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2024 .03.19
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16.長男誕生








 三郎右衛門たちが岩櫃城に戻ったのは六月も末になっていた。梅雨も上がり、暑さも盛りを迎えていた。

 海野長門守と海野中務少輔に、武田家が喜平次景勝と同盟を結んだ事を告げると二人とも唖然とした顔をした後、「何という事じゃ」と長門守は怒鳴り、三郎右衛門、西窪治部少輔、鎌原宮内少輔の三人を恐ろしい顔で睨みつけた。

「武田のお屋形様は一体、何を考えておられるのじゃ。前線の事も考えず、勝手に同盟など結びおって。喜平次と結んだじゃと。喜平次と結べば北条は敵になるではないか。北条の大軍がすぐ目の前にいるんじゃぞ。どうして、そんな事になったんじゃ。わしらに納得できるよう、きちんと説明してもらおうか」

 長門守がすごい剣幕で怒鳴り散らしたため、三郎右衛門も治部少輔も俯いてしまった。さすが、年を食っている宮内少輔は落ち着き払って説明をした。

「すると、真田のお屋形様は蚊帳(かや)の外だったのだな」と黙って話を聞いていた中務少輔が口を挟んだ。父親の能登守は出掛けているのか、姿を現さなかった。

「前線におられた小諸の左馬助殿が中心になって交渉を始めたようじゃ」

「上杉との交渉は海津の春日弾正殿が当たっていたのではないのか」

「春日弾正殿は先月、お亡くなりになられた」

「なに、春日弾正殿が亡くなった‥‥‥」

 中務少輔は信じられないという顔をして伯父の長門守を見た。長門守は怒りが治まらないとみえて、真っ赤な顔をして一人でブヅブツ言っていた。

「春日弾正殿が生きておられれば、こんな事にはならなかったじゃろうと真田のお屋形様は言っておられた」

「うーむ」と言いながら中務少輔は腕を組んで宙を睨んだ。その仕草は父親にそっくりだった。

「何という事じゃ。武田のお屋形様はわしらの事など何も考えておられん。まったく、どうしたらいいんじゃ」長門守はたるんだ頬の肉を震わせながら、ウーウー唸り続けた。

「伯父上、決まってしまった事は仕方がないでしょう。確かに、三郎景虎が謙信の跡を継いでしまえば、越後は北条領となり西上野は北条勢に囲まれる。同盟を結んでいるとはいえ、北条は西上野を手に入れようとするに違いない。遅かれ早かれ、北条とは戦わなくてはならんのだ。われらとしては何が起ころうとも、この吾妻の地を守り抜かなければならない」

 中務少輔はこちらの今の状況を説明してくれた。

 廐橋城の城主、北条丹後守、白井城の城主、長尾一井斎が三郎景虎方に付いたので、北条氏は難無く、その二城を手に入れた。沼田の倉内城も三郎方だったが、城代の河田伯耆守が越後攻めに出掛けた後、もう一人の城代、上野中務少輔が喜平次方に寝返ってしまった。北条軍は倉内城を攻めたが、敵はしぶとくなかなか落ちない。いつまでも、こんな所で足止めを食ってはいられないと、鉢形城主の安房守率いる北条軍は猿ケ京の宮野城を攻め落として越後に進軍した。宮野城が落城したのは二日前の事で、北条氏に頼まれて吾妻衆も城攻めに加わり負傷者が何人も出た。倉内城は今、江戸城主の北条治部少輔と河越城主の大道寺駿河守の兵三千余りが包囲している。吾妻衆は倉内城と共に寝返った尻高城と中山城を攻めているという。

「今の時点では、喜平次方の尻高も中山も味方になったわけだ。味方同士で傷つけあう事もない。早いうちに引き上げさせなければならない」と中務少輔は言った。

「尻高、中山攻めに北条軍は加わっているのですか」と三郎右衛門は聞いた。

「いや、われらに任されているはずだ」

「それなら、戦をやめて引き上げる事もできるわけですね」

「うむ、できるだろう。ただ、親父が今、沼田にいるんだ」

「何じゃと」と宮内少輔が言って、中務少輔の顔を見つめた。

 三郎右衛門も驚いた。どうして、能登守が沼田にいるのか理解できなかった。
「同盟の事がわかったら殺されちまうわ」と長門守が顔をしかめたまま首を振った。

「何で、沼田なんかに行ったんじゃ」と宮内少輔が強い口調で聞いた。

「北条治部少輔殿に呼ばれたんだ。治部少輔殿は若い頃、沼田にいたらしい。まだ謙信殿が関東に攻めて来る前の事で、その頃、親父の噂を聞いて、会いたいと思っていたらしい。その時は敵同士だったので会う事はできなかった。今回、沼田に来て、当時の事を思い出し、親父が岩櫃城にいる事を知って呼んだようだ」

「すると、治部少輔殿は武芸に興味をお持ちなのですか」と三郎右衛門は聞いた。

「どうもそうらしい。新当流の事など聞きたいと言って来たんだ」

「という事は倉内城攻めに加わっているのではないのですね」

「多分な。客扱いされているとは思うが」

「下手をしたら人質に取られるかもしれん」と長門守が腹立たしそうに言った。「弟を人質に取って、北条に寝返ろと言って来るかもしれん」

 長門守は厳しい顔をして宙を睨んだ。中務少輔は右手に持った扇子で膝をたたきながら長門守を見ていた。

「能登守殿は何人連れて行ったのですか」と三郎右衛門は中務少輔に聞いた。

「弟子たちを十人ほど連れて行った。誰か弟子を送って、親父に同盟の事を知らせなければならない。敵が気づく前にな‥‥‥まあ、その事はまた後で考えるとして、とにかく、敵に備えて守りを固め、北条の動きを見守る事だな。もともと上杉の大軍と戦う準備はしてあったんだ。上杉が北条に変わっただけだ」

「北条の大軍がすぐそこにいるんじゃぞ。それがすぐに吾妻に攻め込んで来たら、到底、勝ち目などないわ。廐橋や白井のように降伏して開城するしか手はあるまいの」長門守はもう自棄糞になっていた。

 その後、吾妻衆の主立った者たちが集まり、軍議が開かれた。尻高、中山城を攻めている者たちには戦をやめさせ、敵が同盟に気づくまでは、しばらく、その場で待機していてもらい、真田に援軍を依頼する事に決めた。沼田にいる能登守のもとへは能登守の弟子で忍びの術も得意としている唐沢玄審助(げんばのすけ)が行く事に決まった。

 軍議の後、屋敷に戻った三郎右衛門は軍装を解き、汗を流して着替えると、上野の国の絵地図を広げて眺めた。先程の軍議によると北条軍の兵力はおよそ一万、その内、先鋒の二千は鉢形城主の北条安房守が率いて越後に入っている。今頃は喜平次の本拠地、坂戸城を攻めているのかもしれない。滝山城主の北条陸奥守は一千の兵を率いて、東上野を攻略するため、各地を転戦している。廐橋城の本陣に三千、白井に一千、残る三千が沼田の倉内城を攻めている。倉内城に籠もっている城兵は五百人足らずだという。北条が同盟の事を知り、上野に残っている八千の大軍が吾妻に攻めて来たら、真田から援軍が来たとしても、まともに戦って勝てるわけがなかった。吾妻郡は小さな山が幾重にも連なり、道は狭くて険しい。大軍が移動するには不利な地形と言える。奇襲攻撃を掛けて敵を混乱させるしかないと三郎右衛門は思った。

 それにしても、北条が武田と喜平次の同盟を知らないのはおかしかった。風摩党の組織をもってすれば、三郎右衛門たちが岩櫃に帰る前に、すでに知っているはずだった。もしかしたら、沼田に行った能登守は北条に捕まってしまったのだろうかと心配になり、岩櫃城下にいる東光坊の配下、仙遊坊を呼んだ。

 北条の本陣のある廐橋から何か知らせが来たかと聞いたが何もないという。やはり、まだ同盟の事を知らないのだろうか。風摩党が活躍していれば、すでに気づいているはずなのにおかしかった。

 三郎右衛門は仙遊坊に能登守の事を聞いた。沼田に行った能登守の事は情報が入っていた。

 能登守が沼田に出掛けたのは今月の二十日で、北条治部少輔の本陣がある三光院に滞在しながら、治部少輔の伜や若い者たちに武芸の指導をしているという。

「戦の最中に武芸の稽古とは敵は余裕だな」

「今、合戦は中断している模様であります。初めの頃は一気に落としてしまえと力攻めを続けておりましたが、沼田勢は守りを固め、挑発しても決して出ては参りません。敵がしぶといと見ると作戦を変更し、三光院の和尚に頼み、城兵の説得に移りました」

「すると、今も攻撃は中断したままなのか」

「多分。北条としては倉内城を無傷のまま奪い取りたいのでございます。敵を窮地に追い込みますと城に火を放つ事も考えられます。それに、北条としては越後を我が物にした時、越後の者たちに恨みを買う事も恐れております。なるべく、穏便に事を図りたいと思っているようでございます」

「成程。すでに越後の仕置きの事まで考えているのか」

「そのようで‥‥‥」

 三郎右衛門は縁側で控えている仙遊坊から視線を庭の方に移した。辺りが急に暗くなり、樹木が風になびいていた。やかましいセミの声に混じって、遠くの方で雷が鳴っていた。

「二十日に行ったという事は、もう六日になるわけだな。治部少輔殿も余程、武芸が好きだとみえる。若い頃、沼田にいたと聞いたが、北条のお屋形様の弟なのか」

「いいえ、そうではございません。この間、草津に来られた道感殿の次男で、北条のお屋形様とは従兄弟という間柄でございます」

「ほう、道感殿の次男が江戸城の城主だったのか。それは知らなかった。道感殿に似ているのか」

「父親に似て勇ましい大将のようでございます。上泉伊勢守殿のお弟子で、奥方様は幻庵殿の孫娘のようでございます」

「伊勢守殿と幻庵殿、お二人と繋がりがあれば武芸を好むのも当然だな」

 能登守の身は安全だと思うが、三郎右衛門は手のあいている者を沼田に送り、能登守を見守ってくれと仙遊坊に頼んだ。

 翌日、尻高、中山城を攻めていた吾妻衆の攻撃が中断され、真田に向けて使者が走った。

 真田喜兵衛が原隼人佑、馬場民部少輔と共に二千の兵を率いて、岩櫃城に来たのは七月の三日だった。二千の兵は北条の大軍に備えて、前線に配置された。三郎右衛門が守っている寄居城には義父の矢沢三十郎が三百の兵を率いて入った。三十郎の隊には弟の源次郎もいた。お松の叔父だったが会うのは初めてだった。甲府にいる事が多かったらしい。

 北条氏はその日になっても、同盟の事は気づかないようだった。尻高、中山を攻めていた吾妻衆は楽々と引き上げて来た。五日になって、なぜ、引き上げたのかと北条からの使者が岩櫃に来て問い詰めた。中務少輔はどういう理由なのかわからないが、武田からの命で引き上げさせたと告げた。使者は納得しなかったが、とりあえずは引き返して行った。まもなく、敵も気づくに違いないと守りを固めた。

 三郎右衛門を初め、吾妻衆は北条が同盟の事に気づいていないと思っていたが、北条は六月の半ば、倉内城を攻める以前に、その事を知っていた。喜平次が上野にいる上杉勢を味方に引き入れようとして、倉内城、白井城、廐橋城へ武田との同盟を知らせた。廐橋の城主、北条丹後守は迷う事なく、それを北条相模守に見せた。相模守は驚いたが騒ぐ事はなかった。越後を手に入れたら武田を攻めようと思っていたのだった。相模守は一部の者たちだけにその事を知らせ、吾妻衆の動きを見守っていた。能登守を沼田に呼んだのも吾妻衆の動きを知るためだった。尻高、中山城を攻めていた吾妻勢が攻撃をやめたと聞き、さては同盟の事を知ったなと思ったが、あえて、攻撃を仕掛けなかった。北条氏としては、吾妻の事より越後の事が先決だった。三郎が勝てば、上杉領がすべて手に入る。吾妻郡の事など、越後を手にしてから後で考えればいいと思っていた。

 寄居城の目の前にある柏原城には白井勢が百人程しかいなかった。攻めれば簡単に落とす事ができるが、まだ攻めるわけにはいかない。北条方が武田と喜平次の同盟に感づき、敵対して来るまでは、なるべく敵を刺激しないようにと軍議で決められた。たかが柏原の小城を奪ったために、北条の大軍に攻められたらたまったものではなかった。

 三郎右衛門のもとには毎日のように、沼田にいる能登守の様子が伝えられた。治部少輔と気が合い、北条家の武将たちと共に酒を飲んだり、お茶を飲んだり、連歌会を催したりと楽しくやっているらしい。能登守には当然、同盟の事は知らせてあった。鄭重に持て成され、帰るに帰れないのだろうか。

 その頃、越後の上田庄に攻め入った北条軍は喜平次方の荒砥(あらと)城(湯沢町)を落として、さらに進み、樺沢(かばさわ)城(塩沢町)を攻撃しようとしていた。越後に出陣した北条軍の中には、琴音の夫、四郎もいた。

 七月の半ば、三郎右衛門は喜兵衛の許可を得て長野原城に帰った。処理すべき仕事が溜まっていたのは確かだが、それよりも、妻の二度めの出産が間近だった。男の子でも女の子でもいい。無事な子を産んでくれと願いながら産屋(うぶや)に入ったお松を見守っていた。

 留守を守っていた家老の弥左衛門に善恵尼の事を聞くと、今回、善恵尼は一人だけで来て、墓参りを済ますとすぐに帰って行ったという。

「そうか」とうなづきながら、もしかしたら、善恵尼は越後に行ったのかもしれないと思った。春日山の城下にも小野屋はあった。酒好きな謙信のために伊豆の銘酒を扱っていると言っていた。あの後、上杉と北条の同盟は壊れたが、善恵尼が店を畳むとは思えない。あの後も謙信のために酒を扱っていたに違いない。三郎を勝たせるために、小野屋の女将は武器の調達をしているのかもしれなかった。武田が喜平次と同盟したため、また、北条とは敵同士になってしまった。そんな事、お構いなしに善恵尼は来年もまた、善太夫の命日には来るだろう。その時、善恵尼に会わせる顔がなかった。

 お松は無事に長男を出産した。三郎右衛門は迷わず、自分の幼い頃の名、小三郎と名付けた。将来、湯本家を継ぐ事になる小三郎に、自分と同じように旅をさせ、武芸を身に付けさせなければならないと早くも考えていた。

 その夜、里々が三郎右衛門の部屋に現れた。

「御長男の御誕生、おめでとうございます」そう言って頭を下げた里々は野菜を売りに来た近在の農婦という格好だった。

「ありがとう。沼田に行っていたそうだな。能登守殿はまだ、向こうにおられるのか」

「いいえ、岩櫃城にお帰りになられました」

「なに、無事に帰って来られたのか」

 三郎右衛門は信じられないという顔をして、里々を見つめた。

 里々はうなづいた。

 本当によかったと三郎右衛門は胸を撫で下ろして、里々の説明を待った。

「倉内城が落ち、北条治部少輔様はお城に移り、能登守様はようやく解放されました」

「何の抵抗もなく、すんなりと解放されたのか」

「敵の罠かもしれないと警戒いたしましたが、そんな事もございませんでした」

「北条は同盟の事をまだ知らんのか」

「気づいたようです」

「いつだ」

「岩櫃勢が尻高、中山攻めを中止した時です」

「敵がその事を知ったのに、能登守殿はよく戻って来られたものだな」

「治部少輔様が最後まで、能登守様をお客人として扱ってくれたからでございます」

「そうか。父親に似て立派な武将のようだな」

「そのようでございます」

 本当によかったと言うように三郎右衛門はうなづいた。

 里々も嬉しそうな顔をして三郎右衛門を見ていた。

「倉内城が北条の手に落ちたと言ったな。城兵は越後に逃げたのか」

「越後から来ていた者は越後に帰りました。地元の沼田衆には坂戸城にいる人質を北条軍が奪い返すと約束したようでございます。城代だった上野中務少輔様がすべての責任を取って切腹なされました」

「腹を切ったか。北条も沼田を落としたとなると、いよいよ、吾妻に攻めて来るかもしれん。これから忙しくなりそうだ‥‥‥まあ、ともかく御苦労だった。旅芸人に扮して、能登守殿の前で踊ったそうだな」

「みんな、よくやってくれました。わたしは能登守様と一緒に戻って参りましたけれど、ムツキ、ヤヨイ、ウズキの三人は、座頭(ざがしら)の玉川坊様、裏方の雲月坊、残月坊と一緒に、まだ沼田に残っております」

「なに、まだ沼田にいるのか」

「北条の武将たちに気に入られたので、そのまま残す事にいたしました」

「危険だ。北条には風摩党がいる。ばれたら殺されるぞ」

「はい、それはわかっております。しかし、風摩を恐れていたら北条を相手に何もできません」里々は力強い視線で三郎右衛門を見つめた。

「まあ、それはそうだが‥‥‥」と三郎右衛門は里々の気迫に負けた。

「信じて下さい。あの娘たちも一流の忍びでございます。へまな事はしないでしょう」

 里々の言う事はもっともでも、旅芸人に扮して北条の武将たちの前で踊るのは危険だった。玉川坊が付いているので危ない事はさせないとは思うが、一抹の不安は残った。

「沼田にいるのはムツキ、ヤヨイ、ウズキの三人だと言ったな。キサラギは行かなかったのか」

「キサラギはわたしの代わりに砦で、今年入った娘たちを教えております」

「キサラギが師範代か。大丈夫なのか」

「はい、なかなかのもんですよ。あの娘は負けん気が強くて、人一倍、お稽古を積んでいます。これは女の感なんですけど、あの娘、お屋形様の事を好きみたいですよ」

 里々はニヤニヤしながら三郎右衛門を見ていた。

「お前、何を言っているんだ」三郎右衛門は慌てた。もしかしたら、キサラギはあの事を里々に話したのではないかと疑った。

「まあ、お屋形様に憧れているのはキサラギだけではありませんけど。お屋形様、気を付けて下さいませ」

「何を気を付けるんだ」

「あの娘たちは一流の忍びです。お屋形様のお部屋に簡単に忍び込みますよ」

「だから何だ」

「お屋形様は女好きでいらっしゃいますから、可愛い娘に誘惑されれば、ついコロッと行きそうで」

「何を馬鹿な事を言ってるんだ」

「いいえ、気を付けて下さい。わたしも女ですから人並みに嫉妬いたします」里々は怒ったような顔をして三郎右衛門を睨んだ。

 三郎右衛門は目をそらし、話題を元に戻した。「沼田には東円坊、東蓮坊、円実坊もいるはずだな」

「それと、円月坊もおります」と里々は真面目な顔に戻って答えた。

 円月坊と旅芸人の一座で裏方をしている雲月坊と残月坊の三人は去年、砦を下りた若者たちで一年間の旅を終えて帰って来ていた。

「それだけいれば大丈夫だとは思うが、あまり無理はさせんようにしないとな」

「その事はよく言い聞かせてあります」

 翌日、三郎右衛門は岩櫃城に戻り、無事に戻った能登守に挨拶をした。小具足姿で太刀の手入れをしていた能登守は機嫌よさそうな顔をして、「面白かったわ」と笑った。

「久し振りにお茶会やら連歌会やら楽しい時を過ごした。さすが、北条家の者たちじゃ。戦にも立派なお茶道具を持参しておる。みんな、武芸だけじゃなく遊芸の方も達者なものじゃ。小田原の話など色々と聞いてな、わしも若い頃のように旅がしたくなって来たわ。武田と北条が同盟していた時、行けばよかったと後悔しておるよ」

 能登守は太刀を腰の鞘に納めると、三郎右衛門が控えている部屋に来た。

「北条は武田と喜平次の同盟の事を知らなかったのですか」と三郎右衛門は聞いた。

「うむ、知らなかったようじゃ。景虎から何も知らせて来ないと怒っておったわ」

「どうしたのでしょう。景虎も越後に行く時、風摩党の者を連れて行ったのでしょう」

「そう思うがの。越後には軒猿(のきざる)という忍びがいるという。奴らが喜平次の方に付き、風摩の者を殺してしまったのかのう」

「軒猿‥‥‥」

 以前、東光坊から上杉謙信が軒猿という忍びを使っていると聞いた事はあった。景虎を応援する風摩党に対抗して喜平次方に付いたのだろうか。

「それでも、小田原からも越後に入っているのでしょう。それも皆、殺されてしまったのですか」

「風摩の事はわからんが、北条がその事を知ったのは、吾妻の衆が尻高、中山攻めをやめて引き上げた後じゃ。八日の日、治部少輔殿と駿河守殿が廐橋城に出掛けた。いよいよ、ばれたなとわしは思った。別に見張りが付いていたわけではないので逃げるつもりなら、いつでも逃げられた」

「逃げなかったのですか」

「武芸者としてな、逃げられなかったんじゃよ。わしは弟子たちに帰りたい者は帰れと言ったが一人も帰らなかった。皆、死の覚悟をしたようじゃった。三日後、治部少輔殿は沼田に戻って来た。しかし、その事には一言も触れなかった。以前と同じように持て成してくれたわ」

「そうだったのですか」

「治部少輔殿の父上が、幻庵殿と一緒に草津に行ったそうじゃの」と能登守は三郎右衛門の顔をのぞき込むようにして聞いた。

「はい、来られました。お忍びだというのでお知らせしませんでした。申し訳ございません」

「いや、その事を責めているんじゃない。北条家の長老ともいえる幻庵殿や道感殿と知り会いじゃったとはのう、まったく、おぬしにも驚くわ。治部少輔殿も草津に行きたいと申しておった。その時、わしもあの事を知らなかったからな、御案内すると言ってしまった。別れる時な、越後の事が片付いたら、必ず草津に行くと言っておった。真面目な顔でな」

「越後の事が片付いたら、吾妻に攻め込むという意味ですか」

「そうかもしれんな」

 七月の末、越後にいる東光坊のもとより山月坊が戻って来た。武田のお屋形様が本陣を春日山城下に移し、三郎と喜平次の双方と掛け合い、争いを調停しようとしているという。

「争いを調停する? どういう事だ」

「時間稼ぎのようでございます。武田と北条が攻め寄せると聞いて三郎方に付いた者もかなりおります。喜平次としては武田のお屋形様に仲裁してもらっている内に、武田と同盟を結んだ事を各地に知らせ、寝返らせようとしている模様であります」

「成程。それにしても、三郎がよくそんな話に乗って来たな」

「三郎としては猿毛(さるげ)城を敵に奪われたため、古志郡との連絡が断たれ、兵糧も足らなくなっている模様でございます。和平を装いながら、今のうちに形勢を立て直そうとしているようでございます」

「お互いに備えを固め、敵の腹を探り合っているというわけか」

「そのようでございます」

「ところで、東光坊は風摩の事を何か言ってなかったか」

「三郎も喜平次も共に忍びを使っているのは確かだが、春日山城下では風摩の姿を見かけないと言っておりました」

「小野屋の事は何か言っていなかったか」

「小野屋は焼かれました。店の者が何人か亡くなった模様であります」

「焼かれたか‥‥‥善恵尼殿は越後に行ってはいまいな」

「東光坊殿も気にはしておりましたが、どうも来てはいないようだと」

「そうか‥‥‥」

 山月坊はすぐに越後に帰って行った。







 北条軍が吾妻に攻めて来る事はなかった。しかし、倉内城が北条の手に落ちると、周辺の城は皆、北条になびいてしまった。中山、尻高も北条方となり、再び、敵となった。沼田から越後に入る三国峠を確保した北条が北から吾妻に攻めて来る事も考えられた。真田喜兵衛は北の守りを強化すると共に、宮野城を探るため、真田の忍びを猿ケ京へ送った。喜平次方の武田としては何としてでも、宮野城を手に入れ、敵の補給路を分断しなければならなかった。

 越後攻めに集中している北条軍は今の所、吾妻には攻めて来そうもないと思っても、一万近くの北条軍が間近にいるので、守りを緩めるわけには行かなかった。敵と戦うわけでもなく、ただじっと守っているだけの状態が半年以上も続き、将兵は皆、疲れ切っていた。このままの状態では敵が攻めて来たとしても充分に戦えそうもないと喜兵衛は判断し、交替で兵を休ませる事にした。そして、喜兵衛自身は岩櫃城の中城にある真田屋敷の改築工事を始めた。

 その屋敷は海野兄弟が岩櫃城代になった後、一徳斎が岩櫃に滞在する時に利用していた屋敷だった。喜兵衛も岩櫃に来た時はそこで寝泊まりしていた。いつも二、三日の滞在だったので、気にもしなかったが、この先、東上野を攻略するためには、ここに長期滞在しなければならなくなる。そうなると古い屋敷では何かと不便だった。この期を利用して改築する事に決めたのだった。

 三郎右衛門は左京進たち五十人を先に休ませる事にして草津に返した。たったの十日間の休養だったが、兵たちは活力を取り戻したかのように溌剌(はつらつ)とした顔付きで戻って来た。入れ替わるように三郎右衛門は五十人を連れて長野原に帰った。順調に育っている小三郎と産後の肥立ちもいいお松の顔を見て安心すると、久し振りに草津に登った。

 越後の戦騒ぎのお陰か、湯治客は例年よりも少ないようだった。のんびりと滝の湯に浸かった後、飄雲庵に行き、里々を呼んだ。

 今年も六月に新しい若者たちが月陰砦に入って修行をしているはずだった。五月の末には二年間の修行を終えた者たちが山から下りて来たはずだが、飯山に出陣していて会ってはいなかった。

 三郎右衛門は飄雲庵で横になりながら待っていた。岩櫃も長野原も残暑が厳しくてやり切れないが、草津は涼しくて気持ちよかった。つい、うとうとと眠ってしまったらしい。

「何か御用でしょうか」と言う里々の声で目が覚めた。

「用という程のものでもないが、五月に山を下りた者たちの事が知りたくてな」

 三郎右衛門は体を起こすと里々を見た。長い髪を無造作に束ね、粗末な小袖を着ていて、小さな宿屋の奉公人という格好で縁側にかしこまっていた。

「光月坊、風月坊の二人は旅に出ました。サツキ、ミナヅキの二人は金太夫様の宿屋に、フミツキは長野原のお屋形におります」

「ほう、今年は女が三人も残ったのか」

「入る時も女の方が多かったので」

 二年前に砦に入った者たちは長篠の合戦で遺児となった者が多かったのを三郎右衛門は思い出した。

「そうだったな。それで、今年は何人、入ったんだ」

「男五人と女五人です」

「そうか。それにしても毎年、毎年、よく見つかるものだな」

「はい。仙遊坊殿が捜し出して来るようでございます」

「なに、仙遊坊がやっていたのか。なかなか、人を見る目があるようだな」

「そのようでございます」

 仙遊坊は今、岩櫃城下にいた。戦のない時は長野原にいる事が多く、暇を見つけては素質のある若い者たちを捜し回っていたのだろう。それにしても、そんな事は今まで、一言も口には出さなかった。岩櫃に戻ったら、礼を言わなければならないなと思った。

「今年、山を下りた風月坊ですが、少し変わっておりました」

「ほう、どう変わっているのだ」

「女に扮するのが好きのようであります。そして、女に扮すると女以上に女らしくなります。本人の希望もあって芸事も身につけさせました」

「面白い奴が入ったものだな。会ってみたいものだ」

「多分、お屋形様も女だと信じてしまうでしょう。旅から戻って来たら、女装させてお連れいたします」

「ああ、楽しみにしている」

「御用はそれだけでしょうか」

「うむ、それだけだ」

「教え子たちが待っておりますので失礼させていただきます」

「うむ、そうだな」

 里々は去ろうとしたが、部屋の片隅にある将棋盤を目にして、将棋盤に近づくと三郎右衛門が動かした香車の駒を元の位置に戻した。

「お屋形様、お話がございます。少し、付き合っていただけませんか」と言いながら、里々はチラッと天井を見上げた。

 その仕草で、天井に教え子が見張っている事に気づいた三郎右衛門はうなづき、里々と一緒に外へと出た。

 鬼ケ泉水を山の方にしばらく歩くと、ようやく里々が口を開いた。

「お屋形様、この間は申し訳ございませんでした」

 里々は足を止めて頭を下げた。

「何だ、この間とは」

「つい、取り乱してしまいました。奥方様がお子様をお産みになられたと聞いて、素直に喜べなかったのです。お屋形様を困らせてやろうとあんな事を言って‥‥‥申し訳ございません」

 里々はうなだれていた。その姿は忍びの者ではなく、ただの女になっていた。

「そんな事は気にしていないよ。謝る事はない」

「お許しいただいて、ありがとうございます。あの、お屋形様、もし、わたしに個人的な御用がおありの時は香車の駒を敵陣に入れて裏返して下さいませ」

「金に成るのか」

 里々は恥ずかしそうな顔をして、うなづいた。

「そうすれば、わたしは例の湯小屋でお待ちしております」

「そうか。それでは飄雲庵に戻り、すぐにそうする事にしよう」

「お屋形様、それでは?」

「うむ。いささか疲れたのでな、お前と一緒に例の小屋でのんびりと酒が飲みたかった」

「お屋形様‥‥‥お酒の用意をしてお待ちしております」

 里々は小娘のように嬉しそうに笑うと山の中に消えて行った。

 のんびりできたのは里々と過ごしたその夜だけだった。長野原に戻った三郎右衛門は溜まっていた政務に励んだ。

 八月十二日の昼過ぎ、岩櫃にいた仙遊坊が長野原にやって来た。厳しい顔付きを見て、ただ事ではないと察した三郎右衛門は仙遊坊を自分の部屋に連れて行き、人払いをした。

「北条が吾妻攻めを始めるのか」と三郎右衛門が聞くと、仙遊坊は首を振った。

「するかもしれませんが、その事はまだわかりません‥‥‥実は、沼田にいた者たちが殺されました」

「何だと‥‥‥誰が殺されたのだ」

「東円坊と円月坊が今朝、傷だらけになって岩櫃に戻って参りました。二人の話によりますと、旅芸人一座に扮していた玉川坊、雲月坊、残月坊、ムツキ、ヤヨイ、ウヅキが殺されたようです」

「なに、ムツキたちが殺された‥‥‥一体、何があったのだ」

「詳しい事はわかりませんが、五日の夜、一座が小屋掛けしていた薄根川の河原を何者かに襲撃され、皆殺しにされました」

「風摩の仕業か」

 仙遊坊は目頭を押さえながら、うなづいた。「そのようでございます。物取りの仕業に見せかけてあったそうですが、奴らがそう簡単に殺されるはずはございません。風摩の仕業に間違いないと思われます」

「物取りの仕業に見せかけたという事は金目の物が奪われたのか」

「北条からいただいた御祝儀は勿論の事、女たちの舞台衣装も皆、盗まれました」

「どんな殺され方だったんだ」

 仙遊坊は俯き、目をこすった。ムツキたちを砦に連れて行ったのは仙遊坊だった。殺された若者たちに対する思いは三郎右衛門以上にあるに違いなかった。

「目を覆いたくなる程、無残だったそうでございます」

「まさか、女たちは‥‥‥」

「いいえ、それはなかったようです。女たちも必死に戦ったようです。体中、傷だらけで、五、六人を相手に戦ったようでございます。敵もかなりの損害を受けたものかと‥‥‥」

「そうか‥‥‥」

「翌日の夕方、倉内城の本丸と二の丸の屋敷が燃えたそうです。何者の仕業かわかりませんが、殺された者たちの仇(かたき)を討とうと残っていた者たちも危険を感じて引き上げたそうです。東蓮坊と円実坊はまだ戻っては来ません」

「何という事だ‥‥‥」

「今月の二日、東上野の攻略に成功し、北条陸奥守(氏照)が廐橋城に入りました。陸奥守は武田と喜平次の同盟を知ると烈火のごとくに怒ったと法雲坊より知らせて参りました。多分、今回の仕打ちは陸奥守の差し金かと思われます」

「陸奥守というのは北条のお屋形様のすぐ下の弟だったな」

「はい。気性の激しい武将のようで‥‥‥」

「わかった。ただちに戻る事にしよう」

 三郎右衛門は休養中の者たちに翌朝、長野原に集結するよう命じ、家老の宮崎陣右衛門に後の事を頼み、仙遊坊と共に馬を走らせ岩櫃城へ向かった。

 陣右衛門は家老だった宮崎十郎右衛門の次男だった。兄の彦十郎は箕輪の合戦で、三郎右衛門の父親と共に戦死していた。以前は陣介と名乗り、馬廻衆の筆頭として活躍していたが、去年、父親が病死してしまったため、跡を継いで家老になっていた。

 残暑も治まり、秋が深まりつつあった。道端に揺れるススキを眺めながら三郎右衛門はムツキたちの事を考えていた。五日の夜といえば、三郎右衛門が里々と湯小屋で酒を飲んでいた時だった。あの時、芸人一座として北条の武将たちに近づいていたムツキ、ヤヨイ、ウヅキ、雲月坊、残月坊、そして、座頭に扮していた玉川坊も殺された。風摩党を甘く見すぎていた。能登守が戻って来た時、すぐに引き上げさせるべきだったと悔やんだ。

 岩櫃城に着くと三郎右衛門は中城の普請中の真田屋敷に顔を出した。

「おや、草津に帰っていたのではなかったのか」と喜兵衛は機嫌よく迎えた。

「はっ、沼田の事を聞き、戻って参りました」

 喜兵衛はうなづくと木陰に三郎右衛門を誘って、「倉内城が燃えたそうだな」と言った。

「ご存じでしたか」

「北条はわしらの仕業だと思っているようだ。まさか、そなたの手の者の仕業ではあるまいな」

「いいえ。わたしの手の者は殺され、二人だけがようやく逃げて参りました」

「そうか。俺の手の者も、能登守殿の手の者も風摩に殺された。多分、倉内城に火を掛けたのは上杉喜平次の仕業だろう」

「軒猿とかいう忍びですか」

「多分な。これで沼田の情報が入らなくなってしまった。敵の動きがわからん。吾妻に攻めて来るかもしれん」

 翌日、岩櫃に来た湯本勢を連れて、三郎右衛門は寄居城に入り、敵に備えて守りを固めた。

 八月十五日、北条軍は吾妻に進攻して来た。吾妻川に沿って怒涛のごとく攻め寄せ、北岸の岩井堂城と南岸の寄居城を包囲した。三郎右衛門ら五百の兵が守る寄居城はあっと言う間に二千の兵に囲まれてしまった。

 寄居城、岩井堂城が落ちてしまうと北条軍は岩櫃城まで来てしまう。喜兵衛はただちに両城を救出するため、各地から兵を集めて援軍を送った。それでも兵力の差はどうする事もできなかった。寄居城、岩井堂城を攻める北条軍は四千、対する真田軍はすべてを集めても四千には満たない。喜兵衛は箕輪城の内藤修理亮と越後にいるお屋形様に援軍を依頼した。援軍が来るまでは少ない兵力で地の利を生かして必死に守り抜くしかなかった。

「まさか、こんな大軍が攻めて来るとは思わなかったのう」と矢沢三十郎が寄居城の本丸から北条軍を眺めながら三郎右衛門に言った。

 満月の下、敵兵の篝火が城の回りをすっかり埋め尽くしていた。逃げ道はなかった。城兵は皆、死を覚悟して敵の動きを見守っていた。

「敵は本気なのでしょうか」と三郎右衛門は義父の三十郎に聞いた。

 越後に攻め込まないで吾妻を攻める北条の作戦が理解できなかった。吾妻勢が必死に抵抗すれば、北条も多大な損害を受ける事になる。岩山の中にある岩櫃城が簡単に落とせる城ではない事を北条だって充分に知っているはずだった。ただの脅しにすぎないのではないかと三郎右衛門は思っていた。

「わからんな。敵の大将は陸奥守らしい。東上野を平定し終わり、吾妻も平定するつもりなのかもしれん」

「陸奥守か‥‥‥陸奥守が廐橋に入ってから北条の方針は変わったのですか」

「そのようじゃな。北条のお屋形様より力があるのかもしれんな。とにかく、わしらとしてはできるだけ、北条軍をここで足止めさせる事じゃ。越後の喜平次殿のためにな」

 北条軍は降伏を勧めてきたが、勿論、蹴った。総攻撃が始まるだろうと覚悟を決めたのに、敵は不気味に城を囲むだけで攻めては来なかった。岩櫃からの援軍は荒牧(新巻)まで来ていた。しかし、用心して北条軍に攻め込む事はなかった。

 籠城して二日が過ぎた。三郎右衛門たちは城から出る事はなく、時々、仕掛けて来る北条の攻撃に応戦していた。城内の兵糧は充分にあった。信濃から武田の援軍が来るまでは、絶対に守り抜こうと士気は上がっていた。ところが、三日めの朝、北条軍は退却して行った。一体、何が起こったのか、見当もつかなかった。それでも、敵の大軍が消えたのは嬉しく、城兵はホッと胸を撫で下ろして勝利の鬨の声を挙げた。矢沢三十郎はすぐに岩櫃城へ使者を走らせた。三郎右衛門は本妙坊に北条軍の後を追わせ、本当に退却したのか確かめさせた。本妙坊と入れ違いのように岩櫃城にいた仙遊坊がやって来た。

「敵が急に引き上げて行ったが、何が起こったんだ。もしや、岩井堂が落ちたのか」

「落ちたのは岩井堂ではございません。横尾の八幡山城と中之条の古城が落ちました」

「何だと、八幡山城と古城‥‥‥」

 岩櫃城から吾妻川の北側を東に向かうと中之条古城の近くで道は二つに分かれ、左に曲がれば、横尾の八幡山城、尻高城、中山城を通って沼田へと向かい、吾妻川に沿って真っすぐ行けば、岩井堂城を通って白井へと向かう。岩井堂城の対岸に荒牧があり、その先に、寄居城、柏原城があった。

「一体、何が起こったんだ」と三郎右衛門はもう一度、聞いた。

「敵は昨日、二千の大軍で八幡山城を攻めました。八幡山には富沢豊前守殿の他に馬場民部少輔殿、鎌原宮内少輔殿、海野中務少輔殿もいて、守りを固めておりましたが、岩井堂と寄居の救援のため、馬場民部少輔殿と海野中務少輔殿が抜け、百人程しか残っておりませんでした。そこを二千の兵に襲撃され、あえなく落城いたしました。さらに敵は前進し、中之条の古城も落としたのであります」

「わずか一日で二つの城が落とされたのか」

「尻高氏の差し金でしょう。もともと、その二つの城は尻高氏のものでした」

「目的は初めから、その二つで寄居と岩井堂を攻めたのは陽動作戦だったというのだな」

「そのようでございます」

「味方の犠牲はどれだけ出たのだ」

「中之条の古城では大軍に囲まれる前に逃げ散りましたので、さほどの犠牲はありませんが、八幡山では不意を突かれたため、逃げる間もなく、城兵の半数以上は討ち死にいたしました。鎌原宮内少輔殿も敵陣に突っ込み、見事な最期を遂げた模様であります」

「宮内少輔殿が‥‥‥」と言って三郎右衛門は辛そうに首を振った。

 八幡山城と中之条古城を奪い取った北条軍はそれぞれの城に五百人ほど入れて守りを固めると沼田へ引き上げて行った。寄居と岩井堂を攻めた北条軍も白井に引き上げ、その後、攻めては来なかった。

 八幡山城と中之条古城を奪われたのは真田軍にとって苦しい立場に追い込まれた。北条軍はいつでも、沼田から中山、尻高を経て中之条に出て来られる事となり、岩櫃総攻撃の準備は調ったと言えた。

 八月の二十日、越後にいる武田のお屋形様が喜平次景勝と三郎景虎の和平を取り結ぶ事に成功した、と水月坊が知らせて来たのは、三郎右衛門が軍議のため岩櫃に戻っていた二十五日の事だった。

「寝返り作戦はうまく行ったのか」と聞くと、

「勝てる見込みは立った模様であります」と水月坊ははっきりと答えた。

「そうか。こうなったからには何としても喜平次に勝って貰わなければならんな」

 そう言いながらも、敵となった三郎景虎の事が気になっていた。たとえ、負け戦になったとしても、小田原に帰ってもらいたいと思っていた。

「それと、武田のお屋形様が甲府にお帰りになられました」

「なに、お屋形様が越後から引き上げたのか」

「はい。飯山には武田左馬助殿、仁科五郎殿、小山田備中守殿が残り、喜平次殿より譲られた奥信濃の経営に当たる模様でございます」

「そうか、武田のお屋形様は引き上げたか‥‥‥いよいよ、北条との決戦が近くなって来たな。東光坊も引き上げて来るのか」

「いえ。どっちが勝つのか、最後まで見届ける模様でございます」

「そうだな。こっちで戦が始まれば呼び戻す事になるかもしれんが、その時は代わりの者を誰かを送ると伝えてくれ」

 水月坊が越後に戻ると三郎右衛門は湯本勢の守る寄居城へと向かった。
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