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2017 .07.26
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25.裏切り








 三月三日、新府城から岩殿城を目指した武田四郎の一行は、無残にも荒れ果てた古府中に着くと、まだ無事に残っていた一条右衛門大夫の屋敷で休憩してから東へと向かった。その夜は、信玄の従妹(いとこ)、理慶尼のいる柏尾の大善寺に泊まった。翌日、笹子峠の登り口、駒飼(こまがい)に着いた時、小山田左兵衛はお屋形様を迎える準備を整えなければならないと先に岩殿城へ帰って行った。

 いつまで経っても迎えは来なかった。九日の夜に左兵衛の家臣が来たと思ったら、人質として残っていた母親を強引に奪い去って行った。土壇場(どたんば)になって信頼していた左兵衛に裏切られた四郎は死を覚悟して天目(てんもく)山を目指した。天目山は武田家の先祖、武田安芸守(あきのかみ)信満が戦死した場所で、幼い頃、父の信玄に連れられて来た事があった。先祖と同じ地で死ぬのも何かの因縁だろうと四郎は死に場所に選んだ。しかし、織田軍の追っ手は早く、天目山にたどり着く事なく、十一日の昼前、田野(たの)で休んでいた所を四方から攻撃を受け、全員が討ち死にを遂げた。

 武田四郎勝頼は三十七歳で無念の生涯を閉じた。北条家から嫁いだ奥方様は実家に帰る事を拒み、十九歳の若さで散って行った。跡継ぎの太郎信勝は十六歳で見事に切腹して果てた。去年、生まれた次男は大善寺に行く途中、具合が悪くなり、春日居の渡し場近くに住む渡辺嘉兵衛に預けられた。嘉兵衛は四郎の遺児を匿(かくま)い通して育てたが、翌年の三月、看護の甲斐もなく病死してしまった。

 日を追って逃亡者が相次ぎ、最後まで、お屋形様に従って亡くなった者は七十人足らずしかいなかった。その中には一昨年、お屋形様と一緒に草津に来た土屋惣蔵、跡部尾張守、小宮山内膳と去年、一条右衛門大夫と共に来た秋山紀伊守と小原丹後守もいたという。草津の遊女、初花(はつはな)を迎えに来ると言った土屋惣蔵は、あの後、何度か手紙をよこし、初花は本気で惣蔵が迎えに来るのを楽しみに待っていた。

 岩櫃城にいた三郎右衛門が武田のお屋形様の死を知ったのは二日後の十三日の夕暮れだった。お屋形様の後を追っていた多門坊と静月坊が戻って来て、詳しい状況を知らせてくれた。

 お屋形様の終焉(しゅうえん)の地となった田野の周辺は織田の追っ手だけでなく、落ち武者狩りに加わった地元住民たちも押し寄せていた。皆、殺気立ち、現場に近づく事は容易ではなく、二人は落ち武者狩りの者たちに混じって近くまで行った。すでに織田勢によって現場は封鎖され、侵入する事はできなかった。合戦は正午には終わり、夕方には織田軍も撤退した。数十人の者たちが現場に残っていたが、警戒は厳重とは言えなかった。二人は忍び込んで側まで行ってみた。言葉では表現できない程、無残な光景がそこにあった。首のない武将たちの死骸があるのは、どこの戦場でも目にする光景だったが、二十人余りもの身分ある女たちの死骸が血だらけになって転がっているのは目を覆いたくなるほど悲惨な光景だったという。

 二人と一緒に甲府に行った東月坊は、人質として新府の城下で暮らしていた真田安房守の家族たちを守りながら先に帰っていた。安房守の奥方、長男の源三郎、次男の源次郎、三人の娘、それに、安房守の兄、源太左衛門の娘と兵部丞の息子、弟の加津野市右衛門の家族、矢沢三十郎の娘たちも一緒で、総勢百人余りが危険な目に会いながらも無事に帰って来た。源三郎と源次郎に仕えていた三郎右衛門の弟、小四郎も無事だった。何度も盗賊と化したならず者たちに襲われそうになり、まるで、落ち武者になったような気分だったという。佐久から浅間越えをして来た一行は鎌原城で休んだ後、鳥居峠を越えて真田へと帰って行った。

 正月末の木曽伊予守の裏切りから始まって、木曽での敗戦、伊那衆の逃亡、穴山梅雪の裏切り、高遠城の落城、そして、土壇場での小山田左兵衛の裏切りと続き、わずか一月半で、武田家が滅び去ってしまうとは、想像すらできない事だった。甲斐、駿河、信濃、西上野の領主として君臨していた武田家が消えてしまったなんて、悪い夢でも見ているようだった。

 先月の末、箕輪城を奪い取った北条安房守は吾妻に攻め込もうと隙を窺っていたが、武田家が壊滅状態に陥った事を知ると信濃を侵略しようと西へと向かった。松井田城を落とし、碓氷(うすい)峠を越えて佐久に攻め込もうとしていた。岩櫃城を守っていた三郎右衛門たちがホッと胸を撫で下ろした時、武田家の滅亡の知らせが届いたのだった。

 多門坊と静月坊が引き下がった後、三郎右衛門は縁側に座り込んだまま、呆然としていた。早く、皆に知らせなければならないと思いながらも、亡くなってしまったお屋形様や奥方様の面影を偲(しの)んでいた。そこに東光坊が、のそっと現れた。
「一体、どこに行っていたんだ」と三郎右衛門は思わず怒鳴った。

 東光坊は二月の半ば、織田勘九郎が岐阜を出陣したという知らせが届くと、黙って、どこかに消えてしまい、行方がわからなかった。それが突然、そこらを散歩でもして来たような気楽な格好をして庭に現れたのだった。

「ちょっとな、医者になって世間を見て来た」東光坊は軽く手を上げて笑った。

「何をのんきな事を言ってるんだ。武田家が滅びてしまったんだぞ」

「ああ、知っている」と言いながら三郎右衛門の側に腰を下ろし、庭の片隅にある桜の木を眺めた。丁度、満開に咲き誇っているのに、何となく物悲しく感じられた。

「古府中を通って来た」と東光坊は言った。

 三郎右衛門は桜の花を見つめたまま何も言わなかった。

「まったく、ひどい有り様じゃった。あれが甲斐の都じゃったとはのう。恐ろしい事じゃ。わしが行った時は織田と徳川の軍勢で溢れていたが、武田のお屋形様が去ってから織田軍が入って来るまでの数日間、盗賊と化した者どもに略奪の限りを尽くされたに違いない」

「そんなにもひどい状況なのか」と三郎右衛門は桜の花から東光坊へと視線を移した。

「ひどいなんてもんじゃない。古府中から佐久を通って帰って来たんじゃが、山中のいたる所に盗賊どもがたむろしていて、盗んで来た財宝を囲んで酒を飲み、さらって来た女たちを慰(なぐさ)み物にしておった。武田の家臣たちの娘たちもいるに違いない。可哀想じゃがどうしようもなかった」

「助けなかったのか」と三郎右衛門は責めるような口調で聞いた。

「助けていたら切りがないわ。それよりな、今日、小諸の近くを通ったら大変な騒ぎになっていた。詳しい事はわからんが、左馬助殿が家臣に裏切られて、殺されたとか自害したとか噂になっていたぞ」

「左馬助殿が殺された‥‥‥」三郎右衛門はぼうっとした顔で東光坊を見ていた。もう何を言われても驚かなくなっていた。

「そういう噂じゃ。小諸城が織田方に寝返ったとなると、敵はすぐそこまで来たという事になる」

「なに、そいつは大変だ」と三郎右衛門は我に返った。「敵は鳥居峠からではなく、浅間越えから鎌原に攻め込むに違いない。早く、みんなに知らせなくては」

 慌てて立ち上がろうとした三郎右衛門を、「まあ、落ち着け」と東光坊は押さえた。

「話を最後まで聞け。わしは安土まで行って来たんじゃよ。噂に聞く華麗なる天主ってえのをこの目で見たかったんでな」

「安土だと? 御苦労な事だ。俺も一緒に行きたかったよ。さぞ、楽しい旅だったろう」

 三郎右衛門は皮肉を言ったが、東光坊はお構いなしだった。

「見事な城じゃった。まるで極楽を思わせる華麗なる御殿じゃ。大したもんじゃよ。どんな武将でも、あれを見ただけで腰を抜かしてしまうじゃろうな」

「そんなにもすごいのか」と三郎右衛門は東光坊の話に引き込まれてしまった。

「ああ、すごい」と東光坊はうなづいた。華麗なる天主を見上げているような顔付きをして話し続けた。「あれだけ贅(ぜい)を尽くした城を建てたというだけで、敵対するのが馬鹿げに思えて来る。到底、かなうわけがないと思えて来るんじゃよ。信長という男を実際に見てみたくなってな、矢も盾もたまらなくなったんじゃ。なにせ、以前、奴を見たのはもう十年余りも前の事じゃ。噂はかなり流れて来るが実際にこの目で見て、どんな男なのか見極めたかったんじゃよ」

「それで、見極めたのか」

 東光坊は三郎右衛門を見つめて、うなづいた。

「見極めた。信玄殿と謙信殿のいない今、天下を治める事ができるのは信長しかいないじゃろう」

「北条相模守よりも上か」

「当然じゃ。武田家の次に狙われるのは北条じゃろうな」

「信長は北条も潰すつもりなのか」

「多分な。北条も信長の機嫌を取っているようじゃが、信長の下に立つ気はあるまい。逆らえば潰されるじゃろう」

「北条も滅ぼされるのか‥‥‥」

 三郎右衛門はあの小田原の都が廃墟になるさまを思い浮かべて首を振った。上杉の大軍に攻められても、武田の大軍に攻められても、無事だった小田原城が織田の大軍によって攻め落とされるとは思えなかったが、織田軍は上杉軍や武田軍が持っていなかった大量の鉄砲を持っている。多分、北条軍の数倍の鉄砲を持っているに違いなかった。

「そんな事は信じられんが、武田家が滅び去ってしまった今、残念ながら、ありえないとは言いきれん。生き延びるには信長に付くしかないという事なんだな」

「そういう事じゃ。信長は三月五日、安土を出陣した。率いる兵は五万は下らないじゃろう。六日には岐阜に着き、仁科五郎殿の首実検を行ない、五郎殿の首を長良川に梟(さら)した。次の日は雨降りだったので、信長は岐阜城から動かなかった。わしは勘九郎の軍が通った後を追って、伊那から諏訪に抜け、新府城と古府中を見て戻って来たんじゃよ」

「そうだったのか‥‥‥」

 仁科五郎の首が岐阜まで行き、信長と対面していたとは知らなかった。五郎は三郎右衛門より三歳年下の二十六歳だった。二十六で戦死してしまうなんて、あまりにも若すぎた。草津に来た時の楽しそうだった五郎の笑顔が浮かび、そして、妹の信松尼の笑顔も浮かんで来た。三郎右衛門は二人の冥福を祈った。

「安土に行願坊が若い者と一緒にいた」と東光坊は言った。「行願坊の奴、絵師を気取っていたわ。いつ覚えたのか知らんが、なかなか、うまいもんじゃった。二人の若い者を弟子にして安土城下に住んでいた。奴らはしきりに城の絵を描いていたから、帰って来たら見せてもらえばいい。それとな、安土の小野屋を覗いたら、お澪殿がいた。お屋形様から話は聞いていたが、善恵尼殿に勝るとも劣らん別嬪(べっぴん)じゃな。近づいておくのも今後のためじゃと思ってな、ちょこちょこ遊びに行ったわ」

「湯本家の忍びだと言ってか」

「まさか、湯本家に世話になっている医者としてじゃ。今は冬住みなんで、上方(かみがた)見物に来たと言ったんじゃ。お澪殿が信じたかどうかはわからんがの。いい女子(おなご)じゃよ。小野屋の主人は与兵衛といってな、通りを挟んだ向かいに『我落多(がらくた)屋』という、名の通りの我落多を売っている店があるんじゃが、そこの主人が夢遊(むゆう)という変わり者で、お澪殿にちょっかいを出して困るとぼやいておった。年の頃は四十を過ぎているらしいが女好きの酒好きだという。一度、会ってみたいと思っていたんじゃが、堺の方に行っていて留守じゃった」

「お澪殿にそんな虫がついてるのか。善恵尼殿が知ったら大変な事になりそうだな」

 善恵尼の名を口に出して言ったら、ユカリの事を思い出した。自分の娘がいるのに、どうして、お澪を小野屋の跡継ぎに決めたのだろう。自分の娘には自由に生きてもらいたいと思っていたのだろうか。

「その夢遊という男、どうも臭いな。我落多屋に売っている物というのが、わしらの『万屋』と似ている」

「盗品だというのか」

「どこかの忍びに違いない。お澪殿の正体を知らない所を見ると北条ではない。上杉か毛利かもしれん。まあ、安土という所は各地から忍びが入って信長の動きを探っている。城下の出入りは勝手じゃからな、誰でも簡単に入って来られる。まったく面白い所じゃよ」

「お澪殿だが、やはり信長の後を追ったのか」

「ああ、そうじゃ。岐阜までは信長の後を追って行ったが、そこから南下して伊勢に向かったようじゃ。多分、船で小田原に向かったんじゃろう。おっと、忘れる所じゃった。安土で堀久太郎に会ったんじゃよ」

「なに、堀殿に会って来たのか」

 東光坊に言われるまで、堀久太郎の事をすっかり忘れていた。いつか、行願坊が、もしもの時には役に立つと言っていた。あの時、信じられなかった、もしもの時が、もうすぐ現実のものとなりつつあった。

「こっちは旅の医者だし、会ってくれるとは思ってもいなかったんじゃが、上州の草津から来たと行ったら気楽に会ってくれた。お屋形様の事をよく覚えていて、懐かしがっていたよ。本丸のすぐ近くにある立派な屋敷に住んでいてな、信長の信頼が厚いようじゃ。上泉伊勢守殿の弟子の疋田豊五郎(ひったぶんごろう)殿が今、織田勘九郎の師範となっていて岐阜にいると言っておった」

「その事は前に道感殿から聞いていたが、疋田殿はまだ、岐阜におられたのか」

「居心地がいいんじゃろう。もしかしたら、勘九郎と一緒に出陣したかもしれんとも言っておった」

 信松尼がいた高遠城を攻めた織田軍の大将は勘九郎だった。勘九郎はどんな気持ちで許婚者のいる城を攻めたのだろう。信松尼が未だに勘九郎の事を思っていても、勘九郎の方は何とも思っていなかったのだろうか。勘九郎の気持ちはわからないが、許婚者だった女の家を滅ぼす事になってしまうとは、あまりにも非情な世の中だった。

「堀殿も信長に従って出陣する事になっていて、武田征伐が終わったら、信長の許しを得て、是非とも草津に行きたいと申しておった」

「なに、堀殿が草津に来るのか」

「うむ。信長も許してくれるじゃろうと言っておった」

「そうか、堀殿が来られるか。懐かしいなあ。堀殿も酒が好きでな、道場をこっそり抜け出して、よく飲み歩いたものだった。一緒に酒を飲むのが楽しみだ‥‥‥ちょっと、待て。という事は是非とも織田につかなければならないではないか。安房守殿は北条につくつもりなのかもしれんぞ。早く、この事を知らせなければならん」

「安房守殿は真田に帰っておられるのか」

「織田軍が攻めて来るかもしれないと戸石城に帰られたんだ」

「よし、わしがすぐに行って来よう」と東光坊は迷わずに言った。

「頼む」

 東光坊が去ると三郎右衛門は本丸に登り、城代たちを初め武田家の家臣だった者たちを全員、集めた。武田のお屋形様が二日前に討ち取られたと聞いて、皆、茫然自失の体(てい)だった。そんな事、信じられるかと言い張っていた者たちも、山伏たちによって、次から次へと入って来る情報を聞くに及び、信じざるを得なかった。小諸の武田左馬助が留守を守っていた下曽根覚雲軒(かくうんけん)に殺された事も事実だった。

 三郎右衛門は今後、吾妻衆が生き残るためには真田安房守に従うしかないと主張した。その事に不平を言う者はいなかった。今後、何が起こるかわからないので、厳重に守りを固め、安房守を迎えようという事に決まり、外はもう暗くなってしまったが、直ちに使者が送られた。

 翌日の昼過ぎ、里々とユカリが岩櫃城にやって来た。砦から下りて来たのかと思ったら、なんと、真田から帰って来たという。ユカリが真田にいる姉のおナツと同い年のおしほに会いたいと言い出し、一人で行こうしたので、仕方なく、里々が付いて行った。向こうで東光坊と会い、三郎右衛門を真田に連れて来るように頼まれたという。

「安房守殿がこちらに来るように使者を送ったはずだが」と聞くと、

「はい、使者は参りました」と里々が答えた。「しかし、安房守殿は、岩櫃に行く暇はない。今は一刻を争う重要な時を無駄にはできないと申されました。安房守殿は直ちに織田大納言殿のもとに挨拶に伺うとの事でございます」

「なに、信長のもとへ行くというのか。危険ではないのか」

「生きるか死ぬか、天命に任せるとおっしゃっておりました」

「天命に任せるか‥‥‥」

 三郎右衛門は腕を組んで、庭の桜を眺めた。散った花びらがそよ風に舞っていた。生きるか死ぬか、天命に任せるという言葉を心の中で何度も繰り返していた。

「兄上様、あたしも連れてって」とユカリが言った。

 三郎右衛門はユカリを見た。兄上様と呼ばれ、改めて、妹なんだと実感したが、そんな感慨に浸っている場合ではなかった。

「お前が一緒に行ってもどうにもならん。おとなしく留守番していてくれ」と三郎右衛門はそっけなく言った。

「いや、あたしも行く」ユカリは強情な顔をして三郎右衛門を見つめていた。

「お屋形様」と里々が声を掛けた。「この娘(こ)、一度言い出したら聞きはしませんよ。放って置いたら勝手に行ってしまうでしょう」

「お前の手にも負えんのか。まいったな」

「お屋形様、どうでしょう。わたしたちが旅芸人の一座に扮して行くというのは」

 里々はとんでもない事を言い出した。戦場に旅芸人など連れて行けるはずはなかった。

「危険すぎる。東光坊の話だと信濃も甲斐も盗賊と化した者どもが我が物顔で横行しているという。忍びとはいえ、女たちを連れて行くわけには行かない」

「そんな事を言っていたら、わたしたちは万屋の店番しかできません。みんな、厳しい修行に耐え、お屋形様のために働きたいのでございます。お屋形様が生きるか死ぬかの覚悟を決めたのに黙って見ているわけには参りません。都から来られた織田軍が見れば田舎芸人かもしれませんが、慰みにはなるかと思います」

 三郎右衛門はまた桜の花を眺めた。確かに大きな賭けだった。信長に会う前に殺されてしまうかもしれなかった。たとえ、信長に会えたとしても、生きて戻れるとは限らない。

 三郎右衛門は桜の花から視線を戻して、里々とユカリを見た。里々は必死な面持ちで三郎右衛門を見つめ、ユカリは恐れを知らない強い視線を送っていた。三郎右衛門は決心を固めた。

「よし、わかった。すぐに支度をしてくれ」

 里々は頭を下げ、ユカリは嬉しそうに喜んだ。二人が去った後、三郎右衛門は城代たちに後の事を任せ、選りすぐりの二十人を引き連れて長野原に帰った。長野原で旅芸人に扮した里々たちと合流し、翌日、霧雨の降る中、真田へと向かった。

 馬に揺られ、雨に煙る浅間山を左手に眺めながら、三郎右衛門は草津を守り抜くため、湯本家の将来、吾妻郡の将来、そして、真田家の将来を織田信長の側近として重きをなす堀久太郎に託そうと心に決めていた。

 そんな三郎右衛門の決心も知らず、妹のユカリは荷車に乗って、小田原で流行っているのか、陽気な曲を横笛で吹いていた。

 その頃、死んだものと諦めていたハヅキ、水月坊、光月坊の三人は信松尼を守りながら大菩薩(だいぼさつ)峠を越えていた。信松尼は高遠城が織田軍に囲まれる以前に、仁科五郎の三歳になる娘を連れて新府城に避難した。その時、ハヅキも草津に帰れと命じられ、信松尼と行動を共にした。新府城に入ったのは二月二十八日で、翌日、兄の四郎も諏訪から戻って来た。出陣して行く時、一万余りもいた兵は離反者が続出して二千人足らずになっていた。すでに、四郎は新府城を捨て、岩櫃城に行く覚悟を決めていたが、深志(ふかし)城(松本市)も落城し、信濃国内も安全とはいえず、女子供を連れて、無事に岩櫃城に行けるとは思えない状況になっていた。四郎は四歳になる娘を信松尼に預け、先に逃げるように命じた。小山田左兵衛の四歳になる娘も預けられ、信松尼は三月二日、三人の娘を連れ、ハヅキたちに守られながら、信玄の伯母がいる栗原村の海洞寺を目指した。途中、古府中を通ったが、町はひどい混乱状態に陥っていた。治安を守るべき奉行所の役人たちはすでに逃げ出し、町人たちは荷物を抱えて逃げ惑い、徒党を組んだならず者たちがあちこちに出没し、強盗、放火、打ち壊しと好き勝手な事をしていた。海洞寺の大伯母の紹介で塩山(えんざん)の向嶽寺(こうがくじ)に行った一行は、しばらく隠れていたが、織田軍が古府中に攻め入ったとの報を聞くと難を避けるため、武蔵横山(八王子市)の心源院の住職、卜山(ぼくざん)和尚を頼って大菩薩峠を目指したのだった。

 峠に立った信松尼は後ろ髪を引かれるような気持ちで古府中の方を見下ろした。手をつないでいる仁科五郎の娘、お督(とく)姫があどけない顔をして信松尼を見上げていた。信松尼の侍女として付いて来たのは草津に来た時、信松尼に化けていたお咲だった。お咲は武田四郎の娘、お貞姫と手をつなぎ、ハヅキは裏切った小山田左兵衛の娘、お香姫と手をつないでいた。六人の女たちを守るため、前後に仁科五郎の家来が二人と山伏姿の水月坊と光月坊が守っていた。武田四郎の家来もいたが、皆、家族の事を心配して逃げてしまった。

 悲しそうな目をして古府中の方を見ていた信松尼はハヅキを振り返り、「草津は大丈夫かしら」とつぶやいた。

「草津は大丈夫でございましょう」とハヅキは答えた。古府中の悲惨な有り様を見たら草津も安全とは言えないが、大丈夫だと信じるしかなかった。

「きっと大丈夫でございますとも」とお咲が言って、目に涙を溜めながら信松尼を見た。

「楽しかったわ」と信松尼はしみじみと言って、微かに笑った。

 信松尼にとって仁科郷から草津への旅は、辛い事ばかりの思い出の中、唯一楽しかった思い出だった。信松尼は草津の思い出を胸に抱き、悲しみをじっと堪えて、さらに辛くなるであろう前途多難な旅路へと先を急いだ。





第2部・湯本三郎右衛門 完

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