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2017 .11.23
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21.信玄西上




 北条と上杉が同盟を結んでからというもの、上野の国は戦が絶えなかった。

 以前の敵、上杉輝虎は山を越えて来なければならず、一年中、関東にいる事はなかったが、今度の敵、北条氏はすぐそばにいた。武蔵鉢形(はちがた)城の北条新太郎氏邦(うじくに)が中心になって、ちょくちょく上野に進攻して来ては火を放ったり、稲を刈り取ったりして悩ませた。ただ、小競り合いばかりで大きな戦が起こらなかったのが救いと言えた。

 輝虎は越中の本願寺一揆と戦うのが忙しかったし、信玄は駿河進攻に本腰を入れていたため、北条軍との主戦場となったのは東海方面だった。

 元亀(げんき)元年(1570年)八月、上杉輝虎は徳川家康と同盟した。

 輝虎としては、信玄に邪魔されずに越中の攻略に専念したかった。家康としては、織田信長と同盟を結んでいるため領地を広げるには東に進むしかなかった。信玄と同盟を結んだままでは東へは進めない。信玄は今、北条と戦っている。その隙に、遠江(とおとうみ)の国すべてを平定しようとたくらんでいた。

 家康が裏切った事を知った信玄は翌年の正月、遠江に進攻して、さらに家康の本拠地、三河までも攻めた。しかし、五月に信玄は急に病に襲われて帰国した。

 信玄が三河に進攻した時、善太夫らは内藤修理亮(しゅりのすけ)と共に、北条領の武蔵の国まで進出して北条方の城を攻めていた。

 その年の十月に北条万松軒(氏康)が病のため亡くなった。五十七歳だった。跡を継いだのは三十四歳の氏政だった。

 氏政は父親の死後、上杉氏と断って、再び、武田氏と手を結んだ。

 輝虎は越中方面にばかり行っていて、万松軒が頼んでも信玄の領地に進撃して来なかった。信玄が駿河に進攻して来るたびに、信濃を攻めてくれと頼んでいたのに、一度も攻めては来なかった。輝虎と軍事同盟を結んでいても何の得にもならないと見切りをつけた万松軒は死ぬ前に、再び、信玄と同盟しろと言ったという。

 運の悪い事に武田と北条が同盟した時、輝虎は上野の国にいた。越中の事が一段落したので、北条との約束を守って、春になるまで西上野を攻めようとしていたのだった。

 この時、輝虎は不識庵謙信(ふしきあんけんしん)と号していた。

 謙信は利根川を越えて、武田方の石倉城、蒼海(おうみ)城(元総社町)を攻撃したが、箕輪城まで攻める事なく廐橋城に帰って行った。

 廐橋にて、機嫌よく新年を迎えていた謙信のもとに、北条と武田が再び同盟を結んだとの報が届いたのだった。北条氏のために兵を休める事なく、わざわざ、上野に出陣して来た謙信は顔を真っ赤にして怒り、やけ酒をあおった。
 一ケ月間、たっぷりと酒を飲んだ謙信は閏(うるう)正月の四日、利根川を渡るとたった一日で石倉城を攻め落とした。さらに西に進もうとしたが、信玄が出陣して来たとの知らせを聞くと石倉城を破壊して、さらに火をかけて撤退し、利根川を挟んで信玄の軍と対峙した。

 善太夫ら吾妻衆はその時、真田一徳斎と共に上杉方の尻高(しったか)城、中山城を攻め落として、沼田の倉内城を攻撃していた。

 利根川の合戦は睨み合いで終わり、謙信は上野の国の押えを固めて、三月には越後に引き上げた。

 信玄も謙信が引き上げると甲府に帰った。

 甲府に帰る前に、信玄は一徳斎を箕輪城の城代として入れ、前の城代だった内藤修理亮を甲府に連れて帰った。すでに、信玄の目は関東よりも西に向いていた。駿河を手に入れて、新たに水軍を編成した信玄は、再び、北条と同盟した事によって東を固め、いよいよ上洛して織田信長を倒す決心をしていた。そのために上野攻略の事は一徳斎に任せ、内藤修理亮には一働きしてもらう必要があったのだった。

 甲府に帰った信玄は、織田信長に不満を持っている将軍足利義昭と連絡を取り、上洛のための準備を進めた。上洛している隙に謙信が関東に出て来ないように、同盟を結んでいる石山本願寺の顕如上人(けんにょしょうにん)に加賀と越中の門徒に一揆を起こさせる事も約束させた。また、信長を包囲するため、越前の朝倉氏、近江の浅井(あざい)氏とも手を結んだ。

 準備の整った七月、信玄は領国内に動員令を発した。

 上野からも甲府に呼ばれた者が数多くいたが、吾妻衆のほとんどの者は一徳斎と共に上野に残った。善太夫も残り、真田兵部丞の入った岩櫃城に配置された。

 八月の初め、謙信が越中に進攻したとの情報が入ると、兵部丞は上杉方の白井城を攻略するために出陣命令を下した。兵を二手に分け、吾妻川の両岸に沿って東へと進撃した。

 善太夫は海野能登守に従い、南側を進んで行った。上杉方の前線基地である柏原城を落とし、吾妻川を渡って、岩井堂城を落とした兵部丞の隊と合流して、上杉方の拠点をことごとく焼き払い、白井城へと向かった。

 箕輪城からの援軍も合流して白井城に総攻撃をかけ、城内に忍び込んだ円覚坊らの活躍もあり、白井城を落とす事に成功した。城主の長尾一井斎(憲景)は利根川を渡って八崎(はっさき)城へと逃げて行った。

 一方、信玄の西上作戦は予定よりも遅れていた。遅れた理由は信玄の病だった。準備も整い、いざ、出立という時になって、急に信玄が倒れてしまった。勿論、病の事は兵たちには知らせず、戦略が整わずという事で一月の遅れとなった。

 十月になって、信玄が回復すると二万五千の大軍は甲府を発って遠江に進攻した。まず、天竜川の断崖上にある二俣城(天竜市)を二ケ月近くで落とし、十二月の末には家康のいる浜松城に迫った。しかし、信玄は浜松城を攻める事はしなかった。簡単に落ちる城ではないと判断した信玄は家康を城から誘い出す作戦に切り替えた。

 信玄は浜松城を攻める態勢を作って見せたが、攻めずに西に向かい、三方(みかた)ケ原の台地に陣を敷いた。

 家康は信玄の思惑通りに城を出て来た。

 家康としては確実に勝てる見込みがあったわけではなかったが、何もしないで西上させてしまえば、この先、信長に合わす顔がなく、負けると分かっていても戦わなければならない立場にあった。

 家康の軍は一万余り、信玄の軍は二万五千余り、半分以下の兵力で野戦を挑むのは無謀とも言える行動だった。結果は信玄の圧勝に終わり、家康は浜松城に敗走した。

 家康を倒した信玄は刑部(おさかべ)に本陣を敷いて年を越し、正月の三日には三河の野田城(新城市)を攻めた。金(かね)掘り衆を使って野田城を落とす事に成功したが、信玄の病が再発して、それ以上進む事は不可能となった。

 武田軍は急遽、全軍退却した。

 信玄は甲府に帰る事もできず、途中の伊那谷にて亡くなった。

 元亀四年(1573年)四月十二日、信玄、五十三歳だった。

 信玄は三、四年は死を隠せと遺言した。しかし、五月になると家康は不審を抱いて、大井川を越えて駿河に進攻して来た。次いで七月には、武田方の長篠(ながしの)城(鳳来町)を奪い取った。

 上杉謙信も五月には信玄の死を確信し、上野に進攻して白井城を取り戻した。白井城を長尾一井斎に返し、北条方の金山城を攻めると謙信は越後に引き上げた。

 謙信が引き上げると北条氏政の弟、源三郎氏照が上野にやって来て、上杉方の城を攻撃した。

 信玄の跡を継いだ四郎勝頼(かつより)はこの頃、甲府にて内政を固めるため、軍事行動は控えていた。それは父信玄の遺言でもあり、新たに旗本衆や奉行衆の再編成をしなければならなかったからでもあった。

 善太夫ら吾妻衆は箕輪城の一徳斎の指示によって各城を固め、謙信が引き上げるまで、じっと動かなかった。

 謙信が越後に帰ると、それ以降は比較的平和な一時が流れた。

 善太夫の甥であり養子となった三郎右衛門は、すでに二十歳になっていた。そろそろ、嫁を貰ってもいい頃で、善太夫は自分の次女アキと一緒にさせようと思っていた。

 アキは今、十四歳なので、再来年あたり祝言(しゅうげん)を挙げさせるつもりでいた。なお、人質となって真田に行っていた長女のナツは去年、一徳斎の家臣、小草野若狭守の三男、新五郎の嫁になっていた。

 三郎右衛門は五年間、東光坊のもとで修行を積んだ。各地を旅して見聞を広め、陰流の武術も徹底的に仕込まれた。十九歳の春から善太夫のもとに戻って、善太夫と共に戦にも参加していた。去年の秋の白井合戦では兜(かぶと)首を取るなど活躍している。三郎右衛門は善太夫にとって自慢すべき跡取りだった。

 その年は冬になっても謙信は来なかった。

 今年も無事に終わりそうだと安心していた時、箕輪城にて一徳斎が倒れたとの知らせが届いた。

 善太夫は慌てて、長野原城から岩櫃城に向かった。

 岩櫃城では、一徳斎の噂で持ち切りだった。すでに、海野長門守は見舞いの者を箕輪に送ったという。善太夫もすぐに箕輪に行くつもりだと言うと長門守に止められた。

「もうすぐ、日が暮れる。こんな時刻におぬしが慌てて箕輪に向かえば、敵の間者(かんじゃ)に何事かと怪しまれる。行くなら、明日の朝、のんびりと行け」

「しかし‥‥‥」

「わしらも行きたいんじゃ」と長門守は強い口調で言った。

「はい‥‥‥分かりました」

 善太夫はそう言って、城内の屋敷に引き下がったが、明日の朝まで、のんびりと待っている事はできなかった。城下の金剛院に行き、山伏の格好に着替えると、急ぎ足で箕輪に向かった。

 箕輪に着いた時には日が暮れ、大手門は閉まっていたが、門番に矢沢薩摩守(さつまのかみ)の名を告げると薩摩守自身が出て来て入れてくれた。

 薩摩守は善太夫の格好を見て驚いたが、「そう言えば、そなたを初めて見た時、そんな格好じゃったのう」と笑った。

「あの時はお互いに若かった。あの時、わしらは信濃を追われて、ここに逃げて来たんじゃ。信濃守殿を頼ってのう‥‥‥もう三十年も前の事じゃのう」

「あの、一徳斎殿の御様子は?」と善太夫は聞いた。

「大丈夫じゃ。心配はいらん。疲れただけじゃろう。いつまでも若い気でおるからのう。二、三日、のんびり休めば治るじゃろう。評定(ひょうじょう)の席で倒れたので、あっという間に噂が広まったらしい。皆が心配して集まって来るわ。敵は喜んでるじゃろうがの、心配ない、大丈夫じゃ」

「そうでしたか‥‥‥安心いたしました」

「今は休んでおられる。今日はわしの所にでも泊まっていくがいい」

「はい、申し訳ございません」

「なに、構わん。広い屋敷じゃ」

 薩摩守の屋敷は二の丸内にあった。以前、長野氏の家老が暮らしていた屋敷だという。

 屋敷内は静まり返っていた。

 善太夫は広い屋敷の奥の一室に案内された。そこは薩摩守の居間らしかった。部屋の中央に火鉢があり、そのそばで薩摩守が書物を読んでいたようだった。

「まあ、のんびりしてくれ」と薩摩守は腰を下ろすと書物を片付けた。「今、酒の用意をさせている。飯もまだじゃろ」

「はい。すみません」

「そう、堅くなるな。ここに来てからのう。わしは、なぜか偉くなったらしくてのう。みんな、気楽に話もしてくれんのじゃよ。まあ、こんな所に住んでいれば近寄りがたいのかもしれんがのう。今晩は付き合ってくれ」

「はい」

「実はのう、そなたに相談があったんじゃ」

「はっ、何です」

「そなた、三郎右衛門を養子にしたそうじゃのう」

「はい」

「その三郎右衛門じゃが、いくつになった」

「二十歳です。もうすぐ、二十一になりますが」

「うむ。二十一か‥‥‥どうじゃ、わしの孫娘と一緒にさせんか」

「えっ、薩摩守殿のお孫さんと?」善太夫は驚いて、薩摩守を見つめた。まさか、薩摩守から三郎右衛門の縁談の話を聞くとは思ってもいなかった。

「年が明けると十五になる娘がおるんじゃよ」と薩摩守は笑いながら言った。

「そんな大きなお孫さんがいらしたのですか」

「ああ、わしの伜の奴、早く嫁を貰ったからのう。最初に生まれたのがその娘じゃ。わしが言うのも何じゃが、いい娘じゃ。それとなく、娘には言ってあるんじゃがの」

「えっ、もう、お孫さんに三郎の事を言ったのですか」

「言ったといっても、三、四年前の事じゃ。三郎右衛門が真田に来た時、ちらっとのう、あんな男を婿(むこ)にどうじゃとな」

「という事はお互いに、もう知っているという事ですか」

「おう、まだ、ガキじゃったがのう。あの時、わしは冗談で言ったんじゃが、この間、真田に帰った時、伜の奴に言われてのう。松の奴、松っていう名じゃ。松は三郎右衛門の所に嫁に行くって言ってるというんじゃ。わしはまだ、嫁に行くのは早いんじゃないかと言ったんじゃが、三郎右衛門の方が他の嫁を貰ってしまえば、松が悲しむっていうんじゃよ。わしも伜も三郎右衛門なら婿にいいと思っておる。どうじゃ、一年位先になると思うが、この話に乗ってくれんか」

 そんな話は三郎右衛門から聞いた事もなかったが、薩摩守の孫娘を嫁に貰うなんて願ってもない話だった。

「はい。有り難い事です」と善太夫は頭を下げた。

「おお、そうか。よかった、よかった、めでたしじゃのう」

 薩摩守は嬉しそうに笑った後、善太夫の顔を覗き込んで、「もしかしたら、もう決まった相手がいたんじゃないのか」と聞いた。

「いえ、まだ、いません」と善太夫ははっきりと言った。

「そうか、そいつは丁度、よかった。三郎右衛門はいい男じゃ。今に立派な武将になる。松の相手に不足はないわ‥‥‥伜の奴、箕輪の合戦の時、三郎右衛門の親父殿に助けられたからのう。あの時の状況で殿軍(しんがり)を志願する事など、余程の豪傑でなければできん。武将の鑑(かがみ)じゃと尊敬しておるんじゃよ。そなたは知らんじゃろうが、あの時、殿軍として戦死した湯本三郎右衛門殿ほか五十名の供養塔が真田にあるんじゃが、助けられた者たちによって、いつも、花が供えられてあるそうじゃ」

「一徳斎殿が供養塔を?」と善太夫は聞いた。

「そうじゃ」

「知りませんでした」

「兄上(一徳斎)は、ああ見えても、家臣思いなんじゃよ」

 善太夫はその夜、薩摩守と遅くまで語り明かした。

 次の日、一徳斎に会ったが、薩摩守の言った通り大丈夫そうだった。お屋形様と仰いでいた信玄が自分よりも若くして亡くなってしまい、今まで溜まっていた疲れが急に出たのかもしれなかった。

 善太夫は安心して、長野原城に帰った。
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