようには思えなかった。誰の顔にも喜びの裏に不安の陰がこびりついているように見えた。北条家と武田家を結ぶ子供が生まれたというのに、どうして、北条家と手を切って、遠い越後の上杉と手を結ばなければならなないんだと人々が心の中で叫んでいる声が聞こえるような気がした。

 真田屋敷で正装に着替えた三郎右衛門たちは安房守に従って躑躅ケ崎のお屋形に入り、奥方様付きの侍女にお祝いを述べ、お祝いの品々を贈った。お屋形様は伊豆に出陣中で留守だった。

 甲府からの帰り、七里岩に寄ると、新城はようやく城らしくなっていた。本丸、二の丸、三の丸の普請はほぼ終わり、本丸にはお屋形様が住む事になる屋敷も建っていた。まだ内部は完成していないが、躑躅ケ崎のお屋形よりも広く立派に思えた。二の丸には跡継ぎの太郎殿の屋敷を建て、三の丸には奥方様や娘さんたちが住む屋敷が建つという。後は本丸、二の丸、三の丸の回りの腰曲輪を整備して、堀を巡らせ、完璧な大手門と搦め手門を作れば完成する。このまま予定通りに行けば十月にはお屋形様にお移りいただけるだろうという。

「お屋形様がこちらにお移りになられたら、甲府のお屋形はどうなるのです」と中務少輔が聞いた。

 三郎右衛門もその事が気になっていた。

「取り壊す事になるじゃろう」と安房守は当然の事のように言った。

「えっ、壊してしまうのですか」と中務少輔は驚いた顔をして三郎右衛門を見た。

 三郎右衛門も信じられないという顔をして中務少輔を見てから、安房守に視線を移した。

「甲府の町がすっかりこちらに移る事となろう。ここが新しい府中となるんじゃ。重臣方の屋敷もこの城下に建てられ、やがては寺院も移転する事となろう。町人たちも当然、こちらに移って来る事になる。新しい都がこの城の回りにできるんじゃよ」

「ここが新しい都に‥‥‥」

 中務少輔は城の回りを眺めた。人足小屋が並んでいる辺りは賑やかだが、後は夏草や樹木が生い茂っている。

 三郎右衛門も安房守の言った事に驚いていた。あれだけ賑わっている甲府の町をそっくり移転する事などできるのだろうか。

「何も驚く事はない。武田家は代々、今の甲府にいたわけではない。先先代のお屋形(信虎)様が石和(いさわ)の地から、今の地に移られたのが六十年程前の事なんじゃ。その前には川田や若神子(わかみこ)にもお屋形があったらしい。噂では織田の大納言は安土という何もなかった琵琶湖のほとりに華麗な城を築き、今では近江の国の都にまでなっているという。やがて、この地も甲斐の都と呼ばれるようになろう」

 安房守と別れ、三郎右衛門は中務少輔と共に帰路についた。途中、三郎右衛門と中務少輔は様々な事を語り合った。さりげなく、弟の事を聞いてみたが、武田家を浪人して旅に出たまま行方知れずだという。親父も伯父も、もういい年だ。帰って来てくれれば、わしの片腕として働いてもらえるのにと愚痴っていた。

 草津に帰ると東光坊が待っていた。

「どうした。何か起こったのか」と三郎右衛門は文机の前に腰を下ろした。東光坊の顔色から、何も起きていない事はわかっていた。

 東光坊は首を振ってから、「一雨、来そうじゃな」と言った。

 三郎右衛門は開け放してある縁側の方を眺めた。空が急に薄暗くなり、遠くで稲光が光っていた。

「甲府はどうだった」と東光坊は聞いた。

「お祭り騒ぎだった」と三郎右衛門は答えた。「ただ、城造りに反対している者はまだいるらしい。一条左衛門大夫殿もその一人だった」

「そうか。身内に反対されるとは、武田のお屋形様も大変じゃな」

「こっちの様子はどうなんだ」

「何もない。長門守は目がほとんど見えなくなっている。普通ならすでに隠居している年齢じゃ。跡継ぎがいないので、十四歳になる娘に立派な婿を迎えるまではと頑張っている。とても、謀叛などするとは思えん。能登守は倉内の城代となり、張り切って領内の者たちの面倒を見ている。さっそく城下の屋敷を道場として、若い者たちを鍛えている。中務少輔は薩摩守殿の婿じゃし、薩摩守殿の孫も三人いる。裏切るとは思えんな」

「やはり、そうか。俺も今回、中務少輔殿と旅をして、そんな兆しはまったく見えなかった。安房守殿の取り越し苦労に違いないと思った」

 東光坊はゆっくりとうなづいてから、「わしが考えるに、安房守殿は先の事を考えているのではないかのう」と言った。

 三郎右衛門は東光坊が何を言おうとしているのかわからなかった。黙って、東光坊の顔を見つめた。

「安房守殿はすでに、武田家が滅びた先の事を考えているんじゃないかと思うんじゃ」

「何だって? そんな馬鹿な。武田家のために真剣になって城造りをしている安房守殿がそんな事を‥‥‥」

「安房守殿だって武田家が滅びるとは思いたくはない。しかし、今の世を生き延びて行くには、常に最悪の事態も想定して行動しなければならんのじゃ。もし、武田家が滅びた場合、安房守殿は真田から沼田までを真田領とするに違いない。吾妻衆、沼田衆は改めて真田家の家臣となる事となろう。ところが、安房守殿に反対する者が出て来るんじゃよ」

 三郎右衛門にはその答えはすぐにわかった。しかし、口に出しては言えなかった。

 雨が突然、勢いよく降って来た。

「海野兄弟じゃよ」と東光坊は言った。「海野兄弟は吾妻郡の者たちは皆、自分たちの指揮下にあると思っている。武田家が滅べば、当然、吾妻の領主となり、吾妻衆を家臣に組み込む事となろう。沼田はどうなるかわからんが、吾妻衆が海野兄弟に従えば、やがては沼田も従う事になろう」

「しかし、安房守殿も兄弟のする事を黙って見てはいまい。湯本家は勿論、西窪、鎌原は安房守殿に従うだろう。横谷殿も従うかもしれない」

「武田家が滅んだ後、身内同士で争っている暇などあるまい。織田、徳川が信濃まで攻め込んで来ているかもしれんのじゃぞ」

「そうか。そんな事をしていたら共に滅ぼされてしまう」

「安房守殿の本音は武田家が滅びる前に、海野兄弟を片付けたいのじゃよ」

「安房守殿がそんな事を考えているとは‥‥‥」三郎右衛門は首を振り、「そうは思いたくはない」と力を込めて言った。

「海野兄弟の身辺を探らせ、ぼろが出てくれば、それを口実に討ち取るつもりなんじゃ」

「薩摩守殿の婿、中務少輔殿も討ち取るつもりなのか」

「生かして置けば後で面倒な事になる」

「もし、それが本当なら恐ろしい事だ」

「恐ろしいなどと人事のように言ってはおれんぞ。沼田平八郎を騙し討ちしたように、安房守殿は絶対に海野兄弟を殺すじゃろう。わしらとしても覚悟を決めなくてはならん」

 東光坊は厳しい顔をして、三郎右衛門を見つめた。

 三郎右衛門は東光坊の視線から目をそらし、土砂降りの庭を眺めた。縁側に雨が吹き込んでいた。裏の方で女たちの騒いでいる声が聞こえて来た。

 長門守はともかく、能登守と中務少輔を斬る事ができるかと問われれば、できないと答えるより他はなかった。
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