忍者ブログ
HOME   »     »  第2部 17.上杉三郎景虎1 第二部 湯本三郎右衛門  »  第2部 17.上杉三郎景虎1
RSSフィード iGoogleに追加 MyYahooに追加
2024 .03.19
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

17.上杉三郎景虎








 九月の初め、吾妻を攻めた北条陸奥守(氏照)が廐橋城主の北条丹後守の父親、安芸入道芳林と共に越後に進撃して行った。その頃、越後では形だけの和睦が破れ、各地で戦が再開していた。

 先発していた北条安房守(氏邦)は樺沢城(塩沢町)を攻め落とし、喜平次の本拠地ともいえる坂戸城(六日町)を攻めていた。安房守と共に出陣した北条丹後守は本拠地の北条城(柏崎市)に戻って、兵を引き連れ、三郎景虎を助けるため御館に向かっていた。

 陸奥守は九月の半ばには安房守と合流し、坂戸城に猛攻を加えた。喜平次景勝は信濃飯山城にいた武田左馬助に救援を頼み、武田軍は千曲川沿いに越後に侵入し、坂戸城に向かった。北条軍の包囲をかい潜って坂戸城に入った武田軍は、喜平次の命によって坂戸城を受け取り、北条軍と対峙した。坂戸城には上野の人質たちがいて、それらは皆、武田の手に移った。その中には、真田軍に敵対している尻高氏、中山氏の人質も沼田衆の人質もいた。

 北条軍と武田軍が越後で戦っている頃、吾妻ではじっと我慢の守勢が続いていた。八幡山城、中之条古城を奪い取った後、北条軍は吾妻に攻めては来なかった。三郎右衛門は寄居城を守りながら、沼田で殺された月陰党の者たちの事を考えていた。

 ムツキは月陰砦の一期生で、柏原城攻めの時、キサラギたちと狐火になって活躍してくれた。素顔は滅多に見られなかったが、背がすらっとしていて笑顔の可愛い娘だった。

 ヤヨイ、ウヅキ、雲月坊、残月坊は二期生だった。ヤヨイとウヅキは御寮人様が草津に来られた時、仲居に扮して御寮人様たちを守ってくれた。ヤヨイは色っぽい娘で、踊りもうまかったらしい。ウヅキは雪のような白い肌をした小柄な娘で、琴がうまかったらしい。雲月坊、残月坊は去年、砦を下りた時、一度、会っただけだった。一年間、行願坊と各地を旅をした後、すぐに沼田に行ったらしい。残念ながら、二人の顔を思い出す事ができなかった。湯本家のために死んで行ったというのに、顔も覚えていないなんて自分が情けなかった。

 玉川坊、東蓮坊、円実坊は古くから東光坊の配下として働いていた。玉川坊と円実坊は長篠の合戦の時、向こうの様子を知らせてくれたし、東蓮坊は長篠の合戦の以前から沼田にいて敵の動きを探っていた。

 さらに、白井城下にいた随勝坊、廐橋城下にいた妙心坊も殺されていた。二人とも十年近くも城下に住み込んで、敵の情報を集めていた。

 お頭である東光坊が越後に行っている留守に十人も殺されてしまった。戦だから仕方がないというが、危険を感じながら引き上げさせなかったムツキたちの事はいつまでも悔やまれた。決して、彼らの死を無駄にしてはならないと肝に銘じていた。

 十月の半ば、三郎右衛門は矢沢三十郎、植栗河内守と共に岩櫃城に呼ばれた。すでに、中城にある真田屋敷は完成していた。喜兵衛は主立った武将たちを新しい広間に集め、ニヤニヤしながら一同を見まわした。

「北条軍が越後から戻って来た」と喜兵衛は言った。

「なに、逃げ戻って来たのか」と海野長門守が驚いて聞き返した。

「そうではない。雪に閉じ込められる前に引き上げて来たのだろう」

「成程、北条軍は雪に弱いとみえる」長門守は白い顎髭を撫でながら、うなづいた。

「陸奥守と安房守は兵を率いて、ひとまず沼田の倉内城に入った。この後、どうなるかが問題だ。北条軍が今後も上野に残れば、今の状態が春まで続く事になる。北条軍が引き上げれば、ようやく攻撃に移る事ができる。中之条の古城、横尾の八幡山城は勿論の事、柏原、尻高、中山、そして、沼田と白井を奪い取らなければならない。その覚悟でいてもらいたい」

 皆、顔を引き締め、喜兵衛の話を聞いていた。その中に、まだ十五歳の鎌原孫次郎がいた。父親の筑前守を長篠の合戦で亡くし、十二歳で家督を継いだが、まだ若すぎると祖父の宮内少輔が代わりに出陣していた。しかし、その祖父も八幡山の合戦で戦死してしまった。祖父と亡くなった家臣たちの仇を討たなければならないと孫次郎は唇を噛み締め、力強く、うなづいていた。

 越後に進撃した北条軍は結局、武田左馬助が守る坂戸城を落とす事はできなかった。人質たちを奪い返せと必死に攻めたが、坂戸城の守りは堅かった。やがて、雪がちらつく季節となった。雪の少ない土地で育った兵たちは大雪を恐れ、士気も低下した。北条軍は城攻めを諦め、樺沢城に撤退した。まごまごしていると三国峠が雪で塞がれて帰れなくなってしまう。陸奥守と安房守は弟の四郎と北条安芸入道に五百の兵をつけて残し、必ず、春まで待ちこたえよと命じて引き上げて来た。

 倉内城に入った陸奥守と安房守は兵を休ませた後、共に越後から引き上げて来た河田伯耆守を残して、お屋形様のいる廐橋城へ向かった。倉内城には治部少輔が二千の兵と共に守っていて、焼け落ちた城の普請に精出していた。廐橋城に入った陸奥守と安房守は、お屋形様の相模守(氏政)と軍議を重ね、左衛門佐(氏忠)を沼田に、治部少輔(氏秀)を廐橋に残し、他の者はひとまず、本拠地に帰す事に決めた。
 十一月の初め、冷たい北風の吹く中、北条の大軍は上野から引き上げて行った。倉内城には左衛門佐の兵五百と沼田衆五百が残り、白井城には北条軍は入らず、長尾一井斎に任せ、以前のごとく兵力は五百余り、廐橋城には治部少輔の兵一千が残った。

 喜兵衛は北条軍の撤退を聞くと、しばらく様子を見てから、最低限の守備兵を残して、それぞれ帰還させた。馬場民部少輔も原隼人佑も兵を引き連れて帰って行った。

「喜兵衛殿も帰られるのですか」と三郎右衛門が聞くと、

「俺が引き上げない事には鉢形の連中も枕を高くして眠れまい」と笑った。

 三郎右衛門はうなづいた。「安房守は兵備を解かずに、鉢形から吾妻を睨んでいるようです」

「敵も本音は休みたいのさ。春が来るまでゆっくりと休ませてやろうじゃないか」

「冬眠してもらいましょう」と三郎右衛門も笑った。

 喜兵衛は守備状況の確認をすると後の事を城代の海野兄弟に任せ、真田へ帰って行った。三郎右衛門も寄居城を左京進に任せ、長野原に引き上げた。

 上杉謙信の関東出陣騒ぎから始まって、およそ一年、戦陣にいた事になる。敵の大軍に囲まれただけで、戦らしい戦はなかったが、疲れた一年だった。しかし、まだ、終わってはいない。これからが本当の戦になるだろう。北条が完全に軍備を解いた時、喜兵衛は動くに違いないと三郎右衛門は確信していた。一万余りの兵を五ケ月間も遠征させた北条軍も疲労しているに違いない。一度、軍備を解いたら、一万の兵を集めるのは容易な事ではない。また、甲府に帰った武田のお屋形様が駿河から伊豆に進攻すれば、北条としても上野に兵を集める事はできなくなる。喜兵衛はその隙を利用して沼田を攻略するに違いなかった。

 久し振りに二人の子供と過ごした三郎右衛門は翌日、小雪のちらつく中、白根山中にある月陰砦を訪ねた。すでに草津も雪に埋もれ、ひっそりと静まり返っていた。飄雲庵の前を通った時、ふと人の気配を感じ、覗いてみると赤々と燃えた囲炉裏の前に里々が座っていた。

 三郎右衛門は驚き、「こんな所で何をしている」と聞いた。

 暖かそうな綿入れを着込んだ里々は頭を下げると、「お屋形様をお待ちしておりました」と楽しそうに笑った。

「俺を待っていた?」

「はい」

「俺は誰にも行き先を告げずに出て来た。誰かが後をつけて来たと言うのか」

 三郎右衛門は後ろを振り返って見た。雪景色の中、湯の川が煙を上げて流れているだけで、人影は見当たらなかった。

「多分、サツキかミナヅキがお屋形様を守るためについて来ているとは思いますが、二人にはまだ会ってはおりません。お屋形様が長野原に戻ったと昨夜、サツキから知らせが入りました。それで、今日、必ず、砦に行くだろうと思い、お待ちしておりました」

「俺が砦に行くとよくわかったな」

「砦には亡くなった者たちが眠っておりますから」

「うむ。墓参りが遅くなってしまった」

「申し訳ございませんでした」里々はかすれたような声で言って、力なくうなだれた。

「お前が謝る事はない」

「しかし、ムツキたちを死なせてしまったのは‥‥‥」そこから先は涙で声にならなかった。

「お前のせいではない。月陰党は俺の指揮下にある。責任を取るのは俺だ」

「お屋形様‥‥‥申し訳ございません」

「もういい。行くぞ」

 里々はうなづくと涙を拭いて、囲炉裏の火に灰を掛けた。

 ふと三郎右衛門が振り返ると雪の中に若い娘が控えていた。

「お前がサツキか」と聞くと、

「いいえ、ミナヅキでございます」と娘は答えた。

 娘は白装束だった。頭に被っていたと思われる白い頭巾を左手で持ち、腰に差した小太刀も白鞘で白柄だった。

「陰ながら俺を守ってくれたのか。ありがとう」

「お屋形様、よろしくお願いいたします」とミナヅキは頭を下げた。

「うむ、こちらこそな」

 ミナヅキは今年の五月の末、山を下りた娘で、会うのは初めてだった。優しそうな顔をした美人だった。サツキと一緒に金太夫の宿屋で仲居を勤めていたというのは里々から聞いていた。

「冬住みになってから、ミナヅキは長野原城下の『万屋(よろずや)』で働いております」と里々が藁沓(わらぐつ)を履きながら言った。

「万屋? 何だそれは」

「名前の通り、あらゆる物を売っているお店でございます。お屋形の女中になってしまうと自由に出入りができませんので、娘たちをその店で働かせる事にしたのでございます」

「成程」

「双寿坊様にお店の主人になっていただき、円月坊、サツキ、ミナヅキ、フミツキの四人が働いております」

「月陰党の拠点にするのだな」

「はい。行商人として各地を旅する事もできます。やがては『小野屋』さんのように出店を増やす事もできるかと思います」

「うむ、いい考えだ。売っている物は小野屋から仕入れたのか」

「仕入れた物もございます。お屋形様には申し上げにくいのですが、大方は盗品なのでございます」

「敵から奪い取った物か」

「申し訳ございません」

「仕方がないだろう。ただ、盗品を扱っている事を気づかれんようにな」

「はい。かしこまってございます」

 三郎右衛門は里々とミナヅキと共に月陰砦に向かった。

 いい天気だった。雪はまぶしく、新雪を踏み締めながら山を登っているうちに汗がにじみ出て来る程だった。

 雪に埋もれた砦では若い者たちが厳しい修行に励んでいた。娘たちを鍛えているキサラギの姿もあった。泥だらけの稽古着を着て真剣な顔付きで小太刀を教えている。顔は輝き、生き生きとしていた。キサラギが生きていてよかったと三郎右衛門はしみじみと思っていた。

「一年目の娘たちはキサラギに任せております」と里々が言った。

「そうか、一年目の者と二年目の者は修行内容が違うから師範が二人必要なのだな」

「はい。キサラギのお陰で助かっております。このまま師範代にしてもよろしいでしょうか」

「砦の事はお前たちに任せるよ」

「ありがとうございます」

 墓は砦の裏の日当たりのいい丘の上にあった。三郎右衛門は亡くなった十人の墓、一つ一つに両手を合わせて冥福を祈った。

 十一月の末、富沢豊前守が鎌原孫次郎と共に横尾八幡山城を攻めて、敗れるという事件が起こった。豊前守は北条軍に攻められた時、八幡山城を守っていて、戦死した者たちのために、何としてでも城を奪い返そうと隙を窺っていた。北条軍が去り、八幡山城には尻高三河守の兵が百人いるだけだった。今なら、奪い返せると孫次郎と仲間たちを誘って攻めてはみたが成功しなかった。

 勝手な行動を取ったと海野兄弟は怒り、真田喜兵衛に知らせた。喜兵衛はすぐに二百の兵を率いて、雪の鳥居峠を越えて岩櫃城にやって来た。三郎右衛門も呼ばれて岩櫃城に向かった。

「敵の動きはどうだ」と喜兵衛は海野兄弟に聞いた。

「沼田、白井、廐橋、鉢形も動く気配はまったくござらん」と相変わらず不機嫌な顔をして長門守は答えた。

「うむ。丁度よかったのかもしれん。何もしないでいると返って怪しまれる。八幡山を攻められたが見事に追い返したと聞けば、北条も安心するだろう。春までは大丈夫だと気を抜くに違いない。今年中に、何としても古城と八幡山は奪い返すぞ」

 そう言って喜兵衛は絵地図を眺めながら、能登守から今の状況を詳しく聞いた。

 八幡山城の状況は以前と変わらず、尻高三河守の家老、塩原源太左衛門が百人の兵と共に守っている。中之条の古城は三河守の弟、摂津守がやはり百人を率いて守っていた。

「北条が動く以前に落とさなければならない。それには奇襲攻撃しかない。ほぼ同時期に、一瞬のうちに両方を落とす。それには充分に敵の動きを探り、敵が安心しきっている時を選ばなければならない。敵の忍びがあらゆる所にいると思って、慎重に行動してもらいたい」

 古城攻撃の大将には池田甚次郎、八幡山城攻撃の大将には富沢豊前守が命じられた。さらに、柏原城も奪い返すため、植栗河内守が大将に任じられ、湯本勢はその指揮下に入る事になった。

 敵に怪しまれないため、軍議が終わると何事もなかったかのように、それぞれ本拠地に戻った。三郎右衛門は五十人の兵と共に寄居城に入り、左京進たちと交替した。

 三郎右衛門は月陰党の者たちを使って敵情を探ろうとしたが、わしらに任せてくれと植栗河内守に言われた。

「そなたは前回、見事に柏原城を落とし、手柄を挙げた。今回はわしらに手柄を挙げさせてくれ」

 大将である河内守にそう言われ、三郎右衛門はうなづかないわけには行かなかった。

 十二月八日、左京進がやって来た。交替するにはまだ早い。何事だと聞くと、

「お屋形様の母上がお倒れになられた。すぐに戻った方がいい」と言う。

「母上が?」

「小雨におられる実の母上だ」

「しかし‥‥‥」と言いながらも三郎右衛門は母親の心配をした。この前、会ったのは小三郎が生まれた時だった。あの時は、いつもと変わらなかった。あれ以来、会ってはいない。一体、どうしたんだろうと三郎右衛門は考えたが、悪い事ばかりが頭に浮かび、そんな事はないと振り払った。

「今は戦の最中ではない。俺がここに残るから早く行ってやれ」と左京進が言っていた。

「そうか。すまんな」

 三郎右衛門は小雨村へと馬を走らせた。馬に揺られながら、死について考えていた。死はいつも突然やって来た。実父も義父も戦に出掛けたまま帰っては来なかった。ムツキたちは沼田に行ったまま帰って来ない。上杉謙信は突然、病死し、武田信玄も上洛を目の前にして病死した。死は誰にでも突然、訪れる。一寸先の事は誰にもわからない。生まれたばかりなのに亡くなってしまう者もいるし、幻庵のように八十過ぎまで生きている者もいる。持って生まれた運命と言えばそれまでだが、母親の寿命が尽きるとは思いたくはなかった。まだ早すぎる。もう少し長生きしてくれ。孝行らしい事を何もしていないのに死んでは困る。絶対に死なないでくれと思い浮かぶ神々に祈っていた。

 寄居城の辺りは大した事なかったのに、こちらの方はかなりの雪が降ったとみえて、小雨村はすっかり雪に埋まっていた。お屋形の軒下には大きな氷柱が風に吹かれて斜めになっている。門番に馬を預けると三郎右衛門はお屋形の中へ駈け込んだ。

 母親は青白い顔をして横になっていた。火鉢がいくつも置いてあって部屋の中は暖かい。枕元に祖母、妻のお松、末の妹のおみつ、金太夫と叔父の成就院が見守っていた。三郎右衛門の顔を見ると成就院は大丈夫だというようにうなづいてみせた。

「母上」と三郎右衛門は声を掛けた。

 返事はなかったが、母親は目を開けて三郎右衛門を見つめた。微かに笑ったような気がした。そして、すぐにまた目を閉じた。

「大丈夫じゃ。ゆっくり休めば元気になる」

 成就院はそう言って目配せした。三郎右衛門はうなづき、成就院と一緒に母親の枕元を離れた。囲炉裏の間に行き、冷えきった手を火にかざしながら成就院が話すのを待った。

「今朝、廊下で突然、倒れたらしい。わしが来た時は唸っていたが、薬を飲ませたら、ようやく落ち着いた。金太夫を助けるために慣れない宿屋を手伝って疲れが出たんじゃろう。大丈夫じゃよ」

「そうですか、安心しました」

 三郎右衛門はほっと溜め息をつき、心の中で神々に感謝していた。

 久し振りに妻子と共に小雨のお屋形に泊まった。母親は翌日も横になっていた。三日めには顔色もよくなり、軽い食事が取れるようになった。もう大丈夫だろうと後の事を妻に任せ、長野原に戻った。元気になったら小四郎とおしほのいる真田へ連れて行ってやろうと思っていた。

 十二月二十日、三郎右衛門は喜兵衛に呼ばれて岩櫃城に向かった。主立った武将たちが真田屋敷の広間に集められた。いよいよ、奇襲が始まるのかと思ったら、喜兵衛はありきたりの挨拶をしただけで解散となった。そして、喜兵衛は矢沢薩摩守の次男、源次郎に五十人の兵をつけて岩櫃に残し、その他の兵を引き連れて真田へ帰って行った。

 三郎右衛門は喜兵衛を見送った後、二の丸屋敷にいる海野能登守を訪ねた。

「一体、どうなっているんです。喜兵衛殿は真田に帰ってしまいましたよ」

「まあ、落ち着け。久し振りにお茶でも進ぜよう」

 能登守は三郎右衛門を茶室に誘うと、のんきな顔して湯を沸かし始めた。

「敵を欺くにはまず味方からというじゃろう。例の事は着実に進んでいる」

「そうですか。今回、わたしは蚊帳の外というわけですね」

「敵に悟られないためじゃ。部外者が顔を出すと敵に怪しまれる」

「確かにそうかもしれませんが‥‥‥」

「物足らんようじゃな」と能登守は三郎右衛門の顔を眺めながら笑った。

「そんな事はありません」

「みんな、うずうずしてるんじゃよ。長い事、動けなかったからのう。北条との戦いはまだ始まったばかりじゃ。そなたの出番も必ず来る。今回は黙って見守っていてくれ」

「わかりました‥‥‥ただ、今回の敵、尻高三河守とはどんな男なのか教えていただけませんか。能登守殿はご存じなのでしょう」

 能登守は驚いたような顔をして三郎右衛門を見つめ、「そうか、そなたは知らんのか」と言ってから、「そうじゃろうの」と何度もうなづき、庭の方を眺めた。

 処々に雪を被っている庭園はそれなりに見事な眺めだった。

「この岩櫃城が落ちてから、もう十五年じゃ。そなたが知らんのも無理はない。中之条古城も八幡山城も元々は尻高氏の城だったんじゃよ。尻高氏も中山氏も岩櫃にいた斎藤越前守の一族でな、一徳斎殿が岩櫃城を攻めた時からずっと敵対して来たんじゃ。岩櫃が落ち、斎藤氏が滅びた後は上杉謙信に従った。元亀元年(一五七〇年)、武田信玄殿の上野進攻によって、尻高三河守は降伏し、本領を安堵され、次男の源次郎を人質として差し出したんじゃ。しかし、その後すぐに上杉謙信が沼田に出て来ると三河守はまた上杉に寝返った。そして今度は三男の源三郎を人質として謙信に差し出した。尻高は岩櫃と沼田のほぼ中間に位置する。土地を守るためには何度も寝返るしかなかったんじゃよ。三河守には三人の伜がいてな、長男の左馬助はわしの教え子じゃった」

 能登守は木箱から大事そうに高価な天目(てんもく)茶碗を取り出した。

「その左馬助というのは尻高にいるのですか」

「ああ。跡継ぎじゃからな」

「武田の人質となった源次郎はまだ生きているのですか」

「甲府にいるはずじゃよ。それと娘が一人いて、白井に嫁いだと聞いている。これも人質のようなものじゃな」

 能登守は天目茶碗を裏返して底を眺め、また元にもどして茶碗の中を覗き、幸せそうな顔をして、うなづいていた。

「尻高氏の八幡山城と古城が武田の城となったのは、信玄殿が攻めて来た時なのですか」

「いや、そうじゃない。その時はまだ尻高氏の物じゃった。元亀三年の八月、信玄殿の上洛作戦に同調するように、一徳斎殿の白井城の総攻撃が始まった。白井城は落城し、三河守はまた武田に降伏した。その時、八幡山城と古城は奪われ、武田方の城となったんじゃよ」

「その戦なら、わたしも参加しました。わたしの初陣でした」

「そうか。その時からじゃよ。翌年、謙信が白井城を奪い返すと三河守はまた上杉に寝返ったが、八幡山城と古城は武田方に奪われたままじゃった。ようやく、六年振りに北条の助けを借りて取り戻す事ができたというわけじゃ。しかし、まもなく、落ちる事となろう」

 黙って見ていろと言われても三郎右衛門にはできなかった。城内の屋敷に帰ると城下にいる仙遊坊と徳泉坊を呼んだ。二人を古城と八幡山城に送り、何が起こるのか見届けるよう命じると、翌日、長野原に戻った。

 今年もまもなく終わるという二十七日の夜、中之条古城の攻撃が始まった。雪の降る中、池田甚次郎率いる吾妻勢三百は敵に気づかれる事なく城を包囲し、猛攻を加えた。不意を突かれた城兵は慌てふためき、混乱状態となり、火の手が上がると我先にと逃げ出した。敵の大将、尻高摂津守は尻高城を目指して逃げたが、途中で力尽き、自害して果て、伜の庄次郎は何とか白井城まで逃げ延びた。

 翌早朝、八幡山城の攻撃が行なわれ、こちらも不意を突かれた城兵は反撃もそこそこに逃げ出した。大将の塩原源太左衛門、弟の源五郎は討ち死にし、鎌原孫次郎は兜首を取る活躍をして初陣を飾った。

 年が明け、喜兵衛が真田の兵を率いて岩櫃城に入った。吾妻衆は皆、岩櫃城に集まり、新年の挨拶もそこそこに北条に対する守りを固め、尻高氏を倒すべく、八日には五百の兵が尻高へ向けて進撃した。尻高城には古城、八幡山城から逃げ戻った兵も含め、二百余りの兵が守っていた。敵も必死になって応戦したが、沼田からの援軍も間に合わず、尻高城は落城した。三河守は白井へ逃げ、嫡男の左馬助は猿ケ京の宮野城へと逃げ去った。

 三郎右衛門は寄居城にいて、月陰党の者から戦況を聞き、うまく行った事を喜んだ。心の中では自分の出番がないのを悔しがった。

 その頃、甲府ではお菊御寮人様が越後の喜平次景勝に嫁ぐ事が決まっていた。
PR
Comment
Trackback
Trackback URL

Comment form
Title
Color & Icon Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字  
Comment
Name
Mail
URL
Password
ランキング
人気ブログランキング
ブログ内検索
プロフィール
HN:
酔雲
HP:
性別:
男性
自己紹介:
歴史小説を書いています。
最新コメント
[03/18 au グリー]
[06/05 アメリカ留学]
最新トラックバック
バーコード
楽天トラベル


楽天市場
アクセス解析

Page Top
CALENDaR 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31