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2017 .11.23
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7.里々








 二月になると雪山を越えて、上杉謙信が上野に攻めて来た。善太夫は長野原の留守を三郎に頼み、岩櫃城に出陣して行った。三郎も出陣したかったが仕方がなかった。左京進が前線の柏原城を守っているため、留守を守るのは三郎しかいなかった。

 勢いに乗って白井勢がまた、柏原城を攻めるかと思われたが、攻める事はなく、謙信と共に東上野へと向かった。謙信は北条方の城を次々と攻め落とし、太田の金山(かなやま)城を包囲した。金山城を助けるため、小田原から北条相模守(氏政)が大軍を率いてやって来た。利根川を挟んで、上杉軍と北条軍は睨み合った。

 真田一徳斎は相模守に頼まれ、上杉軍の後方を撹乱するため、廐橋城、大胡城、白井城を攻めた。兵站(へいたん)基地である大胡城を攻められ、謙信は陣を引いた。謙信が大胡に向かって来るとの報を聞くと一徳斎は全軍を引かせ、それぞれの城に戻らせた。謙信が引き上げると相模守は金山城に入って情勢を見守った。

 その頃、信玄の跡を継いだ武田四郎(勝頼)は、お屋形様となって初めての戦を見事、勝ち戦で飾っていた。四郎が最初に落とした城は織田方の美濃の明智城だった。父親の意志を継いで、織田弾正(信長)を倒してやると宣戦布告をしたのだった。

 三郎は長野原城で東光坊の配下の者たちが知らせてくれる情報を聞きながら、絵地図の上で合戦を再現し、兵の動かし方を学んでいた。

 十八歳になった弟の小四郎が善太夫に従って出陣していた。信濃の飯縄山で武術の修行を積んだ小四郎は張り切って出掛けて行った。今回の戦は北条氏の依頼に答えての出陣だったため、一徳斎は無理な攻撃はさせなかった。残念ながら小四郎の活躍の場はなかったが、戦の雰囲気に慣れただけでも今後のためになるだろうと思った。

 四月八日、草津の山開きを済ますと三郎は草津に移った。去年、信玄が亡くなってしまったせいか、武田家の家臣たちの湯治は少なかった。それでも、山開きを待ちわびていたかのように湯治客は続々とやって来た。三郎はお屋形に落ち着く事なく、湯治客のために働き続けた。

 里々の行方は依然としてわからなかった。東光坊の配下の山伏は勿論の事、各地を旅している白根明神の山伏たちにも捜すように頼んだが、何の手掛かりも得られなかった。

 里々は信濃の小諸近在の貧しい農家の娘に生まれた。六歳の時、父親は徴兵されて川中島で戦死し、十一歳の時には母親が病死してしまう。里々は二人の弟と共に叔父夫婦に引き取られ、朝から晩までこき使われた。十五歳の時、叔父が大怪我をして働けなくなると口減らしのため人買いに売られ、草津にやって来たという。当然、叔父夫婦の家も捜させたが、何も知らなかった。どこに行ってしまったのか、とにかく無事でいてくれと三郎は朝晩、祈っていた。
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8.長篠の合戦








 天正三年(一五七五年)の草津の山開きが近い頃、武田四郎(勝頼)は父、信玄の遺志を継いで、上洛のための出陣命令を領国内に下した。

 去年、高天神城を落として武田軍の健在振りを天下に示したので、いよいよ、織田弾正(信長)を倒し、弾正に追い出された将軍足利義昭を京都に迎えなければならない。武田の家中は一丸となって、打倒織田に燃えていた。

 三郎は善太夫より留守を任された。京都まで行きたかったが、もし、善太夫が戦死した場合、跡を継ぐ者が残っていなければならないと言われ、返す言葉はなかった。

 従兄の左京進は武田軍が上洛した留守を狙ってやって来るに違いない上杉軍に備えて、前線の柏原城を守っていた。草津の町奉行を勤めていた弥五右衛門は目付役として出陣する事になり、左京進の弟、雅楽助が草津町奉行に任命された。今まで善太夫の馬廻衆として活躍していた雅楽助は戦場から離れたくないと善太夫に懇願した。

「今回の出陣は長引く事となろう。徳川を倒し、織田を倒し、京都まで行くとなると、いつ帰って来られるかわからん。その間、留守をしっかりと守ってもらわなくてはならんのじゃ。おぬしと左京進の兄弟には、これから先も三郎の両腕として、湯本家のために働いてもらわなくてはならない。今回は三郎を助けて留守を守ってくれ」

 善太夫にそう言われ、雅楽助はうなづいた。草津の町奉行に任命された雅楽助だったが、草津の事はほとんど知らなかった。三郎は雅楽助に草津の事を色々と教えなければならなかった。

 東光坊は去年の夏より、忍び集団を作るため、白根山中で若い者を鍛えていた。見込みのありそうな男六人、女四人を領内から選び、一年間の厳しい修行の後、残った男三人と女二人をお屋形に連れて来た。

 善太夫は縁側まで出て来て、鍛え抜かれた五人の若者たちを眺めながら、「ものになりそうか」と聞いた。

「何とか、死ぬ覚悟だけはできております」

 東光坊は後ろで控えている若者たちを振り返り、善太夫に紹介しようとしたが、

「一年足らずの修行では、まだ無理じゃろう」と善太夫は言った。

 確かにその通りだと東光坊も思っていた。

「もう一年、みっちりと仕込むつもりでございます。ただ、今回の大戦に連れて行けば何かの役に立つだろうと連れて参りました」

「今回は忍びは連れてはいかん」と善太夫は意外な事を言った。

「えっ」と東光坊は善太夫を見上げた。

「戦が大きすぎるんじゃ。敵も味方も多くの忍びが暗躍する事になろう。源太左衛門殿は当然、円覚坊殿が作った忍び集団を活躍させる。真田氏だけでなく、武田の武将たちが皆、一流の忍びを使うに違いない。わしが忍びを連れて行っても、返って邪魔になるだけじゃ。敵の間者と間違われ、殺されてしまうかもしれん。急ぐ事はない。立派な忍び集団を作ってくれ」

「かしこまりました」と東光坊は重々しくうなづき、若い者たちを雪山の中に帰した。
9.長篠の合戦








 善太夫と戦死した者たちの葬儀も無事に終わった。

 三郎は善太夫の跡を継いで湯本家のお屋形様となり、湯本三郎右衛門(幸綱)を名乗った。三郎右衛門という名は、箕輪攻めで戦死した実の父親の名で、元服した時から名乗っていたが、三郎右衛門と呼ばれる事はなく、ただの三郎で通っていた。お屋形様となり、改めて、三郎右衛門という名を肝に銘じ、二人の父親のためにも、湯本家を守って行かなければならないと決心を新たにした。

 長篠の合戦の湯本家の被害は想像以上のものだった。出陣した六十人のうち、無事に故郷に戻った者はたったの十三人しかいなかった。家老だった湯本五郎左衛門、草津の町奉行だった湯本弥五右衛門、旗奉行の湯本新九郎、鉄砲奉行の山本小三郎、弓奉行の山本与左衛門、槍奉行の富沢孫次郎と坂上(さかうえ)武右衛門、小荷駄奉行の本多儀右衛門、馬廻(うままわり)衆の湯本助右衛門、黒岩忠右衛門、宮崎彦八郎、小林長四郎など主立った家臣が皆、戦死してしまった。湯本助右衛門は三郎右衛門の叔父で生須(なます)湯本家を継いでいた。

 鉄砲隊の中には、以前、共に鉄砲の稽古をした黒岩忠三郎もいた。鉄砲奉行になるんだと暇さえあれば稽古を積んでいたのに異国の地で戦死してしまった。幸い、鉄砲は小野屋の女将の手下によって回収され、無事に戻って来ていた。

 使番を勤めていた関作五郎、馬廻衆の湯本孫六郎と山本与次郎、弓隊にいた小林又七郎、槍隊にいた富沢孫太郎と中沢久次郎、小荷駄隊にいた市川藤八郎は一緒に白根明神で武術の修行を積んだ仲間だった。彼らも皆、死んでしまった。

 なんで、奴らが戦死しなければならないんだ。まだ、二十二、三の若さなのに、どうして死ななければならないんだ‥‥‥何のために奴らは死んで行ったんだ‥‥‥

 ふと、出陣する前、善太夫が言った言葉が脳裏によみがえった。

「新陰流の極意は『和』じゃ」

 人を殺すための武術の極意がどうして『和』なのか、よくわからなかった。

 流祖、愛洲移香斎はいつの日か、戦のない平和な世の中が来る事を願っていたのだろうか。移香斎の弟子だった北条幻庵は移香斎の弟子が各地にいて活躍していたと言っていた。移香斎は各地にいる弟子たちを使って、平和な世の中を作ろうとしていたのだろうか。

 京都で道場を開いている上泉伊勢守も移香斎の意志を継いで、『和』のために新陰流を教え広めているのだろうか。伊勢守の弟子には、敵である織田弾正の家臣たちもいる。共に修行を積んだ堀久太郎も長篠の合戦に参加したのだろうか。これから先、久太郎と敵味方に分かれて戦う事になるのだろうか。共に新陰流を学んだ者同士が戦ったら伊勢守は悲しむに違いない。

「新陰流の極意は『和』じゃ」と言った善太夫の最期の言葉を噛み締め、三郎右衛門は様々な思いを巡らせていた。
10.毘沙門天








 長篠で戦死した者たちの四十九日の法要も無事に済んだ八月の吉日、秋晴れの穏やかな日に、お松が真田から草津に嫁いで来た。付き添って来たのはお松の祖父、矢沢薩摩守と小草野新五郎だった。新五郎は人質になって真田にいた善太夫の長女、おナツと祝言を挙げていて、一つ年上だったが三郎右衛門の義弟という関係になってた。

 婚礼の儀は草津のお屋形で行なわれ、披露宴は善太夫の湯宿で行なわれた。花嫁姿のお松は緊張しているのか、人形のようにずっと黙っていた。化粧のせいか、去年、会った時よりずっと大人っぽくなり、美しい女になっていた。

 夜も更けて披露宴もお開きになり、お屋形に帰って、ようやく、二人きりになるとお松は笑って、「やっと、草津に参りました」と言った。

「ようこそ」と言って、三郎右衛門はお松の手を取った。

 お松は恥ずかしそうに三郎右衛門に手を預けたまま、うつむいた。

「初めて、そなたに会った時、そなたはまだ子供だった。あれから何年が経ったのだろう」

「五年余りが経ちました」とお松はすぐに答えた。「あの時、十一だったわたしも十六になりました」

「そうか、五年にもなるのか」

 あっと言う間の五年間だった。しかし、様々な事が変わってしまった。あの時、右腕を失って真田で療養していた円覚坊はいない。武田信玄が亡くなり、一徳斎が亡くなり、源太左衛門、兵部丞が戦死し、善太夫も戦死した。あの時、わずか五年後に自分が湯本家のお屋形様になるなんて夢にも思っていなかった。

「三郎様がわたしの事をいつも、子供扱いするのが憎らしゅうございました」

「憎らしかったのか。そいつはすまなかった。でもな、そなたと同じ位の妹がいるんだ」

「おアキ様とおしの様でございますね」

「うん、そうだ。アキはお亡くなりになったお屋形様の娘で、義理の妹なんだ。しのの方は実の妹でな、そなたも妹のような感じだったんだよ」

 お松は顔を上げて三郎右衛門を見た。お屋形様になった三郎右衛門は去年会った時よりも大人びて見えた。口髭を蓄えたせいかも知れなかった。

「今でもそう思っていらっしゃるのですか」

「いや、そんな事はない。お松は俺の妻だ。まだ草津の事を何も知らないそなたにとって、色々と大変だろうが、お松ならできる。湯本家のお屋形の妻として、末長く、よろしく頼むよ」

「はい」とお松は大きな目でじっと三郎右衛門を見つめてうなづいた。

 お松の目には強い決心の気持ちが現れていた。五年前、真田にいた時、ちょこまかと三郎右衛門の世話をしてくれたお松を思い出し、あの時からずっと、自分の事を思っていてくれたのかと、いじらしくなり、お松を嫁に迎えて本当によかったと思った。三郎右衛門はお松を引き寄せると優しく抱き締めた。

「三郎様‥‥‥」とお松はつぶやき、大きな目から涙をこぼした。

「どうした、怖いのか」

 お松は首を振り、「やっと、三郎様のもとに来られたのでございますね」と泣きながら言って、「夢みたい」とつぶやいた。
11.月陰党








 善太夫の一周忌の二日前、三郎右衛門は草津の光泉寺で住職の玄英(げんえい)と法要の打ち合わせをしていた。そこに慌ただしく駈け込んで来たのは弟の小五郎だった。

 小五郎は今年の春から善太夫の湯宿を継いでいた。代々、湯本本家の湯宿の主人は善太夫を名乗っていたが、宿屋の主人が先代のお屋形様の名を継ぐのは憚られるので、白根明神の長老と相談して、金太夫と名乗る事となった。

「兄上、大変でございます」と金太夫は息を切らせ、額の汗を拭きながら言った。

「何を慌てているんだ。まさか、武田のお屋形様が来られたわけではあるまい」

 三郎右衛門が冗談を言うと玄英は和やかに笑った。

「それが、小野屋の女将さんがお見えになられたのでございます」

「ほう、やはり来られたか。来られると思っていた。別に驚く事でもあるまい」

「そうじゃないんです。女将さん、出家しちゃったんですよ」

「なに、出家した?」

 三郎右衛門は口を開けたまま、金太夫の顔をじっと見つめていた。あの女将が出家するなんて思いもしなかったので、確かに驚きだった。しかし、善太夫と女将の関係を思えば当然の事のようにも思えた。

「尼さんの格好でいらっしゃって、本当に驚きましたよ」と金太夫は言っていた。

「そうか‥‥‥出家したのか‥‥‥」と三郎右衛門は独り言のように呟いた。

「そして、お年寄りのお客様と御一緒です。幻庵様と言えばわかると言っておりましたが」

「なに、幻庵様だと。馬鹿者、なぜ、それを早く言わんのだ」

 三郎右衛門は玄英に急用ができた事を告げ、金太夫と共に薬師堂の方へと向かった。

「兄上、幻庵様って誰なのです」

 慌てている三郎右衛門を見ながら、金太夫は不思議そうに聞いた。金太夫が見た所、幻庵と名乗った老人は小田原の商人の御隠居といった風だった。

 三郎右衛門は辺りを見回し、人がいないのを確認してから、金太夫の耳元で、「北条家の長老様だ」と囁いた。

「えっ」と金太夫は間の抜けた顔をして三郎右衛門を見た。

「まさか、草津まで来られるとは‥‥‥こいつは大変な事になったぞ」

 しっかりしろと言うように三郎右衛門は金太夫の背中を叩いた。

「お忍びだと言っておりました」

「そうか。そうだろうな。そうでなくては困る。まったく、女将も急に、とんだお客様を連れて来られたもんだ。金太夫、一番上等な部屋は空いているだろうな」

「それが」と言って金太夫は困ったような顔をした。

「小諸の武田左馬助殿の紹介されたお客様の一行が泊まっておられます」

「おお、そうだった」

 武田左馬助は武田のお屋形様の従弟だった。長篠の合戦の後、お屋形様の右腕として活躍し、武田家中でも重きをなしていた。その左馬助の紹介で小諸城下の裕福な商人たちが今、金太夫の湯宿に滞在していた。

「今更、追い出すわけには‥‥‥」

「そいつはまずい」

「それで、慌てて参ったのでございます」

「うむ、何とかしなくてはならんな。今はどこにおられるんだ」

「幻庵様ともう一人のお客様はさっそく、滝の湯に入っておられます。お供の方々は宿屋の庭で馬の世話などをしておりますが、小野屋の女将さんは取りあえず、お屋形の方に御案内いたしました」

「そうか。お前は光太夫と安太夫の所に行って、上等な部屋が空いているか見て来い。湯本家にとって大切なお客様が来られたと言ってな」

「わかりました」とうなづくと金太夫は石段を駈け下りて行った。
12.二人の女








 天正五年(一五七七年)の元旦、二十四歳になった三郎右衛門は去年の十一月に生まれた長女の小松を抱きながら、静かな新年を迎えていた。越後の上杉謙信は越中に出陣中で関東に出て来る心配はなく、湯本家では柏原城に詰めている者たち以外は家族と共に新年を迎えていた。

 翌日は例年のごとく海野兄弟に新年の挨拶をするため岩櫃城に向かった。去年の柏原城の無血開城以来、三郎右衛門の名は有名になっていた。今まで、善太夫の跡継ぎに過ぎなかった三郎右衛門はようやく、草津の領主として皆に認められた。何となく三郎右衛門に辛く当たっていたような長門守でさえ、ニコニコしながら善太夫殿はいい跡継ぎを迎えなさったと始終、機嫌がよかった。

「兄上はな、善太夫殿の奥方、お鈴殿をそなたが追い出したものと勘違いしていたんじゃよ」と能登守は長門守が席をはずすと、三郎右衛門にそっと言った。「それに、兄上はわしの娘婿の左京進が湯本家を継ぐべきじゃとずっと思っていたんじゃ」

「そうだったのですか」

「わしもそう思っておった。しかし、そなたが各地を旅をし、京都で上泉殿の道場で修行していると聞いて気が変わった。さすが、善太夫殿じゃと思ったわ。わしも長い間、旅をしていたからわかる。お屋形様となる者はしっかりと世間の動きというものを知らなくてはならん。この吾妻の山の中から世間を見ていただけでは世の中に遅れてしまう。これからは益々、世の中の流れは速くなるじゃろう。そなた、忍びを使って各地の情報を手に入れているそうじゃの。いい事じゃ。お互いに、この吾妻郡を敵から守り通そうではないか」

「はい」と三郎右衛門は力強くうなづいた。

「それにしても、柏原城の事は見事じゃった。白井では、あの城の事を狐火城と呼んで恐れているそうじゃ。雨の降る夜は未だに、狐火が飛び回っているそうじゃの」

 あの時、三郎右衛門は何もしなかった。ただ松明をかついで城に近づいて行っただけだった。命懸けで活躍したのは月陰党の者たちなのに、彼らの存在はまったく消え、すべてが三郎右衛門の手柄になっていた。城攻めの前、東光坊が彼らの手柄を褒めてやってくれと言った意味が、ようやく三郎右衛門にもわかって来た。武士ならば戦死したとしても、それなりに丁重に扱われるが、彼らが亡くなっても公表される事はなく、闇に葬られてしまう。お屋形様である三郎右衛門が彼らの活躍をちゃんと認めてやらなければならないのだった。

「武田のお屋形様じゃがの」と能登守は言っていた。

「武田のお屋形様がどうかなさいましたか」と三郎右衛門は我に返って聞き直した。

「近いうちに祝言を挙げなさるらしい」

「えっ、武田のお屋形様には奥方様がいらっしゃらなかったのですか」

 お屋形様の事は以前、真田喜兵衛から聞いた事はあったが、奥方様の事まで詳しく聞いてはいない。長男がいると聞いて、てっきり奥方様がいるものと思い込んでいた。

「以前、織田弾正(信長)の姪を迎えたんじゃが、その奥方様は御長男の武王丸殿を産むとすぐに亡くなわれてしまった。その後、お屋形様は正式な奥方様をお迎えになってはおらんのじゃよ」

「そうだったのですか。まったく知りませんでした」

「織田弾正は信玄殿をもっとも恐れておったんじゃ。信玄殿の機嫌を取るために様々な贈り物もした。そして、今のお屋形様、四郎殿に是非に自分の姪を嫁に貰ってくれと言って来たんじゃ。当時、四郎殿は諏訪四郎と名乗っていて武田家の総領ではなかった。信玄殿もいいじゃろうと承諾したんじゃよ。ところが、信玄殿が駿河進攻を決めると総領だった太郎(義信)殿と対立した。太郎殿の奥方様は駿河の今川殿の娘だったんじゃ。武田家は信玄派と太郎派に分裂しそうになったんじゃが、信玄殿はすばやく対処して、太郎派の者たちを捕らえて殺し、太郎殿は幽閉された揚げ句に自害なされたんじゃ」

「はい。その事は真田喜兵衛殿より聞きました」

「うむ。仕方なかったんじゃよ。治部大輔(義元)殿が織田弾正に討たれた後の今川家はかつての勢いを失い、放って置けば徳川に攻め滅ぼされてしまうかもしれなかった。徳川に奪われるなら、武田の領土にしようと信玄殿は決心なされたのじゃろう。たとえ、総領の太郎殿を犠牲にしてもな‥‥‥織田弾正は四郎殿に嫁いだ姪が亡くなってしまうと、今度は自分の長男、奇妙丸(信忠)に信玄殿の娘を嫁に貰いたいと言って来た。信玄殿はまあいいじゃろうと、それも承諾したんじゃよ」

「織田弾正の長男の嫁は武田家の娘だったのですか」

「いや。約束はしたが実現はしなかった。奇妙丸と婚約したのは信玄殿の五女でお松殿というんじゃが、当時、奇妙丸は十一歳、お松殿は七歳じゃった。順調に行けば五、六年後には祝言を挙げたじゃろうが、武田家と織田家の間が不仲になり、婚約は自然解消という形になってしまったんじゃよ」

 三郎右衛門の知らない事がまだまだ多かった。敵対している武田家と織田家が婚姻で結ばれていたなんて考えられない事だった。お屋形様の跡継ぎの武王丸殿には武田家と織田家と武田に滅ぼされた諏訪家の血が流れていた。何となく恐ろしく、何となく哀れだった。

「奇妙丸というのは、秋山殿がおられた美濃の岩村城を攻めた時の大将だった織田勘九郎ではありませんか」

「おお、そうじゃよ」と能登守はうなづいた。

 やはり、そうだった。武田家の娘と婚約していたのは上泉伊勢守の高弟、疋田豊五郎に新陰流を教わっている岐阜城主となった勘九郎だった。

「という事はお松殿というお方ももう年頃になってるのではありませんか」

「うむ。もう十六、七じゃろうのう」

「その後、嫁に行かないのですか」

「嫁に行ったという話は聞かんからのう。甲府におられるんじゃろうな。いや、随分と話がそれてしまった。今度、武田のお屋形様が迎える奥方様は北条家の娘なんじゃよ」

「えっ、北条家ですか。でも、北条家と武田家は同盟を結んでいるのでしょう」

「結んではいるが、織田と徳川に対抗するために結び付きを強化しなければならんのじゃろう。その事もあって喜兵衛殿も今年の正月は甲府から帰って来られないのじゃ」

 喜兵衛が帰って来られないのは三郎右衛門も知っていた。今年は帰れないので真田へは挨拶に来なくてもいいと喜兵衛から知らせが届いていた。

「そこでじゃ。吾妻衆からも誰かを送らなければならん。わしの伜が行く事になっておるんじゃが、そなたも一緒に行ってくれんか。そなたは以前、甲府に行った事もあろう。お互いに真田家の一族でもあるしな」

「はい、それは構いませんが」

「そうか。行ってくれるか。伜の奴も喜ぶじゃろう。伜の奴、甲府で生まれ、十二歳まで向こうにいたんじゃが、その後、甲府には行ってはおらん。武田家の家臣たちが居並ぶ中に出て行くのは心細いと怖じけづいておるんじゃ。そなたが一緒なら大丈夫じゃ。伜をよろしく頼むぞ」

「はい‥‥‥」

 伜を頼むと言われても三郎右衛門は困った。能登守の伜、中務少輔は三郎右衛門よりも十歳も年上だった。それでも、能登守から見ると頼りなく見えるのか、三郎右衛門が一緒なら大丈夫だとすっかり安心していた。
13.二人の女








 甲府から帰って来た三郎右衛門は二人の女に悩まされていた。一人はやっとの思いで忘れたのに、思いもしない場所で再会した里々、もう一人は陰ながら三郎右衛門を守って甲府まで行ったキサラギだった。

 二度と会う事はない、忘れようと思っても、再会した時の里々の顔が瞼から離れなかった。それに、顔付きも体つきも三年前と同じように見えたのに何かが違っていた。その何かがわからないのも気に掛かっていた。

 キサラギは甲府から帰るとやぼったい女中に戻って、何もなかったような顔をして台所で働いていた。生須村にいる父親が急に倒れたと言って半月間、休みを貰ったらしい。冬住みの間はキサラギもおとなしかった。三郎右衛門と出会っても、頭を下げるだけで言葉を交わす事もなかった。やがて、草津の山開きとなり、三郎右衛門はお松と子供を連れて草津のお屋形に移った。台所で働く女中たちも何人かは草津に移った。ムツキは草津に移ったが、キサラギは長野原に残ったらしい。

 その頃、上杉謙信が大軍を率いて関東に攻めて来るとの風聞が流れ、三郎右衛門は兵を率いて柏原城に詰めていた。草津の事は雅楽助に任せ、左京進と共に柏原城を取り返そうと攻めて来る白井勢と戦っていた。幸い、謙信の関東出陣は中止となり、白井勢も城攻めを諦めて引き上げて行った。三郎右衛門が長野原に戻って来たのは五月の初めだった。具足(甲冑)を脱ぎ、妻子のいる草津に行こうと思ったが、留守の間に起こった様々な事を片付けているうちに暗くなってしまい草津行きは諦めた。その夜、キサラギが三郎右衛門の部屋に突然、現れた。

「お屋形様、お話がございます」とキサラギは頭を下げたまま言った。

「何だ、何かあったのか」

 何か重要な情報を持って来たのかと思い、三郎右衛門はキサラギ見た。キサラギは顔を上げると真剣な顔付きをして三郎右衛門を見つめた。キサラギは素顔に戻っていた。女中の格好ではなく、少し着飾っているようだった。どこかに行って来たのかと思いながら、三郎右衛門はキサラギが話すのを待った。

 キサラギは何かを言いかけたか、何も言わずに俯いた。行灯(あんどん)の明かりのせいか、キサラギの仕草が色っぽく感じられた。

「どうしたんだ」と三郎右衛門は声を掛けた。

 キサラギは顔を上げると意を決したかのように口を開き、「あたし、お屋形様の事がずっと好きでした」と言った。

 突然の告白に三郎右衛門はうろたえた。

「お前、何を言ってるんだ」

「いいえ、聞いて下さい。お屋形様のために働きたいと思って、厳しい修行にも耐えて参りました。陰ながらお屋形様を助けようと決心いたしました。でも、毎日、お屋形様のお側にお仕えしているうちに、もう我慢ができなくなりました。お願いでございます。今宵、一夜だけ、お側に置いて下さいませ」

「お前、何を言っているんだ」

「お屋形様はあたしが嫌いなのでございますか」とキサラギは泣きそうな顔をして三郎右衛門ににじり寄って来た。

「嫌いではない。嫌いではないが、そんな事はできん」

「お願いでございます、お屋形様」

 キサラギは目に涙を溜めて、三郎右衛門に訴えていた。三郎右衛門はその涙に負けそうになったが、じっと堪えた。

「お前の気持ちは嬉しいが、それはできん」

「お松様のように名のある武将の娘でないと駄目なのでございますね」

「何を言う。そんな事はない」

「先代のお屋形様は側室をお二人もお持ちになられたと聞いております」

「お前を側室にしろというのか」

「いいえ、そんな事は言っておりません。たった一度、一度だけでいいのでございます。所詮、あたしは陰なのです。側室になれるとは思ってもおりません」

「陰か‥‥‥」

 思い詰めたようなキサラギに負け、その夜、三郎右衛門はキサラギを抱いた。鍛え抜かれたその体は、まるで鋼鉄のようにしなやかで、三郎右衛門が今まで知っている女とはまるで違っていた。そして、信じられなかったがキサラギは生娘だった。子供の頃から陰ながら三郎右衛門に憧れ、他の男には目もくれなかった。十六になった六月、東光坊の配下に声を掛けられ、三郎右衛門のために働けると喜んで山に入って修行を積んだ。その修行の中には遊女に化けるための手練手管もあったが、もと遊女だったという老女が師範だったため、実際に男に抱かれたわけではない。初めての仕事だった柏原城では敵の武将に抱かれそうになったが、最後の一線は守り通した。どうしても、最初の男は三郎右衛門以外にはいないと決めていたのだという。三郎右衛門に抱かれた後、これで思い残す事なく、どんな任務でもやり遂げられるとキサラギは寂しそうな顔をして言った。

 その後、キサラギはさえない女中に化けたまま、三郎右衛門に近づいて来る事はなかった。そのいじらしさが可愛く思え、キサラギの存在は三郎右衛門の心の中に深く入り込んだ。
14.御寮人様




 梅雨が明けて、蒸し暑い六月十八日の日暮れ間近、東光坊と共に仁科郷に行っていた山月坊が長野原に戻って来た。二人の御寮人様は昨日、仁科郷のお屋形を出発したという。

 やかましいセミの鳴き声を聞きながら、いよいよ、いらっしゃるかと三郎右衛門は、「供回りはどんな具合だ」と庭にひざまずいている山月坊に聞いた。

「侍女が四人、護衛の侍が八人、それに、駄馬の馬丁が四人でございます」

「ほう」と三郎右衛門は呟いた。思っていたよりも少人数だった。その人数ならば、金太夫の宿屋だけで間に合いそうだ。

「いつ頃、こちらに着くのだ」

「のんびりしておりますので、四日は掛かるかと思います」

「四日というと明後日という事だな」

「はい。前日は鎌原様の所に泊まるようでございます」

「成程」と三郎右衛門はうなづいてから、「御寮人様はどんなお方だ」と聞いた。

「それはもうお二人とも気品のあるお顔立ちで、美しいお姫様でございます」と山月坊はまるで、天女でも見たような、うっとりとした顔付きで言った。

「そうだろうな」と言いながら、三郎右衛門は武田のお屋形様の顔を思い出していた。端正な顔立ちをしているお屋形様の妹なら当然、美しいだろうと思った。しかし、よく考えてみると、お屋形様の母親は諏訪の姫様で、二人の御寮人様とは母親が違った。きっと、二人の母親も美しい人なのだろう。

「うむ、御苦労だった。今晩はゆっくりと休むがよい。明日、鎌原に行き、御寮人様が来られたら、すぐに知らせるように」

「はい。かしこまりましてございます」

 翌朝、三郎右衛門は草津に向かった。晴れ渡った夏空が広がり、白い雲が所々に浮かんでいる。山の中ではカッコウがのどかに鳴いているが、今日も暑くなりそうだ。

 善恵尼は首を長くして待っていた。いくら、のんびりするつもりだと言っても、さすがに一月もブラブラしているのは退屈のようだった。それに、北条のお屋形様の娘、鶴姫様が急遽、安房(千葉県南部)の里見左馬頭(義頼)に嫁ぐ事に決まり、二十八日までには小田原に帰らなくてはならないという。

「何とか間に合ったわね」と善恵尼は張り切って準備を始めた。弟の金太夫は善恵尼に命じられて走り回っていた。宿屋の事は善恵尼に任せ、三郎右衛門は町奉行を勤める雅楽助に御寮人様の事を告げ、警固を頼んだ。

「そいつは大変だ。もしもの事があったらえらい事になる。草津までの道筋を厳重に警固しなければなるまい」

 雅楽助はとんだ事になったとひどく慌てていた。
15.御館の乱








 御寮人様たちが草津から帰った二ケ月後の閏(うるう)七月、しばらく甲府に滞在していた真田喜兵衛が草津にやって来た。三郎右衛門が慌てて長野原から草津に上ると喜兵衛は湯上がりのさっぱりした顔で金太夫の宿屋でくつろいでいた。

「草津は涼しくていいな。今年は七月が二度もあったせいか、甲府は残暑が厳しくてかなわん」と言いながら、笑顔で三郎右衛門を迎え、甲府の様子を話してくれた。

「長篠の合戦から二年が経ち、ようやく武田家も立ち直ったようだ。亡くなった武将たちの後釜も何とかお役目をこなしている。まあ、以前とまったく同じとは言えんがな。この先、経験を積んで行けば、まずは大丈夫だろう」

 そう言う喜兵衛自身もすっかり真田家のお屋形様という貫禄が身についていた。

 三郎右衛門が正月に嫁いだ花嫁の事を聞くと、北条家の姫様と武田のお屋形様はうまく行っているという。姫様はまだ十四歳で、お屋形様の御長男、武王丸(信勝)殿は十一歳、まるで、娘といってもいい年頃なんだが、お屋形様はお気に入りで可愛がっておられるようだと言って笑った。

「北条との同盟が強化され、徳川と織田の連合軍と戦う準備はできた。まずは徳川勢に囲まれている遠江の高天神城を助けなければならん。高天神城を奪われたら遠江を徳川に取られるだけでなく、駿河も危なくなってしまうからな」

「いよいよ、徳川を倒しますか」

 喜兵衛は扇子を仰ぎながら、うなづいた。

「来月には出陣する事となろう。越後の謙信は越中に出陣した。当分、関東へは出て来ないだろうが、吾妻衆には守りは固めてもらわなくてはならん」

「喜兵衛殿は遠江まで出陣するのですか」

「うむ。そのために帰って来たんだ」

 喜兵衛は草津に一泊し、翌日、岩櫃城に行き、吾妻衆を集めて、今後の事を相談すると出陣の準備をしなければならないと忙しそうに真田へ帰って行った。

 八月に入り、武田のお屋形様は領内に出陣命令を下し、八月の末、一万五千余りの兵を率いて遠江に出撃した。徳川勢を追い散らし、高天神城に兵糧や弾薬を入れる事には成功した。しかし、武田軍が引き上げると徳川軍は再び高天神城を包囲して、新たに砦を築き始めた。

 その頃、上杉謙信は能登の七尾城(七尾市)を落として加賀に進攻し、手取川で織田軍と戦い、圧倒的な勝利を得ていた。織田信長が上杉謙信に大敗したとの報が三郎右衛門のもとに届いたのは冬住みの始まった十月の半ばの事だった。知らせを持って来たのは沼田城下にいた東光坊の配下、東円坊で、七尾城にいる謙信より沼田の城代、河田伯耆守に書状が届き、沼田城下では、織田を倒し、謙信の上洛も間近だと大騒ぎをしているという。

「大納言になった信長も毘沙門天にはかなわなかったか」

 三郎右衛門は改めて、上杉謙信という武将の偉大さと恐ろしさを知った。そして、信長を共通の敵とした武田と上杉が同盟して、共に戦えばいいのではないかと思った。この時、武田方の武将は皆、密かに宿敵の謙信に拍手を送っていた。
16.長男誕生








 三郎右衛門たちが岩櫃城に戻ったのは六月も末になっていた。梅雨も上がり、暑さも盛りを迎えていた。

 海野長門守と海野中務少輔に、武田家が喜平次景勝と同盟を結んだ事を告げると二人とも唖然とした顔をした後、「何という事じゃ」と長門守は怒鳴り、三郎右衛門、西窪治部少輔、鎌原宮内少輔の三人を恐ろしい顔で睨みつけた。

「武田のお屋形様は一体、何を考えておられるのじゃ。前線の事も考えず、勝手に同盟など結びおって。喜平次と結んだじゃと。喜平次と結べば北条は敵になるではないか。北条の大軍がすぐ目の前にいるんじゃぞ。どうして、そんな事になったんじゃ。わしらに納得できるよう、きちんと説明してもらおうか」

 長門守がすごい剣幕で怒鳴り散らしたため、三郎右衛門も治部少輔も俯いてしまった。さすが、年を食っている宮内少輔は落ち着き払って説明をした。

「すると、真田のお屋形様は蚊帳(かや)の外だったのだな」と黙って話を聞いていた中務少輔が口を挟んだ。父親の能登守は出掛けているのか、姿を現さなかった。

「前線におられた小諸の左馬助殿が中心になって交渉を始めたようじゃ」

「上杉との交渉は海津の春日弾正殿が当たっていたのではないのか」

「春日弾正殿は先月、お亡くなりになられた」

「なに、春日弾正殿が亡くなった‥‥‥」

 中務少輔は信じられないという顔をして伯父の長門守を見た。長門守は怒りが治まらないとみえて、真っ赤な顔をして一人でブヅブツ言っていた。

「春日弾正殿が生きておられれば、こんな事にはならなかったじゃろうと真田のお屋形様は言っておられた」

「うーむ」と言いながら中務少輔は腕を組んで宙を睨んだ。その仕草は父親にそっくりだった。

「何という事じゃ。武田のお屋形様はわしらの事など何も考えておられん。まったく、どうしたらいいんじゃ」長門守はたるんだ頬の肉を震わせながら、ウーウー唸り続けた。

「伯父上、決まってしまった事は仕方がないでしょう。確かに、三郎景虎が謙信の跡を継いでしまえば、越後は北条領となり西上野は北条勢に囲まれる。同盟を結んでいるとはいえ、北条は西上野を手に入れようとするに違いない。遅かれ早かれ、北条とは戦わなくてはならんのだ。われらとしては何が起ころうとも、この吾妻の地を守り抜かなければならない」

 中務少輔はこちらの今の状況を説明してくれた。

 廐橋城の城主、北条丹後守、白井城の城主、長尾一井斎が三郎景虎方に付いたので、北条氏は難無く、その二城を手に入れた。沼田の倉内城も三郎方だったが、城代の河田伯耆守が越後攻めに出掛けた後、もう一人の城代、上野中務少輔が喜平次方に寝返ってしまった。北条軍は倉内城を攻めたが、敵はしぶとくなかなか落ちない。いつまでも、こんな所で足止めを食ってはいられないと、鉢形城主の安房守率いる北条軍は猿ケ京の宮野城を攻め落として越後に進軍した。宮野城が落城したのは二日前の事で、北条氏に頼まれて吾妻衆も城攻めに加わり負傷者が何人も出た。倉内城は今、江戸城主の北条治部少輔と河越城主の大道寺駿河守の兵三千余りが包囲している。吾妻衆は倉内城と共に寝返った尻高城と中山城を攻めているという。

「今の時点では、喜平次方の尻高も中山も味方になったわけだ。味方同士で傷つけあう事もない。早いうちに引き上げさせなければならない」と中務少輔は言った。

「尻高、中山攻めに北条軍は加わっているのですか」と三郎右衛門は聞いた。

「いや、われらに任されているはずだ」

「それなら、戦をやめて引き上げる事もできるわけですね」

「うむ、できるだろう。ただ、親父が今、沼田にいるんだ」

「何じゃと」と宮内少輔が言って、中務少輔の顔を見つめた。

 三郎右衛門も驚いた。どうして、能登守が沼田にいるのか理解できなかった。
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